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ヒカルとバイク乗り



 仕事をサボった杉本ミナは、愛車に跨り街並みと街並みを風切って走っていた。

 「お父さん、お母さん。ちょっと悪い子に育ててくれてありがとう」

 Tシャツが涼しかった頃が懐かしい。懐かしいとは大げさかもしれないが、季節の移り変わりだから仕方が無い。

 「ミナはこれから、仕事を……忘れに行きます」

 仕事はバイク屋、自宅もバイク屋。家に居ても仕事と離れられる環境ではないので、要は家からちょっと離れたかっただけだ。
気まぐれな性格なもので、空が青かったからと父親に言い残し小さな旅の支度をする。ネコだから、ふらっと出たって不思議ではない。
 ネコの家だからお互いのことは干渉せず、父親もミナの気まぐれをさほど気にはしていなかった。

 自分と同い年ぐらいの者たちは今頃仕事に汗流している時間だというのに、自分だけの時間を築いて風で吹き飛ばすのは快い。
大通りは昼間だから閑散として走りやすかった。通りの中央を走る市電も運転士と僅かな客を乗せているだけで、モーターの音が
街の隙間に響き渡る。嫉妬をしたのかミナはスロットルを廻し、意味もなくヒマそうな市電と競争をしてしまった。
 市電の方がミナの跨るエストレヤより随分と年上なのに、胸を貸すようにミナを先へと譲る。

 品性正し過ぎる大通りに飽きて、ちょっと捻くれた脇道に入ると望みどおりの手ごたえを感じる。左手に丘を見ながら曲がり道も多く、
未だコンクリートで固められた道を走り続けると、学生たちが下校している姿がちらほらと見えてきた。この辺は学校が近い。
 制服ではなく、ジャージや体操着のまま下校している生徒がちらほらといた。紅白の鉢巻を通学カバンにくくりつけている女子もいる。

 「そっかあ。もう、そんな季節なんだ」

 彼らに気をつけながらスピードを緩めると、見飛ばしていたものが見えてきた。さらにブレーキを握り、クラッチを切る。
 街中ながら曲がり道が多い丘陵地域、耳を突き抜けるエンジンの音がミナの気持ちを高ぶらせ、学生時代を思い起こさせていた。
自由との引き換えに財力を。でも、財力は新たなる自由を生み出すことも出来る。バイクのおかげで。

 「あれ?ヒカルくん?」

 顔見知りのイヌの少年が、自転車を脇に止めてしゃがみこんでいた。ペダルを乗ってくるくると廻すも、後輪は空回りをしている。
カチカチという刻むような音だけがヒカルをせせら笑うように鳴り続けていた。自転車のチェーンが外れるなんてよくあることだ。
だけど、思いもしないときに出会うのはちょっと勘弁して欲しい。
 あまりいじくると自分の白い毛並みが汚れてしまう。お年頃の男子は過剰なぐらいに毛並みの汚れを気にする。

 「外れちゃった?もしかして」
 「あ。杉本……ミナさん?」
 「いかにもー。杉本ミナでーす」

 バイクに跨ったミナから話しかけられたヒカルはペダルを廻す手を止めて、イヌ耳を彼女のほうに向けた。
 ヒカルはそんなに表情を表に出さない子だ。逆を言えば、気を許した相手にだけ表情を露にする。
 ミナはヒカルの気持ちが分かっていた。

 ミナはバイク屋の娘だ。
 機械いじりなど、生まれたときから見続けていた。ヒカルを困らせる事態なんて、ミナにとっては見飽きたもの。
うずうずとライディンググローブからネコの爪が突き抜けそうであり、ミナはとてもじゃないが我慢出来ない。


 「わたしに直させてくれるかな」
 「……え?」

 ヘルメットを脱ぐと金色の髪がふわりと襟首に広がる。バイクに跨って居たときとは違う表情だ。ミラーにヘルメットをかけて、
エンジンを止めるとヒカルと一緒に自転車の横にしゃがみこんだ。仕事に向かう顔は獲物を追う姿に似ていた。

 「どのくらい乗ってる?」
 「結構……」
 「へえ」

 変速つきのシティサイクル。チェーンはカバーで覆われている。とりあえず、ミナはバイクのシートを外して車載工具を取り出した。
シートが外れる光景にヒカルはちょっと意外そうな顔をして、ライディンググローブを外して本気になったミナの腕を見守ることにした。
 このお年頃の男子には堪らないメカ。ヒカルも例外ではない。鋼がかみ合う曲線美、吸い込まれるのではないのかと錯覚する
マフラーの光り具合、良い旅へと誘うシート。そして頼もしく唸るエンジン。ヒカルは自分の自転車とミナのバイクをちらと見比べた。
 男性の野性味あふれるマシンのメーカーだというのに、ミナのバイクは女性らしい優しさと勇敢さがヒカルを揺すぶらせる。

 ふと、ヒカルは考えた。
 自分もバイクに乗ることが出来たなら、自分と想い人それぞれのバイクに乗って、いっしょにそれぞれの風を感じてたい、と。

 二人いっしょに海岸沿いの道を走る。エンジンむき出しのネイキッドだが、粗暴さはない優等生の黒いバイクにヒカルは跨る。
教習所で初めて乗ったマシンと同じ型、四気筒のエンジンが揺れ動くのが体全体でひしひしと伝わってくる。
 ヒカルは自分のバイクの音を確かめて、後から続く想い人が付いてくるのを耳で感じる。ヒカルの無垢な尻尾が潮風になびいて、
彼女も必死に追いかける。スロットルを緩めカーブミラーの側でバイクを止めて見上げると、ミナと同じ型のバイクで彼女が
だんだんと近づくのがミラーに写っていた。ぎこちないブレーキ裁きで彼女は走り足りないバイクを落ち着かせ足を着く。
 彼女のレトロ調のマシンは、隅々まで磨かれて主の几帳面さを体現していた。

