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「キズナのキセキ・ACT1-16:男たち」(2011/10/18 (火) 22:55:58) の最新版変更点
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&bold(){キズナのキセキ}
ACT1-16「男たち」
□
ここで少し時間を戻す。
俺が意識を取り戻したのは、倉庫街のリアルバトルの翌日、日曜日の朝のことだった。
ゆっくりと目が開いた。
すぐ目の前に白っぽい壁。
自分の身体の前にも柔らかい壁。
いまだまどろみの中にあった俺の意識は、自分の状態をうまく認識できていない。
首だけが少し上を向いているような状態で、顎を何か柔らかいものに乗せている。
……どうやら、俺は今、うつぶせに寝ている格好らしい。
あたりの空気は、冬だというのに暖かい。
室内のようだ。
鼻がある独特のにおいを感じ取る。なんともいえない消毒や薬品のにおい。
……ここは病院か。
なんで俺は病院なんかで寝ているんだ?
いまだ回らない頭をなんとか動かして……大変なことに気がついた。
どうやら俺は、生きている、らしい。
必死で記憶をたぐり寄せる。最後の記憶は、ティアの俺を呼ぶ声と、頬に当たったアスファルトの冷たさ。
……どうやら記憶は損なわれていないらしい。
俺は心の底から安堵した。
一番忘れてはならないことも思い出せる。
そうとわかれば、こんなところに長居は無用である。
俺は起きあがろうとして……できなかった。
「……ッ!」
背中から左手にかけて激痛が走る。
しまった、自分の身体を省みなさすぎて、すっかり忘れていた。
俺は大ケガをしていた。だから病院に運び込まれて、今ここにいるのだ。
「……マスター!?」
鈴の音のような声が聞こえた。
ティア。
泣き虫の俺の神姫は、ものすごく心配そうな声で叫んでいた。
俺は何とか首だけ動かすと、そこにティアがやってきた。
「ティア……」
俺は何とか声を絞り出す。のどがからからで、声を出すのもつらい。
彼女は愛らしい顔を歪めて、今にも泣き出しそうな顔をしている。
しまったな、心配をかけてしまったか。
ティアは俺の肩にすがりつくと、
「マスター……ッ! よかった……よかったぁ……!」
大粒の涙をぼろぼろとこぼした。
もう、ティアを泣かすまいと決めていたのに、ダメなマスターだな、俺は。
そして、もう一人の神姫が目の前にやってきた。
「まったく……心配させないでよ。死んじゃったかと思ったわ」
「ミスティ……すまん……」
俺が倒れた後もミスティは無事だったようで安心した。
ティアとミスティをここに連れて来てくれたのは、頼子さんか大城か。
その二人にも随分と迷惑をかけたに違いない。心の中で手を合わせる。
俺がそんなことを考えていると、
「ふむ……ようやく起きたか」
ベッドの横から、男の声がした。
聞き間違えるはずもない。
俺は驚くのと同時、凄まじい嫌悪感に襲われる。
なぜ、この男がここにいる?
俺は無理を承知、動く右手を使って、なんとか身体を起こして振り向いた。
「親父……!」
俺の視線の先、スーツをきっちり着こなし、眼鏡ををかけた神経質そうな男が、水差しの水をコップに注いでいる。
遠野健一。俺の実の父親だ。
「……何しに来た」
「実の息子が大ケガしたと聞いたら、飛んでくるのが親というものだろう」
何を今更。母さんが亡くなったとき、仕事から戻ってこなかったのはどこのどいつだ。
俺はこの男が大嫌いだ。
しかし、親父が差し出したコップを、つい素直に受け取ってしまう。
その水を、のどに染み込ませるように飲む。
やっと落ち着いた。のどがからからで痛いくらいだったのだ。
不意に、目の前の男が言った。
「そっちの、黒いウサギ型がお前の神姫だそうだな」
「あ……ああ……」
驚きのあまり、俺は半端な返事しかできなかった。
俺がT工大の工学部ロボット工学科に進学し、MMS学科に専攻を決めたとき、親父は鼻で笑って馬鹿にした。
神姫なんて、女の子の人形ごっこの延長くらいにしか思っていないはずなのに。
親父がティアとミスティを見る視線は優しく、神姫を見慣れているもののそれだった。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「なんのことだ?」
「あんたが神姫に関心を示すなんて、雪でも降るんじゃないのか」
「ああ……それはな……もう慣れたんだよ」
「慣れた?」
「……婚約者が神姫開発関係の仕事をしていてな。彼女自身、何体かの神姫のオーナーだ」
……いけしゃあしゃあと。
俺の前でのろけ話か、この男は。しかも婚約だと? 俺はまだ許したわけじゃないというのに。
「それに、彼女の子供も神姫のマスターでな。結構腕が立つらしいぞ。お前にも会いたいと言っていた」
……ていうかちょっと待て。
「連れ子がいるのかよ!?」
「言わなかったか? 高校生の娘さんだ。向こうも旦那さんを亡くしているんだ」
聞いてない。
というか、それは自業自得か。今まで聞く耳も持たなかったんだから。
今こそ、これまで避けてきた親父との会話をするチャンスなのかもしれない。
そう言えば、ずっと、この男に訊きたかったことがある。
「……親父」
「なんだ?」
「あんたは……その……母さんを……死んだ母さんを、愛していたか……?」
口に出したら、ひどくこっぱずかしくなった。
すると、親父の奴、鼻で笑った。
「ふん……何を言い出すかと思えば……」
「真面目に答えろっ!!」
口から怒鳴り声が飛び出していた。
この質問は、鼻で笑われるような内容か? とても大切なことじゃないのか? それとも、この男にとっては、もう些末なことに成り下がっているのか。
「こっちは真剣に訊いてんだ……!」
俺は親父をまっすぐに睨みつける。
親父は少し驚いたようだったが、一つ吐息をつくと、今度はまっすぐな視線を俺にぶつけてきた。いつになく真剣な表情に、気圧されそうになる。
「そうだな……大切なことだ。
愛していたよ……彼女の病を代わってやれればいいと、何度思ったか分からない」
母は不治の病だった。
海外出張中だった親父は、死に目に会えなかった。
母は最後まで父の心配をしていた。
だから、母の死後も、仕事にばかりのめり込む父親が、俺は許せなかったのかもしれない。
俺は高校まで、父方の祖父母の家で育てられていた。高校時代、俺はまともに親父の顔を見ていない。見ないようにしていた。
俺はさらに尋ねる。
「それじゃあ……今の人はどうだ?」
「大事な人さ。
お前の母さんを亡くしてから……ずっと支えになってくれた人だ。彼女がいなければ、俺は立ち直れなかったかもしれない。
彼女が旦那さんを亡くしたのは随分前だが……それでも、今度は俺が彼女の支えになれればいいと思ってる」
親父は真面目な顔でそう言いきった。
少し前の俺ならば、そんな親父の言葉を怒声と共にはねつけていただろう。
しかし、今、俺の胸には別の思いが去来している。
ああ、同じだ。
今親父と付き合っているその女性は、きっと、俺にとっての菜々子さんや大城と同じだ。
あるいは、菜々子さんにとっての桐島あおいと。
絶望の中にいたとき助けてくれた人を大切に思う気持ちは理解できる。
それに、まだ親父にもこの先の人生がある。
