そこはまさに地獄だった。
目に映るものは何も無く、記四季の身体は動けず。感覚が無いにもかかわらず痛覚だけははっきりしている。
胸は熱く、まるで溶けた鉄を口から流し込まれたかのような感覚。
掻き毟ろうとしても身体は動かず、動かそうとするとまるでそれが罰であるかのように襲い掛かる激痛。
意識が無ければどれだけ良かったか。否、例え意識が無かろうともこの地獄は繰り返し自分を苛むだろう。ならば・・・いっその事、死ねばよかったのか。
死ぬのなら、あの時・・・“アヤメ”が死んだときに自分も死んでいればよかったのか。
そうすればこんな地獄を味わうことも無かっただろうし、なにより何の迷いも無く死ねただろう。ならば何故、自分は今生きているのか。
目に映るものは何も無く、記四季の身体は動けず。感覚が無いにもかかわらず痛覚だけははっきりしている。
胸は熱く、まるで溶けた鉄を口から流し込まれたかのような感覚。
掻き毟ろうとしても身体は動かず、動かそうとするとまるでそれが罰であるかのように襲い掛かる激痛。
意識が無ければどれだけ良かったか。否、例え意識が無かろうともこの地獄は繰り返し自分を苛むだろう。ならば・・・いっその事、死ねばよかったのか。
死ぬのなら、あの時・・・“アヤメ”が死んだときに自分も死んでいればよかったのか。
そうすればこんな地獄を味わうことも無かっただろうし、なにより何の迷いも無く死ねただろう。ならば何故、自分は今生きているのか。
――――――――――あやめ
恋でもなく、愛でもない。そんな感情は遠の昔に枯れ果てた。
ならばそれは何か。今自分が胸に抱く流し込まれる赤い鉄よりも熱く、胸を打つものは何か。
ならばそれは何か。今自分が胸に抱く流し込まれる赤い鉄よりも熱く、胸を打つものは何か。
――――――――――あやめ
判らない。
それがなんなのか判らない。
自分が今、どちらの“あやめ”を呼んでいるのかがわからない。
それがなんなのか判らない。
自分が今、どちらの“あやめ”を呼んでいるのかがわからない。
――――――――――あやめ
その呼びかけを最後に、記四季の意識は浮上した。
ホワイトファングハウリングソウル
第二十九話
『煉獄』
「――――――――――――――」
仕事場なため、彩女が立ち入ることを禁じている書斎で記四季は目を覚ました。
時刻は・・・七時ちょうど。都たちと別れ帰宅したのが五時、その後夕飯を食べたのが六時だから・・・それほど長く寝ていたわけではない。
窓の無い書斎は昼間でも薄暗い。そこで記四季は机に突っ伏して寝ていた。こんなことは学生時代以来だ。
見ると、遺書を書くために置いた半紙の上に赤い血が転々と模様を作っていた。
記四季は無言でそれをくしゃくしゃにするとゴミ箱に放り投げる。半紙は放物線を描き、ゴミ箱のふちに当たって落ちた。
「・・・・・・」
懐を探り携帯電話を取り出す。
それは老人向けのものではなく、神姫のステータス確認ができるカスタムモデルだった。
迷うことなくボタンを押す。コール音が静かに鳴り響き、女性が返事をした。
「はい。北白蛇神社です」
「・・・その声は剛三の孫だな。七瀬の爺だ。ムラサキの奴を出してくれ」
「あ、何だ七じいちゃんか。・・・大丈夫? 声暗いわよ?」
「・・・問題ねぇよ。ムラサキ出してくれ」
「・・・・・りょーかーい」
声の主は少し訝りながらもアメティスタを迎えに行った。
恐らくはタライに水を張ってからいくだろう。そうすると少し時間がかかるはず・・・
「意外と電話するの遅かったね」
かかるはずなのだが、なぜか彼女は大して間をおかずに電話に出ていた。
待ち構えていたのだろうか。
「単刀直入に言おう。どのくらい持つ」
「・・・どのくらいって、なにが?」
知っているだろうに。彼女ははぐらかす。
まるで ――――――そのことを話したくないかのように。
「しらばっくれるな」
「はいはい。・・・・・・正直ぎりぎりだ。間に合うか間に合わないか・・・今回ばかりはボクにも判らない。多分もっと“時間”が近づけば見えてくると思うけど、それじゃ少しばかり遅いよね」
「・・・あぁ」
記四季は自分の胸を押さえる。
この体が何時まで持つか・・・現時点では不確定なようだ。
