「引きこもりと神姫:10-3」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「引きこもりと神姫:10-3」(2012/08/19 (日) 22:41:08) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
意識が徐々に鮮明になっていく。どうやらまた負けてしまったらしい。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。全力、いや死力を尽して負けたのだから、逆に清々しい気分だ。
筐体の中から出ると、目の前に黒い影があった。顔をあげると、そこにはさっきまで対峙していた無表情がある。
「貴女方との試合、とてもよかったです。私も、楽しかった。こんな気持ちは久しぶりです」
静さんは右手を差し出してくる。私も右手を出し、無言のまま握手した。その手からは確かな暖かさが伝わってきた。
「我が主も、同じ気持ちです。主が他者との試合を楽しむのは、本当に希なことなのです」
見ると、樹羽も宮下さんと握手していた。宮下さんの表情はとても明るい。とても自然に微笑んでいる。樹羽はと言うと、私と同じでちょっと上の空と言う感じだ。
「あの、私も楽しかったです! 負けちゃったけど、すごく、すごく楽しかったです!」
そんな私を見て静さんは、
「私も、貴女方と勝負出来たこと、本当に感謝しています。本当にありがとうございました」
ほんの少し、笑ってくれた。
「静、いくぞ」
「はい、我が主」
手が離れる。宮下さんの一言で、静さんは宮下さんのコートのポケットの中へ戻っていった。繋いでいた手には、まだ暖かさが残っている気がする。
私は嬉しかった。樹羽の役に立てたことはもちろん、樹羽とともに全力を出せたことが何より嬉しい。神姫冥利に尽きると言うものだ。
「樹羽、宮下さんと何話したの?」
「バトルの感想。それと最後の武器の解説」
「最後の武器?」
あのチートクラスの刀の事だろうか? 確か、エウロスもストームもトルネードもやられちゃった刀。あれがどんな理屈だったのか、確かに気になる。パラメータをいじったとしか思えないが。
「どんな仕掛けだったの?」
「一言で言うと、単分子カッターに近い物」
「……はい?」
「宮下さんは斬鉄剣って言ってた」
つまり、刃の部分の面積が分子一個分だと言うことだろうか? それは、反則級なのではないだろうか?
「あくまでそれっぽいだけ。実際に単分子カッターじゃなくて近い物。切味が異常なだけだけどコストも高いんだって。バリアがあればダメージはほとんどないって言ってた」
仮にそうだとしても、まだ疑問があった。最後の最後、あのときトルネードが砕けたが、あれはどうなのだろう。切味が異常と言うだけで説明出来ない。
「トルネードに当たった三回とも同じ場所に当てたって言ってた」
つまりそれは、樹羽の一撃を受け止めた時や、逆に一撃を加えた時。果ては最後の一撃すら、同じ箇所に当てた、と言うことか? 不可能ではない。最初の二回で僅かに刀身に負荷を加え、最後の一撃でトドメを差したと、そう言うことか。
「私達、よく頑張ったんだね」
「うん、頑張った」
私と樹羽は、宮下さんが去っていった方向を眺めた。そこには既に人の雑踏しかなく、黒いコート姿は見ることが出来なかった。
さて、今回は連続でバトルしてみようと言う樹羽の提案で、私も用意しようとした時、樹羽が声をかけられた。
「終わったか、奏萩」
「東雲くん?」
それは以前戦った東雲榊さんだった。ブイネックのシャツにジーンズ、肩掛けのバッグをかけている。
「対戦?」
「いや、悪いが今回はそうじゃない。まぁ当初はそのつもりだったんだけどな、その、なんだ……」
どうにも歯切れが悪い。何かを躊躇っているように見えた。
「何かあったんですか?」
「あ、まぁ、そうだな、あった。その、秋已のことだ」
「華凛の?」
そう言えば、華凛さんの姿が見えない。てっきりバトルを見ているものだと思ったが。
「ありのままあった事を話すとな、俺がゲーセンに来たときに突然倒れたんだ。何を言ってるかわからないかも知れないが俺にもわからなかtt……って、奏萩?」
榊さんが気が付くと、すでにそこには樹羽の姿はなかった。
「倒れた、の辺りで走って行っちゃいました……たぶん休憩室ですね」
「あれ? 俺、秋已が休憩室にいるって言ったっけ?」
「前に樹羽が倒れた時も、休憩室に運ばれましたから、華凛さんもそこにいるって考えたんじゃないですか?」
そこまで一瞬でたどり着き、行動する。樹羽は口数は少ないけど頭の回転が遅い訳ではない。バトルの時、流れてくる思考はとても早く、そして簡潔にまとめられていく。
樹羽って実は天才タイプなんじゃないだろうか?
