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「ドキドキハウリン その17」(2007/02/15 (木) 12:33:47) の最新版変更点
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32インチワイドのモニターに映し出されているのは、随分と横に膨れた少年の顔。2036年現在では中型の部類に入る液晶ディスプレイを一杯に占領したそれは、お世辞にも見栄えが良いとは言えなかった。
「ガブリエルの調整がてらに繋いでみりゃ、随分と情けないザマじゃねえか。ゲン?」
スピーカーを兼ねた液晶パネルがビリビリと揺れ。少年の奇妙に甲高い声を、5.1chサラウンドも裸足で逃げ出すほどの高音質で再生する。
「すいません、大紀サン」
科学技術の無駄遣いとしか言いようのない滑稽な光景だったが、そんな事を思う余裕も自信もなく、ゲンと呼ばれた少年はディスプレイに向かって頭を下げるだけだ。
「今日はメンバーが足りなかったんスよ。サードの連中ばっかで、仕方なく数揃えたんですが……やっぱサード程度じゃダメッスね」
通信相手の名は、鶴畑大紀。
このビル……ひいては神姫バトルミュージアムのオーナーにして、秋葉原店に所属するランカー達のスポンサーでもある、鶴畑家の御曹司だ。ついでに、このバトルミュージアム所属ランカー達の監督役も兼任している。
「サードの雑魚が負けても、お前が勝ってりゃ、問題なかったはずだよなぁ?」
もっとも彼は秋葉原に常にいるわけではなく、自宅に設置された専用の業務用筐体と専用の通信回線を介して、対戦や指示をするだけなのだが……。
それでも、ゲン少年の秋葉原店所属ランカーとしての選手生命は、彼に握られていると言っても過言ではない。
「そ、それはっ!」
醜く歪んだ大紀の瞳に、ゲンは血の気の引くざあっという音が聞こえた気がした。
「……まあいいや。どっちにしても、俺様のガブリエルの敵じゃなかったゴミだしな。機嫌がいいから、今日の失態は許してやるよ」
分厚いピザをくちゃくちゃと喰らいながら、鶴畑大紀は退屈そうに明後日の方向を眺めている。
「ありがとうございますっ!」
「じゃあな。ひひっ」
再び頭を下げるゲンに見向きもせず、鶴畑大紀はその通信を一方的に切断した。
----
32インチのメインモニターには、戦闘終了の文字とコンテニューのサインが踊っている。
けど、そんなものはどうでもいい。
バーチャルポッドから飛び出した私が確かめたのは、静香の姿。
「静香! 静香っ!」
メインテーブルに顔を伏せ、シートにうずくまっている。浅い息を矢継ぎ早にする静香は、私の声に反応する気配すらない。
医療系のソフトでも入っていれば、静香の症状も把握できるのだろうけれど、そんな便利なツールが入っていようはずもなく。
「どうしよう……静香ぁ!」
私一人で静香を運ぶのは当然不可能。いつものセンターやエルゴなら、十貴や近くでプレイしている人に頼ればいいけど、個室になっているここではそれも難しい。
武装神姫なんて大層な名を持ちながら、こんな時には呆れるほどに無力で……。
「……そうだ」
辺りのものを踏み台にしてパーティションに登れば、人を呼びに行けるじゃないか。狭いブースの中、パーティションまでは一メートルもない。神姫の跳躍力をもってすれば……。
こんな簡単な考えも思いつかないなんて、よっぽど慌てていたらしい。
「静香。すぐに人を呼んできますからね……」
その時だった。
「大丈夫ですか?」
