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「スロウ・ライフ 7話」(2008/05/01 (木) 11:19:02) の最新版変更点
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轟、と音がした。
それはパーシの持つチェーンエッジ。サイフォスの重装と同じ真っ青な剣。1smはある柄に、身の丈の倍はある幅広の刀身。
盾としてでも使えてしまえそうな巨大な剣、それは今、耳障りな呻き声を漏らしている。
羽虫の音を何百倍にも圧縮したような重く、低い音。
それはチェーンエッジから、チェーンエッジの刃から漏れている。
チェーンエッジの超高速で回転する、まるでチェーンソーのような刃からだ。
見るからに分る。あれを受けたらどんな装甲でも紙クズみたいなものだろう。当たればだけど。
「ちょっこまかしなでよぉ!」
ばごん、と音がした。パーシのチェーンエッジが真白い仮想空間の床を砕いた音だ。
50sm四方の仮想空間、通称「トレーニングステージ」。
白い壁に白い床に白い天井。全てが真白の戦場。
御世辞にも広いとは言えない空間中に響く轟音を背に、私のトロンベは駆けていた。
「もっと的確に隙を狙って! 遮二無二に突っ込むだけじゃ勝てませんよ!」
頭甲とヴォッフェバニーの装備一式を身につけたトロンベが言った。
そう口で言いながらも右に、左にと動く事を止めない。フェイントを交えながら動き回るトロンベに、パーシは完全に振り回されている。
それもその筈だ。トロンベの装備は無駄を省き、機動性を極限まで高めた装備だ。重装甲・一撃必殺のパーシとは対極の装備と言える。
「あぁ、もうっ!」
ずどん。
チェーンエッジがもう何度目か分からない一撃を放った。それはトロンベではなく、真白い床を直撃して、ブチ砕いた。
砕かれた床は白い破片をリアルに撒き散らして、その直後、床に刺さったチェーンエッジをそのままに何も無かった様に再生した。
「え? うそぉ?」
刺さったチェーンエッジを引き抜こうともがくパーシの懐に、唸り声を上げるチェーンエッジを脇目に、トロンベは素早く潜り込んだ。
どすん。
そして、再生したての床を踏みしめて、パーシの脇腹目掛けて右膝を鋭く刺し込んだ。
「っぅ!」
いかに分厚い装甲でも、体勢が崩れていればそこそこのダメージは通る。それが体重の乗った膝蹴りなら尚更の事だ。
だけど、そのダメージは致命傷には程遠い。充分に反撃できるダメージだが、パーシはそれをせずにチェーンエッジを引き抜こうと四苦八苦している。
「ふげぇっ!」
そんなパーシの顎を―――正確には兜だけど―――をトロンベは右足で蹴り上げた。その勢いを殺さす、そのまま宙返り。素早く距離を離した。
「今のは反撃出来た筈です! 一つの武器に捉われず、使えるものは全部使いなさい!」
パーシの間合いの外で軽いステップを踏みながらトロンベは言った。その間、パーシはようやくチェーンエッジを引き抜いた。ぶっちゃけ隙だらけだ。
「分ってるわよぉ!」
チェーンエッジを構え直したと思った瞬間、パーシは駆けた。ただ真直ぐに。チェーンエッジを真直ぐに突き出して、駆けた。
どすん、どすんと大地を踏みしめて、徐々に徐々に速度を上げながら、真っ直ぐに。
その真直ぐさは悪くない。高い防御を活かして一撃を狙うのも戦法だとも言える。だけど。
「トロンベ、決めちゃって!」
これはただの考えなしの突撃だ。それを戦法と取るかどうかは人それぞれだけど、私はそれを認めない。
「了解です」
トロンベは短く答えると、突っ込んでくるパーシに向かい駆けた。
姿勢を低くして、力強く地面を蹴る。身軽なトロンベは直ぐに最高速に達した。
パーシの倍以上の速度を出したまま、鋭く左に跳ねる。
その動きは多分、パーシにはトロンベが消えた様に見えただろう。
明らかに動きが鈍ったパーシの後ろに、トロンベは回り込んでいた。
最高速を維持したまま、パーシの背中目掛けて、軸足の膝裏目掛けて飛び蹴った。
「あだぁっ!?」
軸足を崩されたパーシは、そのまま前のめりに、見事に顔面から倒れ込んだ。
トロンベは隙だらけのその背中に馬乗りになると、両腕を捻り上げた。
「いたぁ!? 痛い痛い痛い痛いぃ!」
「なんて言うか……あれよねぇ」
「……何スか、先輩」
「あんた、馬鹿でしょ」
放課後の校内バトルセンタは人が多い。
体育館並の広さの中にバトルマシンが8台。それぞれに試合を観戦している生徒だったり、順番待ちをする生徒だったりが人だかりを作っている。
「馬鹿って……もうちょっと何か言い方無いんスか」
「何かってそのとぉりじゃなぁい、馬鹿宗太ぁ?」
「馬鹿正直に突っ込む猪には言われたくねぇな」
「……あんたら、もうちょい仲良くやりなさいよ」
壁際に設置されたベンチの一角に私達は居る。
ご主人様は宗太さんに奢って貰った缶ジュース片手に、宗太さんは何も飲まずに。私はご主人様の膝の上、パーシはベンチの上に胡坐をかいている。
「とりあえず、宗太はもうちょい的確な指示を出しなさいよ。あんた、まともな指示出してないでしょ」
「そぉなのよぉ、この馬鹿、突っ込めとかぶった斬れとかばっかで嫌になっちゃうわぁ」
「パーシ、あんたもあんたよ。オーナーの命令が駄目だと思ったら自分で考えて動かなくちゃ」
そう言うと、ご主人様は缶ジュースを一気に飲み干した。
「宗太の趣味にどうこう言うつもりは無いけど、あんたがパーシにその装備で行かせるつもりならそれに相応しい命令ださなきゃ。ただ武装与えてはい終わり、じゃダメなのよ」
「……うぃッス」
「パーシはチェーンエッジにこだわり過ぎね。あんたには手も足もあるでしょ? それだけの重量があるなら殴る蹴るだけでも結構なダメージ入るわよ」
「はぁ~い」
一気に言い切ったご主人様は、空になった缶をぽい、とゴミ箱に投げ入れた。
「……まだそんなパーシの戦いっぷり見た事無いけど、宗太。パーシは肉弾戦より射撃の方が向いてるかもしれないわよ」
「射撃……ッスか?」
「そう。パーシの癖って言うの? 細かい動作が肉弾戦に向いてないって言うか、ナイフとかそっち系の武器か射撃の方があってるんじゃないかと思ったけど……ま、これは個人の趣味だかんね、スルーしてもいいわ」
ご主人様は、強い。
神姫である私が言うのもおかしな話だけど、強いマスターだと思う。
適格な指示、回転の速い頭、勘の鋭さ。それがご主人様の強さだと思う。
それはあの人が……恵太郎さんがくれたものだ。
私とご主人様の仲を思い出させてくれた。私とご主人様に戦い方を思い出させてくれた。私とご主人様に暮らし方を思い出させてくれた。
恵太郎さんは、私とご主人様にとって恩人だった。
だったのに、消えてしまった。居なくなってしまった。
あの日、ご主人様が恵太郎さんのお家を訪ねたあの日。
あの部屋はもう、空っぽだった。
誰も行き先を知らない。誰にも行き先を教えていないまま、恵太郎さんはどこかに行ってしまった。
それはご主人様にとって、思う以上の衝撃だったようだ。
普通に暮らしている上では分からなかった。でも、それは確かにご主人様の心に棘を刺していた。
例えば、口数が少し少なくなったこと。新聞を読みあさる様になったこと。食事の量が少なくなったこと。そして、バトルをしなくなったこと。
以前のご主人様は、昼休みなればすぐ、ここに駆け付けた。そして昼食を取る間も惜しんでバトルをした。
私とご主人様は戦った。ただ只管に、だけど勝利を追い求める訳じゃなく、恵太郎さんとナルさんの様な関係になる為に。
私はナルさんが羨ましかった。恵太郎さんの神姫―――いや、パートナーのナルさんが羨ましかった。
ご主人様は強い恵太郎さんに憧れたのかもしれない。私の様に羨ましかったのかもしれない。
だけど、居なくなってしまった。
目標になっていた人が居なくなってしまったご主人様は、辛かった筈だ。
それでも、それを表面には出さなかった。人前では、気丈に振舞った。
それが、私には辛かった。
辛いのなら、辛いと言って欲しかった。
泣きたいのなら、泣いて欲しかった。
せめて私の前では、感情を偽らないで欲しかった。
そうしているうちに、どんどん時は流れてしまった。
もうあれから半年も経ってしまった。
「私から言えるのはそれだけね……トロンベ、何かある?」
「……そうですね」
ご主人様は、随分もとの調子を取り戻している様に見える。
「パーシはもっと周囲の状況に目を配った方が良いです。どんな事が起きても対応できるように、頭の中であらゆる出来事をシュミレーションしてみるだけで随分変わると思います」
最近はバトルを随分するようになった。昼休みだけでなく、放課後も遅くまでやるようになった。
休みの日は大学に向かう。大学でバトルをする。相手はアル・ヴェルさんだったり、蒼蓮華さんだったり、トリスさんだったり、他の研究室の神姫だったりだ。
「こいつ阿呆だからそんなん無理じゃねーの」
「こぉの馬鹿……」
「宗太さん、だったら貴方がそれをするまでです。オーナーはただ命令を下していれば良いという訳ではありません。共に戦うものですよ」
ご主人様は少し、変わった。
もしくは、気付いたのかもしれない。
「まぁ、この馬鹿の言う事聞いてたら勝てるものも勝てなくなるのは確かねぇ」
「俺抜きで勝てると思うなよ、この阿呆」
「……今後の課題は信頼関係の構築ね」
ただ待つだけじゃダメだと。
ただ祈るだけじゃダメだと。
「この馬鹿を信頼ねぇ……」
「んだよこの阿呆神姫」
「なんであんたらそんなに仲悪いの、ホントに……」
待つんじゃなくて、自ら歩く事。
祈るんじゃなくて、自ら叶える事。
ご主人様はそれに気付いて、それを選択したのかもしれない。
「あ、馬鹿宗太ぁ。バイトの時間よぉ」
「……じゃあ先輩、俺はこれで」
「明日もしごいてやるから覚悟しなさいよー」
ご主人様は知っている。
強くなる為には、ただ我武者羅に努力するだけではいけないという事を。
冷たいドアノブ。
銀色のそれが見た目通りの冷たさなのは、それがただ金属であるだけでは無いだろう。
それが冷たいのは、その奥に誰も住んでいないからだろう。
ただそれだけ、中に人が住んでいるか住んでいないかのたったそれだけの事で、ドアノブの感触はこうも違うものなのだろうか。
ドアノブを触れるともなしに触れながら、アリカはただその扉を眺めていた。
金属製のその扉は、どこにでもあるアパートの扉だ。
「208号室」と、銘打ってある普通の扉。どこでにでもある二階建てのアパートの、二階にある普通の扉。
その奥にはどこにでもある部屋がある。ただ、そこに人が住んでいないという事を除けば。
「師匠……」
アリカはそっと呟いた。
その呟きを聞いているのは、アリカの肩に座るトロンベただ一人である。
それ以外には聞きようの無い声であったが、トロンベにかけられた言葉でも無かった。
アリカは誰に問いかけるでもない。その部屋の主だった恵太郎に問いかけていた。
だがここにはアリカとトロンベの二人しかいない。ここに恵太郎は、もういないのだ。
―――恵太郎が消えたのは、何時頃であったか。
少なくとも、アリカ達が気付いたのは10月の中旬、寒さが身に染みてくる頃だった。
何の知らせも無く、何の前触れも無く、恵太郎はその部屋を引き払っていた。
それから半月。この部屋はずっと空き家のままだ。
「……ご主人様、そろそろ」
トロンベは自らの主にそう告げた。
なるべく主を傷つけないように、出来るだけ主を労わるように。
「うん……もう少し」
そう言って、アリカは冷たい扉を撫でた。
もしかしたら、戻って来てるのかもしれない。
もしかしたら、この中に居るのかもしれない。
そんな淡い希望と共にここに来たのは十回や二十回ではない。
事あるごとに自宅の方向とは違う道を通ったのは単に、その淡い希望にすがっての事だった。
だが、今回は違う。
アリカはある一つの決意を胸にやってきたのだ。
「師匠……私、強くなります」
それは誓いだ。
「師匠がいつ帰って来ても、胸を張って師匠の弟子だって言える様に、強く」
もしくは、呪いだ。
「強く……!」
己と恵太郎とを結ぶものが無い今、アリカにはこれしか無いのだ。
そうして作った鎖で自分と虚像の恵太郎を縛る事によって、アリカは今立っている。
それだけアリカは、恵太郎に依存していた。
「……水野先輩?」
不意に、後から声をかけられた。
振り向いたアリカの目に映ったのは、身に覚えのない少女だった。
アリカよりもほんの少し高い背に、長い黒髪。肩に神姫を乗せた少女に、やはり見覚えは無い。
ただ、彼女が自分と同じ制服を着ていた事から後輩である、という事は判別できた。
「えーと……」
「ああ、すいません。私、戸坂 加奈美と言います。最近、先輩にお世話になってる宗太の幼馴染です」
その言葉に、アリカは記憶を反芻した。
アリカは元から頭の回転は速い方だ。すぐに、宗太との会話の殆どが頭に浮かんだ。
そして、それから加奈美という少女の情報を探った。
街頭したのは宗太ではなく、宗太の神姫であるパーシだった。
パーシが頻繁に口にする、宗太の幼馴染の話。おしとやかで、女の子らしく、清楚な少女。その断片的な情報、その一つ一つが目の前にいる少女に当てはまった。
アリカの頭の中の情報と目の前の加奈美が繋がったとき、合点がいったとでも言うように、びし、と指を差しながら口を開いていた。
「パーシが良く言ってる出来た幼馴染!」
「ご主人様、指を指すのは失礼ですよ」
トロンベは内心、ほっとしながら主に鋭く忠告を発した。
今まで、触れれば壊れてしまいそうな危うさだったアリカの雰囲気が、一気に何時もの調子に戻ったのを感じたからだ。
「こっちは私の神姫、シルフィです」
「始めまして、アリカ殿、トロンベ殿。お二人の噂は良く耳にしている」
礼儀が良いとはとても言えない挨拶にも、加奈美とシルフィは嫌な顔一つせずに応えた。
それがトロンベには好ましく思えて、それと少なからず自分達が良く言われた事も相俟って、何時もより饒舌になったのかもしれない。
「その噂、良い噂ですか?」
「勿論、良い噂だ。私も御指導願いたいものだな」
ある種好戦的とも取れるその言葉は、トロンベにとっては好ましいものだった。
「……宗太ととっかえようか?」
「先輩、それは宗太がスネますよ?」
そしてその主達も、悪い印象は受けなかった。
「立ち話も何ですから、上がられますか?」
加奈美はそう言って、廊下の奥、210号室を指さした。
その申し出に、アリカは数瞬、逡巡してから言った。
「ありがたいけど、遠慮しとくわ。もうこんな時間だしね」
「そうですか……」
「ま、その内遊びに行くかもしれないから、その時はよろしくね?」
「ええ、美味しい紅茶を用意して待っています」
社交辞令では無い、本物の言葉と笑顔に見送られて、アリカはアパートを後にした。
「じゃーねー」
アパートの前で、二階から手を振る加奈美に大きく手を振り返し、揚々と帰路についた。
「……ご主人様、よろしかったのですか?」
「何が?」
帰り道、大きな椛を見上げながら言った。
「加奈美さん、もしかしたら恵太郎さんの事、知っている可能性もあったのでは?」
「……別に良いの。何かそう言うの、利用してるみたいで気が引けるのよね」
「ご主人様が、そう仰るのなら……」
それ以上、トロンベはその事について聞くのは止めにした。
ただ、緑色の椛を眺めるだけだ。
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}}}
轟、と音がした。
それはパーシの持つチェーンエッジ。サイフォスの重装と同じ真っ青な剣。1smはある柄に、身の丈の倍はある幅広の刀身。
盾としてでも使えてしまえそうな巨大な剣、それは今、耳障りな呻き声を漏らしている。
羽虫の音を何百倍にも圧縮したような重く、低い音。
それはチェーンエッジから、チェーンエッジの刃から漏れている。
チェーンエッジの超高速で回転する、まるでチェーンソーのような刃からだ。
見るからに分る。あれを受けたらどんな装甲でも紙クズみたいなものだろう。当たればだけど。
「ちょっこまかしなでよぉ!」
ばごん、と音がした。パーシのチェーンエッジが真白い仮想空間の床を砕いた音だ。
50sm四方の仮想空間、通称「トレーニングステージ」。
白い壁に白い床に白い天井。全てが真白の戦場。
御世辞にも広いとは言えない空間中に響く轟音を背に、私のトロンベは駆けていた。
「もっと的確に隙を狙って! 遮二無二に突っ込むだけじゃ勝てませんよ!」
頭甲とヴォッフェバニーの装備一式を身につけたトロンベが言った。
そう口で言いながらも右に、左にと動く事を止めない。フェイントを交えながら動き回るトロンベに、パーシは完全に振り回されている。
それもその筈だ。トロンベの装備は無駄を省き、機動性を極限まで高めた装備だ。重装甲・一撃必殺のパーシとは対極の装備と言える。
「あぁ、もうっ!」
ずどん。
チェーンエッジがもう何度目か分からない一撃を放った。それはトロンベではなく、真白い床を直撃して、ブチ砕いた。
砕かれた床は白い破片をリアルに撒き散らして、その直後、床に刺さったチェーンエッジをそのままに何も無かった様に再生した。
「え? うそぉ?」
刺さったチェーンエッジを引き抜こうともがくパーシの懐に、唸り声を上げるチェーンエッジを脇目に、トロンベは素早く潜り込んだ。
どすん。
そして、再生したての床を踏みしめて、パーシの脇腹目掛けて右膝を鋭く刺し込んだ。
「っぅ!」
いかに分厚い装甲でも、体勢が崩れていればそこそこのダメージは通る。それが体重の乗った膝蹴りなら尚更の事だ。
だけど、そのダメージは致命傷には程遠い。充分に反撃できるダメージだが、パーシはそれをせずにチェーンエッジを引き抜こうと四苦八苦している。
「ふげぇっ!」
そんなパーシの顎を―――正確には兜だけど―――をトロンベは右足で蹴り上げた。その勢いを殺さす、そのまま宙返り。素早く距離を離した。
「今のは反撃出来た筈です! 一つの武器に捉われず、使えるものは全部使いなさい!」
パーシの間合いの外で軽いステップを踏みながらトロンベは言った。その間、パーシはようやくチェーンエッジを引き抜いた。ぶっちゃけ隙だらけだ。
「分ってるわよぉ!」
チェーンエッジを構え直したと思った瞬間、パーシは駆けた。ただ真直ぐに。チェーンエッジを真直ぐに突き出して、駆けた。
どすん、どすんと大地を踏みしめて、徐々に徐々に速度を上げながら、真っ直ぐに。
その真直ぐさは悪くない。高い防御を活かして一撃を狙うのも戦法だとも言える。だけど。
「トロンベ、決めちゃって!」
これはただの考えなしの突撃だ。それを戦法と取るかどうかは人それぞれだけど、私はそれを認めない。
「了解です」
トロンベは短く答えると、突っ込んでくるパーシに向かい駆けた。
姿勢を低くして、力強く地面を蹴る。身軽なトロンベは直ぐに最高速に達した。
パーシの倍以上の速度を出したまま、鋭く左に跳ねる。
その動きは多分、パーシにはトロンベが消えた様に見えただろう。
明らかに動きが鈍ったパーシの後ろに、トロンベは回り込んでいた。
最高速を維持したまま、パーシの背中目掛けて、軸足の膝裏目掛けて飛び蹴った。
「あだぁっ!?」
軸足を崩されたパーシは、そのまま前のめりに、見事に顔面から倒れ込んだ。
トロンベは隙だらけのその背中に馬乗りになると、両腕を捻り上げた。
「いたぁ!? 痛い痛い痛い痛いぃ!」
「なんて言うか……あれよねぇ」
「……何スか、先輩」
「あんた、馬鹿でしょ」
放課後の校内バトルセンタは人が多い。
体育館並の広さの中にバトルマシンが8台。それぞれに試合を観戦している生徒だったり、順番待ちをする生徒だったりが人だかりを作っている。
「馬鹿って……もうちょっと何か言い方無いんスか」
「何かってそのとぉりじゃなぁい、馬鹿宗太ぁ?」
「馬鹿正直に突っ込む猪には言われたくねぇな」
「……あんたら、もうちょい仲良くやりなさいよ」
壁際に設置されたベンチの一角に私達は居る。
ご主人様は宗太さんに奢って貰った缶ジュース片手に、宗太さんは何も飲まずに。私はご主人様の膝の上、パーシはベンチの上に胡坐をかいている。
「とりあえず、宗太はもうちょい的確な指示を出しなさいよ。あんた、まともな指示出してないでしょ」
「そぉなのよぉ、この馬鹿、突っ込めとかぶった斬れとかばっかで嫌になっちゃうわぁ」
「パーシ、あんたもあんたよ。オーナーの命令が駄目だと思ったら自分で考えて動かなくちゃ」
そう言うと、ご主人様は缶ジュースを一気に飲み干した。
「宗太の趣味にどうこう言うつもりは無いけど、あんたがパーシにその装備で行かせるつもりならそれに相応しい命令ださなきゃ。ただ武装与えてはい終わり、じゃダメなのよ」
「……うぃッス」
「パーシはチェーンエッジにこだわり過ぎね。あんたには手も足もあるでしょ? それだけの重量があるなら殴る蹴るだけでも結構なダメージ入るわよ」
「はぁ~い」
一気に言い切ったご主人様は、空になった缶をぽい、とゴミ箱に投げ入れた。
「……まだそんなパーシの戦いっぷり見た事無いけど、宗太。パーシは肉弾戦より射撃の方が向いてるかもしれないわよ」
「射撃……ッスか?」
「そう。パーシの癖って言うの? 細かい動作が肉弾戦に向いてないって言うか、ナイフとかそっち系の武器か射撃の方があってるんじゃないかと思ったけど……ま、これは個人の趣味だかんね、スルーしてもいいわ」
ご主人様は、強い。
神姫である私が言うのもおかしな話だけど、強いマスターだと思う。
適格な指示、回転の速い頭、勘の鋭さ。それがご主人様の強さだと思う。
それはあの人が……恵太郎さんがくれたものだ。
私とご主人様の仲を思い出させてくれた。私とご主人様に戦い方を思い出させてくれた。私とご主人様に暮らし方を思い出させてくれた。
恵太郎さんは、私とご主人様にとって恩人だった。
だったのに、消えてしまった。居なくなってしまった。
あの日、ご主人様が恵太郎さんのお家を訪ねたあの日。
あの部屋はもう、空っぽだった。
誰も行き先を知らない。誰にも行き先を教えていないまま、恵太郎さんはどこかに行ってしまった。
それはご主人様にとって、思う以上の衝撃だったようだ。
普通に暮らしている上では分からなかった。でも、それは確かにご主人様の心に棘を刺していた。
例えば、口数が少し少なくなったこと。新聞を読みあさる様になったこと。食事の量が少なくなったこと。そして、バトルをしなくなったこと。
以前のご主人様は、昼休みなればすぐ、ここに駆け付けた。そして昼食を取る間も惜しんでバトルをした。
私とご主人様は戦った。ただ只管に、だけど勝利を追い求める訳じゃなく、恵太郎さんとナルさんの様な関係になる為に。
私はナルさんが羨ましかった。恵太郎さんの神姫―――いや、パートナーのナルさんが羨ましかった。
ご主人様は強い恵太郎さんに憧れたのかもしれない。私の様に羨ましかったのかもしれない。
だけど、居なくなってしまった。
目標になっていた人が居なくなってしまったご主人様は、辛かった筈だ。
それでも、それを表面には出さなかった。人前では、気丈に振舞った。
それが、私には辛かった。
辛いのなら、辛いと言って欲しかった。
泣きたいのなら、泣いて欲しかった。
せめて私の前では、感情を偽らないで欲しかった。
そうしているうちに、どんどん時は流れてしまった。
もうあれから半年も経ってしまった。
「私から言えるのはそれだけね……トロンベ、何かある?」
「……そうですね」
ご主人様は、随分もとの調子を取り戻している様に見える。
「パーシはもっと周囲の状況に目を配った方が良いです。どんな事が起きても対応できるように、頭の中であらゆる出来事をシュミレーションしてみるだけで随分変わると思います」
最近はバトルを随分するようになった。昼休みだけでなく、放課後も遅くまでやるようになった。
休みの日は大学に向かう。大学でバトルをする。相手はアル・ヴェルさんだったり、蒼蓮華さんだったり、トリスさんだったり、他の研究室の神姫だったりだ。
「こいつ阿呆だからそんなん無理じゃねーの」
「こぉの馬鹿……」
「宗太さん、だったら貴方がそれをするまでです。オーナーはただ命令を下していれば良いという訳ではありません。共に戦うものですよ」
ご主人様は少し、変わった。
もしくは、気付いたのかもしれない。
「まぁ、この馬鹿の言う事聞いてたら勝てるものも勝てなくなるのは確かねぇ」
「俺抜きで勝てると思うなよ、この阿呆」
「……今後の課題は信頼関係の構築ね」
ただ待つだけじゃダメだと。
ただ祈るだけじゃダメだと。
「この馬鹿を信頼ねぇ……」
「んだよこの阿呆神姫」
「なんであんたらそんなに仲悪いの、ホントに……」
待つんじゃなくて、自ら歩く事。
祈るんじゃなくて、自ら叶える事。
ご主人様はそれに気付いて、それを選択したのかもしれない。
「あ、馬鹿宗太ぁ。バイトの時間よぉ」
「……じゃあ先輩、俺はこれで」
「明日もしごいてやるから覚悟しなさいよー」
ご主人様は知っている。
強くなる為には、ただ我武者羅に努力するだけではいけないという事を。
冷たいドアノブ。
銀色のそれが見た目通りの冷たさなのは、それがただ金属であるだけでは無いだろう。
それが冷たいのは、その奥に誰も住んでいないからだろう。
ただそれだけ、中に人が住んでいるか住んでいないかのたったそれだけの事で、ドアノブの感触はこうも違うものなのだろうか。
ドアノブを触れるともなしに触れながら、アリカはただその扉を眺めていた。
金属製のその扉は、どこにでもあるアパートの扉だ。
「208号室」と、銘打ってある普通の扉。どこでにでもある二階建てのアパートの、二階にある普通の扉。
その奥にはどこにでもある部屋がある。ただ、そこに人が住んでいないという事を除けば。
「師匠……」
アリカはそっと呟いた。
その呟きを聞いているのは、アリカの肩に座るトロンベただ一人である。
それ以外には聞きようの無い声であったが、トロンベにかけられた言葉でも無かった。
アリカは誰に問いかけるでもない。その部屋の主だった恵太郎に問いかけていた。
だがここにはアリカとトロンベの二人しかいない。ここに恵太郎は、もういないのだ。
―――恵太郎が消えたのは、何時頃であったか。
少なくとも、アリカ達が気付いたのは10月の中旬、寒さが身に染みてくる頃だった。
何の知らせも無く、何の前触れも無く、恵太郎はその部屋を引き払っていた。
それから半月。この部屋はずっと空き家のままだ。
「……ご主人様、そろそろ」
トロンベは自らの主にそう告げた。
なるべく主を傷つけないように、出来るだけ主を労わるように。
「うん……もう少し」
そう言って、アリカは冷たい扉を撫でた。
もしかしたら、戻って来てるのかもしれない。
もしかしたら、この中に居るのかもしれない。
そんな淡い希望と共にここに来たのは十回や二十回ではない。
事あるごとに自宅の方向とは違う道を通ったのは単に、その淡い希望にすがっての事だった。
だが、今回は違う。
アリカはある一つの決意を胸にやってきたのだ。
「師匠……私、強くなります」
それは誓いだ。
「師匠がいつ帰って来ても、胸を張って師匠の弟子だって言える様に、強く」
もしくは、呪いだ。
「強く……!」
己と恵太郎とを結ぶものが無い今、アリカにはこれしか無いのだ。
そうして作った鎖で自分と虚像の恵太郎を縛る事によって、アリカは今立っている。
それだけアリカは、恵太郎に依存していた。
「……水野先輩?」
不意に、後から声をかけられた。
振り向いたアリカの目に映ったのは、身に覚えのない少女だった。
アリカよりもほんの少し高い背に、長い黒髪。肩に神姫を乗せた少女に、やはり見覚えは無い。
ただ、彼女が自分と同じ制服を着ていた事から後輩である、という事は判別できた。
「えーと……」
「ああ、すいません。私、戸坂 加奈美と言います。最近、先輩にお世話になってる宗太の幼馴染です」
その言葉に、アリカは記憶を反芻した。
アリカは元から頭の回転は速い方だ。すぐに、宗太との会話の殆どが頭に浮かんだ。
そして、それから加奈美という少女の情報を探った。
街頭したのは宗太ではなく、宗太の神姫であるパーシだった。
パーシが頻繁に口にする、宗太の幼馴染の話。おしとやかで、女の子らしく、清楚な少女。その断片的な情報、その一つ一つが目の前にいる少女に当てはまった。
アリカの頭の中の情報と目の前の加奈美が繋がったとき、合点がいったとでも言うように、びし、と指を差しながら口を開いていた。
「パーシが良く言ってる出来た幼馴染!」
「ご主人様、指を指すのは失礼ですよ」
トロンベは内心、ほっとしながら主に鋭く忠告を発した。
今まで、触れれば壊れてしまいそうな危うさだったアリカの雰囲気が、一気に何時もの調子に戻ったのを感じたからだ。
「こっちは私の神姫、シルフィです」
「始めまして、アリカ殿、トロンベ殿。お二人の噂は良く耳にしている」
礼儀が良いとはとても言えない挨拶にも、加奈美とシルフィは嫌な顔一つせずに応えた。
それがトロンベには好ましく思えて、それと少なからず自分達が良く言われた事も相俟って、何時もより饒舌になったのかもしれない。
「その噂、良い噂ですか?」
「勿論、良い噂だ。私も御指導願いたいものだな」
ある種好戦的とも取れるその言葉は、トロンベにとっては好ましいものだった。
「……宗太ととっかえようか?」
「先輩、それは宗太がスネますよ?」
そしてその主達も、悪い印象は受けなかった。
「立ち話も何ですから、上がられますか?」
加奈美はそう言って、廊下の奥、210号室を指さした。
その申し出に、アリカは数瞬、逡巡してから言った。
「ありがたいけど、遠慮しとくわ。もうこんな時間だしね」
「そうですか……」
「ま、その内遊びに行くかもしれないから、その時はよろしくね?」
「ええ、美味しい紅茶を用意して待っています」
社交辞令では無い、本物の言葉と笑顔に見送られて、アリカはアパートを後にした。
「じゃーねー」
アパートの前で、二階から手を振る加奈美に大きく手を振り返し、揚々と帰路についた。
「……ご主人様、よろしかったのですか?」
「何が?」
帰り道、大きな椛を見上げながら言った。
「加奈美さん、もしかしたら恵太郎さんの事、知っている可能性もあったのでは?」
「……別に良いの。何かそう言うの、利用してるみたいで気が引けるのよね」
「ご主人様が、そう仰るのなら……」
それ以上、トロンベはその事について聞くのは止めにした。
ただ、緑色の椛を眺めるだけだ。
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