「確か、シリアだったっけか? 俺たちも行こうぜ」
「はい、ありがとうございます」
榊さんの手を回して彼のバッグに入れてもらう。そのまま運んでいただける形になる。
「この間のバトル、ありがとな。おかげでシンリーが満足いく曲が作れたって喜んでたぞ」
三日程前のバトルを思い出す。途中から調子が戻ったが、あのとき曲のイメージが固まったとのこと。
「そのシンリーさんは?」
「あんたの真下で新曲の下準備してるよ」
ああ、下から聞こえてくるよくわからないボイスはシンリーさんのものだったのか。ブツブツ何か言っているが、音量を絞っているのか、よく聞こえない。
話をしている内に休憩室の前に着く。私はバッグに入ったままその扉をくぐった。
----
「華凛っ!」
休憩室の扉が開くと、私は転がり込む勢いで中に入った。華凛はソファで眠っていた。その寝顔は少し安らかそうで、ちょっと安心した。
「安心してください、たぶんただの貧血です」
声のする方に目をやると、楓さんが立っていた。ハチマキは取られていて、物腰が柔らかい。
「楓さんが看病してくれたの?」
「看病、と言ってもただ見てるだけでしたが」
「ま、こういうのは後は本人次第さ。もうすぐ目ぇ覚ますはずだよ」
ソファの上で華凛の側にいる紅葉がそう言ってくれる。それを聞いてより安心した。紅葉が楓さんのコートのポケットに収まり、楓さんは再びハチマキを頭に巻く。すると、一秒と経たない内に楓さんを取り巻く空気が変わった。
「あたしは表に車回してくるよ。その子が気が付いたら、あたしが車で近くの病院に運ぶから」
「ありがとうございます」
「いいって、あたしが好きでやってることだ」
楓さんが休憩室を出る際、彼女は思い出したようにポケットから百円玉を取りだし、指でこちらに弾いてきた。それをどうにかキャッチする。
「言い忘れてた。目を覚ましたら何か温かい飲み物飲ませてやりな。応急処置みたいなもんだ」
渡された百円玉に関してこちらが何か言う前に、楓さんは休憩室から出ていってしまった。今度会った時にでもちゃんと返そう。借りっぱなしは良くない。
「樹羽……」
その時、蚊の鳴くような声が後ろからした。振り返ると華凛が首だけをこちらに向けていた。
「華凛、大丈夫?」
「少し、ダルいわね……」
華凛が体を起こそうとするのを私は止めた。まだ動かない方がいい。
「何か温かい飲み物を飲むといいんだって。何がいい?」
「コーヒーでいいわ」
私は楓さんがくれた百円玉を自販機に投入し、コーヒーのパネルをタッチした。ガコン、と缶が取り出し口に落下する。中から缶を取り出して、自販機の「あったかい」は当てにならないと今初めて知った。これじゃあ確実に「熱い」分類される。
私はその熱い缶を我慢してなんとか持ち上げ、華凛の元まで運んだ。
華凛はなんとか体を起こし、それを難なく受け取ると容易く缶の蓋を開けた。それを口に運ぶ。順調に缶の中身を飲み干していき、あっさりと中身が空になってしまった。熱くないのだろうか?
「ありがと。おかげでなんか楽になったわ」
「熱くなかった?」
「そう? 飲めない程じゃなかったと思うんだけど」
「いんや、十分おかしいだろ」
気が付くと、入り口に東雲くんが立っていた。バッグからシリアが顔を覗かせている。しまった、シリアのことを完全に忘れていた。
「あらそう? 飲めるでしょこんぐらい」
「買ったばかりの熱々のコーヒーを口ん中入れたら、普通火傷すっぞ」
「事実してないじゃない」
「そりゃまぁ、そうだが……」
東雲くんはどうにも腑に落ちないと言った感じだ。そんな彼に対し、華凛が疑問を投げ掛ける。
「それよりなんでアンタがいんの?」
「たまたまゲーセンに来てみたら、目の前でお前に倒れられたんだよ」
「あ、じゃあアンタに運ばれたの? あたし」
何やらショックを受けているようなリアクション。しかし東雲くんは手を振った。
「いや、楓って人が運んでくれた。知り合いだろ、お前ら」
「あぁ、あの人。いたんだ」
「さっき車を回してくるって言ってた」
華凛が何やら安心した素振りを見せる。あれ? 私が倒れた時は誰に運んでもらったんだろう?
