「最強 対 最強」(2011/07/31 (日) 18:08:11) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
&bold(){&u(){三話 『最強 対 最強』}}
神姫センターの二階、筐体が置いてあるバトルスペースの奥にちょっと狭い多目的フリースペースがある。バトルスペースの間に壁を挟んでいるから喧騒が少し和らいで、神姫オーナーはここで休憩したり神姫をセッティングすることもできる。
今この場所にはエスパディア型とにらめっこをするように顔を寄せてコソコソ話している人が一人いるだけだった。私はその人から一番遠いベンチに腰掛けた。傘姫は私との間に一人分くらいのスペースを空けて座った。
「コタマの勝負、見なくていいの?」
私も、傘姫も、目を合わせようとしなかった。顔を見なくても、どんな顔をしているか、どんなことを考えているか、分かるような気がした。少なくとも傘姫は、コタマのバトルなんて今日の晩御飯の献立と同じ程度しか気にしていない。
「放っといたってコタマは負けんよ。私は全然役に立たんし」
「それ私も。神姫に指示出せる人ってすごいよね。でも神姫ってすっごい速く動くじゃない。だからそれに負けないくらい早口で命令しないといけないと思うのよ。みんな早口言葉とか練習してるのかな」
「さすがに動いとる神姫にあーせいこーせい言うのは無理やろ。神姫だってちゃんと聞き取れんと意味ないし。やから予め戦略たてたり予測したりして指示しとるんやないかね。誰かに聞いたわけやないから知らんけど」
「ふうん、なるほどねえ」
「コタマ達が何やっとるかも理解できん私らには全然関係ないレベルの話やね」
「ですよねー」
にはは、と傘姫の偽物くさい笑いが少しだけ耳に付く。耳慣れているはずなのに、私は聞こえなかったふりをして壁のシミを見つめた。
話が続かず、私達は黙りこんでしまった。奥から聞こえてくる銃声や歓声が二人の沈黙をより際立たせる。僧は敲く月下の門、という句は誰のものだっけ。どうでもいいことばかり考えて、私はいよいよ傘姫が隣にいることを忘れそうになった。
聞こえてくる雑多な音に耳を傾けても、その中からコタマの声は拾えなかった。心配はしていないけど、コタマはちゃんと戦っているだろうか。
離れた席でゴソゴソやっていたオーナーが荷物をまとめて席を立った。そして私達にちらりと目を流しフリースペースから出ていき、貸切となった場所から動きがあるものが無くなった。
人がいなくなるのを待っていたのか、傘姫が口を開いた。
「鉄ちゃんは、さ」
途切れ途切れの言葉はポツポツと紡がれていった。
一語一語を確認するように。
一つ一つを確認するように。
「弧域くんのこと――好き、よね」
知られていることは分かっていた。でもそれとは関係無く、私はどこか無関心に近いくらいの落ち着きを失わなかった。
「うん。好き」
「いつから?」
「ずっと前。小学校ん時から」
この答えは予想していなかったらしく、傘姫は少し驚いたように固まってしばらく考えた後、「そっか」と呟いた。
「鉄ちゃんと弧域くんって、もしかして幼馴染?」
「んー、馴染んではない。背比は私のこと覚えとらんと思う。それに背比に初めて会ったのって小学校中学年くらいやったし、幼馴染とは言えんね」
「そう、なんだ」
傘姫にしてみれば、背比には私のことなんて覚えておいてほしくないに決まっている。もし私と傘姫が逆の立場だったなら、私は今後一切、背比から過去を引き出すような真似を避けるだろう。
背比と傘姫は二人きりのとき、どんな会話をしてるんだろう。傘姫が私と背比のことを知らなかったのは、二人が昔話をしないからか、背比が私のことを覚えていないのか、それとも覚えていて隠しているからか。
「その時のこと、聞きたいな」
そう言った傘姫は単純に過去に興味があるだけ、といった風だった。傘姫が知りたいのは私達のことなのか、それとも背比のことだけなのか判別がつかなくて、私は背比が登場する場面以外は極力省いて訥々と話した。
始まりは酷いコーチがいるバスケットボールクラブから。
傘姫に私と背比の長いつながりを知って欲しかった。
私がどれだけ背比のことを好きか、知って欲しかった。
傘姫は適度に相槌を打ち、時々質問をして良い聞き役に徹していた。入試の日のエピソードまで語った私は 「と、いうわけなんよ」 と締め括ったのだが、傘姫はイマイチ納得できないらしかった。