俺の憎しみを背負いながら、この先何十年かを共に暮らす者もなく過ごすのは……なんと寂しいことだろう。
結局は、俺が子供のようにわがままを言って困らせていただけなのだ。
俺ももう成人した。就職して収入が出来れば、親の援助が無くても生きていける。
親父が再婚し、家庭を持って、そこが気に入らなければ、俺が出て行けばいいだけの話だ。大人なのだから。
だから、俺はもう親父の再婚を反対する気は無くなっていた。
「なあ、親父」
「なんだ?」
「……今はいろいろ取り込んでるから無理だけど……全部終わったら、会ってもいい。……父さんの、婚約者と」
「……お前こそどういう風の吹き回しだ」
「別に……。ただ、父さんにも父さんの人生があって、大切な人がいるってことが、わかった……というか確認できた。だからかな」
「そうか……」
父さんは大きく一つ頷いた。彼の中で何か納得ができたらしい。
父さん、なんて呼んだのはもう何年ぶりだろうか。
意固地になっていた自分が少し可笑しく思える。少しは俺も大人になった、ということなのだろうか。
「それじゃあな、あまり無理をするな」
そう言って、父さんは立ち上がった。
「なんだ、もう行くのか?」
「今からなら仕事に間に合うからな」
「……今何時だ?」
「朝七時前だ」
父さんは眠そうだった。
申し訳ないが、無理をするなという父さんの言葉は守れそうにもない。
この時間、もう街は動き出している。
俺もこんなところでのんびりはしていられない。
「父さんも、無理して相手に心配かけないように」
立ち去り際に俺が言うと、父さんは薄く笑った。いつもの馬鹿にしたような笑いではなく、どこか嬉しそうだった。
この後、父さんの再婚を許可したことを、別の意味で激しく後悔することになるのだが、それはまた別の話である。
■
お父さんとの会話で、マスターの中の何かが変わったと、わたしは感じた。
それはきっと、決心……あるいは覚悟を決めるための準備だったと、わたしは思う。
自らのすべてを賭けて菜々子さんを助け、マグダレーナを倒すための覚悟を、マスターはこのとき決めたのだ。
お父さんの背中が扉の向こうに消え、スライド式の扉が小さな音を立てて閉じた。
病室はしばしの静寂に包まれる。
数秒後、マスターが囁くように言った。
「ティア」
「はい、マスター」
わたしはマスターを見上げる。
わたしを見つめるマスターの表情は、もういつものマスターに戻っていた。
「今日は何日だ。俺が倒れてからどれだけ経った?」
「えと……今は日曜日の朝です。マスターが倒れてから一晩明けたことになります」
「そうか……」
意外に時間は経っていないな、とマスターは呟く。
マスターはわずかに目を伏せ、しばらくの間沈思していた。
今思えば、マスターはこの時にはもう、『狂乱の聖女』攻略のプランをすっかり練り上げていたと思う。
マスターは再び視線を上げると、
「まずは、無事くらい知らせないとな」
そう言って、わたしとミスティに、わずかに微笑んでくれた。
その時、病室の扉が開き、お医者さんと看護士さんたちが入ってきた。
マスターは素直にお行儀よくお医者さんの診察を受ける。
ケガはひどいものだったけれど、リハビリをすれば元のように動けるとのことだった。
わたしとミスティはほっと胸をなで下ろした。
診察が終わった後、マスターは看護士さんに頼んで、自分の荷物をベッドの上に置いてもらっていた。
誰もいなくなってから、ケガをしていない右手で探り始める。
マスターの上着もシャツも、ダメージでぼろぼろだった。赤黒く染まっているのは、血と火薬の爆発痕。
マスターは服の様子を目の当たりにして顔をしかめた。
「……いやでも意識するな、これは」
意識してもらわないと困ります。上着がそんなにボロボロになるほどの重傷なんですよ?
無理はしちゃダメだって、お父さんも言っていたではないですか。
でも、わたしは分かっていた。この人は今から、無茶をしようとしていて、それは誰にも止められないということを。
マスターは、まず携帯端末を取り出した。
電源を入れ、簡単に動作を確認すると、すぐ手に取れる位置に置く。
次に、ズボンのポケットを探り、小さなものを取り出した。
ワイヤレスヘッドセット。マスターが普段使っているのに似た、小型のもの。
「よし」
マスターはどこか満足げに頷いている。
わたしとミスティは顔を見合わせた。
おそらく、あのヘッドセットは、菜々子さんがしていたもの。なんの変哲もないヘッドセットに見えるけれど。
マスターはわたしたちの疑問に気付くはずもなく、再び携帯端末を取り上げて、どこかにメールを打ち始めた。
□
一応目が覚めたことと、入院しているT中央病院の部屋番号くらいは知らせておかなくてはなるまい。
携帯端末を手にした俺は、早速メールを打った。大城と頼子さん、それから念のため菜々子さんに。
短い文面を打ち、送信すると、とりあえずやることがなくなった。
仕方がないので、ティアとミスティを相手に、俺が意識を失った後の状況を聞き出すことにした。
大城は最悪の事態を迎える前に間に合ってくれたらしい。
しかも、俺を病院に連れて来てくれる手配もしてくれたというから、また大きな貸しが一つ出来てしまった。
そして、気がかりなことが一つある。警察に連れて行かれた菜々子さんと頼子さんのことだ。
頼子さんのことだから、警察の追求もひょいひょいとかわしていそうだが、菜々子さんの方はどうなっているだろうか。
いずれにせよ、ティアとミスティにも状況は分からないので、今は二人から連絡を待つ他はない。
しばらくしたら、俺のところにも警察の事情聴取が来るだろう。その時までに二人と口裏を合わせておかなくてはなるまい。
□
夕方、大城が見舞いに来た。驚いたことにチームのみんなも一緒だった。
安藤とシスターズは制服姿で、学校から駆けつけてくれたようだ。八重樫さんが花束を抱えている。気を遣わなくてもいいのに。
「あの……大丈夫、なんですか?」
身体を起こして対応する俺に、八重樫さんがやはり気遣わしそうに言う。
他のメンバーもひどく心配そうだ。
だから、あえて俺は空元気を振りまいた。
「大したことはないよ。心配をかけたかな」
俺が無理して微笑むと、八重樫さんたちは少し安堵していた。
大城だけはなんだか複雑そうな顔をしていた。俺のケガを実際に見ているのは、この中では大城だけだから、俺が無理しているのを分かっているのだろう。
だが、そんなことはどうでもいい。
この場に一緒にいていいはずの、残るチームメンバーについて聞いてみる。
「菜々子さんは? 一緒じゃなかったのか?」
突如、その場の空気が一変した。
皆一様にばつの悪そうな顔をして、俺から視線を逸らす。なんとも言えない、重苦しい雰囲気に包まれた。
なんだこれは。
俺が一瞬戸惑っていると、蓼科さんが吐き捨てるように言った。
「あんな人のこと、どうだっていいじゃないですか」
蓼科さんの言葉に、園田さんが頷いたのが見えた。
俺は耳を疑う。
彼女たちは菜々子さんに心酔と言っていいほど憧れていたはずだ。特に園田さんは、菜々子さんの一番弟子を自称するほどだったのに。
八重樫さんと江崎さんは居心地悪そうに俯いている。
大城に視線を向けると、複雑そうな表情をさらに深めて、やはり俯いた。
何かあったのか。
まさか大城は余計なことを言ったんじゃあるまいな?