「そういえば樹羽、バトルはどうだった?」
華凛が思い出したように尋ねてくる。私は少し薄く笑いながら言った。
「……負けた」
「そっか……」
「でも、悔しくなかった」
本気で対峙して、それで負けた。不思議と納得がいくバトルだったと自分では思っている。昔、「大事なのは本気で物事に取り組むこと。結果は後から付いてくるものだ」と言う言葉を何かの本で見たことがある。当時はその言葉の意味はわからなかったが、今回のバトルでよくわかった。
本気でバトルすること、そのことに意味があるんだ、と。
その時、休憩室のドアが開いた。楓さんだった。車の鍵らしき物を指でくるくると回しながら入ってくる。
「気が付いたみたいだね。気分はどうだい?」
「少しふらふらしますけど、まぁなんとか立てます」
「そうか、なら近くの病院に送るよ。この近くにあたしの友達の御両親が経営してるところがあるんだ」
華凛は最初渋ったが、私が説得して楓さんに送ってもらうことにした。さすがに一日で体調を戻すことは出来なかったのだろう。それどころか、華凛はきっと無理して今日来たはずだ。体調も悪化する。
「明日は一日ゆっくりして」
「でも……」
「ちゃんとバトルはする」
華凛はすごく悩んだ末、了承した。なんだか悩んでいるときの華凛の顔は、どこか悲しみが溢れているように感じられたのは、気のせいだろうか。
「……わかったわ。後でシリアに結果聞くからね」
「バッチグー」
華凛は楓さんに連れられて休憩室を出ていった。後に残されたのは、私と東雲くん。それと終始黙りっぱなしのシリアだけだった。
「いや、なんていうか、やっぱり話しづらいって言うかさ……その、ねぇ?」
そんなものだろうか。私の場合そもそも話さないし、そう言った場面に遭遇する機会も少なかったからよくわからない。
「奏萩はどうするんだ?」
「東雲くんは?」
「俺はもう帰るよ。シンリーがまともに戦える状態じゃないからな」
シリアによると、また作曲活動に入ったらしい。確かに戦えそうにないかもしれない。
「私も帰る」
「そっか、じゃあ送っていく。まだ日が高いとはいえ、最近何かと物騒だからな」
その提案は魅力的だった。事実一度不良にからまれている身からすれば、二人で帰れることはとても安心できることだ。
私は東雲くんからシリアを受け取ると、三人で休憩室を後にした。
----
「…………」
「…………」
「……(むぅ)」
帰り道、私は樹羽のポーチに収まりながら一言も喋れないでいた。いや、私達はと言った方が正しい。
人通りが少ない住宅街に入り、回りの喧騒が無くなると、この無駄に重い空気が余計に如実になる。樹羽は終始うつ向きっぱなしだし、榊さんはなんだかそわそわとして落ち着きがない。
私はそんな空気の真っ只中にいた。正直勘弁して欲しい。
私は自分の内で一つ決心し、話をしてみた。
「さ、榊さんはこの辺に住んでるんでしゅか?」
どもった上に完全に噛んだ。物凄く気まずくなり、ポーチの中に埋まりたくなる。むしろ埋めて、誰か埋めて。
「あ、ああ、いや、少しだけ遠い。9年前くらいに一度だけ引っ越してきたことあったんだがな。それ以
意識が徐々に鮮明になっていく。どうやらまた負けてしまったらしい。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。全力、いや死力を尽して負けたのだから、逆に清々しい気分だ。
筐体の中から出ると、目の前に黒い影があった。顔をあげると、そこにはさっきまで対峙していた無表情がある。
「貴女方との試合、とてもよかったです。私も、楽しかった。こんな気持ちは久しぶりです」
静さんは右手を差し出してくる。私も右手を出し、無言のまま握手した。その手からは確かな暖かさが伝わってきた。
「我が主も、同じ気持ちです。主が他者との試合を楽しむのは、本当に希なことなのです」
見ると、樹羽も宮下さんと握手していた。宮下さんの表情はとても明るい。とても自然に微笑んでいる。樹羽はと言うと、私と同じでちょっと上の空と言う感じだ。
「あの、私も楽しかったです! 負けちゃったけど、すごく、すごく楽しかったです!」
そんな私を見て静さんは、
「私も、貴女方と勝負出来たこと、本当に感謝しています。本当にありがとうございました」
ほんの少し、笑ってくれた。
「静、いくぞ」
「はい、我が主」
手が離れる。宮下さんの一言で、静さんは宮下さんのコートのポケットの中へ戻っていった。繋いでいた手には、まだ暖かさが残っている気がする。
私は嬉しかった。樹羽の役に立てたことはもちろん、樹羽とともに全力を出せたことが何より嬉しい。神姫冥利に尽きると言うものだ。
「樹羽、宮下さんと何話したの?」
「バトルの感想。それと最後の武器の解説」
「最後の武器?」
あのチートクラスの刀の事だろうか? 確か、エウロスもストームもトルネードもやられちゃった刀。あれがどんな理屈だったのか、確かに気になる。パラメータをいじったとしか思えないが。
「どんな仕掛けだったの?」
「一言で言うと、単分子カッターに近い物」
「……はい?」
「宮下さんは斬鉄剣って言ってた」
つまり、刃の部分の面積が分子一個分だと言うことだろうか? それは、反則級なのではないだろうか?