「鉄ちゃんと弧域くんが入試で隣の席だったのは知ってたけど……今の話を疑うわけじゃないけど、信じられない偶然ねえ」
「うん、私も信じられん。言っとくけど人違いとかやないからね」
「事実は小説よりなんとかって言うしね。そっかぁ、鉄ちゃんと弧域くんの間にそんな因……関係があったなんてね」
「今、因縁って言おうとせんかった?」
伝えるべきことは伝えた。あとは進むだけだ。
「奇跡みたいに再開できたんやけど、それが理由ってわけでもなくて背比が好きになったんよ。好きになり直したっていうか、【昔の背比】より【今の背比】を好きなった、って感じ」
「…………」
「ごめん。傘姫には悪いと思っとるんやけど、でもどうしても――」
「………………………………でよ」
小さく呟いた傘姫は私のほうに向き直った。怒った顔か、悲しむ顔か、予想していた私は困ったような微笑を湛えている傘姫に面食らった。
「鉄ちゃんが謝ることはないじゃない。むしろ弧域くんが悪いのよ! こんなに可愛い女の子をたぶらかすなんて極悪非道もいいところよ!」
「え? か、傘姫?」
「しかも私達に飽き足らず神姫まで惚れさせるなんて! エルって他にオーナーがちゃんといたのに、その神姫をどうやって虜にしてしまったのよ、ねえ鉄ちゃん!」
「そ、そうよその通り! 全部アイツが悪い!」
「みんなみんなみーんな、弧域くんが悪い!」
「森羅万象、背比弧域が悪い!」
誰も見ていないのをいいことに私達はフリースペースで(ちょっと控え目に)叫んだ。今まで傘姫に感じていた後ろめたさも、口に出すことで少しだけ薄まった。
一息ついて、傘姫と笑い合った。傘姫の顔を見て本気で笑えたのはいつ以来だろう。この恋敵に私は差をつけられるどころか、相手はもう既に私の手の届かないところまで背比と一緒に進んでしまっている。
「弧域くんはね。私の気持ちに、精一杯、出来る限り、応えてくれるんだ」
それが何よりも大切な宝石であるかのように、傘姫は言った。
「私も、弧域くんの気持ちにならどんなことだって応える、から、私達はずっとずっと、一緒にいるの。それでも……それでも、鉄ちゃんは、諦めない?」
「うん。諦めきれん」
「――そっか」
勝ち目がまったく無いことくらい、私が誰よりも知っている。嫌ってほど分かっている。むしろ背比が私のことを、傘姫との仲を壊す邪魔者と見做すことがないか、その心配をしなくちゃいけないくらい。背比に好かれたいけど、それ以上に嫌われたくない。
今の関係が壊れるくらいなら永遠に友達のままでもいい。でもほんの僅かでも可能性があるのなら、それに賭けてみたい。
「幸せなとこ悪いんやけど、ちょっとばかし邪魔するよ」
「恋に苦しむ気持ちは分かるけど、弧域くんは渡さないよ」
私の愚直な視線と傘姫の勝者の視線がぶつかった。でもそれも一瞬、どちらともなく肩の力を抜いて 「「にはは」」 と二人で困り顔。傘姫だって背比と同じように、私の大切な友達だ。
「ちょっとくらい手加減してくれてもいいんやない? そっちが圧倒的に有利なんやし」
「こればっかりは手を抜けないよ鉄ちゃん。遺恨を残さないように正々堂々、じゃないとね」
「じゃあスマブラで勝負とかどうかね。優勝商品は背比弧域」
「いやいや、それ全然正々堂々してないよね。私が超弱いの知ってるよね」
「得意なステージ選んでいいよ」
「全ステージで勝負したって一勝もできないわよ!」
「駄目? そんなら神姫バトルしかないね。ハンデとして好きなステージ選んでいいよ」
「だからステージ選んだくらいでコタマをどうすればいいのよ……じゃなくて、弧域くんを商品扱いするの禁止!」
姫乃が「遊んでないでそろそろ戻らないと」と立ち上がった。
同時に、建物を揺るがすほどの爆音が響いた。
「きゃあっ!?」
鼓膜を直接叩かれたような大爆音。
反射的に頭を抱えてうずくまった。いくつもの爆弾が一斉に爆発したような音に混じって人の悲鳴も聞こえた。
一瞬だった音が止んだ後もまだ空気がビリビリ震えているような気がした。恐恐と目を開けてみたけど、火が上がっているわけでも、煙が充満しているわけでもなかった。火災報知機は鳴っていない。
「か、傘姫生きとる?」
傘姫は耳を塞いで自分のスカートに顔を埋めていた。肩をたたくとビクッ! と飛び上がりそうなほど身体を震わせ、恐る恐る顔を上げた。
