フェリーの船腹にある扉が開く。早朝の薄明かりが、船倉にずらりと並ぶクルマを照らす。ただでさえ暑い船倉に、クルマの排ガスが充満する。もう、少数派となったガソリンエンジンの排気、水素エンジンから排出される水蒸気にハイブリッドエンジンから漏れるオゾンの香り。それらが渾然一体となって、俺の鼻孔をくすぐった。お盆の帰省に重なったフェリーは満車状態だ。家族満載、荷物も満載。フェリーのエンジンの重低音をかき消すように、車のエンジンが唸り、係員の指示に従い、一台、また一台と船外へと向かう。
さすがに無理だこりゃ。俺は首もとまで引き上げていたジャケットのジッパーを下ろした。もうTシャツがべったりと肌に張り付いていた。チャップスは履かない方が良かったかな、とは思うものの、後の祭り。目の前では係員が、俺のバイクを固定しているロープを解いていた。係員は手慣れた動きでロープをはずすと、次のバイクへと向かった。俺は持っていたタンクバッグをそっと乗せると、壁に向かって停められていたバイクを取り回し、跨がる。脇では大型トレーラーが独特の重ったるいディーゼル音を響かせて、出口へ向かっていった。
ヘルメットを被り、耳元から伸びたコードを胸元の通信機のジャックに接続する。準備は整った。
さっきまで並んでいた、車の列は消え、係員はバイクへ下船の指示を出していた。キーを捻る。ポッとメーターパネルに光が灯る。ニュートラルインジケータ−の緑色を横目に、左手の親指でハンドルの右側スイッチボックスにあるセルボタンを回す。なぜかって?
カッコイイからさ。
そして、俺は今、函館の高規格道路を走っている。目的地は道央、美瑛町にあるライダーハウスだ。ーと、イヤホンから女性の声が響いた。どことなく緊張感のあるハスキーな声だ。
「マスター、GPSシステムと国土交通省の道路情報システムとの同期が完了。現在地は函館I.C.。道央自動車道に合流するところだな。予定ルート、現在の残油及び燃費を考えると、豊浦I.C.で高速を降りたあと、R230沿いの留寿都で給油するのが良いだろう。ガソリンを扱うスタンドがある」
「ヤー」
上手くいっているようだ。俺は減速しつつ、左の分岐へダイブ。深くバンクさせながらパーシャル(※注1)で走る。例によって、出口に向かうに従い、曲率がキツくなっている。
「合流で障害になる車はないぞ。そのままの速度を維持してー。マスター、ここの制限速度は時速八十キロだ。減速するか」
「いいよ、巴。このまま加速する」
アクセルを開けて加速。シートの下から響く吸気音とともに川崎重工製、七百三十八ccの直列四気筒エンジンが咆哮を上げる。今はもう少数派のガソリンエンジン。2001年型ZR7S(※注2)。祖父の形見でもある。さっきから、俺に道路情報を伝えてくれているのは、武装神姫、兎型MMS、名前は巴。タンクバッグのなかで携帯電話のGPSとネット接続機能を駆使して、俺をナビゲートしてくれている。
俺と巴を乗せたZRは朝焼けの陽を浴びて加速する。左手を後ろにやり、後部に積んだバッグがズレてないかを確認した。ゆすってもビクともしない。ゆるんではいないようだ。
左手に、大野平野と函館山の姿が見えた。「紫のハイウェイ」。爺さんが持っていた漫画のフレーズが脳裏をよぎる。
「よし、このまま高速道を行く。巴はスリープして、充電。R230に入ったら、ナビを再開」
「了解した。くれぐれも事故には気をつけてな、マスター」
「ヤボル」
返事をすると、イヤホンからブツンとノイズが聞こえ、沈黙。
「さて」
俺は一人ごちるとギアを二速落としてアクセルを全開にした。
その後、予定どおりにR230に入り、豊浦町から洞爺湖方面に抜ける。そういえば、母が「洞爺湖」の文字が入った木刀を持っていたっけ。なんでも、観光みやげではなく、地元の店に特注した品だとか自慢げに話していたけど、何だったんだろうか?(※注3)