「あくまでそれっぽいだけ。実際に単分子カッターじゃなくて近い物。切味が異常なだけだけどコストも高いんだって。バリアがあればダメージはほとんどないって言ってた」
仮にそうだとしても、まだ疑問があった。最後の最後、あのときトルネードが砕けたが、あれはどうなのだろう。切味が異常と言うだけで説明出来ない。
「トルネードに当たった三回とも同じ場所に当てたって言ってた」
つまりそれは、樹羽の一撃を受け止めた時や、逆に一撃を加えた時。果ては最後の一撃すら、同じ箇所に当てた、と言うことか? 不可能ではない。最初の二回で僅かに刀身に負荷を加え、最後の一撃でトドメを差したと、そう言うことか。
「私達、よく頑張ったんだね」
「うん、頑張った」
私と樹羽は、宮下さんが去っていった方向を眺めた。そこには既に人の雑踏しかなく、黒いコート姿は見ることが出来なかった。
さて、今回は連続でバトルしてみようと言う樹羽の提案で、私も用意しようとした時、樹羽が声をかけられた。
「終わったか、奏萩」
「東雲くん?」
それは以前戦った東雲榊さんだった。ブイネックのシャツにジーンズ、肩掛けのバッグをかけている。
「対戦?」
「いや、悪いが今回はそうじゃない。まぁ当初はそのつもりだったんだけどな、その、なんだ……」
どうにも歯切れが悪い。何かを躊躇っているように見えた。
「何かあったんですか?」
「あ、まぁ、そうだな、あった。その、秋已のことだ」
「華凛の?」
そう言えば、華凛さんの姿が見えない。てっきりバトルを見ているものだと思ったが。
「ありのままあった事を話すとな、俺がゲーセンに来たときに突然倒れたんだ。何を言ってるかわからないかも知れないが俺にもわからなかtt……って、奏萩?」
榊さんが気が付くと、すでにそこには樹羽の姿はなかった。
「倒れた、の辺りで走って行っちゃいました……たぶん休憩室ですね」
「あれ? 俺、秋已が休憩室にいるって言ったっけ?」
「前に樹羽が倒れた時も、休憩室に運ばれましたから、華凛さんもそこにいるって考えたんじゃないですか?」
そこまで一瞬でたどり着き、行動する。樹羽は口数は少ないけど頭の回転が遅い訳ではない。バトルの時、流れてくる思考はとても早く、そして簡潔にまとめられていく。
樹羽って実は天才タイプなんじゃないだろうか?
