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本が読みたくなる、甘噛みしたくなる



 柴犬の犬太がこたつで本を読んでいると、背中が異様に寒く感じた。
 どうやら今日はいつもよりか、手が凍えるくらい格別に寒いらしい。ページをめくる手をこたつから出すのも億劫なのに納得し、
背中を丸めて本の世界に入り込む。活字に集中していたはずだが、ちらと横切る陰が気になった。
 小学生の犬太には、まだまだ遠い存在の女子高生。彼女は足を止めて、犬太の動向を覗いてみた。
 別に、姉の姿に頬を赤らめているわけではない。
 犬太の表情を確認した彼女は、肩にかけたピカピカのトートバッグを見せ付けるように振り向いた。

 「犬太。ちょっとお買い物に行ってくるね」
 「う、うん。どこに行くの?」
 「本屋さんよ」

 よそ行きの装いで長い髪をふわりと犬太の姉・狗音が弟を誘ってみたが、一緒が恥ずかしいことを理由に断られた。
優しい瞳で狗音はにこりと「じゃあ、いってくからお留守番よろしく」と、笑って居間を出た。襖から寒気が遠慮なく押し入るのを
犬太はイヌのくせに震えながら、そしてイヌだからと堪えた。
 いくら毛並みに包まれた彼らも、寒いものは寒い。雪なんぞ降ってこようなら、
 喜んで外出しようとする者など限られる。まだ遥か彼方の春。それまでどう過ごそうが、のほほんとしたものだ。

 言うならば、獣は偏屈だ。
 それに対して、街は素直。

 寒いなら、寒い。
 暑いなら、暑い。

 めぐる季節に振り回されながら、彩りを変えてゆく。
 狗音が最寄の電停まで歩いてゆく途中、少しながら後悔をしていた。

 「明日にすればよかったかな……」

 いやいや。本は欲しいときが買い時と言うではないか。
 狗音はダウンジャケットを深く羽織り、北風から首筋を守りながら欲しい本を思い浮かべては含み笑った。
 ふわふわの髪にダウンのファーで防寒は完璧に思われたが、所詮は人が造りしもの。ぶるるっと、震えながら
街行く人々も自分と同じ気持ちなのを確認すると、ふと安心してしまうのだった。電車を乗り継ぎ、人の群に巻き込まれる。
 「こんなことなら、ミコを道連れにする……?」



 狗音の親友、ミコこと美琴の顔が灰色の空に浮かんだ。
 彼女とは『甘噛み同好会』の仲。もっとも、狗音と彼女しかいない学校非公認の同好会。
 美琴はネコだ。同級生のクロネコだ。人肌も恋しいし、寒いし、ミコと寄り添ってジャケットから覗く自分の首筋を
甘く噛んでくれれば、この寒さだって乗り切れる。ついでに無ア理して買ったブーツを自慢する野望だって叶っちゃう。
 そう。彼女とはお互いに気が許せる限りの距離で牙を立て、爪を立て、ともに甘い果実のような時間を過ごす、
狗音にとってちょっと特別な間柄だった。快楽の追求こそ、幸福の極み。と彼女らは信じてやまない。

 「メールしとこっ」

 とりあえず、相手の都合もあろうし、狗音はつやが美しいトートバッグから、使い込まれた携帯電話を取り出し、
親愛なる友へ『今、暇かな』と、控え目な文章を送ることにした。
 この場に美琴がいないことを悔やみ、そして新たな出会いを求め、こつこつと歩道をブーツの踵で鳴らしながら、
狗音は海沿いのショッピングモールに向かった。女子高生と言うより、何もかもを知り尽くした大人の女という出で立ちだった。


 一歩一歩と歩くにつれ、ダウンのフードとファーがともに上下に揺れる。狗音の後ろ姿は、絹のような尻尾とファーとのふしだらな
絡み合いで魅力的に見えて、やゆんよゆんとフードと尻尾が揺れるたびに、甘い香りを歩道に振りまいていそうでもあった。
 いざ、知る読む見るの森へ。

