※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

写真つかい


「青い写真を写しまくるんだ」

ホッキョクギツネの中年男が椅子にふんぞり返り、夏休みに入った子どものようなセリフを口にする。
『雑誌は幼き日の好奇心と、若者の行動力、そして大人の分別で作るんだ』とホッキョクギツネの編集者・木島は会社の先輩から叩き込まれていた。
人が人を繋ぎ、遺伝子を継ぐ。木島はそれをしただけのこと。誇らしげな尻尾はいつもと変わらない。
若きネコの写真家・淺川に受け継がせようと、編集部に呼び出したのだが彼はどうやら居心地が悪いらしい。
理由は明解、目の前に木島が居るからだ。そりゃ、食えないとき随分お世話になった。稼ぐようになったら、逆にご馳走しますよ。
それぐらいの大見得を切ったこともあった。なのに、未だ頭の上がらぬ相手・ワースト3に入ることは揺ぎ無い。
カギ尾をピンと立たせて頭を掻きむしる細身なネコの男が、デスク側のソファーに遠慮がちに腰掛けて木島の「青い写真」の意味することを尋ねた。

「夏だろ?夏の写真が見たいんだ。おれが見たいのなら、読者も見たかろうよのう、淺川さあ」
「随分とまた抽象的な注文ですね、木島さん。うんこったれですね」
「お前もプロだろ。仕事しろ、仕事。お前の愛機が泣くぞ。あと言っとくけど、おれは生まれからクソを漏らしたことはない」
写真家を名乗って随分年月が経つ。異国の地で身の危険を感じたこともあった。顔なじみの土地の暖かさを思い出すこともあった。
その場の風景を切り取る。残す。見せる。喜んでもらう。淺川がやってきたことは、難しいことではない。ただ、それだけのこと。
成人を迎えてから一昔ぐらいの時間が流れているのに、淺川は自分の残そうとしているものが未だ見えなかった。

「兎に角さ、淺川の好きなところでいいから、ジャンジャン写真を撮るんだ。お前好きだろ、こういうの」
「好きでやってるから続いているようなものですって」
欠けた右耳を摘む淺川の前に、冷たい麦茶が差し出された。涼を誘うコップに浅川の白と黒の毛並みが映る。
ガラスのテーブルとコップが触れる音は、なんだか質の悪い風鈴のような。その音さえ、緋野は怯える。
「緋野ちゃん、どーも」
「ありがとうございますっ」
人間の娘・緋野はお盆を両手で抱え込み、一刻もこの場から立ち去りたかったのか大きく淺川に一礼して、そそくさと踵を返す。
「緋野もいい加減さぁ、仕事に慣れろよ。プロだろ」
木島は大きく尻尾をはたきのように振ると、緋野は更に怯える。一口麦茶を含んだ淺川はすっと立ち上がる。

「それじゃ、オレ。早速、準備してきますから。失礼します」
「チョット待てよ、おっさん。コレ持ってけ」
木島から『おっさん』呼ばわりされる歳ではない、と淺川は再び尻尾をピンと上げて分厚い紙袋を受け取った。
意外と軽い。あえて、中身はまだ見ない。「これはありがたい餞別をどうも」と一言残して淺川が部屋を出ると同時に、
ぱたぱたと緋野は室内のエアコンを2度上げる。ひんやりとした涼しい空気が消え、室内では忘れかけていた夏を思い出させていた。
「さすがだな、緋野。お前もプロだ」と、木島の鋭い眼差しは明るかった。

   ×××

大小の島が浮かぶ内海を臨み、潮風が香る港町。小さな渡船乗り場は、今にも崩れ落ちそう。必死になって地面にしがみ付く。
淺川の愛車のミラーに夏の日差しが反射して、鉄(くろがね)のタンクが鈍く光る。リッター級バイクのV-MAXはこの町ではお呼びでなかったか。
波の音がまるで地球の鼓動のよう律儀に聞こえてくる。淺川自慢の前髪が潮風に乗って視界に差し込む。
大人しく鎮座する鉄の馬に腰掛けて、淺川は一人できょうの写真の出来具合を気にしていた。
最新式なカメラの液晶には空が蘇る、海が蘇る、川が蘇る。夏が残る、永遠(とわ)に残る。そして人が残す。
濃淡の豊かな画面には、ニッと歯を見せる白と黒の毛並みを持つ淺川の顔が、本人の予期もせずに映り込んだ。