俺は大城に視線を向けたが、すまなそうに頭を垂れるだけで何も分からない。
だが、彼女たちに今回の事件の話が伝わり、菜々子さんへの不信が生まれたのは確かなようだ。
この後、みんなとしばらく話をしていたが、ぎくしゃくしたまま終わった。
やっかいなことになった。
今後のプランに修正を加えなくてはならない。
◆
遠野が入院したことは、昨日の夜の時点でチーム全員が知っていた。
大城が情報をメールで回したからだ。
遠野の入院先も、当人からメールが来た時点で、大城が全員に連絡した。
だから、放課後にみんなでお見舞いに行こう、となったのも自然な流れだった。
大城は、メールでは余分なことは知らせずにいた。遠野に相談もなく、事実のすべてを知らせるのははばかられたからだ。この対応は賢明だったと自賛していた。
だが、遠野の見舞いに行くため、集合したときに、シスターズに囲まれて詰問された。
彼女たちと安藤にしてみれば、遠野が突然入院する理由がわからない。
事故、と大城は言葉を濁していたが、ならばなぜ、その事故を大城が知っているのか。
大城が知っているのに、菜々子は連絡が取れず、この場にも来ていないのはなぜか。菜々子こそ、真っ先に連絡をくれてもいいはずなのに。
そこまで突っ込まれ、大城はしどろもどろになり、結局、ある程度の話をせざるを得なくなった。隠し事は苦手なのである。
遠野が、菜々子とあおいにリアルバトルで挑んだこと、そこで負傷したこと。
左手と背中に大けがを負って、病院に運ばれたこと。
誰が遠野に傷を負わせたのかは分からないが、少なくとも菜々子と戦い、そして菜々子を守ろうとして傷を負ったこと。
そこまで話して、烈火のごとく怒ったのは蓼科涼子だった。
「なにを……なにをやってるんですか、菜々子さんは! 昔の仲間と、遠野さん、どっちが大事だと!?」
他のメンバーは何も言わなかったが、少なからず、涼子と同じ気持ちだったようだ。
怒り冷めやらぬまま、病院のロビーで菜々子と遭遇し、涼子は反射的に菜々子を殴ってしまったのだ。
見舞いが終わり、病院の外に出ても、怒りは収まらずにいる。
「でも涼子……さっきのは言い過ぎじゃない?」
「なんでよ」
控えめに声をかけた八重樫美緒に振り向き、涼子は睨みつけた。
その視線の強さに、美緒は戸惑いながらも、思うところを口にした。
「だって……菜々子さんのこと、あんなに尊敬していたのに……」
「そうよ。だからこそ、許せないんじゃない」
「……何か理由があったのかも」
「恋人に大けが負わせてまでしなくちゃならない理由って何?」
そう言われてしまっては、美緒は口を噤まざるをえない。
菜々子を信じたくても信じられない気持ちでいるのは、美緒も同じだった。
そして、このメンバーの誰より、涼子が激怒しているのも、美緒には分かっていた。涼子は少なからず、遠野に対して特別な気持ちを抱いている。その遠野が重傷を負って、感情的にならないはずがなかった。
美緒は思う。
もうチームは元に戻らないのだろうか。
菜々子を今までのように迎え入れるのは難しいだろう。
かといって、涼子や有紀のように、信頼を裏切られて菜々子を憎むところまでは、美緒の感情は高ぶってはいなかった。心のどこかでは、まだ菜々子を信じたいと思っている。
梨々香はまだ何も言わない。あの子の気持ちも計り知れない。
LAシスターズですら、こんなに気持ちが食い違っている。安藤と大城はまた違う思いを抱いているに違いない。
(どうすればいいのかしら……)
美緒は重いため息をついた。
□
「遅くなってごめんなさい」
チームメイトが帰った後しばらくして、頼子さんが来てくれた。
大分憔悴しているようで、こっちの方が心配になった。
「大丈夫ですか。お疲れのようですが」
「……重傷の遠野くんに心配されるほどじゃないわ」
頼子さんはそう言って苦笑した。
そして、バトル後の頼子さんたちの動向をかいつまんで説明してくれた。
警察の方は、頼子さんが何とかしてくれたという。
疲れているのは、取り調べがきつかったからではなく、退屈でめんどくさいものだったかららしい。
後日、俺にも事情聴取があるかもしれないが、そこは適当なことを言って誤魔化すしかない。俺と頼子さんは口裏を合わせる打ち合わせをした。
助っ人を呼んで解放された後、頼子さんは菜々子さんを連れて、なんとこの病院に来ていた。いまだ茫然自失の彼女を心療内科に診せるためだった。
菜々子さんは現在診察中らしい。
「それから……これは秘密の情報だから、内緒にしておいて」
「……なんです?」
「マグダレーナは、亀丸重工と関わりがあるらしいわ」
「亀丸……?」
これはまた意外な名前が飛び出してきた。
亀丸重工と言えば、財閥大手の亀丸グループの中心企業だ。消費者向け商品だけでなく、国家プロジェクトや社会システムの機材も請け負っている。もちろん、MMSから産業用ロボットまで扱っている。
その大企業が、たった一体の武装神姫に興味を示すというのは……。
「あるいは……マグダレーナは、亀丸の試作MMS……?」
それは俺の仮定を裏付けるものだった。
あの超絶な性能も、市販品では説明が付かないが、企業の研究所あたりの試作品ならば納得がいく。
なぜかは分からないが、マグダレーナは亀丸重工が試作した神姫が流出したものなのだろう。
俺が思索に耽っているのを見て、頼子さんは、こっちの件はあなたに任せるわ、と言った。
情報交換が一段落付いたところで、頼子さんはようやく表情を緩め、辺りを見回した。
「ところで、必要なものは足りてる?」
「……入院が急すぎて、何が必要なのかすら分かってないです」
「そう……何か必要な物があったら、遠慮なく言ってね。わたしもちょくちょく顔出すようにするから」
それはありがたい申し出だった。
うちの家族(親父)はまったく当てにならないので、頼子さんの言葉は心強い限りだった。
でも、その必要もないかもしれない。
俺は、今一番必要なことを頼子さんにお願いする。
「それじゃあ……菜々子さんを連れて来てくれますか」
頼子さんは少し驚いた表情で俺を見ていたが、やがて微笑んで、頷いてくれた。
そして、その日の夜になって、頼子さんは菜々子さんを連れて来てくれたのだった。
◆
翌々日。
火曜日の朝も鬱々とした気分で、大城の一日は始まった。
あのリアルバトルから三日が経つ。
あれから、チームの誰もがやりきれない思いを抱いていた。
チームの誰も、あのバトルを見たわけではない。だが、遠野が傷ついたのは、桐島あおいに付いた菜々子にも原因の一端があると、誰もが思っていた。
菜々子を信じたくても信じられない。
遠野本人はベッドの上。昨日も見舞いに行ったが、目が覚める様子もなく眠りこけていた。
あのバトルの真実を語るものは誰もいない。
鬱々とした思いは胸のあたりで堂々巡りをしていて、気分は一向に晴れない。
それは仲間たちも同じらしく、昨日『ノーザンクロス』に集まったときも、みんな口数が少なく、にこりとも笑わなかった。
「なんとかならんもんか……」
ため息と共に、そんな弱気な言葉が漏れた。
こんな事態を打開するなんて、大城には無理だった。ずっと考えてはいるが、何をすればいいのか見当も付かない。
誰かをぶん殴って事が収まるなら簡単なんだが……。
そんなことを考えていた、その時。
携帯端末がメールの着信を告げた。
「誰だよ、こんなときに」
思わず不機嫌になりながら、携帯からメールを呼び出す大城である。
少し乱暴に携帯を操作しつつ、メールを読む。
二度メールを読み直した大城の顔には、驚愕の二文字が刻まれていた。
◆
「あ、大城さん!」
病院の入り口をくぐると、すぐに声をかけられた。
ロビーのソファーから立ち上がったその姿を認めて、大城はまた驚く。
「安藤!? お前、どうしてここに……」
今日は平日、今は昼過ぎである。
高校生の安藤がこの場にいることの方が不自然だ。
ちなみに大城は、アルバイト先にドタキャンの連絡を入れてある。
「遠野さんが退院するから迎えに来てくれってメールが来たんですよ。学校さぼってでも来て欲しいって」
「おいおい……」
大城は肩をすくめて苦笑する。
安藤にも同じメールを送っていたのか。
いつも生真面目な遠野にそこまで言われたら、来ざるを得まい。いつもは「学校をさぼるな」と言いそうな男がさぼってくれと言うのなら、よほど大切な用事なのだろう。
「もしかして、大城さんも同じですか?」
「ああ。あのケガ人がを一人で帰すわけにゃーいかねぇだろ? だから車で来た」
「大城さんて、車の免許も持ってるんですか?」
「まあ、車はオヤジのだけどな」
退院する友人を迎えに行かなくてはならない、と父親に言ったら、二つ返事で車のキーを投げてよこした。
バイクで迎えに来る羽目にならなくて本当によかったと、今更ながらに胸をなで下ろす大城である。
そこへ、
「おお、早かったな、二人とも」
大城と安藤が振り向くと、そこに呼び出した本人が近づいてきた。
遠野貴樹は、まだ上半身の包帯も痛々しく、シャツと上着はひっかけているだけという有様だった。
それでも、こちらに微笑みながら歩いてくる。
「悪いな、平日に呼び出して」
「重症患者が電車に揺られて帰るつもりかよ。そっちのが迷惑だっつーの」
「違いない」
わはは、と笑う年上の男たちを、安藤は不安な気持ちで見つめている。
「ていうか……大丈夫なんですか、遠野さん」
「正直、あまり大丈夫じゃない。だけど、今はこんなところでぼやぼやしている場合でもない」
「ぼやぼやって……」
一体何をしようって言うんだ、この人は?