扉の向こうから、こちらに呼び掛ける声が聞こえたのは。
「……すいません、助けて下さいっ!」
----
**魔女っ子神姫ドキドキハウリン
**その17
----
「はい……事務所で休ませてもらってます。お願いします、十貴」
終話ボタンを押して通話終了。半分まで開いていた折りたたみタイプの携帯を、ぱたんと閉じる。
ひと抱えある携帯をトートバッグに放り込んで、私は彼に頭を下げた。
「ありがとうございます、興紀さん」
彼の名は、鶴畑興紀さん。あの有名なファーストランカー・ルシフェルのマスターにして、鶴畑コンツェルンの御曹司。
この辺りどころじゃない。多分、全国区レベルの有名人だろう。
ブースの前を通りかかったところで私の声を聞いて、声を掛けてくれたらしい。
「礼には及びませんよ。この店の所属ランカーと大紀が、随分と失礼したようで」
さっき最後に戦った鶴畑大紀のお兄さんだけど、とてもそうは見えない、感じのいい人だ。本人もそれを気にしているのか、鶴畑さんと呼ぶと「興紀で構いませんよ」と苦笑していたっけ。
「それにしても、戸田さんは一体どうしたんですか?」
静香は目を覚ます気配もなく、ソファーで横になったまま浅い寝息を立てている。興紀さんの話では、普通に眠っているだけで、特に気になる症状は出ていないとのことだけれど……。
「さあ……私にも」
私が静香に出会って二年になるけど、静香に持病があるなんて話は聞いたこともない。ここ最近は徹夜していた様子もないし、寝不足の線も薄いはずだ。
「そういえば静香、最後に『花姫』って……」
それも、分からないことの一つ。
最後に戦った大紀の神姫は『ガブリエル』と呼ばれていた。花型のジルダリアの事かとも思ったけど、だとしてもあのタイミングで混乱するのはおかしな話になる。
「……そうですか」
首を傾げる私に、興紀さんは視線をわずかに逸らす。
あれ?
「そういえば、興紀さん。どうして静香の名前を?」
静香と呼ぶなら分かるけど、名字の戸田は私は一度も呼んでいない。対戦も終了していたから、モニターでその名を読み取ることも出来ないはずだ。
いくらドキドキハウリンが目立っていると言っても、それはあくまでも地方大会レベルの話。ファーストリーグ屈指の有名人にまで名前が伝わっているなんて、とても思えない。
「昔、僕が負けた相手ですからね。ライバルの名前は忘れやしませんよ」
……え?
「そんな! 私、ルシフェルと戦った事なんか……」
慌てる私の言葉に、興紀さんは穏やかに笑う。
「あなたじゃありませんよ。あなたの前の、彼女の神姫……『花姫』の話です」
花姫?
それって……。
「不幸な事故でしたけどね。いずれにせよ、戸田さんがプレイヤーとして再起出来て良かった」
静香は眠ったまま。
「興紀さん」
「はい?」
起きている気配は、ない。
「良かったらその話……詳しく聞かせてもらえませんか?」
静香が目を覚ましたのは、興紀さんが姿を消して三十分ほどしてからのことだった。
「ここ……は?」
ソファーの上で半身を起こし、不思議そうに辺りを見回している。
「ミュージアムの事務所です。静香、気を失ったところを運んでもらったんですよ?」
興紀さんは去り際に、飲み物の準備をしてくれていた。ジュースの入ったコップを渡しながら、静香が倒れてからの簡単な経緯を説明する。
「あぁ……何だか心配かけたわね」
ひと眠りして落ち着いたのか、ジュースのコップを私に戻す静香の顔色はいつもと同じ。
「大丈夫ですか? 静香」
「多分ね。寝不足かなぁ?」