目を覚ました巴のナビに従い、走る。今時のバイクや車であれば、外部のナビシステムなどと連携することを前提にした作りになっている。車なら制限付きではあるものの完全な自動運転が可能だし、バイクですらジャイロを内蔵し、GPSの道路情報やセンサーの情報を使ってコーナリングの制御をしてくれるものまである。ところが俺の、この年代のバイクは、ようやくECU(Engine Control Unit)に直接パソコンを接続し、点火タイミングをコントロールできるようになったくらいのものだ。
だから、俺はこれまでに何度も巴を乗せて走り、彼女に俺の運転のクセ、ZRのクセを覚えてもらった。彼女はエンジン音の変化で回転数を知り、ミッションの音と加減速のショックでギアがどこに入っているかを知る。
留寿都の道の駅で休憩。タンクバッグを開けてやる。
「いいものだな。北海道の空気は。多少なりとも湿気が少ないのは私のボディにも良いことだ」
バッグに固定されているクレイドルから身を起こした巴は、周囲を見回して感慨深げにつぶやいた。上陸してからここまで約二時間。ようやく自分の目で北海道の風景を見ることができたのだ。思うところもあるだろう。
クレイドルは有線でタンクバッグ上面に仕込まれた太陽光発電ユニットと繋がっていて、巴は無線で携帯電話をコントロールしていた。俺とのやり取りは同じく無線通信機能を使う。俺は、後部バッグからステンレスボトルを取り出すと、歩道の縁石に腰を下ろした。中にはフェリーの自販機で購入したウーロン茶が入っていた。まだ、冷えているはずだ。
東北道を走り、そのままフェリーに乗船。そのまま二等船室のカーペットの上でうたたねしただけだ。さすがに疲れた。
「そういえば、マスターにメールが届いていたぞ」
いつの間に登ったのか、カウルのてっぺんに腰掛けた巴が伝えてきた。
重い腰を上げ、携帯電話を取り出した。
「誰からだ、マスター」
「宿泊予定の宿に先に入っている友達だ。『いまどこにいる』だって」
俺は現在地とこれからのルート、到着予定時刻を送信した。ルートはこのまま札幌入りし、再び高速道路を使って滝川へ。そこでR38へ入り、芦別からR452を経由して美瑛入りする。芦別からのルートは、30年以上前から舗装化が進められていたもので、近年ようやく完全舗装が実現した。
札幌市内をその暑さと車の多さに辟易しながら走り抜ける。途中、コンビニで保冷シートを購入し、バンダナを巻いてタンクバッグに入れてやる。「助かる」。巴が応える。タンクバッグのベンチレーションを全開にし、高速に入ったら、スリープして冷却することを巴に指示。滝川で高速を降りた時点でナビの再開をする。
たくさんの車でうだるような熱気を放つ高速道も、岩見沢を越えると、車の数も減り、それとともに熱気も収まってきた。滝川I.C.を降り、そのままR38へ。高速の余韻を醒ますため、あえて法定速度で。巴も目を覚ましたようだ。
と、一台のバイクが猛然と追い上げてくるのが見えた。俺はそのまま走る。抜いていくなら、抜いていけばいい。ところが、そいつは減速をし、右となりで並走し始めた。俺はそいつを見て毒づいた。
「この野郎、おどかしやがって」
そいつは通称八百。俺にメールを送ってきたヤツだ。到着時刻を予想してインターセプトを決めてきやがった。奴は「どうだ」と言わんばかりに、右手をグイと挙げた。俺もメット越しにニヤリと笑う。見ればバイクが変わっていた。フロントのハブステア(※注4)に無骨なカウル。最新型じゃん。
「マスター。二速落としで全開。行くぞ」
は? 巴、お前は一体何を言い出したんだ? 突然の脈絡のない指示に俺は戸惑った。慌てて周囲やバックミラーを確認していると、八百が水素エンジンの音を響かせダッシュした。野郎、やる気満々じゃん。
「ちぇ、手加減しろよ」
俺はアクセルを全開にしながら三速落とす。タイヤが悲鳴をあげながら俺たちを前方へと弾き出した。
「マスター、次の左コーナーは基本、このまま全開。コーナー中の脇道からの合流に注意」
「この坂を登り切ったところにコンビニがある。出入りする車に注意」
「このコーナー、曲率が深い。その後下りながら右のゆるいコーナー。そこで前走車が一台。追いつくぞ」
WRCのコ・パイとは言わないが、巴はかなり細かく指示を出してきた。そのお陰で安心して八百を追えるわけだけど。いつの間に俺の友人の行動パターンまで予想できるようになったんだ。コイツ。