「確か、シリアだったっけか? 俺たちも行こうぜ」
「はい、ありがとうございます」
榊さんの手を回して彼のバッグに入れてもらう。そのまま運んでいただける形になる。
「この間のバトル、ありがとな。おかげでシンリーが満足いく曲が作れたって喜んでたぞ」
三日程前のバトルを思い出す。途中から調子が戻ったが、あのとき曲のイメージが固まったとのこと。
「そのシンリーさんは?」
「あんたの真下で新曲の下準備してるよ」
ああ、下から聞こえてくるよくわからないボイスはシンリーさんのものだったのか。ブツブツ何か言っているが、音量を絞っているのか、よく聞こえない。
話をしている内に休憩室の前に着く。私はバッグに入ったままその扉をくぐった。
----
「華凛っ!」
休憩室の扉が開くと、私は転がり込む勢いで中に入った。華凛はソファで眠っていた。その寝顔は少し安らかそうで、ちょっと安心した。
「安心してください、たぶんただの貧血です」
声のする方に目をやると、楓さんが立っていた。ハチマキは取られていて、物腰が柔らかい。
「楓さんが看病してくれたの?」
「看病、と言ってもただ見てるだけでしたが」
「ま、こういうのは後は本人次第さ。もうすぐ目ぇ覚ますはずだよ」
ソファの上で華凛の側にいる紅葉がそう言ってくれる。それを聞いてより安心した。紅葉が楓さんのコートのポケットに収まり、楓さんは再びハチマキを頭に巻く。すると、一秒と経たない内に楓さんを取り巻く空気が変わった。
「あたしは表に車回してくるよ。その子が気が付いたら、あたしが車で近くの病院に運ぶから」
「ありがとうございます」
「いいって、あたしが好きでやってることだ」
楓さんが休憩室を出る際、彼女は思い出したようにポケットから百円玉を取りだし、指でこちらに弾いてきた。それをどうにかキャッチする。
「言い忘れてた。目を覚ましたら何か温かい飲み物飲ませてやりな。応急処置みたいなもんだ」
渡された百円玉に関してこちらが何か言う前に、楓さんは休憩室から出ていってしまった。今度会った時にでもちゃんと返そう。借りっぱなしは良くない。
「樹羽……」
その時、蚊の鳴くような声が後ろからした。振り返ると華凛が首だけをこちらに向けていた。
「華凛、大丈夫?」
「少し、ダルいわね……」
華凛が体を起こそうとするのを私は止めた。まだ動かない方がいい。
「何か温かい飲み物を飲むといいんだって。何がいい?」
「コーヒーでいいわ」
私は楓さんがくれた百円玉を自販機に投入し、コーヒーのパネルをタッチした。ガコン、と缶が取り出し口に落下する。中から缶を取り出して、自販機の「あったかい」は当てにならないと今初めて知った。これじゃあ確実に「熱い」分類される。
私はその熱い缶を我慢してなんとか持ち上げ、華凛の元まで運んだ。
華凛はなんとか体を起こし、それを難なく受け取ると容易く缶の蓋を開けた。それを口に運ぶ。順調に缶の中身を飲み干していき、あっさりと中身が空になってしまった。熱くないのだろうか?
「ありがと。おかげでなんか楽になったわ」
「熱くなかった?」
「そう? 飲めない程じゃなかったと思うんだけど」
「いんや、十分おかしいだろ」
気が付くと、入り口に東雲くんが立っていた。バッグからシリアが顔を覗かせている。しまった、シリアのことを完全に忘れていた。
「あらそう? 飲めるでしょこんぐらい」
「買ったばかりの熱々のコーヒーを口ん中入れたら、普通火傷すっぞ」
「事実してないじゃない」
「そりゃまぁ、そうだが……」
東雲くんはどうにも腑に落ちないと言った感じだ。そんな彼に対し、華凛が疑問を投げ掛ける。
「それよりなんでアンタがいんの?」
「たまたまゲーセンに来てみたら、目の前でお前に倒れられたんだよ」
「あ、じゃあアンタに運ばれたの? あたし」
何やらショックを受けているようなリアクション。しかし東雲くんは手を振った。
「いや、楓って人が運んでくれた。知り合いだろ、お前ら」
「あぁ、あの人。いたんだ」
「さっき車を回してくるって言ってた」
華凛が何やら安心した素振りを見せる。あれ? 私が倒れた時は誰に運んでもらったんだろう?