軽く乱れた髪を整えながら。最近はちゃんと寝てたんだけど……と呟く静香は、普段の調子を取り戻しているように見えた。
トートバッグに手を伸ばし、そのまますっと立ち上がろうとして……。
「その前に、ちょっといいですか?」
私の言葉に、膝の力を緩め直す。
静香の細い体が、ぽす、とソファーに沈み込んだ。
「なぁに?」
トートバッグから手を離し、テーブルの上に立つ私の顔を覗き込む。
「静香。花姫って……誰ですか?」
「……花姫?」
私の問いに、静香は首を傾げるだけ。
「ジルダリアなら……」
「とぼけないでください! 興紀さんから全部聞いてるんですよ!」
花姫は静香の初めての神姫。リアルリーグしかなかった当時の神姫バトル中、不慮の事故で存在をロストしたのだという。
「……そっか。あの人が介抱してくれたんだ」
どうやら、私のひと言で全てを悟ったらしい。何だかバツの悪そうな表情で、軽くため息をつく。
「何で黙ってたんですか? それに、静香が昔、ファーストランカーだったって……」
花姫がいたのは神姫のプレイヤー数が今ほど多くない頃、今の三リーグ制に分かれる前のことらしい。
けど、三リーグ制しか知らない私の基準に当てはめれば、全国百位以内なんてファーストランカー以外の何者でもなかった。
「何? そんな事まで話したの?」
静香は驚くどころか、むしろ呆れ顔。テーブルからコップを取り、ジュースをひと口流し込む。
「静香、前に言ってくれたじゃないですか。私が初めての神姫だって……」
「そうね」
忘れるはずもない。私が起動し、静香をマスターと呼んだあの日のことだ。
静香は間違いなく、神姫は初めてと言っていたはず。
「あれは、嘘だったんですか……?」
「まあ……そういうことになるわね」
震える私の問い掛けを、静香はあっさりと肯定した。
私の中の何かが、ぴしりと鳴る。
「そうだ。あかねさんは? にゃー子は? 十貴とジルは、私が静香の二人目の神姫だって知ってるんですか?」
私が静香と会う前から、彼女の周りにずっといた人達だ。その誰からも、静香の神姫の話なんか聞いたことがない。
ジルは私のお姉ちゃんみたいな神姫で……十貴は初めて会った時、「よろしくね」って優しく笑ってくれて。あかねさんもにゃー子も、みんな私に良くしてくれて、たまにエッチな目にもあったけど、大切な……。
「姫はジルの妹分だったのよ。当たり前でしょ」
みんな……。
静香の否定に、私の大切なものが音を立てて崩れていく。
みん……な。
「じ、じゃあ……エルゴのみんなは? 店長さんは? ねここちゃんや、リンさんは? 花姫のこと、知ってるん……ですか?」
みんな……。
「ねここちゃんやリンさんは知らないだろうけど…………店長さんや岡島さんは知ってるでしょうね」
視界が揺らぐ。
私の過ごした全ての世界には、私じゃない、もう一人の神姫がいて……。
私の居場所にいるべきは、彼女であるはずで……。
否定の言葉の連なりに、私の見ていた全ての世界が、嘘で作られているように見えて。
「静香……」
崩れていく世界の中。
私が伸ばし、掴めたものは、たった一つ残された、小さな小さな手掛かりだった。
「私は、花姫の代わり……なんですか?」
私も花姫も同じ神姫。
そして神姫はモノだ。
なら、花姫を失った静香が、その悲しみを埋めるため、代替品として私を買った可能性は極めて高い。
そいつの代わりでも何でもいい。
静香に望まれてさえ、いるのなら……。
この世界の全てが、嘘で作られていたとしても……。
その一言で、私は……。
「まさか」
私の最後の問い掛けを、静香は笑って否定した。
「じゃあ……!」
じゃあ!