八百のバイクは、コーナーに入ると不自然なバンクをしていた。一瞬だが、バイクの方が先に倒れ込んでいく。野郎、バイクにコーナリング制御させてやがる。フロントハブステアのせいか、ブレーキングやコーナー脱出の加速でも、おかしなな挙動をしていた。前後ピッチ方向の沈み込みや浮き上がりが全くない。きっと、免許取り立ての初心者が乗っても同じペースで走ることができるだろう。走り始めて約三十分。馬鹿みたいなペースで芦別市内に突入すると、R452へ。山越えのワインディングだ。
しばらく、前走車を抜き去りつつ走っていると、左のブラインドコーナーから出てきた対向車が激しいパッシングして走っていった。一瞬の間にドライバーを見やる。慌てたような顔で、片手を左右に激しく振っていた。八百がスピードを落とした。続いて、俺も減速。
「マスター。ここはそんなにスピードを落とすところじゃない」
巴の抗議を無視して、八百と並走しながらゆっくりとコーナーを回った。
男が発煙筒を持って路肩を歩いていた。更にスピードを落として、八百が男に尋ねた。
「やっちゃったのか。ケガ人はいるのかい」
男はバツが悪そうに応えた。
「単独です。車は路肩に寄せたし、レッカーの手配はしたので大丈夫です」
先に進むと、左側の斜面が盛大に削れて土が路面に撒かれていた。対向車線の路肩には事故を起こしたのであろう車が、ハザードを出して停まっていた。フロントはひしゃげ、バンパーがぶら下がっていた。右フロントタイヤの角度が明らかにおかしい。とりあえず、路肩まで動くことは出来たのだろうが、これでは芦別まで自走することは不可能だろう。峠を降りるまでにもう二、三回、どっかに突っ込みそうだ。
「事故だよ、巴」
「聞こえていた。マスター。本当に済まない。もう少しでマスターを事故に巻き込むところだった。自分が不甲斐ないよ」
「まぁ、そう言いなさんな。それを補うのがハンドルを握る俺の役割なんだから」
八百が俺を見ながら肩をすくめた。さすがに気勢を削がれた様子だった。
「じゃ、改めて。お久しぶりー」
「チクショー、新型買いやがってってー、うん。お久」
ライダーハウスに着き、荷物を降ろしている俺に八百が声を掛けてきた。八百の肩には神姫がちょこんと座っていた。マーメイド型MMSだ。全身をぴっちりした革つなぎに包んでいた。腰の大きなバックルがアクセントだ。………武装胸を付けてやがる。奴の性癖の一端を覗き見たような気がした。まぁ、今に始まったことではないけど。
「こんにちは。私はイーアネイラのレベッカと言います。巴さんはどちらに?」(※注5)
私とレベッカは、それぞれのクレイドルの上でくつろいでいた。窓の外から、マスターたちがたき火を囲んで談笑している声が聞こえた。
「しかし、驚いたぞ。走行中にワイヤレスで話しかけられるとは思わなかった。しかも『どちらのマスターが速いのか、勝負をしませんか』だからな」
レベッカは革つなぎの胸元を開きながら応えた。
「私たちのマスターは、私たちが言ってもスピードを出すことを止めるような方々ではありませんからね。なら、いっそのこと、私たちがより安全に走ることができるように補助をしようと考えても、それはマスターのためになることですし。 さて、巴さんのマスターの評価はどのようなものでしたか」
私はしばらく考えて答えた。
「完璧だ。私が口を出す必要すらなかったのかもしれない。むしろ、前方で問題が発生していることを予見できなかった自分が情けないよ」
「あのパッシングに気づかなかったのですか。バイクの外部センサーにトラブルでもあったのですか」
私はマスターのバイクが、旧世代のものであることや私が自らの聴音ユニットとGPSを元に状況判断をしていることを伝えると、レベッカはますます驚いたような顔をした。
「信じられません。それで、私たちのペースに付いてくるなんて。私なんて、あのバイクの制御機構を使ってまでしてマスターを助けていたというのに」
「では、後追いで差を空けられなかった私のマスターの勝ち、と言うことで良いのかな」
「それはありません。今回の勝負はノー・コンテストです」
二人で声をあげて笑った。
Fin.