「な、なんなの!? 爆発したの!? 死ぬの!?」
「落ち着け」
パニクっている傘姫を見たおかげで私は逆に冷静になれた。フリースペースを仕切る壁の角から顔だけ出してバトルスペースを覗いてみるも、私が想像したテロリスト制圧後の廃墟のような景色とは違って、相変わらず一つの筐体を多くの人が囲んでいた。誰もが耳を押さえているが、粉々になった筐体も倒れる人々も焼け焦げた天井も無い。さっきと違う点といえば店員が何事かと駆けつけてきたのと、 「「「「「おおおおおおおっ!」」」」」 と歓声が上がったくらいだった。
「通してください!」
ギャラリーをかき分けて筐体に戻った私の目に飛び込んできたのは、大怪獣が暴れまわったような有様のステージだった。ビルが倒壊してあちこちに瓦礫の山ができていて、道路は隕石の雨でも降ったのか月面のように穴だらけになっていた。散乱した廃材がまだ出来て間もないことを除けば、廃墟のステージよりも廃墟らしくなっていた。
壊れていないものが一切無い場所で、コタマもボロボロになっていた。
「コタマっ!?」
修道服は破れ擦り切れ焼け焦げて、コタマの素体まで傷ついていた。コタマのこんな痛々しい姿を目にするのは初めてだ。コタマが防御に使ったのか、ファーストとセカンドはそれ以上に酷い有様だった。
コタマだって普通の神姫だ。どんなに強くても無敵じゃない。私はそんなことすら全然理解していなかった。
無敵と信じて疑わなかったコタマが傷つくことがこんなにも自分にとって衝撃的だと思わなかった。大前提としていたことがこんなにもあっさりと崩れ、立っていられなくて、対戦者用の椅子にへたり込むように座った。
そんな私とコタマの目が合った。
一際大きなクレーターの中心、ボロ雑巾のようになったコタマは。
――いつものように、大胆不敵を全身で表すように立っていた。
コタマの足元でオスカルがごちゃごちゃした武装を背に大の字になって倒れていた。
いや、まあ、うん。
ちょっとビックリしたけど、さすがにコタマが負けるなんて有り得ないね。
「アタシの目の錯覚か? 鉄子がたった今どこかから戻ってきたように見えたんだがこれはアタシの気のせいか?」
見た目はともかく、コタマはまったくの平常運転だった。こんなに可愛げの無い言葉遣いや仕草で安心できる自分に少し疑問を持った。
「あーごめん、ちょっと席外しとった」
「ちょっとってオマッ、うおおおおおおい!」
大げさに頭を抱えて仰け反ったコタマは、そのままぼろ切れになったヴェールを脱いで地面に投げ捨てた。ぺしゃっ、と軽い音がした。緑色の髪はヴェールから出ていた前髪だけでなく、隠れていた部分も随分と小汚くなってしまっている。
「いくらバトルで役立たずだからってアタシに丸投げするにも程があるだろ! オマエいつからいなかった!」
「んーと、《 G E T R E A D Y ? 》のとこくらいから」
「初っ端からじゃねえか! いっそ清々しくなるほどの丸投げじゃねえか!」
ウガーッ! とコタマは修道服を胸のあたりからゴリラのように(?)引き千切った。既にボロ切れと化していたとはいえ、目の前で破られた製作者の傘姫は「あ、ああ……」と蚊の鳴くような声をあげた。
「じゃあアレか! コイツの――」
コタマの指差す先で倒れているオスカルの武装はよく見ると、ジルダリアが標準で背負っている武装にゴテゴテとパーツを追加されたものらしかった。輪っかから伸びる花弁っぽいものがラッパ状の筒に取り替えられていたりと、元の有機質っぽさは薄れている。
「アホみたいな量のビットを一斉に撒き散らす技 『パラライトペタル』 を見てねえのか」
「なるほど、花粉撒き散らす感じで花型らしい技やね」
「四方八方から飛んでくるビットをアタシが辛くも捌ききったのは?」
「そんな凄そうな技を捌くとはさすがコタマやね」
「アタシの周りを逃げ道無く囲んで全ビットを爆破するアイツの最後の技 『オールオーバー』 は?」
「ああ、さっきの爆発はそれやったんやね。洒落んならん爆音やったけど無事?」
「無事じゃねっつーの見りゃ分かるだろうが! じゃあそっから先は見たんだろうな! 全技出し切ったコイツにアタシが 『F.T.D.D.D.』 叩き込んだところはまさか見逃してねえだろうな! オマエが見たことない技だっつーから使ってやったんだろうが!」