私は花姫の代わりじゃない。
私は私。
ココという、静香のたった一つの神姫で。
花姫の代わりなんかじゃなくて……。
「あなたなんかが、姫の代わりになれるはずないじゃない」
吐き捨てられた静香の言葉に、私の掴んだ最後の手掛かりは、あっけなく崩れ落ちた。
「え……あ……」
「だって、花姫を殺したのはハウリンなのよ。そんな相手を好きになんて、なれると思う?」
静香の表情はいつもと同じ。
「なら、何で私なんか……! 代用品にもなれない私を……大嫌いなハウリンなんかを、どうして!」
穏やかな、淡い笑みを湛えた……。
「決まってるでしょ」
深い怒りと、嫌悪を隠した……。
「花姫を殺したのが、アナタだからよ」
その敵意の矛が私に向けられた時。
「!」
私は、その場から逃げ出していた。
----
「静姉、大丈夫かな?」
仕事から帰ってきたばかりの父さんに無理を言って車を出してもらい。ボクとジルが秋葉原に着いたのは、日が暮れてからのことだった。
「大丈夫だろ。ココも付いてるんだし」
ドアの向こうは小雨模様。ボクは大きめの傘を広げると、ジルを肩に乗せ、伝えられたセンターへと駆け込んだ。
受付で確認してもらって、奥へ通してもらえば……。
「……どうしたの? 二人とも」
静姉はまだ調子が良くないのか、ソファーに横になったままだった。
いつもの徹夜続きで貧血にでもなったんだろうか。まったく、無理ばっかりするんだから……。
「ココから電話があったんだよ。静姉が倒れたから、迎えに来てって」
その電話を掛けてきた本人の姿が見当たらない。お店の人に、水でももらいにいったのかな……?
「ココは?」
「ああ。どこかに行っちゃった」
さらりと答えた静姉の言葉に、ボクは言葉を失った。
「……え?」
あのココが体調不良の静姉を放ってどこかに行くなんてありえない。ジルならともかく……と思った瞬間、肩に座っていた当人が口を開く。
「……話したのかい。静香」
ジルの口ぶりは重い。
「ええ。全部ね」
あ……。
「話したって……まさか!」
頷く静姉に、ため息を一つ。
そりゃ、あの話をいきなり出されればショックだろうけど……何でまた、このタイミングで。
「もうすぐあのコが起動して二年目だったしね。……ちょうど良かったのよ」
そっか。もう、ココが来て二年になるんだ。花姫と過ごした時間と、同じだけの時間が……。
って、そんな感慨に浸るのは後でも十分出来る!
「帰るわよ、十貴。起こして」
静姉はゆっくりと身を起こし、脇に置いてあったいつものバッグを取り上げた。
その中にココはいない。彼女をこの街に置き去りにしたまま、静姉は家に帰るつもりなんだ。
「静姉……。ココを探しに行って」
静姉の両手をそっと取って、立ち上がらせながらそう言ってみる。
「だから、もういいんだってば」
もう、強情なんだから。
「なら……何で泣いてるんだよ……」
「な、泣いてなんか……っ!」
潤んだ目元を拭おうとしてももう遅い。静姉の両手は、ボクが封じてるんだから。
潤んだ瞳が泣いた後なのは、バレバレだ。
「本当は静姉だって、分かってるんだろ?」
どうせ、ホントに全部を話してる……ってわけでもないんだろうし。込み入った話の詳細をこっちの想像に押し付けるのは、静姉の悪いクセだ。
「……付き合いが長すぎるってのも、考え物ね。まったく」
良かったこともあるけどね。
面倒なことも多いけど。
「余計なコトした?」
「まったくだわ」
ぷぅと頬を膨らませて、静姉は視線を逸らす。
「こんな奴を呼びつけたお節介にもひと言文句言わないと、治まらないわ」
やれやれ。とりあえず、ひと段落か。
次は、ココをどうやって探すか考えないと……。
「それで……さ」
「なに?」
立ち上がり、ボクを見下ろす静姉に、ボクは首を傾げた。静姉は、どう間違ってもここでお礼を言うようなタイプじゃないんだけど。
いや。
この意地の悪い表情は……。
「急いで来た割には、しっかり女の子の格好なのねぇ」
っ!
「だ、だって! この格好じゃないと周りに通じないし!」
受付で見せた登録カードには、鋼月十貴子と書いてある。男の格好でいきなりそう名乗っても、誰も信じてはくれないだろう。
……いや、信じられたら、それはそれで切ないんだけどさ。
「っていうか、さっさとココ探しに行きなよー!」
ああもう!