   #

 目当ての本が手に入った。
 それだけで懐が温かい。
 本を棚から探す幼き日のような不安、お目当ての本を見つけたときの安堵、その本がちゃんと取り扱ってくれたお店への感謝、
「この本、いいかも」と表紙買いする冒険心、レジに並んで順番待ちのときの期待感、いざ自分の番がやって来た際の胸の高まり。
レジ係からの「カバーお付けになりますか」という思いを「お願いします」と受け入れる勇気、そしてただで配布している
レジ脇の栞を二、三枚頂く悪だくらみ。本屋には生きる上で大切なものが詰まっている。
 狗音はトートバッグのほんの少し増えた重みに幸福感を感じながら、再び肌寒い街を歩きだす。
 帰宅したら、早速読書のディナーを頂こう。だけど、待ち切れずに『すたば』でつまみ食いするのもいいかもしれない。
インクの香りは最高の香辛料、こだわり屋の職 人による装丁は食欲をそそる。

 「……やっぱり、ウチに帰って読も」

 狗音は帰りの市電を待つ間、吹き抜ける風を鼻の先で感じながら、帰宅した後のことの妄想を始めた。

 狗音が妄想モードのスイッチを入ると、リミッターをいとも軽く突破してしまう。
 自分の脳内だけならフリーダム、目眩く豊かな官能の世界。色に乏しい師走の空だって、花咲き乱れる
温暖な離れ小島に舞台を変えちゃうことさえ出来るんだから、妄想ってヤツは素晴らしい。

 こたつに入って本を読む。こんな幸せなことは他にあるか。
 部屋着に着替え、こたつに身を落ち着かせる。先客の弟が見事なこたつむりに化けていた。
起こすのは忍びないので、こたつの中で膝を折る。きょうはよく歩いた。本を探すという目的ならば、いくら歩いても
構わないと思う。寒さを防いでくれたブーツも、本の森をさ迷う間お世話になった。そのせいか、狗音の脚は肌や毛並みの
蒸れた温もりに包まれていた。ほっこりとため息をついて、太ももをすり合わせる。



 「あら……。ミコ」

 向かい側で同じくこたつで暖をとるのは、美琴であった。何故、狗音の家に居るかは分からない。両手をふとんに入れて、
顔を綻ばせる。本から目線を反らすと、美琴の瞳が狗音を飲み込む。ちくりと、こたつの中で狗音の太ももに心地好い刺激が走った。

 「もう、ミコ」
 「わたしの爪で、くーを奪っちゃう」
 「だめ……。いけないよ」
 「わたしを連れて行ってくれなかった罰だから」

 狗音の太ももには、美琴の足の裏の肉球と爪の感触が触れるか触れないかの加減で、付け根から膝までを行き来していた。 
もしかして、誰もが家に閉じこもりたくなるような季節だからこそ、人の触れ合いに、ふわふわの毛並みに、
そして毛並みを掻き分けるように切り裂く甘くいじわるな美琴の牙を求めてしまうのだろう。
 美琴をわたしが求めている!

美琴が白い牙を光らせたかと思うと、狗音はこたつの中で脚をくねらせる。俯いて聞こえない程の甘い声。

 「犬太が起きちゃう」
 「起こしちゃだめよ。くーの恥ずかしがる顔は、わたしのご馳走ね」

 すやすやと夢心地の犬太には、姉が同じこたつの中で蕩けるような辱めを受けているとは気付かなかった。
 こたつから抜け出せない体になった狗音は、汗ばんでくる太ももがむしろ快感だった。蒸れた脚が美琴の爪を誘い、
さらに美琴を挑発する。苦悶する狗音を美琴は美味しそうに賞味していた。

 「……。やだ」

 悪い癖だ。

 妄想だ。

 何もかも、膨れ上がる妄想は誰のせいだ。

 「あっ。ミコからだ」

 本屋に入る前に送ったメール。今頃返事が返ってきた。
 多少かじかむ手で内容を確認すると、美琴はこたつの中でうとうとしていて、たった今、狗音からのメールに気付いたらしい。
狗音はにんまりと頬を緩め、添付されていた『イヌのぬいぐるみを甘噛みする動画』を見ながら自分と重ねた合わせた。
 電車が来るまでの寒い中、美琴からの動画は狗音を汗ばませた。

 「ミコったら」

 お仕置きは、ミコだけにしか許さないから。

  #

 「遅かったね」

 帰りを待ちくたびれた弟の声。心配する気もないなら、そんな言葉はいらない。
 ただ、美琴なら受けてあげるから。甘い牙とともに。



    おしまい。