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バイクとメガネ



 涙の顔を愛車に見られるのが嫌だった。
 ちょっと悔しかっただけだし、そんな顔は拭い去ればいいこと。
 でも、愛車がそんな顔を見ちゃったら、どう思うかな……。関係ないよね。わたしの相棒だもの。
 ミナは無理に笑ってみせて、自分の潤んだ瞳を誰かに認めさせたくなかった。

 「わたし、泣いてなんかない」

 ぐすりと、しゃっくり。
 ぐすんと、鼻をすする。

 泣いてなんかない。
 本当か、その言葉。
 ミナは耐え切れず、ヘルメットを被り、ミラーで自分の顔を見ながら息を吸い、愛車に跨ってエンジンを噴かす。
エンジンをかけると、下半身にリズムよい単気筒の鼓動が響き、小さな旅へと誘う約束をしてくれた。

 そうだ。
 そうなんだ。
 気分も晴れるかもと、バイクに乗って風切ってみた。相棒との息遣いをタンクを通じて感じているうちに、
自分が悔しがっていたことが、なんだかくだらなくなってきた。まるで鉄の馬が生身のミナに語りかけてくるように。
気が付くとミナは、たいせつな男友達が勤めるとある学園のグランド脇にたどり着いていた。
 ゆっくりとバイクを止めて、ネット越しにグランドを眺める。時間は放課後、たいせつな男友達も暇を持て余しているはず。
エンジンを切ると、余計に周りの声がヘルメットを伝って際立ってくる。

 「……」

 市電を追い抜いたときは、爽快だったのに。

 「……やだ」

 銀杏並木を潜り抜けたときは、ほっとしたのに。

 「誰かに見られたら、どうしようかな」

 曲がりくねった丘を一気に登ったときには、なにもかも景色とともに吹っ飛んでしまったのに。

 ミラーはバカ正直だ。嘘つくぐらいの気を効かせろ。シートに跨がっていると、嫌でも今現在のミナの顔を写す。
 きっかけは些細なことなんだから、それを忘れさせてくれるだけの清々しい景色を見せてくれるだけでいいのに、
ミラーがよけいな慰めをしてくれるから、思い出して目頭がついつい熱くなる。



 遠くで生徒たちが、清く正しい学園生活を送る声が響き、ミナの胸に突き刺さる。
 陸上部だろうか、短距離の走り込みを繰り返しは休み、繰り返しは休みと、まるで自分の体を虐めぬくことを楽しむかのよう。

 寒いのによく頑張るなあと、ミナは風に晒されながら、彼らの練習する姿をじっと見ていた。

 そのなかで、抜きん出て足の速い子がいた。小さな顔に、しゅっとした体が引き締まる。遠くからでも見栄えのする毛並みで、
彼はどうやらネコ科の者だと分かる。もしかして、ミナの知っている子かもしれない……。そんな思いがふつふつと沸いてきた。

 「ゼンー!タイムまた縮まったなあ」
 「はははっ。ごめんよ!」

 そいつはチーターだ。
 足の速いチーターだ。

 チーター?見覚えがあるかも。

 そんなヤツが陸上競技に血をたぎらせていた。
 ヤツの姿はなんだか、気持ちがいい。

 ミナがバイクに乗ってひとっ走りすれば気分が晴れるように、彼がトラックをひとっ走りする姿を見ればミナも気分が晴れる。
 不思議なことだ。自分が走っているわけではないのに、彼が自分の気持ちを分かってくれているようで。

 「清志郎くんだ」

 以前、出会ったことがある。もしかして、彼はそのことを忘れているかもしれないけれど、自分ははっきりと覚えている。
確か彼には思いを寄せる子が居たんだっけ。素直すぎて、正直すぎて、その恋に引きずられて……そして、河原でこっそりと
彼の想いを聞かせてもらったのは内緒の話。彼の名は水前寺清志郎、チーターの陸上部。特異種目はもちろん短距離。

 「ちょっと、りんごちゃん家まで40秒で走ってみせるぜ!」
 「無理無理」
 「お前ら、水前寺清志郎を見くびるなよ!」

 イヤミのない明るい声は、陸上部のムードメーカーだ。清志郎が笑えば、みな笑う。
仲間に囲まれた清志郎は明らかに幸せ者だった。

 清志郎の純粋さは、ミナをくすぐり、ちょっと笑える気になってきた。ヘルメットを脱いで、タンクの上に置くと
ミナは袈裟懸けしていたバッグからメガネを取り出した。度の入っていない、伊達メガネ。赤いアンダーフレームが、ミナの白い
毛並みに良く似合う。普段かけることのない伊達メガネ。初めてかけてみると、まるで自分が自分でないように思えてくる。

 「ゼン、どうした?」
 「いや……。また、ぼくは誰かの心を燃え上がらせてしまったようだ。罰を受けなければならない」

 不穏な動きをミナは受け取った。明らかに彼らはミナの方を見て、何か話をしているのだから。
 清志郎がアキレス腱を伸ばし、軽くアップをしている様子も伺える。

 「罰ってなんだよー」
 「鉄の馬に勝利するまで、走り続けることさ!」



 ダッシュをかました清志郎は、仲間たちから離れ、グランドから離れ、ミナが走ってきた公道へと飛び出してきた。
 チーターの脚は思ったより速い。目で追っているうちに、清志郎の瞳に焔立つのが見えるまでに近づいていた。ミナは慌てて
ヘルメットを被り、エンジンをかけようとキーを回そうとした。軽く走らせて、清志郎を巻いてしまおうと思ったのだ。
 だが、焦るときほど思うようにいかない。セルモーターの音がしたかと思えば、クラッチを繋ぐのに失敗してエンストしてしまった。

 「あれ……。ちょっと、やばっ」

 再びキーを回すも、背後から清志郎の気配が近づいて、上手くエンジンがかかってくれない。
 そのうち、清志郎はぴったりと足音をさせずにミナの真横に現れた。素足だ。道理で足音がしないはず。

 「杉本ミナさんですね!」
 「……聞き覚えのある声だなー」
 「ぼくも見覚えのある姿だと思いまして!」

 清志郎はミナのバイクの後部シートに手を置いて、陰のある男のポーズを決めてみたもの、ミナは振り向くことはなかった。
後姿のままミナは清志郎との会話を続けていた。自分の今の顔なんて、彼には見せたくないもの。たとえ、メガネで隠していても。

 「ミナさんがイヌになれと命じれば、ぼくはイヌにだってなります」
 「じゃあ、イヌになれっ」
 「わんわん!」

 真剣な眼差しの清志郎と一刻も早く涙を脱ぎたいミナの目がミラーを通じて合ってしまった。ミナは涙の理由をバイクの風が
目に染みたからと、子どもじみた言い訳をしたくなったが、あまりにも清志郎の気持ちにねじ伏され、その気を失せてしまった。

 だから、ミラーはバカ正直なんだから。
 ミナはヘルメットを脱いで、自分の顔が写っていたミラーにかけて写る顔を隠した。


  おしまい。