「ごめん、また次の期会を楽しみにしとくわ」
「うおおおおおおおおおおおおおおおおい!」
肩を怒らせたコタマはファーストとセカンドをズルズルと引きずって筐体から出てきた。修道服を脱いで見た目は普通のハーモニーグレイスっぽくなったけど、主に向かってメンチを切るシスター型というのはなかなかお目にかかれるものじゃないのではなかろうか。
「鉄子よォ、いくらアタシの主が相手でも、アタシの堪忍袋ってヤツにもさすがに限度ってもんがあるんだぜ、オイ」
コタマが両手に持っていた十字架を投げ捨てた。本気で怒っている。私は私が思っている以上に悪いことをしたと、今更になって気付いた。
武装神姫は戦う。それは彼女達が戦いたいからではなく、オーナーに勝利をもたらすために。コタマとの長い付き合いの中で私は、そんなことすら忘れてしまっていた。
今更謝ることすら筋違いに思えて言葉を絞り出すこともできなくなってしまった。そんな私の隣に出た傘姫がガバッ、と頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 鉄ちゃんを呼び出したの、私なのっ!」
「ああ!? ……姫乃テメェいつからいやがった。弧域も来てんのか」
「ううん、私だけで来たの。鉄ちゃんに大事な話があって、ね?」
「…………」
傘姫にそう言われても、どう答えていいか分からなかった。
言葉に詰まる私を見てそれだけで事情を察したらしいコタマは、これ見よがしに舌打ちして 「この脳内花畑どもが」 と悪態をついた。
「いいか鉄子、ホトケの顔は三度っつうけどよ、シスターが見逃してやんのは一回きりだぜ。次にアタシの最高にクールな姿をスルーしやがったら、その無駄に二つある目を風通し良くしてやるから覚悟しとけよ」
コタマがファーストとセカンドを掴んで筐体から飛び降りたのを、私は慌てて受け止めた。
筐体から離れようとすると、観客をかき分けて追いかけるように伊達男が歩み寄ってきた。今更気付いたけど、観客のうち数人に非難するような目を向けられていた。バトル中に席を外すなんてマナー違反だし当然か。
観客ですらこれだから対戦相手である伊達男にどんな罵詈雑言を浴びせられるかと身構えたのだが、伊達男は私を睨むでもなく、その表情は晴れ晴れとしていた。
「完敗――いや、君の勝利に乾杯と言ったほうがいいかな」
全然上手くない。
「バトル開始からいきなりキミが席を空けた時は動揺したよ。キミが戦闘中に一切の指示を出さないことは知っていたけれどね、それでもキミの動揺を誘う作戦にボクはまんまと嵌ってしまった」
何か言い出しそうだったコタマの口を指で塞いた。
伊達男は手の上で不貞腐れているオスカルの頭を撫でながら話を続けた。
「回避不能の大爆発に巻き込んでしまえば誰であっても仕留められるに違いないと、そう考えていたのだがね。クラブのメンバー相手の練習だと、そもそも 『パラライトペタル』 の時点で倒れる神姫ばかりだった。もしかするとそこからボクらの驕りが生まれていたのかもしれない」
伊達男は前髪をかきあげ 「しかし負けは負けだ」 と息を吐き出した。溜め息のようだったけど、重荷を下ろしたような清々しさが感じられた。
「約束通り、キミをボクのエンジェルにすることは潔く諦めよう。だが忘れないで欲しい」
クルリと私達に背を向け、キザに左手を上げた。
「キミはボクの心を奪った唯一の――――エンジェルだ」
潔さとは何だったのか。
エンジェルとは何だったのか。
そもそも彼の本名は何だったのか。
疑問ばかり残して、伊達男は私の前から姿を消した。
駅で傘姫と別れ、私は物売屋へ向かった。八幸助さんに仕事を終えたことを報告するためだ。
「鉄子よォ、アタシが勝ったら何でも言う事聞くって約束、まさか忘れてねぇだろうな」
「はいはい。でもあんま無茶なのは勘弁してよ。私にできんこと言われても無理なもんは無理なんやからね」
「アタシだって鬼じゃねぇ。ケツ毛を毟るまでは勘弁してやるぜ」
「生えとらんっての」
「嘘つけ」
物売屋の開け放たれた入り口の奥で、八幸助さんはいつもと変わらず暇そうに茶をすすっていた。隣には紗羅檀のミサキがちょこんと行儀よく座っている。
「やぁ鉄子君。例の彼との勝負は終わったのかい」
仕事は結果がどうであれ、やりっ放しでは駄目でちゃんと事後報告しないといけない、ということは物売屋で学べた唯一の成果だ。こうして依頼任務が終わる度に私は、できるだけ詳しく、でも時には大胆に端折って八幸助さんに報告している。