遠野の胸元を見れば、上着の胸ポケットで、ティアが不安そうな顔をしている。
やはり心情的に平気なのは遠野本人だけらしい。
「無理に退院してまで、何しようって言うんですか?」
「それは移動しながら話そう。大城もそれでいいか」
「おうよ。きっちり説明してもらうぜ」
大城は、ばん、と安藤の背中を叩く。
安藤が大城の顔を見ると、彼はにやりと笑った。
壮絶に不敵な笑みすぎて、安藤は思わず震え上がる。
しかし、同時に思う。遠野が無理をしているのは明らかだったが、その無理をすんなり受け入れてしまうほどに、大城は彼を信頼しているのだ。
タイプがまったく違う二人の信頼と友情を、安藤は少し羨ましく思った。
◆
「二人とも昼食はまだか?」
ゆっくり話がしたいという遠野の提案で、昼食を食べながら話をすることになった。
行きつけのファミレスに向かおうとした大城を、遠野が止めた。できれば、いつも行かないファミレスがいいという。
安藤にはその理由がさっぱり分からない。
大城も理解はしていないようだったが、遠野の言うことを素直に聞いて別のファミレスを探し出す。
車中では、安藤が遠野に、今のチームの状況を説明していた。
語りながら、安藤は沈鬱な気持ちになってくる。
いまやチームのみんなはバラバラだ。昨日のゲーセンでも、誰も楽しそうではなかった。こうして遠野や大城と一緒にいる今も、以前のような楽しい予感はなく、不安な気持ちばかりになる。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
遠野は安藤の話を静かに聞いていたが、徐々に眉間のしわが深くなっているようだ。
やがて、安藤がすべて話し終えてしまうと、
「やっぱりな、そんなことだろうと思った」
むっつりとした仏頂面を見せつつ、低い声でそう言った。
車がファミレスの駐車場に滑り込む。
席に着き、料理の注文をしたあとで、今度は遠野が話し始めた。あの土曜日の夕方、倉庫街で何があったのか。
安藤は、それまでの出来事を知らないだけに、ようやく明らかになった事実に驚くばかりだ。
事情をある程度知っている大城でさえ、言葉を失っていた。
「というわけで、このケガは誰のせいでもなく、あえて言えば俺のせいだ」
そう言われても、はいそうですかと納得できるものではない。
当時の菜々子は正気を失っていたと遠野は言ったが、だがそれでも、神姫を使って人を傷つける行為は、神姫マスターにとっては到底受け入れがたい。
桐島あおいとマグダレーナもそうだ。遠野の背中を撃ったのは彼女たちなのだ。
そして、そのマグダレーナが想像を超える性能を持った神姫だったという事実。
三人の間に重い沈黙が降りた。
大城と安藤はうつむいたまま沈んでいるが、遠野だけは食後のコーヒーを何食わぬ顔ですすっている。
この人は、自分が重傷を負っているというのに、なんでこんな平気な顔をしていられるんだろう。
安藤がそんなことを思ったとき、おもむろに大城が顔を上げた。
「それで」
「ん?」
「それで、お前はこれからどうするってんだよ……遠野」
そう、遠野はどうするのか。
今の自分たちだけでは、きっと前にも後ろにも進めない。こんなやりきれない思いを抱いたままでは、武装神姫を楽しむこともできない。
一番である当事者はどうすると言うのか。
安藤も顔を上げ、遠野に注目する。
彼の口が開く。
「決まってる。『エトランゼ』が『狂乱の聖女』を倒す。すべてはそれからだ」
まるで、これからゲーセンに行く、とでもいうような口調。
最初から決められたせりふを読むみたいに、表情一つ変えていない。
顔色を変えたのは二人の方だ。
「正気か!? マグダレーナの強さはでたらめだ! 俺たちと戦ったときでさえそうなのに、ファーストランカーの必殺技さえ効かないって、たった今言ったのは、お前だろーが! しかも、菜々子ちゃんとミスティは二度も負けているんだろ! それなのにどうやって勝つ!?」
大城がテーブルを叩いて怒鳴る。
遠野は大城をまっすぐに見て、
「声のトーンを下げろ。まわりに迷惑だ」
と至って落ち着いている。
振り上げた拳と続く怒声を失って、大城は口をぱくぱくさせた後、仕方なしにソファーにどすんと腰を落とした。
遠野は何も言わず、またコーヒーカップに口を付けた。
遠野の態度は変わらない。病院からずっと、車の中でも、ファミレスでも。それはつまり……もう最初から、遠野の気持ちは決まっているという事だ。
そしてその意味するところは……。
「まさか……あるんですか」
遠野と安藤、二人の視線がぶつかった。
「『狂乱の聖女』を倒す策がある、って言うんですか」
「そうだ」
短い答えに、安藤は今度こそ心の底から愕然とした。
そんなばかな。
そもそも、ミスティは装備を破壊されて戦えない。
菜々子の信頼は地に落ちた。
チームのみんなはすでに気持ちがバラバラだ。
遠野自身、大ケガまで負っていて、自ら戦うことはかなわない。
ティアのレッグパーツも砕け散った。
必殺のライトニング・アクセルすら破られた。
敵は、ファーストランカーでさえ倒すことのかなわなかった、最凶最悪の神姫。
それでも、あるっていうのか。
こんな絶望的な状況をひっくり返してなお、『狂乱の聖女』に勝つ策が……!?
「そんな……奇跡みたいなことが……」
思わず漏れた呟きに、遠野は小さなため息を付いた。
「まったく……ティアと同じことを言うんだな」
「え?」
遠野はコーヒーを飲み干すと、まっすぐに安藤を見た。
視線は、強く、揺るぎない。
そう、安藤は覚えている。
この視線は、安藤に策をくれたときと同じだ。
揺るぎない確信に満ちた瞳。いや、あの時よりもずっと強く、揺るぎない光。
「俺の策は当たり前の積み重ねだが……そうだな……いいだろう。俺についてくるなら、見せてやる」
遠野は領収書を取り上げて立ち上がる。
「奇跡が起きるところを」
大城と安藤は確かに聞いた。
あの遠野が奇跡を起こせると確信している!
安藤の心は震え、高鳴る。
以前、自分に与えてくれた奇跡のような策。それ以上に絶望的な、今の状況をひっくり返す策が、彼にはあるなんて!
