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オオカミに会いたい


オオカミ獣人の執事は、屋敷の花壇で日向ぼっこする姫のために遠くから声をかけた。
何故なら、近づきすぎた姫にいきなり声をかけることは、姫をいたずらに驚かせてしまうからだ。
黒目を揺らしながら姫は、口元を緩ませてオオカミの執事に近づく。「きょうもありがとう」と、労いの声をかけると、
決まってオオカミは「ありがたき幸せ」と答える。ぶん、と波打つ尻尾が彼の口を裏切る。
コツンとオオカミの脚に、姫の持つ細い杖が当るが彼は気にはしない。故意のものではないし、
このことで姫が最愛なる執事の元に近づいたと認識してくれるから、むしろ親愛さえ感じる。姫の瞳の瞬きが星の数を数えるほどの数。

「きょうは、お日さまの機嫌がいいのね」
姫は太陽の方を向き、頬を緩ませている。彼女は肌の感覚に敏感なのだ。
「メジロの声がきれいね」
姫は木陰から聞こえる小鳥たちの声に、瞳を輝かせる。彼女の耳は、オオカミに負けないくらいの働き。
オオカミは、そっと手持ちのかごのりんごを姫に手渡すと、彼女はくんくんと香りを楽しむ。
手にしたりんごに頬擦りするくらい、くんくんと甘い果樹に興味を抱く。そのまま、姫はりんごを口にして、
今にも水の滴らんとする赤い木の実から、季節の恵みをそっとおすそ分け。
「今年のりんごは、とくに甘いよ」
りんごをひとかじりすると、両手でりんごの触感を改めて確かめて、オオカミに感謝。
「ありがとう。今年もいいりんごに出会えたもの」
「ははっ」
姫の味覚は、国中のシェフの舌よりも負けることは無い。そう、彼女は……。

そっと、姫は食べかけのりんごをオオカミに渡すと、純情な執事の柔らかい手首を捕まえる。
オオカミの毛並みに包まれた姫の指先は、彼女が感じ取ることが出来るオオカミのすべて。
そうだ。彼女は『オオカミ』を知らない。オオカミの誇り高き尻尾も、愛するものを守る牙も、星に憧れる瞳も彼女は知らない。
「わたしはオオカミの執事でありますから」
それの言葉だけが、彼女のオオカミに対する全て。
ただ、彼女の指先が感じ取るオオカミの持つ暖かき毛並みだけが、血の通う優しきケモノだと教えてくれた。

「ねえ、ぎゅってしていい?」
「姫……。それは」
「知ってるくせに。わたしは、こうでもしないと、相手の姿を手に取ることが出来ないんだよ」
ニコリと笑う姫。口元が緩み、眩しい白い歯が執事の目に映る。毛並みでよく分からないけれども、オオカミは赤面していた。
彼女を諫めることの出来ないオオカミは、誇りある牙を失った、ただ生きているだけのケモノだ。
原野のウサギを追うことを忘れ、仲間通しの血の絆に迷い、あまねく星空を枕にすることに一生を誓った、野心を捨てたケモノだ。

姫は大切な杖を自ら放り投げ、自分の命を預けたオオカミの懐に飛び込むと、彼女はくんくんと鼻腔をくすぐらせていた。
何故なら、彼女は人一倍、鼻が敏感なのだから。残された感覚は、彼女にめいいっぱいにオオカミを語り継ぐ。

「わたしにはわかるのよね。あなたのこと……。たぶんね、大きくてね……」
「……」
オオカミの毛並みは、少女を安らぐのに十分だ。
姫ぎみよ。誰も踏み入れないケモノの森に駆け入るがいい。あなたに言葉を返す木々たちに、思う存分感謝の意を伝えるがいい。
うん。誰も引止めやしないし、誰も拒みやしないから。ただ、あなたは……この森の木漏れ日を瞳に写すことが出来ない。
姫、そういえばあなたが光を失ったこととの入れ替わりに、わたしがやってきましたよね。
あのときから、どのくらい経ったのでしょうか。

くんくんくん……。
「でも、あなたの姿って……。わたしの思ったとおりの姿なのかしら」
必死に明るさを絶やしまいと瞳を閉じる姫に対して答えるように執事は、職務を全うしようと尻尾を止めた。
「大した姿では御座いませぬ」
未だオオカミの姿を見ぬまま、姫はまた今年も春を迎える。


おしまい。