「・・・ねぇ、覚えてる?」
と、少し声のトーンを落としてアメティスタが言う。
「ボクが随分前にした予言」
「・・・何だったか。“放たれた銃弾”“折れる刀”“倒れる銀髪の者”・・・だったか」
そう、それはアメティスタが言った予言。
その予言は、未だに成就していない。
「あの時ボクはそれが、記四季さんに関することか神姫バトルで彩女が負けることかと思ったけれど・・・最近、この三つに共通するイメージを感じ取るようになってきたんだ」
「・・・なんでぇ」
「“生”のイメージ」
はっきりとアメティスタはそういった。
お世辞にもこの予言は良いものとは思えない。武器が出ているし、何よりそれが使われている。そして人が倒れる。
・・・この三つを見て、どうして“生”のイメージなんて感じるのだろうか。
「・・・わからなくてもいいよ。ボクもよく判らないから。でもこれだけは言える。“未来はまだ決まっていない”。この状態なら、ボク達は幾らでも盤面を変えられる」
「・・・まるでゲームだな」
駒は人間。盤面は世界。
アメティスタはビショップ、キングは記四季とするならば・・・彩女はなんだろう。
「・・・気に触ったなら謝るよ。でもこれがゲームだとしたら、ボクは負けるつもりはない。絶対に記四季さんを生かす。だからその為にアドバイスだ。まずこの電話の後に来る電話に絶対に出て。これは・・・アルケミストからの電話だ」
受話器の向こうにいる彼女には見えないだろうが、記四季は無言で肯く。
「内容は注文してたものが出来たって連絡。記四季さんはそれを速達で送ってもらうように言って。ただの郵送じゃトラブルが起きて指定日に届かないから」
「・・・おぅ」
「次に朝の五時と正午、三時くらいに発作があるから気をつけて。結構きついのが三時くらい・・・その時は記四季さん、そこにいてよ。彩女は入ってこないからさ」
見えているかのようにアメティスタは言う。
「あと八時ごろ川に来て。ボクが薬を持ってくから。・・・剛三さん心配してたよ。わざわざ材料取り寄せて調合しちゃったくらいなんだから」
「・・・・・・・・・・すまん」
「そのセリフは剛三さんとみっちゃん達に言ってね」
みっちゃんとは北白蛇神社の巫女である。剛三の孫であり姉妹で働いているらしい。
「・・・さて、話すことはこのくらいかな」
「・・・・・・悪いな」
「いいよ別に。ボクが望むのはこんなに頑張ったことを笑い話にして話せる未来だ。そこには記四季さんも剛三さんも・・・彩女だっている。それがあの雨の日、死に損なった僕が望む未来だ。・・・それじゃ、また後で」
電話は、そういって切れた。
記四季は無言で携帯を畳み机の上に置く。
そして・・・ふと、遺書を書くために用意したすずりに目がいく。
アメティスタは自分を死なせないために、自分の我侭に付き合いながらも頑張っている。にも拘らず当人がこんなのはどうなのだろう。
記四季はすずりに手を伸ばし、ふたをする。もう使うつもりは無かった。
と、机に置いた携帯電話が無機質な着信音を奏でる。
急ぐことなく手に取り通話ボタンを押し、耳に当てる。
「よぉ、槇野」
記四季は速達がどれほど速く届くか知らない。興味がなかったからだ。
だが今は、その速さを信じてみることにした。
仕事場なため、彩女が立ち入ることを禁じている書斎で記四季は目を覚ました。
時刻は・・・七時ちょうど。都たちと別れ帰宅したのが五時、その後夕飯を食べたのが六時だから・・・それほど長く寝ていたわけではない。
窓の無い書斎は昼間でも薄暗い。そこで記四季は机に突っ伏して寝ていた。こんなことは学生時代以来だ。
見ると、遺書を書くために置いた半紙の上に赤い血が転々と模様を作っていた。
記四季は無言でそれをくしゃくしゃにするとゴミ箱に放り投げる。半紙は放物線を描き、ゴミ箱のふちに当たって落ちた。
「・・・・・・」
懐を探り携帯電話を取り出す。
それは老人向けのものではなく、神姫のステータス確認ができるカスタムモデルだった。
迷うことなくボタンを押す。コール音が静かに鳴り響き、女性が返事をした。
「はい。北白蛇神社です」
「・・・その声は剛三の孫だな。七瀬の爺だ。ムラサキの奴を出してくれ」
「あ、何だ七じいちゃんか。・・・大丈夫? 声暗いわよ?」