期待せずにはいられない。
隣の大城も同じ気持ちのようだった。二人は顔を見合わせ、不敵な笑みを交わしあう。
遠野はレジへと向かって歩き出す。
二人の男はそれを追う。
安藤は後に思い知る。
この日、この三人が集まったことが、既に遠野の策の始まりであったのだ、と。
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&bold(){キズナのキセキ}
ACT1-16「男たち」
□
ここで少し時間を戻す。
俺が意識を取り戻したのは、倉庫街のリアルバトルの翌日、日曜日の朝のことだった。
ゆっくりと目が開いた。
すぐ目の前に白っぽい壁。
自分の身体の前にも柔らかい壁。
いまだまどろみの中にあった俺の意識は、自分の状態をうまく認識できていない。
首だけが少し上を向いているような状態で、顎を何か柔らかいものに乗せている。
……どうやら、俺は今、うつぶせに寝ている格好らしい。
あたりの空気は、冬だというのに暖かい。
室内のようだ。
鼻がある独特のにおいを感じ取る。なんともいえない消毒や薬品のにおい。
……ここは病院か。
なんで俺は病院なんかで寝ているんだ?
いまだ回らない頭をなんとか動かして……大変なことに気がついた。
どうやら俺は、生きている、らしい。
必死で記憶をたぐり寄せる。最後の記憶は、ティアの俺を呼ぶ声と、頬に当たったアスファルトの冷たさ。
……どうやら記憶は損なわれていないらしい。
俺は心の底から安堵した。
一番忘れてはならないことも思い出せる。
そうとわかれば、こんなところに長居は無用である。
俺は起きあがろうとして……できなかった。
「……ッ!」
背中から左手にかけて激痛が走る。
しまった、自分の身体を省みなさすぎて、すっかり忘れていた。
俺は大ケガをしていた。だから病院に運び込まれて、今ここにいるのだ。
「……マスター!?」
鈴の音のような声が聞こえた。
ティア。
泣き虫の俺の神姫は、ものすごく心配そうな声で叫んでいた。
俺は何とか首だけ動かすと、そこにティアがやってきた。
「ティア……」
俺は何とか声を絞り出す。のどがからからで、声を出すのもつらい。
彼女は愛らしい顔を歪めて、今にも泣き出しそうな顔をしている。
しまったな、心配をかけてしまったか。
ティアは俺の肩にすがりつくと、
「マスター……ッ! よかった……よかったぁ……!」
大粒の涙をぼろぼろとこぼした。
もう、ティアを泣かすまいと決めていたのに、ダメなマスターだな、俺は。
そして、もう一人の神姫が目の前にやってきた。
「まったく……心配させないでよ。死んじゃったかと思ったわ」
「ミスティ……すまん……」
俺が倒れた後もミスティは無事だったようで安心した。
ティアとミスティをここに連れて来てくれたのは、頼子さんか大城か。
その二人にも随分と迷惑をかけたに違いない。心の中で手を合わせる。
俺がそんなことを考えていると、
「ふむ……ようやく起きたか」
ベッドの横から、男の声がした。
聞き間違えるはずもない。
俺は驚くのと同時、凄まじい嫌悪感に襲われる。
なぜ、この男がここにいる?
俺は無理を承知、動く右手を使って、なんとか身体を起こして振り向いた。
「親父……!」
俺の視線の先、スーツをきっちり着こなし、眼鏡ををかけた神経質そうな男が、水差しの水をコップに注いでいる。
遠野健一。俺の実の父親だ。
「……何しに来た」
「実の息子が大ケガしたと聞いたら、飛んでくるのが親というものだろう」
何を今更。母さんが亡くなったとき、仕事から戻ってこなかったのはどこのどいつだ。
俺はこの男が大嫌いだ。
しかし、親父が差し出したコップを、つい素直に受け取ってしまう。
その水を、のどに染み込ませるように飲む。
やっと落ち着いた。のどがからからで痛いくらいだったのだ。
不意に、目の前の男が言った。
「そっちの、黒いウサギ型がお前の神姫だそうだな」
「あ……ああ……」
驚きのあまり、俺は半端な返事しかできなかった。
俺がT工大の工学部ロボット工学科に進学し、MMS学科に専攻を決めたとき、親父は鼻で笑って馬鹿にした。
神姫なんて、女の子の人形ごっこの延長くらいにしか思っていないはずなのに。
親父がティアとミスティを見る視線は優しく、神姫を見慣れているもののそれだった。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「なんのことだ?」
「あんたが神姫に関心を示すなんて、雪でも降るんじゃないのか」
「ああ……それはな……もう慣れたんだよ」
「慣れた?」
「……婚約者が神姫開発関係の仕事をしていてな。彼女自身、何体かの神姫のオーナーだ」
……いけしゃあしゃあと。
俺の前でのろけ話か、この男は。しかも婚約だと? 俺はまだ許したわけじゃないというのに。
「それに、彼女の子供も神姫のマスターでな。結構腕が立つらしいぞ。お前にも会いたいと言っていた」
……ていうかちょっと待て。
「連れ子がいるのかよ!?」
「言わなかったか? 高校生の娘さんだ。向こうも旦那さんを亡くしているんだ」
聞いてない。
というか、それは自業自得か。今まで聞く耳も持たなかったんだから。
今こそ、これまで避けてきた親父との会話をするチャンスなのかもしれない。
そう言えば、ずっと、この男に訊きたかったことがある。
「……親父」
「なんだ?」
「あんたは……その……母さんを……死んだ母さんを、愛していたか……?」
口に出したら、ひどくこっぱずかしくなった。
すると、親父の奴、鼻で笑った。
「ふん……何を言い出すかと思えば……」
「真面目に答えろっ!!」
口から怒鳴り声が飛び出していた。
この質問は、鼻で笑われるような内容か? とても大切なことじゃないのか? それとも、この男にとっては、もう些末なことに成り下がっているのか。
「こっちは真剣に訊いてんだ……!」
俺は親父をまっすぐに睨みつける。
親父は少し驚いたようだったが、一つ吐息をつくと、今度はまっすぐな視線を俺にぶつけてきた。いつになく真剣な表情に、気圧されそうになる。
「そうだな……大切なことだ。
愛していたよ……彼女の病を代わってやれればいいと、何度思ったか分からない」
母は不治の病だった。
海外出張中だった親父は、死に目に会えなかった。
母は最後まで父の心配をしていた。
だから、母の死後も、仕事にばかりのめり込む父親が、俺は許せなかったのかもしれない。
俺は高校まで、父方の祖父母の家で育てられていた。高校時代、俺はまともに親父の顔を見ていない。見ないようにしていた。
俺はさらに尋ねる。
「それじゃあ……今の人はどうだ?」
「大事な人さ。
お前の母さんを亡くしてから……ずっと支えになってくれた人だ。彼女がいなければ、俺は立ち直れなかったかもしれない。
彼女が旦那さんを亡くしたのは随分前だが……それでも、今度は俺が彼女の支えになれればいいと思ってる」
親父は真面目な顔でそう言いきった。
少し前の俺ならば、そんな親父の言葉を怒声と共にはねつけていただろう。
しかし、今、俺の胸には別の思いが去来している。
ああ、同じだ。
今親父と付き合っているその女性は、きっと、俺にとっての菜々子さんや大城と同じだ。
あるいは、菜々子さんにとっての桐島あおいと。
絶望の中にいたとき助けてくれた人を大切に思う気持ちは理解できる。