「そういえば樹羽、バトルはどうだった?」
華凛が思い出したように尋ねてくる。私は少し薄く笑いながら言った。
「……負けた」
「そっか……」
「でも、悔しくなかった」
本気で対峙して、それで負けた。不思議と納得がいくバトルだったと自分では思っている。昔、「大事なのは本気で物事に取り組むこと。結果は後から付いてくるものだ」と言う言葉を何かの本で見たことがある。当時はその言葉の意味はわからなかったが、今回のバトルでよくわかった。
本気でバトルすること、そのことに意味があるんだ、と。
その時、休憩室のドアが開いた。楓さんだった。車の鍵らしき物を指でくるくると回しながら入ってくる。
「気が付いたみたいだね。気分はどうだい?」
「少しふらふらしますけど、まぁなんとか立てます」
「そうか、なら近くの病院に送るよ。この近くにあたしの友達の御両親が経営してるところがあるんだ」
華凛は最初渋ったが、私が説得して楓さんに送ってもらうことにした。さすがに一日で体調を戻すことは出来なかったのだろう。それどころか、華凛はきっと無理して今日来たはずだ。体調も悪化する。
「明日は一日ゆっくりして」
「でも……」
「ちゃんとバトルはする」
華凛はすごく悩んだ末、了承した。なんだか悩んでいるときの華凛の顔は、どこか悲しみが溢れているように感じられたのは、気のせいだろうか。
「……わかったわ。後でシリアに結果聞くからね」
「バッチグー」
華凛は楓さんに連れられて休憩室を出ていった。後に残されたのは、私と東雲くん。それと終始黙りっぱなしのシリアだけだった。
「いや、なんていうか、やっぱり話しづらいって言うかさ……その、ねぇ?」
そんなものだろうか。私の場合そもそも話さないし、そう言った場面に遭遇する機会も少なかったからよくわからない。
「奏萩はどうするんだ?」
「東雲くんは?」
「俺はもう帰るよ。シンリーがまともに戦える状態じゃないからな」
シリアによると、また作曲活動に入ったらしい。確かに戦えそうにないかもしれない。
「私も帰る」
「そっか、じゃあ送っていく。まだ日が高いとはいえ、最近何かと物騒だからな」
その提案は魅力的だった。事実一度不良にからまれている身からすれば、二人で帰れることはとても安心できることだ。
私は東雲くんからシリアを受け取ると、三人で休憩室を後にした。
----
「…………」
「…………」
「……(むぅ)」
帰り道、私は樹羽のポーチに収まりながら一言も喋れないでいた。いや、私達はと言った方が正しい。
人通りが少ない住宅街に入り、回りの喧騒が無くなると、この無駄に重い空気が余計に如実になる。樹羽は終始うつ向きっぱなしだし、榊さんはなんだかそわそわとして落ち着きがない。
私はそんな空気の真っ只中にいた。正直勘弁して欲しい。
私は自分の内で一つ決心し、話をしてみた。
「さ、榊さんはこの辺に住んでるんでしゅか?」
どもった上に完全に噛んだ。物凄く気まずくなり、ポーチの中に埋まりたくなる。むしろ埋めて、誰か埋めて。
「あ、ああ、いや、少しだけ遠い。9年前くらいに一度だけ引っ越してきたことあったんだがな。それ以降この街にはちょくちょく遊びに来てるぐらいだ」
「そ、そうなんですか。じゃあ小学校はこの辺なんですね」
気を取り直して会話を続行する。樹羽、ちょっとはサポート入れてよ、お願いだから。
「あぁ、小学一年の頃に引っ越してきたから、岬宮(みさきのみや)小学校、に……」
そこで榊さんが不意に立ち止まった。瞳孔が開き、口がパクパクとして、何かに気が付いたか、気付きかけているような表情だ。樹羽もそれに気付いて、榊さんの様子を見た。
「東雲くん?」
「かなはぎ……みきは……? まさか、いやそんな……」
榊さんの口からポツリポツリと、漏れるように言葉が溢れる。
そして一頻り考え抜いた後、こんなことを言った。
「もしかしたら俺は昔、お前に会ってるかもしれない」
「え……?」
そのセリフに対し、樹羽は首を傾げた。榊さんはそんな樹羽の様子を見ながら、次の質問をする。
「覚えてないか? 小学一年生の頃、お前のクラスに転校生が来たはずだ。名前は……」
「しののめ、さかき……」
そこで樹羽がハッとした様に立ちすくむ。信じられないものを見るように。
「あの時の、男の子」
「ああ! ったく、なんで一目見て気付かなかったんだ。よりにもよってお前のこと……!」
どうやら二人は過去に面識があったらしい。昔のことを一切知らない私はおもいっきり蚊帳の外だ。多分二人の中で私の存在はもうないだろう。
「しの……榊くん、私も気付かなかったから、お互い様」
「だな。悪いな、樹羽」
「そう呼ばれるの、懐かしい」
「俺も、懐かしい」
いつの間にか名前で呼び合うようになり、さっきまで重々しかった空気が、何故かあっさり軽くなるのを感じた。私、先帰っていいかな?
