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そらのひかり 泊瀬谷のほし


佳望学園・天文部部室。
屋上へと通じる階段から脇に外れた最上階の一室。六畳ほどの限られたスペースだが、多くは無い部員のためなら申し分ない広さ。
ただ、スチール製の棚に木製のテーブルが面積の半分を占めて、外の風の香りもせず、どこ誰が見ても『文化系』の部室を印象だった。
卒業生たちが残していった財産を積み重ねると、後輩たちへの期待へと変わる。財産は揺るぎの無い彼らの誇り。
ものがあふれかえることに幸せを感じることが出来る者なら、この空間は非常に心地よい。
しかし、この日に限って部室のスペースを占めている『もの』は、ちょっと困ったものだった。

「芹沢くん、お願い」
「……だって」
「わたしもちょっと……」
ヒツジの女子生徒が目を細めて、天文部の扉を開いて覗き込む。
イヌの男子生徒も同じく目を細めて、天文部の扉を開いて覗き込む。
暖かかくなり、制服も春らしい装いで、彼らはこの季節を待ち望む。しかし、彼らが待ち望んでいるのは春だけではない。
「茜ちゃん、起こしてきてよ。女の子だったら、先生もびっくりしないって」
夜が来る時間も大分遅くなった。天文部のお目当ての星たちも、いつの間にか結構ネボスケになってきた。
芹沢タスクは尻尾を丸めて天文部の部室で、ぐっすりと惰眠を貪る一人の教師を見つめるだけだった。
小さな体を丸くして椅子をベッド代わりに並べ、尻尾をぶらぶらと揺らしながら夜空の夢を見る一人のタヌキ。
これでも、ここ佳望学園の教師であるタヌキは、タヌキ寝入りではなく本当によく寝ていた。

「じゃあ、一緒に声かけようよ。茜ちゃん」
「……うん」
「せーの……」
「「……」」
進まない二人三脚。頬を赤らめるヒツジの夏目茜。

「うーん……。かに座はかわいそうだよー」
勇者に踏まれていいところを見せられなった、哀れなかに座を寝言で慰めてタヌキの教師はそのままぐっすりと夕方の昼寝を続けていた。
そろそろ陽は傾く時間。夕暮れの雲を浮かべて透き通る空気が、今宵も夜空だという予感を刺激する。
「そら先生……。早く起きてください」
天文部の芹沢タスクと夏目茜は、顧問である百武そら先生は星が瞬く夜になると元気いっぱいになることを重々承知だ。
この日も春の大曲線を観測しようと部室にやって来たのだった。しかし、顧問の教師が部室で寝ている。
望遠鏡も、星図も、茜が作ってきたサンドウィッチも準備万端。あとは、夜を待つだけだったのだが、如何せん顧問がアレだ。
タスクが部室側の階段から下の階を覗き込むと、段が織り成すらせん状の渦巻きに吸い込まれそうになった。
「他の先輩たち、来れなくて残念だね」
「…… うん」
「そら先生、日中はいろいろ忙しそうだったもんね」
「そうね」
自己主張の弱い二人の優しさは、そら先生の睡眠を妨げないことにした。
そら先生の顔は、大好物である甘いものを食べているときと同じだったからだ。

「のど、渇いたね」
「うん」
「ぼく、飲み物買ってくるけど……茜ちゃんは何がいい?」
「……なんでも」
いちばん困る答えワースト1に入る返答にタスクは目を細め、女の子のリクエストは応じてあげないと、と腰を上げる。
財布の中身を確認すると、うんと頷き、イヌの少年は上履きの軽い音を立てながら階段を下って行き、茜はそら先生の邪魔にならぬよう、
部室へとそっと入り部屋の隅で小さくなって天文学の雑誌を眺めていた。発行はおそよ20年前のもの。
星から見れば、瞬きするくらいの時間だが、茜からすれば生まれる前のこと。そのころから変わらず、天体に思いを馳せる人々。
人は変われど、同じ星を見続けていたんだと、きらめく写真は茜のちいさな思いを鮮やかにする。