それに、まだ親父にもこの先の人生がある。
俺の憎しみを背負いながら、この先何十年かを共に暮らす者もなく過ごすのは……なんと寂しいことだろう。
結局は、俺が子供のようにわがままを言って困らせていただけなのだ。
俺ももう成人した。就職して収入が出来れば、親の援助が無くても生きていける。
親父が再婚し、家庭を持って、そこが気に入らなければ、俺が出て行けばいいだけの話だ。大人なのだから。
だから、俺はもう親父の再婚を反対する気は無くなっていた。
「なあ、親父」
「なんだ?」
「……今はいろいろ取り込んでるから無理だけど……全部終わったら、会ってもいい。……父さんの、婚約者と」
「……お前こそどういう風の吹き回しだ」
「別に……。ただ、父さんにも父さんの人生があって、大切な人がいるってことが、わかった……というか確認できた。だからかな」
「そうか……」
父さんは大きく一つ頷いた。彼の中で何か納得ができたらしい。
父さん、なんて呼んだのはもう何年ぶりだろうか。
意固地になっていた自分が少し可笑しく思える。少しは俺も大人になった、ということなのだろうか。
「それじゃあな、あまり無理をするな」
そう言って、父さんは立ち上がった。
「なんだ、もう行くのか?」
「今からなら仕事に間に合うからな」
「……今何時だ?」
「朝七時前だ」
父さんは眠そうだった。
申し訳ないが、無理をするなという父さんの言葉は守れそうにもない。
この時間、もう街は動き出している。
俺もこんなところでのんびりはしていられない。
「父さんも、無理して相手に心配かけないように」
立ち去り際に俺が言うと、父さんは薄く笑った。いつもの馬鹿にしたような笑いではなく、どこか嬉しそうだった。
この後、父さんの再婚を許可したことを、別の意味で激しく後悔することになるのだが、それはまた別の話である。
■
お父さんとの会話で、マスターの中の何かが変わったと、わたしは感じた。
それはきっと、決心……あるいは覚悟を決めるための準備だったと、わたしは思う。
自らのすべてを賭けて菜々子さんを助け、マグダレーナを倒すための覚悟を、マスターはこのとき決めたのだ。
お父さんの背中が扉の向こうに消え、スライド式の扉が小さな音を立てて閉じた。
病室はしばしの静寂に包まれる。
数秒後、マスターが囁くように言った。
「ティア」
「はい、マスター」
わたしはマスターを見上げる。
わたしを見つめるマスターの表情は、もういつものマスターに戻っていた。
「今日は何日だ。俺が倒れてからどれだけ経った?」
「えと……今は日曜日の朝です。マスターが倒れてから一晩明けたことになります」
「そうか……」
意外に時間は経っていないな、とマスターは呟く。
マスターはわずかに目を伏せ、しばらくの間沈思していた。
今思えば、マスターはこの時にはもう、『狂乱の聖女』攻略のプランをすっかり練り上げていたと思う。
マスターは再び視線を上げると、
「まずは、無事くらい知らせないとな」
そう言って、わたしとミスティに、わずかに微笑んでくれた。
その時、病室の扉が開き、お医者さんと看護士さんたちが入ってきた。
マスターは素直にお行儀よくお医者さんの診察を受ける。
ケガはひどいものだったけれど、リハビリをすれば元のように動けるとのことだった。
わたしとミスティはほっと胸をなで下ろした。
診察が終わった後、マスターは看護士さんに頼んで、自分の荷物をベッドの上に置いてもらっていた。
誰もいなくなってから、ケガをしていない右手で探り始める。
マスターの上着もシャツも、ダメージでぼろぼろだった。赤黒く染まっているのは、血と火薬の爆発痕。
マスターは服の様子を目の当たりにして顔をしかめた。
「……いやでも意識するな、これは」
意識してもらわないと困ります。上着がそんなにボロボロになるほどの重傷なんですよ?
無理はしちゃダメだって、お父さんも言っていたではないですか。
でも、わたしは分かっていた。この人は今から、無茶をしようとしていて、それは誰にも止められないということを。
マスターは、まず携帯端末を取り出した。
電源を入れ、簡単に動作を確認すると、すぐ手に取れる位置に置く。
次に、ズボンのポケットを探り、小さなものを取り出した。
ワイヤレスヘッドセット。マスターが普段使っているのに似た、小型のもの。
「よし」
マスターはどこか満足げに頷いている。
わたしとミスティは顔を見合わせた。
おそらく、あのヘッドセットは、菜々子さんがしていたもの。なんの変哲もないヘッドセットに見えるけれど。
マスターはわたしたちの疑問に気付くはずもなく、再び携帯端末を取り上げて、どこかにメールを打ち始めた。
□
一応目が覚めたことと、入院しているT中央病院の部屋番号くらいは知らせておかなくてはなるまい。
携帯端末を手にした俺は、早速メールを打った。大城と頼子さん、それから念のため菜々子さんに。
短い文面を打ち、送信すると、とりあえずやることがなくなった。
仕方がないので、ティアとミスティを相手に、俺が意識を失った後の状況を聞き出すことにした。
大城は最悪の事態を迎える前に間に合ってくれたらしい。
しかも、俺を病院に連れて来てくれる手配もしてくれたというから、また大きな貸しが一つ出来てしまった。
そして、気がかりなことが一つある。警察に連れて行かれた菜々子さんと頼子さんのことだ。
頼子さんのことだから、警察の追求もひょいひょいとかわしていそうだが、菜々子さんの方はどうなっているだろうか。
いずれにせよ、ティアとミスティにも状況は分からないので、今は二人から連絡を待つ他はない。
しばらくしたら、俺のところにも警察の事情聴取が来るだろう。その時までに二人と口裏を合わせておかなくてはなるまい。
□
夕方、大城が見舞いに来た。驚いたことにチームのみんなも一緒だった。
安藤とシスターズは制服姿で、学校から駆けつけてくれたようだ。八重樫さんが花束を抱えている。気を遣わなくてもいいのに。
「あの……大丈夫、なんですか?」
身体を起こして対応する俺に、八重樫さんがやはり気遣わしそうに言う。
他のメンバーもひどく心配そうだ。
だから、あえて俺は空元気を振りまいた。
「大したことはないよ。心配をかけたかな」
俺が無理して微笑むと、八重樫さんたちは少し安堵していた。
大城だけはなんだか複雑そうな顔をしていた。俺のケガを実際に見ているのは、この中では大城だけだから、俺が無理しているのを分かっているのだろう。
だが、そんなことはどうでもいい。
この場に一緒にいていいはずの、残るチームメンバーについて聞いてみる。
「菜々子さんは? 一緒じゃなかったのか?」
突如、その場の空気が一変した。
皆一様にばつの悪そうな顔をして、俺から視線を逸らす。なんとも言えない、重苦しい雰囲気に包まれた。
なんだこれは。
俺が一瞬戸惑っていると、蓼科さんが吐き捨てるように言った。
「あんな人のこと、どうだっていいじゃないですか」
蓼科さんの言葉に、園田さんが頷いたのが見えた。
俺は耳を疑う。
彼女たちは菜々子さんに心酔と言っていいほど憧れていたはずだ。特に園田さんは、菜々子さんの一番弟子を自称するほどだったのに。
八重樫さんと江崎さんは居心地悪そうに俯いている。
大城に視線を向けると、複雑そうな表情をさらに深めて、やはり俯いた。
何かあったのか。
まさか大城は余計なことを言ったんじゃあるまいな?