※作者注※
本来、こーゆーのはあまり書くべきではないのだけど、趣味に走った内容なので、開き直って。
※注1 アクセルを適度に開けて、加速も減速もしない状態です。
※注2 い〜いバイクです(シュール君@ウゴルーの声で)。ちなみに、修理屋さんの三毛猫観察日記の第九話「文化祭顛末記」に登場するゼファー750と同じエンジンを積んだ兄弟車です。これは川崎の隠れた名車Z650(通称ZAPPER)から三十年以上生産され続けている、歴史のあるエンジンです。これから三十年後、恐らくハーレーマニアは、その時でもナックルやショベルがどうとか、最後の空冷2バルブとか言ってエボをもてはやしていたりしそうだけど、日本車ファンはどうなっているんだろう。
※注3 2007年現在、「銀魂」の影響で、洞爺湖の土産物屋さんに洞爺湖の文字入り木刀の注文が全国から殺到しているそうです。地元では作者を呼んで、イベントを開きたいとかなんとか…。
※注4 わからない人は「ビモータ テージ」でググって下さい。昔、GP500とか全日本モトクロスとかでelfとかホンダが試験をしていたけど、一般的な量産市販車はヤマハのGTS1000くらい(ビモータは受注生産みたいな会社なのでパス)。変態的未来マシーンに乗ってみたい…。一番近いのはBMWのテレレバー。異様な乗りごごちでした。
※注5 ここで登場するイーアネイラの固有名、及びスタイルはフランス映画の「オートバイ」(邦題は「あの胸にもう一度」)から。ルパン3世をアニメ化する際、峰不二子のヴィジュアルの元ネタになってます。ちなみに「八百」は、「ワイルド7」の主人公の仲間から。
さすがに無理だこりゃ。俺は首もとまで引き上げていたジャケットのジッパーを下ろした。もうTシャツがべったりと肌に張り付いていた。チャップスは履かない方が良かったかな、とは思うものの、後の祭り。目の前では係員が、俺のバイクを固定しているロープを解いていた。係員は手慣れた動きでロープをはずすと、次のバイクへと向かった。俺は持っていたタンクバッグをそっと乗せると、壁に向かって停められていたバイクを取り回し、跨がる。脇では大型トレーラーが独特の重ったるいディーゼル音を響かせて、出口へ向かっていった。
ヘルメットを被り、耳元から伸びたコードを胸元の通信機のジャックに接続する。準備は整った。
さっきまで並んでいた、車の列は消え、係員はバイクへ下船の指示を出していた。キーを捻る。ポッとメーターパネルに光が灯る。ニュートラルインジケータ−の緑色を横目に、左手の親指でハンドルの右側スイッチボックスにあるセルボタンを回す。なぜかって?