「そりゃあ行くけど、どこから探そうかな……と」
その時だった。
マナーモードの静姉の携帯が、着信を示す規則正しい振動を放ち始めたのは。
[[戻る>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/539.html]]/[[トップ>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/118.html]]/[[続く>http://www19.atwiki.jp/shinkiss_matome/pages/648.html]]
32インチワイドのモニターに映し出されているのは、随分と横に膨れた少年の顔。2036年現在では中型の部類に入る液晶ディスプレイを一杯に占領したそれは、お世辞にも見栄えが良いとは言えなかった。
「ガブリエルの調整がてらに繋いでみりゃ、随分と情けないザマじゃねえか。ゲン?」
スピーカーを兼ねた液晶パネルがビリビリと揺れ。少年の奇妙に甲高い声を、5.1chサラウンドも裸足で逃げ出すほどの高音質で再生する。
「すいません、大紀サン」
科学技術の無駄遣いとしか言いようのない滑稽な光景だったが、そんな事を思う余裕も自信もなく、ゲンと呼ばれた少年はディスプレイに向かって頭を下げるだけだ。
「今日はメンバーが足りなかったんスよ。サードの連中ばっかで、仕方なく数揃えたんですが……やっぱサード程度じゃダメッスね」
通信相手の名は、鶴畑大紀。
このビル……ひいては神姫バトルミュージアムのオーナーにして、秋葉原店に所属するランカー達のスポンサーでもある、鶴畑家の御曹司だ。ついでに、このバトルミュージアム所属ランカー達の監督役も兼任している。
「サードの雑魚が負けても、お前が勝ってりゃ、問題なかったはずだよなぁ?」
もっとも彼は秋葉原に常にいるわけではなく、自宅に設置された専用の業務用筐体と専用の通信回線を介して、対戦や指示をするだけなのだが……。
それでも、ゲン少年の秋葉原店所属ランカーとしての選手生命は、彼に握られていると言っても過言ではない。
「そ、それはっ!」
醜く歪んだ大紀の瞳に、ゲンは血の気の引くざあっという音が聞こえた気がした。
「……まあいいや。どっちにしても、俺様のガブリエルの敵じゃなかったゴミだしな。機嫌がいいから、今日の失態は許してやるよ」
分厚いピザをくちゃくちゃと喰らいながら、鶴畑大紀は退屈そうに明後日の方向を眺めている。
「ありがとうございますっ!」
「じゃあな。ひひっ」
再び頭を下げるゲンに見向きもせず、鶴畑大紀はその通信を一方的に切断した。
----
32インチのメインモニターには、戦闘終了の文字とコンテニューのサインが踊っている。
けど、そんなものはどうでもいい。
バーチャルポッドから飛び出した私が確かめたのは、静香の姿。
「静香! 静香っ!」
メインテーブルに顔を伏せ、シートにうずくまっている。浅い息を矢継ぎ早にする静香は、私の声に反応する気配すらない。
医療系のソフトでも入っていれば、静香の症状も把握できるのだろうけれど、そんな便利なツールが入っていようはずもなく。
「どうしよう……静香ぁ!」
私一人で静香を運ぶのは当然不可能。いつものセンターやエルゴなら、十貴や近くでプレイしている人に頼ればいいけど、個室になっているここではそれも難しい。
武装神姫なんて大層な名を持ちながら、こんな時には呆れるほどに無力で……。
「……そうだ」
辺りのものを踏み台にしてパーティションに登れば、人を呼びに行けるじゃないか。狭いブースの中、パーティションまでは一メートルもない。神姫の跳躍力をもってすれば……。
