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跳月先生へ


犬上ヒカルは手にしている本を慣れた手つきで捲っていた。今年で何冊の本を読んだのだろうかと、ふと指を止める。
今年の頭から数えて思い出してみるが、数なんかどうでもいいことだと数えることを止める。
窓からは秋もおわりだというのに、日差しが明るくうららかな午後を演出し、本が積み重なった机に影を落とす。
椅子はぎしぎしと、さもヒカルの手にしている本を羨ましそうに歯ぎしりを立てて嫉妬して、
少しくすんだ壁際の本棚は、見ているだけで知識欲を満たしてしまうほどの迫力だった。
白い毛並みのイヌのヒカルは、静かに尻尾を揺らし安楽の時を過ごしていたのだった。

ヒカルの横では、ウサギの風紀委員長・因幡リオがカバー付きの文庫を両手に握り、鼻息荒くしている。
(あ。次、挿絵のページだ。思いっきり絵師の神っぷりが見れないのは、残念なのねー)
本を少し狭めながらページを捲ると、リオの背筋に電気が走る、耳が立つ。僅かに開いた隙間から、リオのお気に入りのキャラが
顔を赤らめながら恥ずかしげに立っているイラストが見える。2次元の彼女の目は透き通っていた。
(むっはーー!!もう!若頭ったらー!そんな姿、見せないでよー!)
早くチャットでの会話についていきたい、と言うファン心理からここで一気に最新刊を読んでしまおうとページを捲る。
しかし、今はリオに話しかけてくる挿絵の少女に心奪われてしまい、1ページも捲ることが出来なかった。

扉のほうから軋む音が聞こえてくる。昼休みのひとときにお邪魔する誰かが、この部屋に入ってきた。
部屋の入り口の扉が開くと同時にリオは文庫を閉じ、ヒカルは音の主の方を振り向けだけ。
「きみたち、ぼくの部屋でなにしてるんだい?」
落ち着き払いながら、静かに冷たい目で見つめるロップイヤーのウサギの男性。彼こそこの部屋の主。
少しくたびれたカーディガンに、純白の白衣。メガネは曇り一つ無い。彼の名は跳月十五・化学教師。
「お、お帰りなさいませ!!はづきち!」
「跳月先生……」
化学準備室は、もはや生徒の溜まり場になってしまったと言っても過言ではなかろう。
冷蔵庫の生徒が勝手に持ち込んだチューベットが、夏を過ぎても未だ詰め込まれていることからそれが物語っている。
無造作に置かれた跳月が製作したメカや、ほこりを被ったジャンク品もきっと生徒たちを歓迎していることだろう。
跳月も生徒と話ができると言うことでまんざらでもないのであった。

「因幡はともかく、犬上までぼくの部屋にいるとはな」
「……」
余計なことを喋るんじゃないと、リオは文庫をしっかり握り締めながらヒカルを見つめていた。
ヒカルはうなずくだけで、何も言葉を口にしない。そのことで余計にリオは心配になった。
「ほら!はづきちの部屋って本がたくさんあるから、犬上も喜ぶだろうなって……、ね!ヒカルきゅうん、嬉しいね」
「……」
舌ったらずなリオの口調は、ヒカルと跳月の目の前を真っ暗にした。
跳月は呆れながら、手にしているコンビニの袋を机に置く。袋の中のペットボトルが横になって転がり落ちた。
中身の烏龍茶が波打って揺れながら、ペットボトルを不自然に転がす。慣れた手つきで跳月は、割り箸の入った袋を破る。
コンビニ弁当の蓋を外すと機械的に温められた湯気が立ち、割り箸を割ろうと口でくわえる跳月の姿をリオが見逃すはずが無い。

「なんとコンビニ弁当だ!茉莉子さんっていう彼女さんがいながら、お昼をこれで済ませようなんて恐るべし三十路!」
「誰が三十路だ。それにあいつだって、仕事持ちだから忙しいんだよ」
同じウサギの茉莉子と言う名の恋人。その名を聞いて頬を赤らめる跳月は、おもむろに弁当箱のふたを開いた。
一見、貧相に見えるこの弁当も、跳月にとっては豪華なランチ。梅干がめり込んだ白米が銀(しろがね)のように眩しい。
一緒にレンジで温まったたくあんも、跳月にとっては食べ慣れたもの。気にせず、前歯でポリポリと音を立てる。
リオに見つめながらの昼食は、何とか彼女を黙らせたい跳月にとって心苦しいものだ。長い耳が痛い。
「坂の下のコンビニで売ってる鮭弁当は、どこの名匠の料理よりも美味いんだっ」
「そっかあ。さすがに三十路を何年も続けると、舌も肥えてくるって訳ですね」
「因幡、ちょっと待ってろ。白先生呼んでくる」
食べかけのコンビニ弁当を置いて立ち上がる跳月をリオは、必死に白衣を引っ張って止めた。
それと同時に、跳月は「三十路と呼ばれてどの位経つんだろう」と言葉にせず静かに数えた。
跳月が立ち上がった弾みで、机の本の山が崩れ一冊の本がヒカルの前に飛び込む。

「跳月先生、この本」
リオを助けるつもりではないが、ヒカルは机の上に乱雑に積みあがった本の中から、一冊の古い本を見つけた。
しげしげと本を見つめるヒカルの尻尾は、はじめは緩やかに揺れていたものの、表紙を見つめるに連れて動きが早くなる。

「この本って……」
「ああ、なんとなく古本屋で買い漁った本の一つなんだけど、気に入った?」
「は、はい!なかなか手に入らない池上先生の初期作品なんですよ」
いつもより口数の多くなったヒカルを目の当たりにした二人のウサギは、いつもは見せない少年らしいところを見た気になった。
ヒカルの尻尾が椅子に当たるたびに、カタカタとその脚は音を立てていることを少年は気にしない。
跳月はその尻尾を見て一旦箸を置き、ヒカルに優しく彼の心を揺さぶる粋な計らいを差し伸べる。

「だったら、犬上にあげるよ。読んで欲しい人に持ってもらうことが、本のいちばん大事なことだからね」
「で、でも池上先生の初期作品は、なかなか手に……」
難を逃れたリオはお礼代わりと言っちゃナンだが、ポンとヒカルの肩を叩いて後押しする。
「はづきちが言ってるんだから、頂いときなさいよ」
ヒカルは跳月に深々とお辞儀をすると、丁寧に古い本を抱えた。跳月自作の振り子時計が休み時間の終わりを告げる。
5分前行動よ!と、リオはヒカルを現の世界に呼び戻した。間もなく午後の授業が始まる。

生徒たちの帰った化学準備室は、跳月のもの。学問が本分の生徒は、素直に席に着きなさい。
本来の静けさを取り戻し、午後の授業の無い跳月は今までヒカルが座っていた椅子に座る。
カレンダーをちらりと一瞥すると、跳月は長く垂れた耳を掻き揚げ、指を折って数を数え始めた。
「24日かあ。今年も来るんだよなあ」
跳月のつぶやきは耳の長いリオは聞き逃さない。何故なら、リオは未だ化学準備室の前に立ち、扉越しに跳月の声を聞いていたのだから。
何も秘密を握ろうとしているのではない。文庫本と一緒に持って来ていた同人本の入った紙袋を置いて行ってしまったのだからだ。
問い詰められると面倒だ。跳月が机を離れた隙に取り戻そうと、時機をうかがっているのだが、そうそうそんな機会はやって来ない。
(はづきちに見つかりませんように。一応カモフラージュしてるけど、中をみられたら末代までの恥!)
と、落ち着きの無い素振りをしているのだが、「24日」という言葉だけは、どうもリオには引っ掛かるのだった。
やがてチャイムは非情にも鳴り始め、それに気付かないリオは通りがかった獅子宮先生に耳を捕まれながら、教室に強制送還させるのだった。

放課後にリオは、それとなく「はづきち」「24日」というキーワードで探りを入れることにした。
先生たちなら何か知っているかもしれない。もしや、新聞部の烏丸だったら情報を掴んでいるかもしれないが、
逆に自分が狙われるかもしれないので迂闊に近づくことは、音楽教師・ヨハン先生に自分からデートを申し込むようなもので
残念ながらそれは遠慮したい。隙を見て化学準備室から取り返した同人本の入った紙袋とちょっとの勇気を手に職員室に向かう。

職員室の入り口で帆崎に聞いてみる。跳月と歳も近いので何か知っているかもしれない、と淡い期待を抱いたが。
「そうだなあ、なんだっけな。おお、そうだ。それはそうと、因幡。勝手に化学準備室に出入り……」
何でもありません、と短い尻尾を巻いてその場を去る。続いて、窓辺に鯛焼き片手にたたずむ泊瀬谷に聞いてみた。
きっと泊瀬谷先生なら、優しく教えてくれるんじゃないかと期待したリオだったが。
「そう言えばその日、鯛焼き屋さんで新作がでるんだってね!さすが因幡さん、情報が早いね」
鯛焼きに恋焦がれる泊瀬谷に聞いたのが失敗だった。泊瀬谷から鯛焼き一つ頂き、サン先生を探すが職員室には見当たらない。

ただ、サン先生の大きな声とタヌキの百武そら先生の声が校庭から響いてくる。
「いる!」
「いない!」
「いるんだよ!」
「いないの!!」
はじめは初等部の生徒が騒いでいるのかとリオは耳をたらしていたのだが、それが自分の教師たちだと知ると頭を抱えた。
事態は理解できないが、サン先生は何かが「いる」と叫び、そら先生は真っ向して反対している。

リオはサン先生に質問をすることをあきらめて、職員室に残る教師に尋ねようとする、が。
やめておこう、と本能の勘がリオを引き止める。足早に職員室から抜け出そうとするのもの、残り一人が長い脚でリオの先回りをする。
「おや?生徒の疑問を解決するのはぼくら教師の役目だったね!迷子の子ウサギくん!」
「何でもないです!何でもないんです!」
「ぼくは学園という名の船の船長(キャプテン)だよ。疑問の海原に投げ出された乗組員を見捨てることなんか出来ないんだからね!」

そそくさと職員室から抜け出したものの、廊下で長い脚と髪を持つ音楽教師に腕を掴まれるリオ。
職業意識を盾に、リオにまとわりつくのは音楽教師のヨハンだった。長い髪を自慢げに描き分けながら、ヨハンは胸元の手帳を取り出した。

「えっと、その日は跳月先生の誕生日だね」
目を丸くするリオは、静かにうなずく。確かに、自分の誕生日が近づくと誰だって気になるだろう。
このときばかりはヨハンが後光の差す仏に見えたとか、見えなかったとか。これは言い過ぎだろうか。
「そうなんですね。ありがとうございました」
「リリーちゃんの誕生日と同じだから覚えてたのさ。そうそう!ぼくもリリーちゃんに何か贈り物をしなきゃね!
因幡くんも想い人からの贈り物を期待しなきゃいけないよ!何故なら男の子は女の子の喜ぶ顔が糧だからね!逆も然りっ」
一人嬉しそうなヨハンは、笑いながら表に出て行ってしまった。
2次元だけが想い人のリオはぐっと自分の手を握り締め、決意を胸にメガネを光らせる。

翌日の昼休みもリオとヒカルは主のいない化学準備室で書に親しんでいた。
もはや、ここまでくると生徒のためのくつろぎの部屋とも言えそうだが、そんなセリフは跳月が許しはしないだろう。
それどことか、前日よりも生徒の数がやや多い。ベランダに描きかけのスケッチブックを残しているのは、中等部のリス男子・丸谷大。
デッサン用の3Bの鉛筆の先は、大の歯でかじられている。吸い込まれそうな街並みが白い紙に広がっていた。

いや、生徒ではないヤツもいるではないか。
「面白そうな本だよね…」
と、本棚を見上げるのはサン先生。冷蔵庫をチューベットまみれにした張本人なのだが反省の色は淡い。
サン先生は高いところの本が取りたいのか、飛び跳ねているのだが所詮無理なこと。マジックハンドを使っても無駄骨だった。
うつらうつらとカーテンに包まって舟を漕いでいるそら先生が、サン先生を「チビ」と寝言で攻撃。だが、サン先生はどこ吹く風か。
横目で見かねたヒカルは、サン先生のために背伸びをして本棚から一冊の本を取ってあげた。
「ありがとうっ。このご恩は忘れない!」
「……言いすぎです」
ヒカルの白い頬の毛並みが恥ずかしげに染まった。
そして、なんでもない時間は過ぎ、くつろぎの時間が終わろうとする頃。

静かにカバーのついた文庫本を置いたリオは、いつもより真面目な口調でヒカルとサン先生に言葉を投げかける。
「あのー。サン先生、百武先生、犬上」
サン先生は振り向き、そら先生はカーテンから抜け出し、ヒカルは尻尾を止める。
「跳月先生に何かお礼をしませんか?」
「……ん?」
「いつもさ、この部屋で自由にさせてくれるんだから、わたしらで何かお礼の贈り物をするんですよ」
いつもはやかましいサン先生も、このときばかりは黙ってリオの話に耳を傾けた。
いつもは大人しいヒカルも、このときばかりは大きく尻尾を揺らしてリオの話に耳を傾けた。
「実は、今度の24日は跳月先生の誕生日なんです。それに、わたしたちのことをずっと忘れないで下さい的な贈り物を……」
「リオー!ぼくは猛烈に感激している!ぼくはその話に乗るよ、ね。ヒカルくん」
「ぼくも、本をプレゼントして頂いたから何かしたいなって……」
ヒカルは静かに頷き、ここにおいて『劇的に跳月十五の誕生日を勝手に祝い隊』が結成されたのだった。
その途端、扉が開き一人のリスの声が響き渡る。丸谷大、佳望学園中等部の男子。
「サンせんせー!甘栗買ってきましたあ!」
化学準備室は、栗の焦げる甘い匂いが満ちていた。

雑然とした机のお誕生日席にはリオ、机を挟むようにヒカルに大、サン先生にそら先生が座る。
リオは委員会のときのように差し棒を叩きながら会議を取り仕切る。
「で、どんなものをプレゼントすれば、はづきちは喜ぶんでしょうか?」
「実用的なものはきっと彼女さんが贈るんじゃないの?前は『マフラー貰った』って言ってたし」
サン先生は的確にリオの悩みに答える。だが、リオの頭は一層悩ますばかりだった。
当の跳月が帰ってくる時間が迫る。時計の音だけが、三人を包み込む……と思いきや、好みが割れる音が続いて聞こえる。
丸谷が器用に前歯を使って甘栗を剥いていたのだ。一つ剥き終わると、また一つと目の前に小さなおわんを作り続ける。
「丸谷は全部剥いてから食べる派なの?」と、リオは一つ剥かれた甘栗を失敬。

今まで黙っていたヒカルがおもむろに口を開く。
「逆に実用的じゃないもの……ですよね。例えば、印象的な何か」
ヒカルの目は大人しい目をしながらも、真剣に何かを考えているように見えた。
丸谷は無心に甘栗を食べているようで、壁にそら先生が勝手に張った星図を眺めていた。
そら先生は丸谷の目線を追う。
「星?」
「そう言えば、そら先生がこの間言っていたヤツ……」
反射的な答えは、サン先生を動かした。ここから一気に会議は進み、あっという間に全会一致の採決が行われた。
御覧なさい、一気にその話に夢中になってしまったヒカルの激しい尻尾の動きを。
その流れをここで書きたいのだが、リオから固く止められたので、今は書き表すことが出来ないのというのは非常に申し訳無い。
間もなく、24日が近づく。

夜中に職員室でサン先生が自分のデスクでネットに繋いで調べ物をしていた。
通りがかった残業を終えた泊瀬谷先生は、ニコニコ顔でサン先生の肩を叩いた。
「いいことをしなきゃね。いいこと」
イタズラ大王の名をほしいままにするサン・スーシ。このときの目は、イタズラを思いついたとき以上に輝いていた。
外では、星がサン先生に負けるものかとそれ以上に輝いていたのだった。
月の明かりは美しい。

―――誕生日前夜の跳月は一人だった。自宅のマンションのドアを開けても祝福しくれるやつなんぞ、これっぽっちもない。
しわしわのコンビニ袋を揺らしてスリッパに履き替えながら、愛しのリビングに足を引きずる。
自宅についての恒例儀式、PCを立ち上げ、着信メールチェックを始めると最愛の茉莉子からのふみが早速届いていた。
『わたしは今、北の街にいます。ここは意外に夜が短くて驚いています。
この間の名月の宵に会えなくて残念です。でも、お互いお仕事だから仕方ありませんよね。次の満月の夜には会えそうです。
十五さんのご多幸を祈りつつ、またゆっくり会える日を待っています。そして、十五さんのお誕生日おめでとうね』

「茉莉子……。ごめん」
跳月のマウスを握る手は弱くなる。×のボタンでウィンドウを画面から消すと、ペットボトルのふたを開ける。
秋のお月見はウサギにとってはお祭りの日。もちろん、皆さんもそれはご存知だろう。
ウサギの人々はこの日を重んじてきた。ウサギは太陽から陽の力を与えられ、月からの陰の力を授かる。
陽の力は強く地上を跳ねる力、陰の力は冷静に知を司る力。二つの星の力に感謝するのがお月見なのだ。
しかし、自分の仕事が忙しいとかまけて、ないがしろにしてしまった跳月は自分を恥じる。
ましてや、自分の想い人とのこととなれば一層、三十路の独身ライフが無期延長になると想像するのは容易だろう。
「きょうも月がきれいだな」
悔いるように跳月はベランダから見える美しい月を眺めて、陰の力を受けてため息をつく。

軽くコンビニ弁当の夕飯を済ますと、跳月はお気に入りの本を開いてベッドに転がる。
これからはぼくの時間。誰にも邪魔されないぞ。すでに寝巻きに着替えた彼の姿から伺える。
この世に生まれてありがとう、と父、母を思い浮かべ愛用するベッドになだれ込む。
時は一日の終わりを告げようと、短い針が精一杯の力で上り詰める。跳月はそれを気にしない。
一枚一枚、愛読する本のページを捲る。本の中の人物たちは、跳月を現から逃そうとうそっぱちを演じる。
「……」
静かな夜。静かな街。静かな部屋。
気がつくと、時計の針はとうに12時を過ぎていた。
ページを捲る手は止まり、いつの間にか跳月は三十路にまた一つ年を刻んでいた。
夢の世界にお邪魔しながら。

―――「いってらっしゃい、十五さん」
「ああ、茉莉子。きょうは早く帰る」
茉莉子に見送られながら、跳月は勤め先の学園へと向かう。広い大地にぽつんと建つ小さな家。二人のウサギがのんびり暮らすにはお誂え。
空は宇宙の色を延々と塗りつぶされて、星がちらほらとちりばめられていた。足元は大小の石ころが転がる。
何も無いあたりを見渡しながら、学園を目指すと後ろから聞きなれた声が聞こえてくる。
「はづきち!おはようございます!」
「跳月せんせー!」
リオと同じウサギっ娘の星野りんごが跳ねながら跳月に向かってやって来る。

りんごの持つ風呂敷をリオは指差しながら、心弾む声で跳月に飛び込んだ。
「昨日ですね、りんごちゃんの家で餅つきをしたんですよ。たくさん作ったから、お昼休みに食べましょう!
杵と臼で突いたお餅だから、すんごく美味しいんですよ。ね、りんごちゃん!おぜんざいがいいかなあ」
学園に近づくにつれ、人々が多くなる。が、ウサギ、ウサギ、ウサギ……。
何処を見渡しても、跳月と同じウサギしかいない。

跳月が夜空を見上げると、青く大きな星が輝く。海の色が美しく、白い雲と緑の大地が目に染みる。
月に住む人はその星を「地球」と呼ぶらしい。

―――その晩のこと。PCで動画サイトに興じるリオに一通のメールが飛び込んだ。
ヘッドホンからアニメのキャラソンを溢れ出させながら、携帯電話に映されたメールの文面を詠むと、白い歯を見せて微笑んだ。
(さすが、サン先生!)
果物を切ったから居間に降りてきなさい、と誘いに来た弟がその姿を見てげんなりするのを無視して、
リオは「計画通り!」と椅子の上で体育座りをしてガッツポーズ。弟がこっそりヘッドホンのプラグを抜こうとしている。

同じ頃、化学準備室と同じように本を捲っていたヒカルにも、星を望遠鏡で眺めていたそら先生にも、
油彩を溶かすオイルを床に零して慌てていた丸谷にも、サン先生から同じメールが届いていた。

―――佳望学園化学教師・跳月十五が生まれて三十ウン年目の日、その日は特別についていなかった。
お気に入りの磁石で遊んでいたら、うっかりクオーツ時計に近づけてしまい狂わせてしまった。
授業で板書をしていたら、立て続けにまだまだ長いチョークを折ってしまった。
お昼休みに坂の下のコンビニに行ってみたが、お目当てだった鮭弁当が売り切れていた。
沈んだ気持ちで帰り道にグラウンドを歩いていると、カブトムシの甲山が走らせていたミニ四駆に轢かれてしまった。