カッコイイからさ。
そして、俺は今、函館の高規格道路を走っている。目的地は道央、美瑛町にあるライダーハウスだ。ーと、イヤホンから女性の声が響いた。どことなく緊張感のあるハスキーな声だ。
「マスター、GPSシステムと国土交通省の道路情報システムとの同期が完了。現在地は函館I.C.。道央自動車道に合流するところだな。予定ルート、現在の残油及び燃費を考えると、豊浦I.C.で高速を降りたあと、R230沿いの留寿都で給油するのが良いだろう。ガソリンを扱うスタンドがある」
「ヤー」
上手くいっているようだ。俺は減速しつつ、左の分岐へダイブ。深くバンクさせながらパーシャル(※注1)で走る。例によって、出口に向かうに従い、曲率がキツくなっている。
「合流で障害になる車はないぞ。そのままの速度を維持してー。マスター、ここの制限速度は時速八十キロだ。減速するか」
「いいよ、巴。このまま加速する」
アクセルを開けて加速。シートの下から響く吸気音とともに川崎重工製、七百三十八ccの直列四気筒エンジンが咆哮を上げる。今はもう少数派のガソリンエンジン。2001年型ZR7S(※注2)。祖父の形見でもある。さっきから、俺に道路情報を伝えてくれているのは、武装神姫、兎型MMS、名前は巴。タンクバッグのなかで携帯電話のGPSとネット接続機能を駆使して、俺をナビゲートしてくれている。
俺と巴を乗せたZRは朝焼けの陽を浴びて加速する。左手を後ろにやり、後部に積んだバッグがズレてないかを確認した。ゆすってもビクともしない。ゆるんではいないようだ。
左手に、大野平野と函館山の姿が見えた。「紫のハイウェイ」。爺さんが持っていた漫画のフレーズが脳裏をよぎる。
「よし、このまま高速道を行く。巴はスリープして、充電。R230に入ったら、ナビを再開」
「了解した。くれぐれも事故には気をつけてな、マスター」
「ヤボル」
返事をすると、イヤホンからブツンとノイズが聞こえ、沈黙。
「さて」
俺は一人ごちるとギアを二速落としてアクセルを全開にした。
その後、予定どおりにR230に入り、豊浦町から洞爺湖方面に抜ける。そういえば、母が「洞爺湖」の文字が入った木刀を持っていたっけ。なんでも、観光みやげではなく、地元の店に特注した品だとか自慢げに話していたけど、何だったんだろうか?(※注3)
目を覚ました巴のナビに従い、走る。今時のバイクや車であれば、外部のナビシステムなどと連携することを前提にした作りになっている。車なら制限付きではあるものの完全な自動運転が可能だし、バイクですらジャイロを内蔵し、GPSの道路情報やセンサーの情報を使ってコーナリングの制御をしてくれるものまである。ところが俺の、この年代のバイクは、ようやくECU(Engine Control Unit)に直接パソコンを接続し、点火タイミングをコントロールできるようになったくらいのものだ。
だから、俺はこれまでに何度も巴を乗せて走り、彼女に俺の運転のクセ、ZRのクセを覚えてもらった。彼女はエンジン音の変化で回転数を知り、ミッションの音と加減速のショックでギアがどこに入っているかを知る。
留寿都の道の駅で休憩。タンクバッグを開けてやる。
「いいものだな。北海道の空気は。多少なりとも湿気が少ないのは私のボディにも良いことだ」
バッグに固定されているクレイドルから身を起こした巴は、周囲を見回して感慨深げにつぶやいた。上陸してからここまで約二時間。ようやく自分の目で北海道の風景を見ることができたのだ。思うところもあるだろう。
クレイドルは有線でタンクバッグ上面に仕込まれた太陽光発電ユニットと繋がっていて、巴は無線で携帯電話をコントロールしていた。俺とのやり取りは同じく無線通信機能を使う。俺は、後部バッグからステンレスボトルを取り出すと、歩道の縁石に腰を下ろした。中にはフェリーの自販機で購入したウーロン茶が入っていた。まだ、冷えているはずだ。
東北道を走り、そのままフェリーに乗船。そのまま二等船室のカーペットの上でうたたねしただけだ。さすがに疲れた。
「そういえば、マスターにメールが届いていたぞ」
いつの間に登ったのか、カウルのてっぺんに腰掛けた巴が伝えてきた。