「榊くん……」
「樹羽……」
何故そこで見つめあっているのだろう。今にもキスとかしちゃいそうな空気だ。ちゃんと私にもわかるように説明して欲しい。
と、その時だった。
「よっしゃー! 新曲かんせーい!! って……ありゃ?」
榊さんのバッグからシンリーさんが満面の笑みで飛び出した。その時二人は弾かれたように離れ、道のはじっこに分かれる。
「マスター、バトルは?」
「お、お前が曲作りに熱中しちまったから帰るんだよ!」
「えー、まだ昼過ぎたあたりじゃん! また戻ってバトルしようよー!」
「わかった、わかったよ! 樹羽、悪いが俺は戻るな」
「う、うん。わかった」
だだをこね始めたシンリーさんにせがまれ、榊さんは来た道を戻っていった。樹羽は少し残念そうにしている。理由はわからないこちらとしては、あまり面白くない。
「樹羽、榊さんと昔会ったことあるの?」
樹羽はようやく私の存在を思い出したのか、私を見た後、どこか遠い場所を見るような眼になって空を見上げた。
「うん、私が小学生で、まだ私の性格も明るかった時期に……」
----
楽しかった夏休みが終りを告げ、私たちは熱い日差しな中、元気よく学校に向かっていた。プールなどで度々会っていたが、学校で友達と遊ぶことが何より楽しかったあの時、彼がやって来た。
彼はおどおどした感じで自分の名前を言った。
「し、しののめさかきです……よろしくおねがいします」
名字も変わっていれば、名前も変わっていた。よく言えば趣きがある、悪く言えば、古臭い。そんな名前だった。
小学生だった私達は、いや、クラスの皆は、こぞって彼をいじめた。小学生故の照れ隠しか、はたまた冗談のつもりか。たぶん後者だったのだろう。でも、幼かった私の目には、それは悪質ないじめにしか見えなかった。彼が泣き始めた時、気付いたら私は彼らの前に立ち塞がっていた。
「いじめちゃだめ」
彼らは私が注意してもやめようとはしなかった。むしろムキになって私までいじめにかかった。
始めは気にしていなかった。耐えられた、その頃は。
私は転校してきた彼の友達になってあげた。彼は最初こそよそよそしかったが、すぐに打ち解けた。
でも気付いたら仲がよかった女の子たちからもいじめを受けていた。みんなはきっと遊び半分だっただろう。しかしこの頃になって私の中の何かがグラグラと揺れ始めていた。
そんな中、私の中で彼の存在は支えに変わっていた。支えになっていたつもりが、いつの間にか支えになってもらっていた。
その時私は、初めて人を好きになると言う感情を覚えた。それは彼も同じで、彼も私のことを好きだと言ってくれた。今でも覚えてる。とても嬉しかった。
だけど、あの日がやってくる。
父の会社があっけなく倒産し、我が家に暗い影が差した。原因は部下の裏切り行為。信用していた部下が、大型社と手を組んで父の会社を潰しにかかったのだ。父の会社は小さいながらも功績を残していて、信頼と安全を第一とした職場だったと聞く。それに目をつけた大型社は、父の会社に合併を申し出た。
しかし、父はそれを断った。父は一人で会社を作り、そして経営していくことを夢見ていた。そして軌道に乗り始めた時期に合併の話を持ち出された。父はそこに、口では言い現せない何かを感じたと言う。
この会社の目的は合併ではなく吸収だ、と。
今から考えたら、大型社が小型社と合併することはまずない。良い条件の元、子会社にするのが普通だ。それをいきなり合併とは、裏があると睨むのも当然と言えば当然だ。
だが大型社は、合併を断った父の会社を裏から潰した。父は自分を責め、自殺しようとさえしたらしい。
そんな父の姿を、私は近くで見ていた。信用されていた人に裏切られる恐怖。私はそんなことに耐えられなかった。
それは私の学校で既に手遅れだった。誰それ構わず、理由もなくいじめに遭う。仲のよかった女の子たちをはじめ、友達だと思っていたクラスのみんなが、私の姿を見ただけでいじめに来る。それ以外の気弱そうな人は私のことを無視していた。自分が巻き込まれたくないからだろう。だが、その無視がある意味一番堪えたのもまた事実だ。
それでも私には彼の存在があった。幼かったが、互いに支え合える存在。学校に行けば会える、そう思っていた。
----
「でも彼は既に転校した後だった。ご両親の仕事の都合で、急にまた引っ越すことになったんだって」
「…………」
「私は支えを失った。さらにそこにいじめが加わって、私の中の何かが完全に壊れたような気がした。私が前みたいになったのは、その頃から」