今回も伊達男のバトルが始まる前のことから順を追って説明した。私が抜け出したところはなんとなく言いづらくて遠回しに言ってみたけど、案の定ミサキに窘められた。
「いくらコタマが目も当てられないほど見苦しいからって、オーナーならば最後まで見届けないといけませんよ」
「随分と安いケンカ売ってくれるなコラ」
バトルについてはコタマが身振り手振り、たぶんいくらかの誇張を混ぜて語った。その話を聞いているうちに、私は今更になって怖くなってきた。フィールドのビルを軒並み倒壊させてしまうような、しかも回避のしようがない一撃必殺を狙われていたんだから、コタマが負けていたっておかしな話じゃない。たった一度の大爆発で私の運命はあの伊達男のエンジェルへと転がっていたかもしれない。
ロープが千切れかけ床が腐っているような危ない橋を、そうとは知らず渡っていたようなものだ。
本当に今更だと思う。
怖気で震える自分の体を抱いた。
「風邪かい、鉄子君」
「いや、ちょい寒気が」
「天罰が下ったんだろ。それよりアタシの活躍に相応のペイがあってもいいと思わねぇかジャージ?」
「コタマ、あなたは謙虚という言葉を知るべきよ」
「あー? アタシのコアに登録されてねえ単語が聞こえたな」
「残念だけど特別ボーナスは出せないなあ。今回の依頼は 【鉄子君を賭けて勝負】 を行うことだったからね、勝敗は依頼に関係無いのさ。もちろん物売屋店主としては看板娘を応援したいところだけど、依頼範囲外の事柄については物売屋の知るところじゃない」
喉から出かけた言葉を飲み込んだ。八幸助さんは間違ったことは言っていない、けど、私がどんな目にあってもこの人は素知らぬ顔をするのだろうか。
なんだか最近カリカリしてばっかりだな、私。
「とはいえ、君達が業務により苦労したのは事実だ。ささやかだけどアイスとヂェリーくらいは贈呈しよう。おーい千早さーん!」
「アタシのあの苦労はヂェリー相当だってか。しみったれた店だぜ」
店の奥から出てきた千早さんから小さなボーナスとねぎらいの言葉を受け取り、しばらく雑談してから私とコタマは店を出た。
これで伊達男のことはもう忘れてもいいはずだ。私達が勝てばもう二度と会わないという約束だったし、今更怖がることなんてない。
それよりも、私にはやらなきゃいけないことがある。
「鉄子、オマエ姫乃に何言われた」
空になったヂェリ缶をいじりながら、コタマはきつい口調で言った。
「弧域のことは諦めろ、とか言われたんじゃねぇだろうな」
「……ううん、私の気持ちを確認したかったんやって」
自分の彼氏のことが好きだと言われて 「そっか」 で済む女なんているわけがない。傘姫だって例に漏れず、私のことを邪魔だと思っているはずだ。友達にそう思われていると考えただけで胃に鉛を詰めたように苦しくなる。でも構わない。私が今からやろうとしていることは、全くその通りの 『邪魔』 なんだから。
「そうかよ。それで? 宣戦布告は済ませたのか」
「うん」
「オマエにしちゃ上出来だぜ鉄子。ラブレターなんてションベン臭い手段を選ぶオマエのことだから、てっきり尻尾巻いて逃げてきたのかと思ったぜ」
「やるしかないならやるだけだ、ってね」
コタマには私の言葉が後ろ向きに聞こえたらしく、微妙な顔をしてバッグの中へ潜っていった。
私は背比弧域と一ノ傘姫乃の仲を、全力で、欲望通り、あくまで前向きに邪魔する。もう目の前にはその道を歩く以外に無い。だから歩く。道の先にあるものは歩かないと見えないんだから、今は臆病になる時じゃない。
今日、その一歩を踏み出した(気分的には三歩くらい進んでいるけど謙虚にいこう)。
次の一歩を踏み出すため、さしあたって以前書いた手紙を読み直そう。
願わくば、次の一歩がより大きな一歩となるように。
とはいえ、怖いものは怖い。
手紙を渡すより度胸を付けるほうが先じゃないかと現実逃避しつつ、私は家の玄関を開けた。
「ただいまー」
&bold(){[[次話 『マシロ先生の恋文講座』>マシロ先生の恋文講座]]}
&bold(){[[15cm程度の死闘トップへ>15cm程度の死闘]]}
表示オプション
横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: