「ゆめであえたら」(2007/10/28 (日) 01:03:43) の最新版変更点
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物の少ない殺風景な部屋の中。
布団に身を横たえる老女は、今まさに死に瀕していた。
だが、彼女を看取る人間は誰一人としていない。
そもそも、この部屋に最後に彼女以外の人間が訪れたのはいつだったか。
誰が悪いと言うわけでもないが、いまどき珍しくもない、寂しい生活の末の、寂しい末路だった。
「ご主人様……」
そんな部屋の中で、老女以外の声がした。
老女は時間をかけて布団の中で身をよじり、声の主へと目を向ける。
その視線の先にあったものは、身長15cmほどの人形――武装神姫であった。
老女は、その声の主に薄く笑いかける。
「お妙……今までありがとうね……」
その声はひどくかすれて聞き辛かったけれども、おタエと呼ばれた武装神姫は集音センサーの感度を限界まで上げて、一言も聞き漏らすまいとする。
「すまなかったね……こんな老い先短いおばあさんの所になんか貰われて来なければ、お前さんももっと伸び伸びできたろうにねぇ……本当にすまないねぇ……」
「いいえ……! そんなこと……!」
お妙が起動してからの時間は、一年にも満たない。老女の元を離れた彼女の子供たちが、自分たちの代わりに話し相手にでもなれとあてがわれたのがお妙だった。
そんないきさつであるからして、お妙の活動はと言えば、バトルの経験もなく、何かのカスタムもなく、本当に老女の話し相手を勤め、武装神姫のサイズでも可能な些細な手助けをする程度だった。
子供たちは全て独立し、1人で慎ましく暮らす老女は部屋から出ることすら滅多になく、そんな彼女に付き従う日々は確かに狭い世界ではあったけれども。
それでもお妙にとっても、かけがえのないものだったのだ。
『私には、妹がいたんだよ。生まれてすぐ死んじゃったけどね。そりゃあもう、あの頃はひどい時代だったもんさ。ひどい戦争が終わったのはいいけれども、それですぐに生活がよくなる訳じゃない。自分が生きていくので精一杯。妹に何一つしてやれなかった、ひどいお姉さんだったよ、私も。
……お前さんにその妹の名前をつけたのは、罪滅ぼしのつもりだったのかねぇ』
そんな悲しい過去を、けれどもどこか懐かしそうに語る老女の瞳はとても優しくて、お妙は自分の古めかしい名前が一層好きになったものだった。
その話を聞いて、一度冗談交じりに老女のことを『お姉ちゃん』と呼んでみた時。
老女は口では「さすがにもう、そんな歳じゃないねぇ」と言いながら、しかしとてもとても嬉しそうに笑い、何度も頭を撫でてくれた。
その手には、もうお妙の頭を撫でるだけの力もない。
「ありがとうね、お妙や……お前さんがいてくれたおかげで、私は寂しくなかったよ」
「……はい」
そう答えながら、お妙は思考回路の中だけで「ウソだ」と断言した。
今この場にいるのは自分ではなくて、老女の大切な子供たちであるべきだと叫びたい気持ちでいっぱいだった。
多少は、寂しさを紛らわせることができたと言う自負はある。だがお妙は、老女が家族の写真を寂しそうに幾度も眺めていたことを知っていた。
だが、知っているからこそ……その気持ちを押し殺して、お妙を気遣ってくれる老女の気持ちを無碍にすることはできない。
お妙にできることは……彼女もまた、自分の気持ちを押し殺して、笑顔でウソをつくことだけだった。
「私も、ご主人様にお仕えすることが出来て幸せでした。本当に満足です」
ウソだった。本当は、全然満足などしていない。
本当は、もっともっと一緒にいたかった。ずっとずっと一緒にいたかったのだ。
だが、そんなことを言っても老女を困らせるだけ。
ならばお妙にできることは、笑顔でその気持ちを押し殺すことだけだった。
「覚えていますか、ご主人様? 私が初めて目覚めた時のこと。あの時は驚かせてしまってごめんなさい。
ご主人様は、武装神姫が自分で動くものだったってご存じなかったんですよね?
私もあの時は、ご主人様が何に驚いているか判らなくて……本当にごめんなさいね。
それから、色んなことをご主人様に教わりましたよね。
私、全部覚えてますから!
繕い物のコツとか、お掃除の仕方とか。
ああそうだ、ご主人様に教わった美味しいお味噌汁の作り方のコツ、ちゃんと覚えてますから! この大きさだと自分で料理するのは難しいですけど、いつか生かしてみてみたいですね。
覚えてるって言えば、ご主人様に教わった昔話も、全部覚えてますよ! しかも覚えたことを棒読みじゃなくて、ちゃんと場面ごとに抑揚をつけて話せる様になったんです。練習したんですよ、私!
それから、二人で公園に散歩に行ったときにみた銀杏の並木、今でも覚えてます! あの時拾った銀杏の葉、いまでも取って置いてるんですよ?
ご主人様、聞いてますか?
ご主人様?
……ご主人様……
…………………………ご主人様ぁ……」
その後お妙は、あらかじめ老女から指示のあった連絡先に訃報を知らせ、しばらくしてやってきた人間達に後のことを引継いでもらった。
最後まで自分で勤めたかったが、武装神姫の身では無理なことも多い。
お妙は老女と共に入棺する事を望んだが、それは拒否された。無理もない、人間の言葉をしゃべる相手を、一緒に荼毘に付すのは後味が悪いだろう。
こういう時、武装神姫たる自分の身を不便に思う。単なる人形であれば、願いは聞き届けられたろうに。
そうして一通りの事後処理を見届けた後、主のいなくなった老女の部屋へと戻ったお妙は、静かにたたずんで老女のとの生活の日々の記憶を辿る。
武装神姫が仕えるオーナーはたった一人。その結びつきは絶対。武装神姫に、オーナーを変えることはできない。
ならばお妙のやることは決まっている。
お妙は自分のクレイドルに身を横たえる。そしてシステムを閉じていき、二度と目覚めることのないスリープモードへと落ちていく。
自らの主人との日々を、夢現に見ながら――――
こうして、二人の心優しいウソツキは目覚めることのない眠りに就いた。
これはただ、それだけの話。
何も特別なこともない、どこにでもありえる話。
ゆえに以下は、単なる蛇足である。
「……まったく、親の死に目にも立ち会わねぇなんざ、俺もたいがい親不孝者だな?」
誰もいなくなった老女の部屋を訪れる、壮年を越して老年に差し掛かった男性。普段は年齢に見合わぬ精力を漲らせる彼も、今日ばかりはその表情に暗い影がさす。
「社長はわが社の命運を背負っての長期海外出張中でした。それでもなお、連絡が来た瞬間から駆けつけようとしたのです。お母上も、きっと判ってくださいます」
男の背後に影のように付き従う、鋭利な印象のスーツ姿の女性がよどみなく答える。
「それでも、葬儀から何から、全部兄貴たちに任せきりにしちまった体たらくだけどな?」
「こういうことは、志が肝要かと」
「へ、随分かばってくれるなぁ? いつも厳しい我が秘書さまも、今日は随分と甘やかしてくれるじゃねぇか」
「いいえ、甘やかしているのではなく、ご自身の立場をお忘れなきようにと、檄を飛ばしているのです」
「左様で」
男はゆっくりと、亡き母の部屋を見てまわる。
年老いた親を兄たちは煩わしく思っていたが、末弟の彼としては可能な限り世話を焼いたつもりだった。
それでも社長として部下達とその家族を守らねばならず、忙しい日々を送っているうちに、寂しい思いもさせてしまったろう。しかも、長期に日本を離れているうちに今回だ。
「悔やんだところでどうなるもンでもねぇが、やるせねぇよなぁ……」
「社長に非はありません」
「わかったわかった。もうその話はナシな?」
ふと、男は歩みを止める。
その目に留まったのは、机の上に飾られた、まだ若い母とまだ幼い彼と彼の兄弟たちを写した一葉。
「……ははっ」
それを手に取る。
「親孝行、したい時には親はなし、か。昔の人はうまいこと言ったもんだね」
そして男は、視線を写真から、机の上のクレイドルへと移す。
クレイドルには、静かに眠る武装神姫の姿。
男は無造作に武装神姫を突付く。だがその武装神姫は、一向に目覚める気配がない。
「……へっ」
男は自嘲気味に笑う。
「お前さんにも、貧乏くじを引かせちまったか……?」
武装神姫は、男が母の慰めになればと送ったものだった。
送った直後に彼の元に電話があり、母の久しぶりに聞く弾んだ声で、何度も贈り物の礼と忠実でけなげな武装神姫の可愛らしさを語れたことをよく覚えている。
それほど詳しいわけでもないが、一般常識として武装神姫のことは知っていた。
武装神姫が仕えるオーナーはたった一人。その結びつきは絶対。武装神姫に、オーナーを変えることはできない。
では、そのオーナーを失った武装神姫は?
人間の都合で、先のない人間に仕える事になった武装神姫は、何を思ったろうか?
写真を懐にしまい、今度は武装神姫を手に取る。力なく垂れ下がる手足からは、かつて活動状態だった彼女の様子を伺うことは出来ない。だが、その武装神姫は多少古ぼけてはいるけれども丁寧に磨かれてあって。
その持ち主が、彼女をいかに大切にしていたが伺えるのだった。
だが、それも。
「今となっては、語る者はなし、か……」
しばし、沈黙。
男は知っていた。
武装神姫は1人のオーナーにのみ仕えるという事と……
CSCを差し替えればリセットとなって、新たな武装神姫として目覚めることを。
男は無造作にクレイドルを拾い上げ、背後の秘書へと声をかける。
「ようお前さん、たしかガキが今年で5つだったよな?」
「はい、仰るとおりですが」
「よし」
秘書の胸元に、無造作に武装神姫とクレイドルが投げつけられる。
「お前にやる」
「―――よろしいのですか?」
慌てるでもなく、ごく冷静に丁寧にそれを受け止めた秘書はそう問う。
「ま、一種の遺品分けさ。ガキが気に入ったら、可愛がってやってくンな」
男は、大股に歩いて部屋から出て行く。
「罪滅ぼし、ってことになるのかね? ま、あとは頼まぁ」
振り返ることなく、手だけを挙げて挨拶をする男を、秘書は無言で頭を下げて見送った。
「あ、ママおかえりなさい!」
「ただいまー。あーちゃん、いい子にしてた?」
「うん!」
元気よく答える娘の頭を、笑顔で撫でる。そうすることで娘の笑顔が一層輝くのを見て、目を細める。
会社では鉄の女と恐れられる彼女も、家庭では優しい母だった。
「あ、そうだあーちゃん、今日はお土産があるの」
「え?! なに?!」
「気に入ってくれるかなー? これね、ママが会社でもらってきんだけど……」
「わー! かわいいお人形さん!」
「よかった、気に入ってもらえたのね。この子はね、あーちゃんとおしゃべりしたり一緒に遊んだりできるのよ?」
「え? ホント?! 一緒に遊んでくれるの?!」
「本当よ。今準備するから、ちょっと待っててね」
「うん! ママ早く早く!!」
「こらこら、慌てないの。すぐだから、ちょっと待って。あ、そうだ、あーちゃんも準備してくれる?」
「うん、何すればいいの?」
「この子を起こすには、名前をつけてあげなくちゃいけないの。
だからあーちゃん、この子に名前をつけてあげてね」
「うん!」
勢いよく頷いた娘の頭をまた撫でると、彼女は着替える間もなく武装神姫の起動準備に取り掛かる。
楽しみに待つ娘の前では、着替える時間すら惜しい。
程なく彼女は、起動準備をほぼ終える。後は起動させ、オーナー登録させるだけだ。
「あーちゃん、準備できたよー? 名前は決まった?」
「うん! あのね、この子の名前はね――――」
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<書いた奴:土下座>
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