俺は大城に視線を向けたが、すまなそうに頭を垂れるだけで何も分からない。
だが、彼女たちに今回の事件の話が伝わり、菜々子さんへの不信が生まれたのは確かなようだ。
この後、みんなとしばらく話をしていたが、ぎくしゃくしたまま終わった。
やっかいなことになった。
今後のプランに修正を加えなくてはならない。
◆
遠野が入院したことは、昨日の夜の時点でチーム全員が知っていた。
大城が情報をメールで回したからだ。
遠野の入院先も、当人からメールが来た時点で、大城が全員に連絡した。
だから、放課後にみんなでお見舞いに行こう、となったのも自然な流れだった。
大城は、メールでは余分なことは知らせずにいた。遠野に相談もなく、事実のすべてを知らせるのははばかられたからだ。この対応は賢明だったと自賛していた。
だが、遠野の見舞いに行くため、集合したときに、シスターズに囲まれて詰問された。
彼女たちと安藤にしてみれば、遠野が突然入院する理由がわからない。
事故、と大城は言葉を濁していたが、ならばなぜ、その事故を大城が知っているのか。
大城が知っているのに、菜々子は連絡が取れず、この場にも来ていないのはなぜか。菜々子こそ、真っ先に連絡をくれてもいいはずなのに。
そこまで突っ込まれ、大城はしどろもどろになり、結局、ある程度の話をせざるを得なくなった。隠し事は苦手なのである。
遠野が、菜々子とあおいにリアルバトルで挑んだこと、そこで負傷したこと。
左手と背中に大けがを負って、病院に運ばれたこと。
誰が遠野に傷を負わせたのかは分からないが、少なくとも菜々子と戦い、そして菜々子を守ろうとして傷を負ったこと。
そこまで話して、烈火のごとく怒ったのは蓼科涼子だった。
「なにを……なにをやってるんですか、菜々子さんは! 昔の仲間と、遠野さん、どっちが大事だと!?」
他のメンバーは何も言わなかったが、少なからず、涼子と同じ気持ちだったようだ。
怒り冷めやらぬまま、病院のロビーで菜々子と遭遇し、涼子は反射的に菜々子を殴ってしまったのだ。
見舞いが終わり、病院の外に出ても、怒りは収まらずにいる。
「でも涼子……さっきのは言い過ぎじゃない?」
「なんでよ」
控えめに声をかけた八重樫美緒に振り向き、涼子は睨みつけた。
その視線の強さに、美緒は戸惑いながらも、思うところを口にした。
「だって……菜々子さんのこと、あんなに尊敬していたのに……」
「そうよ。だからこそ、許せないんじゃない」
「……何か理由があったのかも」
「恋人に大けが負わせてまでしなくちゃならない理由って何?」
そう言われてしまっては、美緒は口を噤まざるをえない。
菜々子を信じたくても信じられない気持ちでいるのは、美緒も同じだった。
そして、このメンバーの誰より、涼子が激怒しているのも、美緒には分かっていた。涼子は少なからず、遠野に対して特別な気持ちを抱いている。その遠野が重傷を負って、感情的にならないはずがなかった。
美緒は思う。
もうチームは元に戻らないのだろうか。
菜々子を今までのように迎え入れるのは難しいだろう。
かといって、涼子や有紀のように、信頼を裏切られて菜々子を憎むところまでは、美緒の感情は高ぶってはいなかった。心のどこかでは、まだ菜々子を信じたいと思っている。
梨々香はまだ何も言わない。あの子の気持ちも計り知れない。
LAシスターズですら、こんなに気持ちが食い違っている。安藤と大城はまた違う思いを抱いているに違いない。
(どうすればいいのかしら……)
美緒は重いため息をついた。
□
「遅くなってごめんなさい」
チームメイトが帰った後しばらくして、頼子さんが来てくれた。
大分憔悴しているようで、こっちの方が心配になった。
「大丈夫ですか。お疲れのようですが」
「……重傷の遠野くんに心配されるほどじゃないわ」
頼子さんはそう言って苦笑した。
そして、バトル後の頼子さんたちの動向をかいつまんで説明してくれた。
警察の方は、頼子さんが何とかしてくれたという。
疲れているのは、取り調べがきつかったからではなく、退屈でめんどくさいものだったかららしい。
後日、俺にも事情聴取があるかもしれないが、そこは適当なことを言って誤魔化すしかない。俺と頼子さんは口裏を合わせる打ち合わせをした。
助っ人を呼んで解放された後、頼子さんは菜々子さんを連れて、なんとこの病院に来ていた。いまだ茫然自失の彼女を心療内科に診せるためだった。
菜々子さんは現在診察中らしい。
「それから……これは秘密の情報だから、内緒にしておいて」
「……なんです?」
「マグダレーナは、亀丸重工と関わりがあるらしいわ」
「亀丸……?」
これはまた意外な名前が飛び出してきた。
亀丸重工と言えば、財閥大手の亀丸グループの中心企業だ。消費者向け商品だけでなく、国家プロジェクトや社会システムの機材も請け負っている。もちろん、MMSから産業用ロボットまで扱っている。
その大企業が、たった一体の武装神姫に興味を示すというのは……。
「あるいは……マグダレーナは、亀丸の試作MMS……?」
それは俺の仮定を裏付けるものだった。
あの超絶な性能も、市販品では説明が付かないが、企業の研究所あたりの試作品ならば納得がいく。
なぜかは分からないが、マグダレーナは亀丸重工が試作した神姫が流出したものなのだろう。
俺が思索に耽っているのを見て、頼子さんは、こっちの件はあなたに任せるわ、と言った。
情報交換が一段落付いたところで、頼子さんはようやく表情を緩め、辺りを見回した。
「ところで、必要なものは足りてる?」
「……入院が急すぎて、何が必要なのかすら分かってないです」
「そう……何か必要な物があったら、遠慮なく言ってね。わたしもちょくちょく顔出すようにするから」
それはありがたい申し出だった。
うちの家族(親父)はまったく当てにならないので、頼子さんの言葉は心強い限りだった。
でも、その必要もないかもしれない。
俺は、今一番必要なことを頼子さんにお願いする。
「それじゃあ……菜々子さんを連れて来てくれますか」
頼子さんは少し驚いた表情で俺を見ていたが、やがて微笑んで、頷いてくれた。
そして、その日の夜になって、頼子さんは菜々子さんを連れて来てくれたのだった。
◆
翌々日。
火曜日の朝も鬱々とした気分で、大城の一日は始まった。
あのリアルバトルから三日が経つ。
あれから、チームの誰もがやりきれない思いを抱いていた。
チームの誰も、あのバトルを見たわけではない。だが、遠野が傷ついたのは、桐島あおいに付いた菜々子にも原因の一端があると、誰もが思っていた。
菜々子を信じたくても信じられない。
遠野本人はベッドの上。昨日も見舞いに行ったが、目が覚める様子もなく眠りこけていた。
あのバトルの真実を語るものは誰もいない。
鬱々とした思いは胸のあたりで堂々巡りをしていて、気分は一向に晴れない。
それは仲間たちも同じらしく、昨日『ノーザンクロス』に集まったときも、みんな口数が少なく、にこりとも笑わなかった。
「なんとかならんもんか……」
ため息と共に、そんな弱気な言葉が漏れた。
こんな事態を打開するなんて、大城には無理だった。ずっと考えてはいるが、何をすればいいのか見当も付かない。
誰かをぶん殴って事が収まるなら簡単なんだが……。
そんなことを考えていた、その時。
携帯端末がメールの着信を告げた。
「誰だよ、こんなときに」
思わず不機嫌になりながら、携帯からメールを呼び出す大城である。
少し乱暴に携帯を操作しつつ、メールを読む。
二度メールを読み直した大城の顔には、驚愕の二文字が刻まれていた。
◆
「あ、大城さん!」
病院の入り口をくぐると、すぐに声をかけられた。
ロビーのソファーから立ち上がったその姿を認めて、大城はまた驚く。
「安藤!? お前、どうしてここに……」
今日は平日、今は昼過ぎである。
高校生の安藤がこの場にいることの方が不自然だ。
ちなみに大城は、アルバイト先にドタキャンの連絡を入れてある。
「遠野さんが退院するから迎えに来てくれってメールが来たんですよ。学校さぼってでも来て欲しいって」
「おいおい……」
大城は肩をすくめて苦笑する。
安藤にも同じメールを送っていたのか。
いつも生真面目な遠野にそこまで言われたら、来ざるを得まい。いつもは「学校をさぼるな」と言いそうな男がさぼってくれと言うのなら、よほど大切な用事なのだろう。
「もしかして、大城さんも同じですか?」
「ああ。あのケガ人がを一人で帰すわけにゃーいかねぇだろ? だから車で来た」
「大城さんて、車の免許も持ってるんですか?」
「まあ、車はオヤジのだけどな」
退院する友人を迎えに行かなくてはならない、と父親に言ったら、二つ返事で車のキーを投げてよこした。
バイクで迎えに来る羽目にならなくて本当によかったと、今更ながらに胸をなで下ろす大城である。
そこへ、
「おお、早かったな、二人とも」
大城と安藤が振り向くと、そこに呼び出した本人が近づいてきた。
遠野貴樹は、まだ上半身の包帯も痛々しく、シャツと上着はひっかけているだけという有様だった。
それでも、こちらに微笑みながら歩いてくる。
「悪いな、平日に呼び出して」
「重症患者が電車に揺られて帰るつもりかよ。そっちのが迷惑だっつーの」
「違いない」
わはは、と笑う年上の男たちを、安藤は不安な気持ちで見つめている。
「ていうか……大丈夫なんですか、遠野さん」
「正直、あまり大丈夫じゃない。だけど、今はこんなところでぼやぼやしている場合でもない」
「ぼやぼやって……」
一体何をしようって言うんだ、この人は?
遠野の胸元を見れば、上着の胸ポケットで、ティアが不安そうな顔をしている。
やはり心情的に平気なのは遠野本人だけらしい。
「無理に退院してまで、何しようって言うんですか?」
「それは移動しながら話そう。大城もそれでいいか」
「おうよ。きっちり説明してもらうぜ」
大城は、ばん、と安藤の背中を叩く。
安藤が大城の顔を見ると、彼はにやりと笑った。
壮絶に不敵な笑みすぎて、安藤は思わず震え上がる。
しかし、同時に思う。遠野が無理をしているのは明らかだったが、その無理をすんなり受け入れてしまうほどに、大城は彼を信頼しているのだ。
タイプがまったく違う二人の信頼と友情を、安藤は少し羨ましく思った。
◆
「二人とも昼食はまだか?」
ゆっくり話がしたいという遠野の提案で、昼食を食べながら話をすることになった。
行きつけのファミレスに向かおうとした大城を、遠野が止めた。できれば、いつも行かないファミレスがいいという。
安藤にはその理由がさっぱり分からない。
大城も理解はしていないようだったが、遠野の言うことを素直に聞いて別のファミレスを探し出す。
車中では、安藤が遠野に、今のチームの状況を説明していた。
語りながら、安藤は沈鬱な気持ちになってくる。
いまやチームのみんなはバラバラだ。昨日のゲーセンでも、誰も楽しそうではなかった。こうして遠野や大城と一緒にいる今も、以前のような楽しい予感はなく、不安な気持ちばかりになる。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
遠野は安藤の話を静かに聞いていたが、徐々に眉間のしわが深くなっているようだ。
やがて、安藤がすべて話し終えてしまうと、
「やっぱりな、そんなことだろうと思った」
むっつりとした仏頂面を見せつつ、低い声でそう言った。
車がファミレスの駐車場に滑り込む。
席に着き、料理の注文をしたあとで、今度は遠野が話し始めた。あの土曜日の夕方、倉庫街で何があったのか。
安藤は、それまでの出来事を知らないだけに、ようやく明らかになった事実に驚くばかりだ。
事情をある程度知っている大城でさえ、言葉を失っていた。
「というわけで、このケガは誰のせいでもなく、あえて言えば俺のせいだ」
そう言われても、はいそうですかと納得できるものではない。
当時の菜々子は正気を失っていたと遠野は言ったが、だがそれでも、神姫を使って人を傷つける行為は、神姫マスターにとっては到底受け入れがたい。
桐島あおいとマグダレーナもそうだ。遠野の背中を撃ったのは彼女たちなのだ。
そして、そのマグダレーナが想像を超える性能を持った神姫だったという事実。
三人の間に重い沈黙が降りた。
大城と安藤はうつむいたまま沈んでいるが、遠野だけは食後のコーヒーを何食わぬ顔ですすっている。
この人は、自分が重傷を負っているというのに、なんでこんな平気な顔をしていられるんだろう。
安藤がそんなことを思ったとき、おもむろに大城が顔を上げた。
「それで」
「ん?」
「それで、お前はこれからどうするってんだよ……遠野」
そう、遠野はどうするのか。
今の自分たちだけでは、きっと前にも後ろにも進めない。こんなやりきれない思いを抱いたままでは、武装神姫を楽しむこともできない。
一番である当事者はどうすると言うのか。
安藤も顔を上げ、遠野に注目する。
彼の口が開く。
「決まってる。『エトランゼ』が『狂乱の聖女』を倒す。すべてはそれからだ」
まるで、これからゲーセンに行く、とでもいうような口調。
最初から決められたせりふを読むみたいに、表情一つ変えていない。
顔色を変えたのは二人の方だ。
「正気か!? マグダレーナの強さはでたらめだ! 俺たちと戦ったときでさえそうなのに、ファーストランカーの必殺技さえ効かないって、たった今言ったのは、お前だろーが! しかも、菜々子ちゃんとミスティは二度も負けているんだろ! それなのにどうやって勝つ!?」
大城がテーブルを叩いて怒鳴る。
遠野は大城をまっすぐに見て、
「声のトーンを下げろ。まわりに迷惑だ」
と至って落ち着いている。
振り上げた拳と続く怒声を失って、大城は口をぱくぱくさせた後、仕方なしにソファーにどすんと腰を落とした。
遠野は何も言わず、またコーヒーカップに口を付けた。
遠野の態度は変わらない。病院からずっと、車の中でも、ファミレスでも。それはつまり……もう最初から、遠野の気持ちは決まっているという事だ。
そしてその意味するところは……。
「まさか……あるんですか」
遠野と安藤、二人の視線がぶつかった。
「『狂乱の聖女』を倒す策がある、って言うんですか」
「そうだ」
短い答えに、安藤は今度こそ心の底から愕然とした。
そんなばかな。
そもそも、ミスティは装備を破壊されて戦えない。
菜々子の信頼は地に落ちた。
チームのみんなはすでに気持ちがバラバラだ。
遠野自身、大ケガまで負っていて、自ら戦うことはかなわない。
ティアのレッグパーツも砕け散った。
必殺のライトニング・アクセルすら破られた。
敵は、ファーストランカーでさえ倒すことのかなわなかった、最凶最悪の神姫。
それでも、あるっていうのか。
こんな絶望的な状況をひっくり返してなお、『狂乱の聖女』に勝つ策が……!?
「そんな……奇跡みたいなことが……」
思わず漏れた呟きに、遠野は小さなため息を付いた。
「まったく……ティアと同じことを言うんだな」
「え?」
遠野はコーヒーを飲み干すと、まっすぐに安藤を見た。
視線は、強く、揺るぎない。
そう、安藤は覚えている。
この視線は、安藤に策をくれたときと同じだ。
揺るぎない確信に満ちた瞳。いや、あの時よりもずっと強く、揺るぎない光。
「俺の策は当たり前の積み重ねだが……そうだな……いいだろう。俺についてくるなら、見せてやる」
遠野は領収書を取り上げて立ち上がる。
「奇跡が起きるところを」
大城と安藤は確かに聞いた。
あの遠野が奇跡を起こせると確信している!
安藤の心は震え、高鳴る。
以前、自分に与えてくれた奇跡のような策。それ以上に絶望的な、今の状況をひっくり返す策が、彼にはあるなんて!
期待せずにはいられない。
隣の大城も同じ気持ちのようだった。二人は顔を見合わせ、不敵な笑みを交わしあう。
遠野はレジへと向かって歩き出す。
二人の男はそれを追う。
安藤は後に思い知る。
この日、この三人が集まったことが、既に遠野の策の始まりであったのだ、と。
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