樹羽が話をし終えたのは、家についてしばらくしてだった。 樹羽が小学生だった頃は、2033年。神姫はもう発売されている。私と言う個体はずっと後に生まれたけど、その時、樹羽の側に神姫がいてくれたらと、そう思わずにはいられなかった。
「ごめん、榊くんの話だったのに、私自分のことばっかり……」
「ううん、榊さんのこともわかったし、樹羽のこともわかった。だから、私嬉しい」
「嬉しい?」
「なんかさ、樹羽のこと、あんまりよく知らなかったかもしれないんだけど、今まで樹羽の本当の神姫に成れてなかったような、そんな気がしてたんだ。でも、今日は樹羽のこといっぱい知れたから、やっと本当の神姫に成れたかなって感じがするの。だから嬉しい」
「シリア……」
「それに……」
それに樹羽はもう一人じゃない。
「私は、絶対に樹羽から離れないから」
私は樹羽を裏切ったりなんかしない。私はとても無力な存在だけど、いつまでも側にいてあげることが出来る。私だけじゃない。樹羽は沢山の人と繋がってる。
「華凛さんも仁さんも、絵美ちゃんも榊さんも楓さんも、宮下さんや長谷川さんだっている。大丈夫、樹羽はみんなに愛されてる」
誰も樹羽を悲しませるようなことはしない。だから、樹羽はもう一人にならない。
「……ありがとう、シリア」
その時になって初めて、私はとても恥ずかしいことを言っているのに気が付いた。
「えと、うん、どういたしまして……」
私は樹羽にお礼を言われてうつ向いていた。
だって、顔は真っ赤だろうから。
----
「よかったな、軽い貧血で」
病院からの帰り道、楓さんの車に揺られながら、私は人で賑わっている街を眺めていた。
まるでそこに存在しているだけのような人混み。同じことを繰り返す人形のような人の波。ただただラインに乗って動いているようにしか見えない車の列。そんな静止画みたいな世界を、あたしは車に据え付けられた窓から眺めていた。
「まだ気分が悪いのか?」
私の様子を見て、紅葉が心配そうに声をかけてくる。それにあたしは極力明るい声で答えた。
「いや、大丈夫。一日寝てれば動けるようになるわよ」
その言葉に嘘はない。多分、一日中寝ていれば、一日くらい動けるようになる。そうでなければ、こっちが困ってしまう。
ただでさえ樹羽と一緒にいたいのに、ただ寝ているだけなんてやるせないことこの上ない。
「あんた、なんであの子にそんなに付き合ってるんだい?」
赤信号で車が止まった時に、ふと楓さんが聞いてきた。
「あんたが樹羽ちゃんにかける思いって言うのかな、そういうのが、なんか異常に感じられたんだ。なんであんたはそんなに樹羽ちゃんにこだわるんだい?」
それはあたしにとって、愚問とも言える質問だった。まぁ、あたしの今の状況を知らないとそういうことを思われたりするのは、この際仕方ないと諦めるけど。
「樹羽は、あたしが今ここで生きてる意味だから」
楓さんの問いに、あたしはそう答えた。いきなりこんなことを言われても、訳がわからないだろう。言ってみて、あたしは自分で吹きそうになった。
「それは、命の恩人ってことかい?」
「命の恩人、か。そうなったら嬉しいですね」
二人は余計に混乱している。それで別に構わない。初めから教える気などないのだから。
(そうよね、むしろ良い機会よ)
改めて考えてみると、あたしの行動理由が途中から変わっていたような気がする。そうだ、第一段階はもう済んだのだから、第二段階に進んでもいい頃合いだ。危ない、このまま行ったらあたしは樹羽にずっとついて回るところだった。ストーカー容疑で逮捕とか冗談ではない。
それほどまでに樹羽の進化は目覚ましかった。目を離せない程に。
(なら、明日はゆっくり休みましょ)
会えないのは辛いけど、なにより樹羽のためだ。シリアが一緒にいるし、大丈夫だろう。あたしがいなくても大丈夫なように、明日は一切介入しない。
ちょっと遅すぎたかもしれない。と言うか遅すぎだ。そう言えば後一日しかないんだった。
(ばっかだなぁ、あたし。これじゃ樹羽ぐずるでしょ絶対)
最悪、ちょっときつく言わなければいけないかもしれない。
樹羽は強い。だから大丈夫。そう自分に言い聞かせてあたしは座席にもたれて目を閉じた。
[[第十話の2へ>引きこもりと神姫:10-2]] [[第十一話の1へ>引きこもりと神姫:11-1]] [[トップへ戻る>引きこもりと神姫]]
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: