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尻尾と雨


尻尾がじゃまだ。きみたちの尻尾がじゃまなんだ。
「…通れないじゃないの」
右手にコミックにラノベにアニメ雑誌、左手に学生カバン、そして気持ちを表すように長い耳をへし折らすのは風紀委員長・ウサギの因幡リオ。
学校帰りに寄った、『本を売るなら…』でお馴染みの古本屋。明るい店舗には、同じく学校帰りの生徒らや
仕事をさぼったサラリーマンが、ずらりと本棚の前に立ち並ぶ。立ち読み自由が謳い文句のこの店では、ごくごくありふれた光景。
宝のありかを探す冒険者か、はたまた暇をつぶすだけの自由人か、彼らは勝手気ままに立ち読みを続けていた。
しかし、じゃまなんだ。きみたちの尻尾がじゃまなんだ。

「こんなお宝本、100円コーナーにおいて置くなんてここの店も正直者ね」
誰もがキャラは知っておるけど、本屋さんには置いていない有名漫画家の絶版単行本を手にしたリオは、ホクホクと顔をほころばす。
ちょっとかすれて古いだけでこの値段に設定された本だが、リオの目からは10倍の値段に見えるのだ。
どこかの骨董品が得意な店に売られなくて良かったね、と本を優しく励ましながら手にとって、
ついでに何ヶ月か前に買い損ねたアニメ雑誌、そして一度読んでみたかった数年前のラノベと共に購入することにした。
だが、じゃまなんだ。きみたちの尻尾がじゃまなんだ。

ここからレジが見えるのに、彼らのじゃまをするのは悪いから、ちょっと通り抜けるのはやめておこ。
真面目のまー子は、注意したいという『風紀委員長』としての因幡と、自分の趣味を目立たせたくない小市民としてのリオとで葛藤する。
少年コミックの棚の前、固まりとなって並んでいる子どもたちは、夢中になって尻尾を振って本に釘付けだ。
イヌの少年たちはぶんぶぶんぶと尻尾を揺らし、ネコの少年はピンと跳ね上げる。二人いっしょに一冊を読んでいた子イヌは、
マンガのギャグがつぼに入ったのか、同時に激しく動くご機嫌な尻尾。そいつらは、リオの行く手を悲しくも阻む。
同じ佳望学園の生徒もいくらかいる店内、可及的速やかにお会計を済ませてこの場を立ち去りたい。
目立ちたくない。目立ったら負け。丸い尻尾を引っ張られるなら、穴で大人しくしている方が利口。
「まったく、風紀ってものを考えなさいね。ガキどもが」
と、言ったつもりで学生カバンを強く握る。リオは、一言も注意できない自分になんだか腹が立ってきた。
仕方なく回り道でレジに向かって列に並んだときのこと。男性の声と共に、彼らの尻尾は大人しくなる。

「きみたち、尻尾で通れないよ」
どこかで、聞いた声。
冷静さと理知的なスマートさをかねそろえた、よく通った声質。オトナの声だ。
「す、すいません」
子どもの扱いは上手いはず。それは、子どもたちの反応が全てを物語る。
レジの順番が来たリオの頭に、知っているうちの誰かの顔がふわりと思い浮かぶ。
「ポイントカードは、お持ちですか」
「……」
「あのお客さま…」
慌てて出した全て裏返しにした本や雑誌を目の前に、レジ担当者は少し困った顔をしていた。
尻尾を引っ込めた子どもたちの列をすり抜け、レジの方に向かってくるのは、リオと同じ種族のウサギの男性。
垂れた耳は聞き逃すものなく、白く光るメガネは森羅万象、宇宙をも見通す。というのは言い過ぎかもしれない。

「はづきちだ」
佳望学園化学教師・跳月十五、33歳。独身。
白衣を着ていない跳月を見るのは、いくらか違和感はある。だが、そこにいるのは跳月に間違いない。
彼は小難しそうな雑誌に、地味な装丁の単行本、そして不釣合いなコミック文庫を持ってリオのいるレジに向かってきた。
リオの「どうでもいいから早くビニール袋に本を入れて!」と言う願いが通じたのか、跳月に気付かれる前に、
店員の「ありがとうございました」の声を聞くことが出来た。気付いているけど、跳月に気付かない振りをして、そそくさとリオは店から出る。
きょうの戦利品をカバンに詰め込んで。

しかし悲しいかな、店外にもリオの足を止めるヤツがいた。
やってくるとは聞いていなかったのに、用意なしでのいきなりな遭遇は非常に困る。
「傘持って来てないし!」
灰色の天を仰ぎ見るリオのメガネのレンズには、小さな雨粒が突き刺さる。
仕方がないので学生カバンを頭に、近くの電停まで駆けることにした。リオの靴とソックスは、水溜りで跳ねた雨水で濡れる。
しかし、長く走ることが苦手なウサギのリオ。息を切らしてか、近くの店の軒下に逃げ込むことしか出来なくなっていた。
肩で息をしながら、両手でカバンを抱きかかえる。さっきの跳月の目線よりも冷たい雨はごめん被りたい。
リオの息は余計に熱く、メガネが仄かに白く曇る。変えたばかりのシャンプーが強く香るのを感じながら。

「因幡、どうした?」
さっきと同じ声がする。さっきと違う暖かさがする。
傘を片手に雨を楽しむように通りがかるのは、先ほど子どもたちを注意したヤツだ。
「入っていくか?」
「はい…。跳月先生」
肩で息をしているリオは跳月と肩を並べて、灰色に塗りつぶされかけた街を歩く。跳月のズボンの裾は、少し濡れていた。

傘からはみ出した尻尾を雨で濡らすイヌがいる。今しがたのリオのように、軒先で丸くなるリスがいる。
「きょうって、雨の確率10パーセントでしたよね。先生」
「降水確率は、今までの気象データを元に同じパターンの雲行きで降るか降らないかの確率なんだ。
10分の1、つまり10パーセントだから90パーセント降らないとは限らない。それに…」
「それに?」
「泊瀬谷先生が顔を拭いていた」
黙ってリオは大きく頷く。

電車通りに抜き出ると、架線から火花を散らしながら市電がゆっくり走っていた。市電に乗って自宅に帰ろうかと思っていたリオだが、
雨脚も手伝って働き者の市電は、あいにく満員御礼。乗る気を無くしたリオは、徒歩で自宅に帰る覚悟を決めた。
「やだな、混んだ電車は。雨宿りして、マオに傘を持ってこさせようかな」
「うーん。どこで待つつもりかい?」
「あ、あそこのレストランです!」
市電が通り過ぎると、古い建物が二人の視界に入る。古い看板が誇らしげに掲げられたレストラン。その名は『ほしの軒』。
跳月のおごりを約束に、その店で一旦雨宿りすることに。リオの髪からは、ほのかに甘い雨の香りがする。

「いらっしゃいま…せ。あれ、リオに跳月先生?」
「変な目で見ないでくれ。ぼくは一人のウサギの先輩としてやってることだよ」
少し笑った跳月の声と、リオの紅くなった頬と、扉のチャイムが重なり合う。
エプロンを腰に巻いた料理人姿の同じくウサギの星野りんごが、くるりとカウンター越しに突然の来客を迎えた。
木の暖かさに包まれた店内は、雨ということでお客は彼らのみ。ちょっとした貸切な状態なので、りんごとしては大歓迎。
軽くでいいので、適当な料理を…と、跳月はお冷を持ってきたりんごにオーダーすると、すぐさま厨房に向かって叫び、
オーダーをシェフであるりんごの父親に伝える。奥の厨房で父親が鶏卵を割って、すぐさま料理を始めていた。
一息つくと、跳月はリオに小さくこぼす。
「尻尾の長い種族は、彼らで大変だよね」
「し…尻尾?…どうしたんですか」

かくかくしかじかと本屋での一部始終を話す跳月、その表情は少し外で振り続ける雨のように寂しげであった。
リオは知っていることだけに、このことを知らないことにしている自分がいやらしく思えてきた。
跳月は「ぼくとしたことが」と、そのことを恥じて後悔しているように見える。リオはお冷を口にして、黙っておくことをごまかす。
「ぼくの姪っ子と同じぐらいの子どもを見ると、どうしても気になるんだ」
「姪御さんがいるんですか」
「うん、最近生意気になってしょうがないんだよ」
「へえ。わたしはその頃、学校の風紀委員に入りたてだったなあ」
自分も初等部高学年の頃、初めて委員会に参加したときに他の子たちが活発に意見しているのに、
自分ひとり何もいえなかったことを思い出していた。誰もが通る痛い時期。誰もが同じように痛々しい。

跳月は高等部からの化学教科の教師なので、そんな時期を通るリオの初等部を知らない。
「ぼくの理詰めでも言うことを聞かない。ヤツを黙らせるには、コレがいちばんさ」
跳月のカバンから取り出したのは、先ほどの本屋の袋。リオは、跳月が手にしているコミック文庫に目を奪われた。
「なかなかヤツには評判だよ」
「跳月先生、やりますね」
そのコミック文庫は、同じ店でリオが100円で買った絶版単行本の新装文庫版であった。

「ウチの姪っ子と同じ年頃の因幡が振りまく風紀委員ぶり、見てみたかったなあ。ははは」
「そんな!わたし…。もしかして、その頃から今みたいに『きつい子』って思ってるんですか?跳月先生の口からなんてことを!
わたしは、小さいときは大人しかったんですから!今と一緒にしないでくださいね!跳月先生!!」
リオは生徒を注意するときと同じ目で、そして顔を紅くして跳月に迫った。揺れる髪からは相変わらず甘い香りが。
一方、白々しくお冷を手に取る跳月は、オトナの対応テンプレ通り、あえて返事をしなかった。
コツンと濡れた靴で向かい合わせの跳月を蹴る、という妄想を勝手にリオはしていた。
厨房からはバターの香ばしい香りと共に、何かが美味しそうに焼ける音が聞こえてくる。

「…でも、その姪御さんもいつかは彼氏を連れてくるんですよ。同じウサギか、尻尾の長いイヌか…」
「そうだな。ぼくは、ウサギの子としか付き合ったことないからなあ」
「興味あるなあ、跳月先生の彼女さんのお話!!初耳だ!」
「え…。そうだっけ」
リオの声で冷静さを失った跳月の目は、今まで誰にもみせたことのないものだった。実験に失敗した博士でもこんな顔はしない。
やがて、厨房からバターが焼ける音は消えて、代わりに料理をお盆で運んでくるりんごの足音が聞こえてきた。
「跳月先生、わたしも初耳です」
運ばれた焼きたてのフレンチトーストと同じように、跳月の顔からは湯気が立っていた。


おしまい。