※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

そらへ、ふたたび


雨続きの谷間、久しぶりに晴れた空はむしろ蒸し暑さが増して爽やかとは言い難い。予報
は明日からまた雨を告げていたので、今日は貴重な一日だ。
頼まれた教室での雑用を片づけて、ずいぶんと時間がかかったと慌てたものの、重い雲が
去ったせいで思いのほかこの季節は日暮れが遠いことに今更驚きながら、白頭空子は部室
へと向かう。
今週は、つい最近に惣一が手に入れた新型のモータの慣らしをすると言っていたので、早
く行って手伝わなければと、ひとの少ないことを良いことに学園からの坂道を滑空する。

堤防に登り部室が視界に入ると、久しぶりの良い天気なのに揚げ戸は全て降りたまま。
「おかしいわね、惣一、来てないのかしら」
呟きながら入り口までまた空を滑り降りると、鍵のかかっていない扉にまた首をかしげる。

一歩足を踏み込むと奥の製図室にはひとの気配がありほっと胸をなで下ろすとともに、
ちょっとムッとしながら周りを見回す。モータも載せたテストベンチは揚げ戸のそばに準
備も半端な状態でたたずんでいる。それを横目に通り過ぎながら製図室に向かうと、案の
定惣一が図面にのし掛かるようにしてペンを走らせている。一心不乱の惣一の様子に、ザ
ワついた気持をなだめられたような気持になって、邪魔しないようにそっと背後に廻りド
ラフターの図面を眺める。

と、ひと呼吸おいたその後に空子の瞳はすうっと小さくなり、首筋の羽毛が起ち上がる。
そこに描かれようとしているのは、今までのブルースカイシリーズとは異なる、見たこと
もない“モノ”の概念図だった。

「これは何? 惣一」怒りを抑えきれず、震える声で問い掛けると、惣一は、その声が何
処から来たのか判らないかのように見回す。ようやく背後の空子に気付くと、「え?」と
一言発してキョトンとしたような眼で空子を見つめている。

元々は惣一と空子が勝手に立ち上げた、学園非公認の同好会だったけれども、だんだんと
関与するひとも増え、部室にひとが集まるようになると、生徒会も放置も出来ず、今年の
文化祭ではなにがしかの成果発表を行いそれを以て正式に公認とする、との運びになり、
そのために今から準備を万端進めなければならないはず。空子との空中演舞の為に新たな
翼形を試し、パワーアップしたモーターを試し、プロペラを試さなければならない。
いまは余計なものを作って遊んでる場合じゃない。

何で惣一は何時でもあっちに行ったりこっちに行ったりなんだろう? 同好会をちゃんと
公認させないと、私たちがいなくなったら、惣一が私のために作ってくれた飛行機同好会
が無くなってしまう。

怒りとともにそんなことを考えながら言葉を探していた空子が句を継ごうとした僅か早く、
惣一が「ごめん。白頭、しばらく寄り道していいか?」と大声をだした。 惣一の発した
声は同意を求めるように聞こえても、もう決心してしまっている時のものだと、永く一緒
にいる空子は理解して、発しかけた言葉を飲み込む。
感情とか気持とかを整理するのが下手なのか、こういうとき、暫く黙って待っていると、
そのうち惣一はちゃんと話し始めることを、これもまた空子は経験から知っていた。

昼休みに、ベンチに乗っけたモーターのセットアップをしようと部室に来て、あれこれやっ
ていて、気配がしたからひょいと見たらそこの扉のところに中島が立ってたんだ。
うん、こないだから登校できるようになった中島眞真(なかじままさし)。

で、「ちょっといいか?」って訊くから、入ってもらったんだけど、なんかブルースカイ
に興味津々って感じで黙って機体の周りを行ったり来たりしながら眺めてるんだ。俺はと
りあえず慣らし用のプロペラをモーターに捩じ込んだところで一段落着けて、コーヒーメー
カーをセットしてから中島に話かけたんだよ。

お帰り、戻ってこれてよかったな

「うん、ありがとう」

足はまだかかりそうなのかい?

「ううん、実はね…

 足は、事故の後に放置するしかなくて、或る程度回復したところで、今度はちゃんと真っ
 直ぐ繋ぎ治すために、一寸くっついちゃったのを折って位置合わせしたんだ。痛かった
 けど、まぁ、麻酔も有るし。だから、こっちは、もうあとは放っておけば元通りくっつ
 いて、昔みたいに歩ける様になるんだ。

 でもね、実は右の羽根は、大切な腱が切れちゃってね。骨は繋がったんだけど、腱は潰
 れて切れたから只つなげても駄目らしくて、普通に生活は出来るけど、ね。 もう飛べ
 ないんだって、僕の羽根では」

流石に、俺何にも言えなくてね。黙ってたんだ。黙ってるしかなかったんだ。そしたら
中島のやつ、笑いながら「ごめんごめん、暗い話になっちゃって」って。

「足が治ったら、飛行機同好会に入れてもらおうかな」

入ってもらえたら嬉しいけど… いいのか?

「ばーちゃんが嫌がるかもしれないけどね」

出来上がりの音が聞こえたので、台所にいってコーヒーをカップに注ぎながら、砂糖とミル
クは要るか?って訊いたら、返事の代わりに


「ここに来たら、僕ももう一度空が翔べるようになるかな?」


コーヒー持ってったら、もう教室に戻ったのか、中島居なくなっててさ。

ひととおり経緯を語り終えると、ドラフターの横にあった冷えきったコーヒーを不味そうに
飲み下してひと息つくと、惣一は続けて話始めた。
「知ってるかな?中島って垂直滑空の県の中学生記録持ってるんだよね」と問う。

そう言えば以前聞いたことが有る。そんなひとが飛べなくなるなんて、どんな気持だろう。
私が飛べない間、傍には惣一が居た… 

思いに沈みかけた耳に「双発の小型軽量モータでダクデットファン、旋回性能はネグって垂
直降下特化型、ただしエアブレーキと最終引き起こしのGに耐える翼強度は必須で、単座と
いうよりは背負い式翼みたいな感じかな」と誰に語るでもない惣一の声。
なるほどそう言うことなのね。

「判りました。文化祭では最低限ブルースカイのパワーアップで一般遊覧飛行を実現しなさ
 い。デモンストレーションは、私と“中島機”でやりますから安全性を含め完璧なものを
 作りなさい」
「良いのか?白頭」
「中島機作製のためのブルースカイの遅延は最大1ヶ月、それ以上は認めませんよ。寄り道
 してる暇はありません」
「イエス、サー!」
「それと、幾ら時間がなくても、午後の授業をさぼっちゃいけません」
「えー」

お日様みたいにニッと笑うと、早速ドラフターに向かう惣一。新しいコーヒーでも入れてあ
げようかと立ち上がり、その背中を見ていたら可愛らしくも頼もしく思えて、空子は後ろか
らそっと惣一の肩を抱く。
「何だよ、俺はフェザーよりダウンが好きなんだよぉ」と軽口を叩く惣一の頭頂部を嘴で軽
く突っついてやる。
惣一は何時も、困ってるひとを見捨てることが出来ない。役に立つなら自分の持ってる技術
を何時でも惜しげもなく投げ出してくる。そう、それが惣一だ。私はだからそんな惣一が…


少し涼しくなってきた窓の外の樹々に、ねぐらに帰ってきた雀達が騒がしい。

閉め忘れた部室の入り口の方からヒューンという軽い音とともにガタゴトと何かが近づく。
扉の影からひょいと白い頭に真ん丸眼鏡が現れると大きな声が響く。
「ねぇ!風間君さ、この台車乗り難いよぉ。パワー有り過ぎで制御できないし、重いから
 コーナーリングが辛いしさー」



「いてててててででで!、ちょいと、白頭!チョーク!チョークー!!」