こんな簡単な考えも思いつかないなんて、よっぽど慌てていたらしい。
「静香。すぐに人を呼んできますからね……」
その時だった。
「大丈夫ですか?」
扉の向こうから、こちらに呼び掛ける声が聞こえたのは。
「……すいません、助けて下さいっ!」
----
**魔女っ子神姫ドキドキハウリン
**その17
----
「はい……事務所で休ませてもらってます。お願いします、十貴」
終話ボタンを押して通話終了。半分まで開いていた折りたたみタイプの携帯を、ぱたんと閉じる。
ひと抱えある携帯をトートバッグに放り込んで、私は彼に頭を下げた。
「ありがとうございます、興紀さん」
彼の名は、鶴畑興紀さん。あの有名なファーストランカー・ルシフェルのマスターにして、鶴畑コンツェルンの御曹司。
この辺りどころじゃない。多分、全国区レベルの有名人だろう。
ブースの前を通りかかったところで私の声を聞いて、声を掛けてくれたらしい。
「礼には及びませんよ。この店の所属ランカーと大紀が、随分と失礼したようで」
さっき最後に戦った鶴畑大紀のお兄さんだけど、とてもそうは見えない、感じのいい人だ。本人もそれを気にしているのか、鶴畑さんと呼ぶと「興紀で構いませんよ」と苦笑していたっけ。
「それにしても、戸田さんは一体どうしたんですか?」
静香は目を覚ます気配もなく、ソファーで横になったまま浅い寝息を立てている。興紀さんの話では、普通に眠っているだけで、特に気になる症状は出ていないとのことだけれど……。
「さあ……私にも」
私が静香に出会って二年になるけど、静香に持病があるなんて話は聞いたこともない。ここ最近は徹夜していた様子もないし、寝不足の線も薄いはずだ。
「そういえば静香、最後に『花姫』って……」
それも、分からないことの一つ。
最後に戦った大紀の神姫は『ガブリエル』と呼ばれていた。花型のジルダリアの事かとも思ったけど、だとしてもあのタイミングで混乱するのはおかしな話になる。
「……そうですか」
首を傾げる私に、興紀さんは視線をわずかに逸らす。
あれ?
「そういえば、興紀さん。どうして静香の名前を?」
静香と呼ぶなら分かるけど、名字の戸田は私は一度も呼んでいない。対戦も終了していたから、モニターでその名を読み取ることも出来ないはずだ。
いくらドキドキハウリンが目立っていると言っても、それはあくまでも地方大会レベルの話。ファーストリーグ屈指の有名人にまで名前が伝わっているなんて、とても思えない。
「昔、僕が負けた相手ですからね。ライバルの名前は忘れやしませんよ」
……え?
「そんな! 私、ルシフェルと戦った事なんか……」
慌てる私の言葉に、興紀さんは穏やかに笑う。
「あなたじゃありませんよ。あなたの前の、彼女の神姫……『花姫』の話です」
花姫?
それって……。
「不幸な事故でしたけどね。いずれにせよ、戸田さんがプレイヤーとして再起出来て良かった」
静香は眠ったまま。
「興紀さん」
「はい?」
起きている気配は、ない。
「良かったらその話……詳しく聞かせてもらえませんか?」
静香が目を覚ましたのは、興紀さんが姿を消して三十分ほどしてからのことだった。
「ここ……は?」
ソファーの上で半身を起こし、不思議そうに辺りを見回している。
「ミュージアムの事務所です。静香、気を失ったところを運んでもらったんですよ?」
興紀さんは去り際に、飲み物の準備をしてくれていた。ジュースの入ったコップを渡しながら、静香が倒れてからの簡単な経緯を説明する。
「あぁ……何だか心配かけたわね」
ひと眠りして落ち着いたのか、ジュースのコップを私に戻す静香の顔色はいつもと同じ。
「大丈夫ですか? 静香」
「多分ね。寝不足かなぁ?」
軽く乱れた髪を整えながら。最近はちゃんと寝てたんだけど……と呟く静香は、普段の調子を取り戻しているように見えた。
トートバッグに手を伸ばし、そのまますっと立ち上がろうとして……。
「その前に、ちょっといいですか?」
私の言葉に、膝の力を緩め直す。
静香の細い体が、ぽす、とソファーに沈み込んだ。
「なぁに?」
トートバッグから手を離し、テーブルの上に立つ私の顔を覗き込む。
「静香。花姫って……誰ですか?」
「……花姫?」
私の問いに、静香は首を傾げるだけ。
「ジルダリアなら……」
「とぼけないでください! 興紀さんから全部聞いてるんですよ!」
花姫は静香の初めての神姫。リアルリーグしかなかった当時の神姫バトル中、不慮の事故で存在をロストしたのだという。
「……そっか。あの人が介抱してくれたんだ」
どうやら、私のひと言で全てを悟ったらしい。何だかバツの悪そうな表情で、軽くため息をつく。
「何で黙ってたんですか? それに、静香が昔、ファーストランカーだったって……」
花姫がいたのは神姫のプレイヤー数が今ほど多くない頃、今の三リーグ制に分かれる前のことらしい。
けど、三リーグ制しか知らない私の基準に当てはめれば、全国百位以内なんてファーストランカー以外の何者でもなかった。
「何? そんな事まで話したの?」
静香は驚くどころか、むしろ呆れ顔。テーブルからコップを取り、ジュースをひと口流し込む。
「静香、前に言ってくれたじゃないですか。私が初めての神姫だって……」
「そうね」
忘れるはずもない。私が起動し、静香をマスターと呼んだあの日のことだ。
静香は間違いなく、神姫は初めてと言っていたはず。
「あれは、嘘だったんですか……?」
「まあ……そういうことになるわね」
震える私の問い掛けを、静香はあっさりと肯定した。
私の中の何かが、ぴしりと鳴る。
「そうだ。あかねさんは? にゃー子は? 十貴とジルは、私が静香の二人目の神姫だって知ってるんですか?」
私が静香と会う前から、彼女の周りにずっといた人達だ。その誰からも、静香の神姫の話なんか聞いたことがない。
ジルは私のお姉ちゃんみたいな神姫で……十貴は初めて会った時、「よろしくね」って優しく笑ってくれて。あかねさんもにゃー子も、みんな私に良くしてくれて、たまにエッチな目にもあったけど、大切な……。
「姫はジルの妹分だったのよ。当たり前でしょ」
みんな……。
静香の否定に、私の大切なものが音を立てて崩れていく。
みん……な。
「じ、じゃあ……エルゴのみんなは? 店長さんは? ねここちゃんや、リンさんは? 花姫のこと、知ってるん……ですか?」
みんな……。
「ねここちゃんやリンさんは知らないだろうけど…………店長さんや岡島さんは知ってるでしょうね」
視界が揺らぐ。
私の過ごした全ての世界には、私じゃない、もう一人の神姫がいて……。
私の居場所にいるべきは、彼女であるはずで……。
否定の言葉の連なりに、私の見ていた全ての世界が、嘘で作られているように見えて。
「静香……」
崩れていく世界の中。
私が伸ばし、掴めたものは、たった一つ残された、小さな小さな手掛かりだった。
「私は、花姫の代わり……なんですか?」
私も花姫も同じ神姫。
そして神姫はモノだ。
なら、花姫を失った静香が、その悲しみを埋めるため、代替品として私を買った可能性は極めて高い。
そいつの代わりでも何でもいい。
静香に望まれてさえ、いるのなら……。
この世界の全てが、嘘で作られていたとしても……。
その一言で、私は……。
「まさか」
私の最後の問い掛けを、静香は笑って否定した。
「じゃあ……!」
じゃあ!