「やれやれ」
きょうびマンガでも口にしないぼやきを口にさせてしまうほど、跳月の頭と耳はうな垂れていた。
コンビニの袋におにぎりとペットボトルだけを詰めて、化学準備室の扉を開けると満月のように明るい声が跳月を囲んだ。
「跳月せんせーい!お誕生日おめでとうございます!!」
祝福のクラッカー、喜びの歓声、そして見慣れた化学準備室もきれいな飾り付けで跳月を迎え入れる。
同僚のサン・スーシに百武そら。教え子の因幡リオ、犬上ヒカル、丸谷大が机を囲んでいた。
机の上には、泊瀬谷から教わった『新作鯛焼き』がずらりと大皿に並び、真ん中に小さなショートケーキに三本のろうそく。

「ははは。よくぼくの誕生日だと……」
「不肖、サン・スーシは何でも知っています!ではロウソクを吹き消していただきましょう!」
恐る恐るマッチでロウソクに火をつけると同時に、リオは室内の明かりを消し、そら先生はカーテンを閉める。
部屋の四分の一は占める機器のパイロットランプや、真空管やニキシー管の数字の明かりだけが浮かび上がる。
暗闇のため良く見えないが、ここにいる者たちの顔は機械の明かりより明るいのだろう。
コンビニの袋を揺らしながら、跳月が力いっぱいロウソクの火を吹き消す。

「わー!おめでとう!」
「はづきち!おめでとー!」
再び歓声が上がると、部屋は明かりを取り戻し跳月の頬を赤らめる顔が見えた。

「さて、ぼくらからの先生へのプレゼントはこれですっ」
サン先生は紙袋から大きな封筒を取り出し、跳月に渡した。
おもむろに封筒を開けると、一枚の書面が顔を出す。英文が踊り、見慣れた星が大きく描かれた立派な書類。
「えっと……、『ムーンオーナーズシップカード』に…」
「お分かりですよね?」
「月の土地の権利書、だよね」
確かに『ムーンオーナーズシップカード』には、『Jugo Haduki』の名前が刻まれている。
月で餅を突くウサギが月の土地を持っていても、何の不思議は無いはずだ。跳月なら月の土地の一坪ぐらいは、
持っていてもいいんじゃないか……、とサン先生とそら先生の提案でリオとヒカル、そして丸谷は賛同した。

サン先生は口にしなかったが、月の土地は意外と安い。サッカーコート程の面積である1エーカーあたり3000円ちょっとと言う。
このためにヒカルは本をしばらく図書館で読むことにし、リオは新刊ラノベの初版本を我慢し、
丸谷はデッサン用の鉛筆を小さくなるまで使い倒すことにしたのだ。
「ぼくもついに土地のオーナーかあ。小さな家でも建てようかな」
跳月は照れるのを隠すのに必死になることは、三十ウン年生きてきて初めてだった。

そういえばいつの間にか丸谷の姿が見当たらないよ、とリオは鼻をひくひくと動かす。
さっきまでこの部屋にいたのだが、リスだけに動きは素早いようである。
が、噂をすれば影、当の丸谷が頭を掻きながら化学準備室に戻って来た。
「どうしたの?丸谷」
「あのー。ぼくからのプレゼントなんですが、先生の肖像画を描いてみたんです」

リオは鼻をひくひくと動かす。ヒカルは再び尻尾を振りはじめる。しかし、どうも丸谷の様子がおかしい。表に置いてあると言うので、
一同は化学準備室を出てみると丸谷の身の丈よりも大きな肖像画が化学準備室の入り口に立て掛けられていた。
丁寧に描き込まれた跳月の画は、油彩ながら柔らかい毛並みがよく表現されている。
「すごいね!」
「少し男前過ぎるところがいいね」
丸谷が今まで描いた中では、かなりの力作だというのだが、浮かない顔をして仕方が無い。
「実は、キャンバスのサイズが大きすぎて、この部屋の入り口を潜らないんです」
その日跳月が仕事を終えるまで、化学準備室の入り口に跳月の肖像画が堂々と飾られることとなった。


おしまい。