「・・・問題ねぇよ。ムラサキ出してくれ」
「・・・・・りょーかーい」
声の主は少し訝りながらもアメティスタを迎えに行った。
恐らくはタライに水を張ってからいくだろう。そうすると少し時間がかかるはず・・・
「意外と電話するの遅かったね」
かかるはずなのだが、なぜか彼女は大して間をおかずに電話に出ていた。
待ち構えていたのだろうか。
「単刀直入に言おう。どのくらい持つ」
「・・・どのくらいって、なにが?」
知っているだろうに。彼女ははぐらかす。
まるで ――――――そのことを話したくないかのように。
「しらばっくれるな」
「はいはい。・・・・・・正直ぎりぎりだ。間に合うか間に合わないか・・・今回ばかりはボクにも判らない。多分もっと“時間”が近づけば見えてくると思うけど、それじゃ少しばかり遅いよね」
「・・・あぁ」
記四季は自分の胸を押さえる。
この体が何時まで持つか・・・現時点では不確定なようだ。
「・・・ねぇ、覚えてる?」
と、少し声のトーンを落としてアメティスタが言う。
「ボクが随分前にした予言」
「・・・何だったか。“放たれた銃弾”“折れる刀”“倒れる銀髪の者”・・・だったか」
そう、それはアメティスタが言った予言。
その予言は、未だに成就していない。
「あの時ボクはそれが、記四季さんに関することか神姫バトルで彩女が負けることかと思ったけれど・・・最近、この三つに共通するイメージを感じ取るようになってきたんだ」
「・・・なんでぇ」
「“生”のイメージ」
はっきりとアメティスタはそういった。
お世辞にもこの予言は良いものとは思えない。武器が出ているし、何よりそれが使われている。そして人が倒れる。
・・・この三つを見て、どうして“生”のイメージなんて感じるのだろうか。
「・・・わからなくてもいいよ。ボクもよく判らないから。でもこれだけは言える。“未来はまだ決まっていない”。この状態なら、ボク達は幾らでも盤面を変えられる」
「・・・まるでゲームだな」
駒は人間。盤面は世界。
アメティスタはビショップ、キングは記四季とするならば・・・彩女はなんだろう。
「・・・気に触ったなら謝るよ。でもこれがゲームだとしたら、ボクは負けるつもりはない。絶対に記四季さんを生かす。だからその為にアドバイスだ。まずこの電話の後に来る電話に絶対に出て。これは・・・アルケミストからの電話だ」
受話器の向こうにいる彼女には見えないだろうが、記四季は無言で肯く。
「内容は注文してたものが出来たって連絡。記四季さんはそれを速達で送ってもらうように言って。ただの郵送じゃトラブルが起きて指定日に届かないから」
「・・・おぅ」
「次に朝の五時と正午、三時くらいに発作があるから気をつけて。結構きついのが三時くらい・・・その時は記四季さん、そこにいてよ。彩女は入ってこないからさ」
見えているかのようにアメティスタは言う。
「あと八時ごろ川に来て。ボクが薬を持ってくから。・・・剛三さん心配してたよ。わざわざ材料取り寄せて調合しちゃったくらいなんだから」
「・・・・・・・・・・すまん」
「そのセリフは剛三さんとみっちゃん達に言ってね」
みっちゃんとは北白蛇神社の巫女である。剛三の孫であり姉妹で働いているらしい。
「・・・さて、話すことはこのくらいかな」
「・・・・・・悪いな」
「いいよ別に。ボクが望むのはこんなに頑張ったことを笑い話にして話せる未来だ。そこには記四季さんも剛三さんも・・・彩女だっている。それがあの雨の日、死に損なった僕が望む未来だ。・・・それじゃ、また後で」
電話は、そういって切れた。
記四季は無言で携帯を畳み机の上に置く。
そして・・・ふと、遺書を書くために用意したすずりに目がいく。
アメティスタは自分を死なせないために、自分の我侭に付き合いながらも頑張っている。にも拘らず当人がこんなのはどうなのだろう。
記四季はすずりに手を伸ばし、ふたをする。もう使うつもりは無かった。
と、机に置いた携帯電話が無機質な着信音を奏でる。
急ぐことなく手に取り通話ボタンを押し、耳に当てる。
「よぉ、槇野」
記四季は速達がどれほど速く届くか知らない。興味がなかったからだ。
だが今は、その速さを信じてみることにした。