「青いな」
青い。
「うん、青い」
青い。

当たり前の感想を噛み締めて。
今年しか見せない夏を切り取って。
一秒一秒変わりゆく、雲の流れを一人惜しんで。
夏が自ら夏を削ってゆく。風で夏が吹き飛ばされる。日光で夏が溶かされる。だけども、夏は辛抱強い。
必死に、必死に耐えながら、光る汗かきまくってしがみ付く。だから、夏はとても暑い。

ただ、優しい風が吹くこともある。
ただ、甘い風も吹くことがある。
「おにーさん!それ、プロ用のカメラ?かっこいい!」
「……はは」
「わたしにも見せて欲しいな」
淺川の手元に小さな目線の気配がする。舌ったらずな妹が扇ぐ優しい団扇のような声がする。砂糖菓子のような声が淺川を奪う。
淡い色のワンピース。涼しさを見せるメガネ。子どもっぽさを残すボブショート。袈裟懸けしたバッグは気のせいか分厚い。
そして、あどけない細い脚。彼女の耳はぴんと立って、柔らかそうな毛並みはせっけんの香りがする。
「見てもつまんないぞ。オレは人を写さない主義だからな」
「おにーさん、もしかして『げーじゅつか』?孤高のカメラマンとか?」
「どうだか」
「ふーん……わたしね。カメラとか写真に興味あるんだよね」
ウサギの少女は淺川のカメラに、照れてしまうぐらいの眼差しを浴びせていた。

「おにーさん。旅の人?」
「そう言ってもまちがってもないな」
「かっこいい!わたし、あこがれるなあ!そういう『たびびと』になりたい!」
「なに、オレは根無し草だからそう言ってるだけだ。あまりオススメは出来ないな」
「旅人だったら、『佳望町』って知ってる?わたし、そこに行きたいんだ」
大きすぎるバッグが嫌に誇らしげだ。ウサギの少女は、まだふくらみを知らない胸を張る。いやにミルクの香りがする。

佳望町。淺川の生まれ育った街の名前。街から飛び出していった野郎もいるが、その町に憧れを募らせるガキもいる。
確かにこの港町と比べると、人も多いし、建物も高いし、市電も街中走っている。そして、時の流れ方の早い街なのは間違いない。

「冒険だよ。冒険」
屈託のない笑顔で危なっかしい言葉は、子ウサギに似合わない。
「ホントに行きたいのか?」
「うん。わたしの島なんかよりも、ずっと大きくて、立派なんでしょ!?」
「うーん、そうかな。ちっぽけなところだって」
「ぜったい素敵なところだよ!そこに行って、おにーさんみたいな素敵な人と出会うんだ!」
「おれじゃだめなのか」
淺川は苦笑い。

佳望町まで電車で行けば3時間、バイクで飛ばせばもっと早いかもしれない。小さな港町のウサギの両手は小さく握り締めている。
「だいいち、お嬢ちゃんはどこから来たんだ」
「お嬢ちゃんじゃないもん!わたしは、りっぱな女子だよ!」
「それを『お嬢ちゃん』って言うんだ」
一回り以上年の離れた娘にムキになるのは大人気なさ過ぎるので、淺川はやんわりと会話を止めた。
少女はこれ以上淺川から言葉がないことを悟ると、海に向かって指差した。海風が柔らかく白い腕の毛並みをなぞる。

「宇佐乃島です!」
海岸から遠くに浮かぶ、木の生い茂った小島。かすかに灰色の建物がブロックのように丘に残されて見えた。
前髪を掻き上げ、淺川は興味深そうに裸眼で宇佐乃島を望み、バッグから望遠レンズを愛機に取り付けて再び島を覗く。

「見える?」
「ああ」
「見せて」
「ダメ」
「どうして?」
「子どもだから」

タン!と足を鳴らせたウサギの少女の前に、ふふんと笑った淺川がいた。
パチリ、と島を切り取る。青い海に浮かぶ島。青い空に降り立つ島。ぼんやりと雲が空を薄める。
渡船のりばから島行きのアナウンスが流れ始めるも、少しスピーカーの調子が悪いのは目をつぶって欲しい。
「ああいうロケーションで撮影したいもんだよな。さて、島に渡ってみるかな」
「だめだめ!わたしの島はウサギの人以外入っちゃだめですから!」
「どうして?」
「昔からなの!ウサギの人以外は入っちゃ……!!」
「知ってるよ。そのくらい」
半分前髪で隠れた淺川の顔はきっと笑っているに違いない。
顔を膨らませた子ウサギは、淺川の言葉の理由を聞き返すと、理屈に耐えがたき返事が帰って来た。
「そりゃ、オレは旅人だからさ」
「からかってるんですか!?」
「お前も旅人になりたかったら、早くガキンチョから抜け出すんだな。そしてさぁ、ここから一歩出る勇気ぐらい持ちやがれ」
「……むう!」

古の頃からウサギ以外の足を拒み続けてきた『宇佐乃島』。島に誇りを持つ者も、街に希望の光向ける者も。
一人渡船に乗って、ここまで来たんだと少女のウサギは胸を張り続け「わたしだって、カメラマンの卵だよ!」とメガネを光らせて、
淺川に少女が写した島の写真をバックから突き出した。淺川の歯が白く覗き、ニヤリと笑う。
(この子かよ)
朽ちた家、コンクリ打ち出しの建物、土の色と透き通る海。彼女の精一杯の感性で切り取った写真には、子どもながらみはるものがある。

「お前さ、島に戻るんだ。そして、お前のカメラで島中あちこちをめい一杯写してくれ」
「……どうして!?」
「撮り終わったら、次の船でここに戻ってくる。オレはこのあたりで写真を撮りまくってるからすぐ分かるはず。
『淺川ー!』って叫べば、振り向くと思う、多分。で、居なかったらコイツを目印にするんだな。頼もしい相棒のバイク」
宇佐乃島の写真が見たい。淺川が見たいのなら、木島も読者も見たかろうよのう。
ネコもキツネの足を退き続ける島へ。その思いを託すことが出来るのは目の前の少女しか居なかった。
「ほら、船がもうすぐ出るんじゃねえのか?おーい!そこのダンナ!チョット待った!!!かわいいレディがお乗りですよ!」
「わたし、佳望町に……」
「今度連れてってやんよ!おれの街を思いっきり見せてやる!腰ぬかすなよ」
エンジンがかかる音が風に乗って聞こえる。船出が近い。
「その前に、お嬢ちゃんの島をおれに見せてくれよな!お前の写真が見たいんだ。えっと、そう言えばお前さんの名前……」
「わたしはハル子だよ!」
耳が垂れるほど頷いた少女は、希望一杯詰め込んだバッグを揺らして、きらきらと渡船のりばに一目散に駆けて行った。
淺川はハル子の後姿を見つめながら、欠けた右耳を摘んで呟く。潮風がしみる。
「子どもが一人旅するもんじゃねえよ」

   ×××

「木島さん。淺川さんからメールが届いてます」
冷房の余り効かないビルの一室。緋野はモニタに穴が開くぐらいの勢いで見つめていた。
開封して、添付ファイルを開くと内海に浮かぶ小島の画像が広がった。
海が青い。空も青い。
「『木島さんにはお世話になってばっかりで、申し訳ないッス』ですって!」
「やっぱり行きやがったか……。面白いヤツだ。ま、淺川もガキだな。なあ、緋野」
「は、ひゃい?」
「でもやっぱり、プロだよな」

   ×××

青い空。青い海。青い川。青い夏。
引きずり込まれるように淺川はシャッターを切った。
「木島さんったら、『好きなところ』とか言っておいて、あんな写真入れられちゃ、ここが好きになるしかないじゃないッスか!」
よっぽど木島に唆されたことが悔しかったのか、淺川は青い空の真ん中に真っ白な雲を写し込んでやった。
木島が持たせた『ハル子と木島と港町』の写真を懐に入れて。


おしまい。