 「こらー。ヒカルくん、速いぞ」
 「……」
 「250と400じゃあ、しょうがないよね。でも、ヒカルくんの後姿を見ていたいから、先生ずっと付いていってあげるよ」

 ヒカルが想うのは先生ではなく一人の女の子だ。確かに250ccのバイクに跨っているのは、教壇で現代文を教えている先生だ。
でも、今はそんなことを吹き飛ばしてもいいじゃないか。ヒカルは黒いヘルメットを脱ぐと、自分の顔が写りこむほど磨かれた
グラマラスなボディ自慢な黒いタンクの上に置いて、肌寒くなった潮風の恩恵をイヌ耳で受ける。風の音を改めて聞きなおす。
 一方、彼女はライディンググローブを外し、ヒカルと同じようにヘルメットを脱ぐと同じ潮風にショートの髪がなびく。
彼女はネコだ。ネコ故に不安になるとちょこっと爪を伸ばしてしまい、がりがりがりとタンクに爪立てる。その姿は子ネコ。

 彼女が懸命になる姿を見ていると、先生を好きになってよかったのか悪かったのかがヒカルには判断が付かなかった。
バイクから降りて彼女の方へ近づいてと「だめっ?」と軽く胸にネコパンチをお見舞いされた。
 「いつか、わたしもヒカルくんみたいに乗ってみせるんだ」と、バイクのミラーで崩れた髪形を整えて白い毛並みを自慢する。
冗談めいてヒカルは子供のようなオトナをからかうと「女の子なめんなよー」と照れながらお返しを頂いた。

 お互い尻尾の付け根に結んだ色違いのバンダナ。ヒカルは水色、彼女は桃色。後姿でも分かるようにと、彼女が提案したものだ。
初めは「恥ずかしいですよ」と拒んだもの、彼女が無邪気に見せびらかすので付けてもらったものだ。だからお返しに付け返した。
 誰も知った顔がいない田舎道。エンジンの音を止めると波の音しか聞こえてこないような田舎道。


 「先生」
 「先生じゃないよっ」
 「ごめんなさい」
 「えへへ。ヒカルくんは相変わらずだね」

 バイクのタンクの上に折り重ねてあったライディンググローブがぽとりと落ちると、ヒカルはそっと拾い上げて我に返る。
 ヒカルの目の前には、先生なんかいなかった。海岸沿いでもなかった。そして、自分が乗りこなしていたのはバイクでなく自転車。


 「ヒカルくんは好きな子とかいるのかな」
 「……えっと」
 「好きな子とタンデムとかしちゃう?でも、ヒカルくんは一人で走るのが好きそうだからなあ」

 ミナは着々と修理の準備に取り掛かりながら、器用にヒカルをおもちゃにした。

 「『鉄の馬』って言いえて妙だよね。コイツと一心同体で海岸沿いを走ってるときなんて、ホントコイツったら嬉しそうだよ」
 「……うん」

 ヒカルがタンクに手を置くと、ミナは「撫でてもらってよかったな」というような顔をしてヒカルをからかった。
 「そういえば、今度ぼくも……」と言いかけるとミナは再び真剣に自転車の修理へと取り掛かった。

 ラジオペンチで器用にカバーが外されてゆく。さほど時間はかからない。露になった自転車のチェーン。左手で後輪の歯車に
チェーンを掛け直し、右手でペダル側の歯車にチェーンを引っ掛ける。外れないように抑えながらペダルをゆっくり廻すと自転車が
息吹を吹き返してきた。ペダルを廻しても十分な手ごたえがあるのだ。全てを終えたのにはさほど時間はかからない。

 「もしかしてチェーンが緩んでいるかもしれないから、今度はお店で見てもらったほうがいいよ」
 「あ、ありがとうございます。あの……」
 「御代はいらない!頂くならヒカルくんの出世払いでね!それか、ヒカルくんが騎馬戦でいいところを見せてくれる。か、だね」

 ぱんぱんっと手を叩くミナの毛並みは油で汚れていた。
 ヒカルもミナの一言でほっとしていた顔が驚きに変わった。

 「びっくりした?カンが当たったね。『そういえば、今度ぼくも』ってヒカルくんが言うから、何かに乗るのかなあって。
  ここに来る途中、体操着姿の子たちを見つけたから多分体育祭で乗るって言ったら、騎馬戦しかないよねーって。ね」
 「……はい」
 「ちゃんと、聞いてるよっ。女の子なめんなよー」

 ヒカルはミナに年齢の差をさほど感じなくなってしまったことに驚いた。

 「ヒカルくんのきれいな毛並みを汚しちゃいけないから」と、ミナは平気な顔をして言う。
 「ヒカルくんが砂埃に塗れながら闘ってるのもいいな」とも、ミナは平気な顔をして言う。
 ヒカルは近づく体育祭のことを考えながら、そしてミナの方を振り向きながら、尻尾をなびかせ自転車に乗って去っていった。

 「ホントは仕事サボりに出かけてたのになあ。わたしのばかばか」

 ミラーにかけたヘルメットを被ろうと手を伸ばしたが、自分の手のひらを見てそっと引っ込めた。


   おしまい。