重い腰を上げ、携帯電話を取り出した。
「誰からだ、マスター」
「宿泊予定の宿に先に入っている友達だ。『いまどこにいる』だって」
俺は現在地とこれからのルート、到着予定時刻を送信した。ルートはこのまま札幌入りし、再び高速道路を使って滝川へ。そこでR38へ入り、芦別からR452を経由して美瑛入りする。芦別からのルートは、30年以上前から舗装化が進められていたもので、近年ようやく完全舗装が実現した。
札幌市内をその暑さと車の多さに辟易しながら走り抜ける。途中、コンビニで保冷シートを購入し、バンダナを巻いてタンクバッグに入れてやる。「助かる」。巴が応える。タンクバッグのベンチレーションを全開にし、高速に入ったら、スリープして冷却することを巴に指示。滝川で高速を降りた時点でナビの再開をする。
たくさんの車でうだるような熱気を放つ高速道も、岩見沢を越えると、車の数も減り、それとともに熱気も収まってきた。滝川I.C.を降り、そのままR38へ。高速の余韻を醒ますため、あえて法定速度で。巴も目を覚ましたようだ。
と、一台のバイクが猛然と追い上げてくるのが見えた。俺はそのまま走る。抜いていくなら、抜いていけばいい。ところが、そいつは減速をし、右となりで並走し始めた。俺はそいつを見て毒づいた。
「この野郎、おどかしやがって」
そいつは通称八百。俺にメールを送ってきたヤツだ。到着時刻を予想してインターセプトを決めてきやがった。奴は「どうだ」と言わんばかりに、右手をグイと挙げた。俺もメット越しにニヤリと笑う。見ればバイクが変わっていた。フロントのハブステア(※注4)に無骨なカウル。最新型じゃん。
「マスター。二速落としで全開。行くぞ」
は? 巴、お前は一体何を言い出したんだ? 突然の脈絡のない指示に俺は戸惑った。慌てて周囲やバックミラーを確認していると、八百が水素エンジンの音を響かせダッシュした。野郎、やる気満々じゃん。
「ちぇ、手加減しろよ」
俺はアクセルを全開にしながら三速落とす。タイヤが悲鳴をあげながら俺たちを前方へと弾き出した。
「マスター、次の左コーナーは基本、このまま全開。コーナー中の脇道からの合流に注意」
「この坂を登り切ったところにコンビニがある。出入りする車に注意」
「このコーナー、曲率が深い。その後下りながら右のゆるいコーナー。そこで前走車が一台。追いつくぞ」
WRCのコ・パイとは言わないが、巴はかなり細かく指示を出してきた。そのお陰で安心して八百を追えるわけだけど。いつの間に俺の友人の行動パターンまで予想できるようになったんだ。コイツ。
八百のバイクは、コーナーに入ると不自然なバンクをしていた。一瞬だが、バイクの方が先に倒れ込んでいく。野郎、バイクにコーナリング制御させてやがる。フロントハブステアのせいか、ブレーキングやコーナー脱出の加速でも、おかしなな挙動をしていた。前後ピッチ方向の沈み込みや浮き上がりが全くない。きっと、免許取り立ての初心者が乗っても同じペースで走ることができるだろう。走り始めて約三十分。馬鹿みたいなペースで芦別市内に突入すると、R452へ。山越えのワインディングだ。
しばらく、前走車を抜き去りつつ走っていると、左のブラインドコーナーから出てきた対向車が激しいパッシングして走っていった。一瞬の間にドライバーを見やる。慌てたような顔で、片手を左右に激しく振っていた。八百がスピードを落とした。続いて、俺も減速。
「マスター。ここはそんなにスピードを落とすところじゃない」
巴の抗議を無視して、八百と並走しながらゆっくりとコーナーを回った。
男が発煙筒を持って路肩を歩いていた。更にスピードを落として、八百が男に尋ねた。
「やっちゃったのか。ケガ人はいるのかい」
男はバツが悪そうに応えた。
「単独です。車は路肩に寄せたし、レッカーの手配はしたので大丈夫です」
先に進むと、左側の斜面が盛大に削れて土が路面に撒かれていた。対向車線の路肩には事故を起こしたのであろう車が、ハザードを出して停まっていた。フロントはひしゃげ、バンパーがぶら下がっていた。右フロントタイヤの角度が明らかにおかしい。とりあえず、路肩まで動くことは出来たのだろうが、これでは芦別まで自走することは不可能だろう。峠を降りるまでにもう二、三回、どっかに突っ込みそうだ。
「事故だよ、巴」
「聞こえていた。マスター。本当に済まない。もう少しでマスターを事故に巻き込むところだった。自分が不甲斐ないよ」
「まぁ、そう言いなさんな。それを補うのがハンドルを握る俺の役割なんだから」
八百が俺を見ながら肩をすくめた。さすがに気勢を削がれた様子だった。
「じゃ、改めて。お久しぶりー」
「チクショー、新型買いやがってってー、うん。お久」
ライダーハウスに着き、荷物を降ろしている俺に八百が声を掛けてきた。八百の肩には神姫がちょこんと座っていた。マーメイド型MMSだ。全身をぴっちりした革つなぎに包んでいた。腰の大きなバックルがアクセントだ。………武装胸を付けてやがる。奴の性癖の一端を覗き見たような気がした。まぁ、今に始まったことではないけど。
「こんにちは。私はイーアネイラのレベッカと言います。巴さんはどちらに?」(※注5)
私とレベッカは、それぞれのクレイドルの上でくつろいでいた。窓の外から、マスターたちがたき火を囲んで談笑している声が聞こえた。
「しかし、驚いたぞ。走行中にワイヤレスで話しかけられるとは思わなかった。しかも『どちらのマスターが速いのか、勝負をしませんか』だからな」
レベッカは革つなぎの胸元を開きながら応えた。
「私たちのマスターは、私たちが言ってもスピードを出すことを止めるような方々ではありませんからね。なら、いっそのこと、私たちがより安全に走ることができるように補助をしようと考えても、それはマスターのためになることですし。 さて、巴さんのマスターの評価はどのようなものでしたか」
私はしばらく考えて答えた。
「完璧だ。私が口を出す必要すらなかったのかもしれない。むしろ、前方で問題が発生していることを予見できなかった自分が情けないよ」
「あのパッシングに気づかなかったのですか。バイクの外部センサーにトラブルでもあったのですか」
私はマスターのバイクが、旧世代のものであることや私が自らの聴音ユニットとGPSを元に状況判断をしていることを伝えると、レベッカはますます驚いたような顔をした。
「信じられません。それで、私たちのペースに付いてくるなんて。私なんて、あのバイクの制御機構を使ってまでしてマスターを助けていたというのに」
「では、後追いで差を空けられなかった私のマスターの勝ち、と言うことで良いのかな」
「それはありません。今回の勝負はノー・コンテストです」
二人で声をあげて笑った。
Fin.
※作者注※
本来、こーゆーのはあまり書くべきではないのだけど、趣味に走った内容なので、開き直って。
※注1 アクセルを適度に開けて、加速も減速もしない状態です。
※注2 い〜いバイクです(シュール君@ウゴルーの声で)。ちなみに、修理屋さんの三毛猫観察日記の第九話「文化祭顛末記」に登場するゼファー750と同じエンジンを積んだ兄弟車です。これは川崎の隠れた名車Z650(通称ZAPPER)から三十年以上生産され続けている、歴史のあるエンジンです。これから三十年後、恐らくハーレーマニアは、その時でもナックルやショベルがどうとか、最後の空冷2バルブとか言ってエボをもてはやしていたりしそうだけど、日本車ファンはどうなっているんだろう。
※注3 2007年現在、「銀魂」の影響で、洞爺湖の土産物屋さんに洞爺湖の文字入り木刀の注文が全国から殺到しているそうです。地元では作者を呼んで、イベントを開きたいとかなんとか…。
※注4 わからない人は「ビモータ テージ」でググって下さい。昔、GP500とか全日本モトクロスとかでelfとかホンダが試験をしていたけど、一般的な量産市販車はヤマハのGTS1000くらい(ビモータは受注生産みたいな会社なのでパス)。変態的未来マシーンに乗ってみたい…。一番近いのはBMWのテレレバー。異様な乗りごごちでした。
※注5 ここで登場するイーアネイラの固有名、及びスタイルはフランス映画の「オートバイ」(邦題は「あの胸にもう一度」)から。ルパン3世をアニメ化する際、峰不二子のヴィジュアルの元ネタになってます。ちなみに「八百」は、「ワイルド7」の主人公の仲間から。