私は花姫の代わりじゃない。
私は私。
ココという、静香のたった一つの神姫で。
花姫の代わりなんかじゃなくて……。
「あなたなんかが、姫の代わりになれるはずないじゃない」
吐き捨てられた静香の言葉に、私の掴んだ最後の手掛かりは、あっけなく崩れ落ちた。
「え……あ……」
「だって、花姫を殺したのはハウリンなのよ。そんな相手を好きになんて、なれると思う?」
静香の表情はいつもと同じ。
「なら、何で私なんか……! 代用品にもなれない私を……大嫌いなハウリンなんかを、どうして!」
穏やかな、淡い笑みを湛えた……。
「決まってるでしょ」
深い怒りと、嫌悪を隠した……。
「花姫を殺したのが、アナタだからよ」
その敵意の矛が私に向けられた時。
「!」
私は、その場から逃げ出していた。
----
「静姉、大丈夫かな?」
仕事から帰ってきたばかりの父さんに無理を言って車を出してもらい。ボクとジルが秋葉原に着いたのは、日が暮れてからのことだった。
「大丈夫だろ。ココも付いてるんだし」
ドアの向こうは小雨模様。ボクは大きめの傘を広げると、ジルを肩に乗せ、伝えられたセンターへと駆け込んだ。
受付で確認してもらって、奥へ通してもらえば……。
「……どうしたの? 二人とも」
静姉はまだ調子が良くないのか、ソファーに横になったままだった。
いつもの徹夜続きで貧血にでもなったんだろうか。まったく、無理ばっかりするんだから……。
「ココから電話があったんだよ。静姉が倒れたから、迎えに来てって」
その電話を掛けてきた本人の姿が見当たらない。お店の人に、水でももらいにいったのかな……?
「ココは?」
「ああ。どこかに行っちゃった」
さらりと答えた静姉の言葉に、ボクは言葉を失った。
「……え?」
あのココが体調不良の静姉を放ってどこかに行くなんてありえない。ジルならともかく……と思った瞬間、肩に座っていた当人が口を開く。
「……話したのかい。静香」
ジルの口ぶりは重い。
「ええ。全部ね」
あ……。
「話したって……まさか!」
頷く静姉に、ため息を一つ。
そりゃ、あの話をいきなり出されればショックだろうけど……何でまた、このタイミングで。
「もうすぐあのコが起動して二年目だったしね。……ちょうど良かったのよ」
そっか。もう、ココが来て二年になるんだ。花姫と過ごした時間と、同じだけの時間が……。
って、そんな感慨に浸るのは後でも十分出来る!
「帰るわよ、十貴。起こして」
静姉はゆっくりと身を起こし、脇に置いてあったいつものバッグを取り上げた。
その中にココはいない。彼女をこの街に置き去りにしたまま、静姉は家に帰るつもりなんだ。
「静姉……。ココを探しに行って」
静姉の両手をそっと取って、立ち上がらせながらそう言ってみる。
「だから、もういいんだってば」
もう、強情なんだから。
「なら……何で泣いてるんだよ……」
「な、泣いてなんか……っ!」
潤んだ目元を拭おうとしてももう遅い。静姉の両手は、ボクが封じてるんだから。
潤んだ瞳が泣いた後なのは、バレバレだ。
「本当は静姉だって、分かってるんだろ?」
どうせ、ホントに全部を話してる……ってわけでもないんだろうし。込み入った話の詳細をこっちの想像に押し付けるのは、静姉の悪いクセだ。
「……付き合いが長すぎるってのも、考え物ね。まったく」
良かったこともあるけどね。
面倒なことも多いけど。
「余計なコトした?」
「まったくだわ」
ぷぅと頬を膨らませて、静姉は視線を逸らす。
「こんな奴を呼びつけたお節介にもひと言文句言わないと、治まらないわ」
やれやれ。とりあえず、ひと段落か。
次は、ココをどうやって探すか考えないと……。
「それで……さ」
「なに?」
立ち上がり、ボクを見下ろす静姉に、ボクは首を傾げた。静姉は、どう間違ってもここでお礼を言うようなタイプじゃないんだけど。
いや。
この意地の悪い表情は……。
「急いで来た割には、しっかり女の子の格好なのねぇ」
っ!
「だ、だって! この格好じゃないと周りに通じないし!」
受付で見せた登録カードには、鋼月十貴子と書いてある。男の格好でいきなりそう名乗っても、誰も信じてはくれないだろう。
……いや、信じられたら、それはそれで切ないんだけどさ。
「っていうか、さっさとココ探しに行きなよー!」
ああもう!
「そりゃあ行くけど、どこから探そうかな……と」
その時だった。
マナーモードの静姉の携帯が、着信を示す規則正しい振動を放ち始めたのは。
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