「何でもいいが、いちばん困るよ。ウチの姉ちゃんじゃあるまいし」
一人ごとで自分を落ち着かせる癖は、誰にだってあるもの。しかし、一人っきりはやるせない。
校内の自販機コーナーへと飲みものを買いに出かけたタスクは、ふと廊下で一人の男子生徒の背中を見つける。
彼もタスクと同じイヌの少年。毛並みは白く眩しく、尻尾も柔らかく大きい。学年はタスクよりも上だ。
今風と言えば今風だが、落ち着いた風貌と尻尾の動きは同世代の男子と違うものを感じさせる。
そう言えば、前に会ったことがあったっけ……。微かな記憶を胸に、白いイヌの少年に声をかけてみる。

「ヒカルくん!」
「……」
ヒカルと呼ばれた少年は、言葉を出さずにこくりと頷いて、タスクを快く迎え入れた。が、表情はそんなに激しくない。
別に嫌な気分になっているのではないのは、彼の尻尾の動きから見れば一目瞭然だった。
「ヒカルくん。もしかして?」
手に財布を持っているところからすると、ヒカルも同じく買い物に出かけているところだろう。
細かいところに気付く男は、モテモテさんになる第一歩と姉から吹き込まれたタスクは、それを見逃さない。
ヒカルの返事は、タスクが考えているものより幾ばくか簡単なものだった。
「先生からお使い頼まれて」
「へえ。何を買いにですか」
「飲み物」
職員室にて、担任であるネコの泊瀬谷先生に捕まった。雑用を手伝いながら放課後の時間を過ごしていたら、
いつの間にやら誰もいなくなり、生憎ポットのお湯も尽きていたので、小休憩で飲み物を買いに出かけていたのだった。
ご主人さまに忠実な二人のイヌは、共に尻尾を揺らして自販機コーナーへと向かう。

校内・ロビーの一角に据えられた自販機コーナーは、放課後ゆえ閑古鳥が鳴いていた。
逆に、お日さまが休む頃に賑わいを求める方が、間違っていると思うべきだろう。
人がいないせいか二人には、ロビーがいつもよりも広く見える。用も無いけど、ついつい上を見上げる二人。
『羽根がある生徒の皆さん、余り高く飛ばないこと!』と、風紀委員からの張り紙が自販機に張られている。
どこかで見たような、いや、見たことあるけどあんまり知らないような、アニメのキャラが、手書きの吹き出しで紀律を正す。

自販機に明かりは灯っていなかった。しかし、これは節電の為。普通に飲み物を購入するには、なんら変わりは無い。
そう言えば、桜が咲く前よりも『あったかーい』のボタンが減ったような気がする。自販機も衣替えか。
タスクが小銭を自販機に入れて、ボタンを押す。一つ目は自分のもの。オトナに背伸びしたいけれど、ちょっと後戻りして
カフェオレを選択する。ブラックにすればよかったかなと思えども、とき既に遅し。そして、二つ目を買うときに手が止まる。

「……」
茜の分を考えているうちに、しびれを切らした自販機はタスクが入れたコインを吐き出した。
ばつが悪くなったタスクは、ヒカルに自販機の前を譲ると冷たいカフェオレの缶をぎゅっと握る。外は温かくなってきているので心地よい。
ヒカルもタスクと同じくカフェオレのボタンを押したのだが、缶を取り出すと先ほどのタスクのように固まってしまった。
「どうしたんですか」
「先生が『なんでもいい』って言うから」
目を細めたタスクは、同じようなコインが戻る音を耳に響かせていた。

「ヒカルくんって、兄弟がいるんですか」
「いないよ」
ヒカルの返答を聞いたタスクは、じっとヒカルが持つカフェオレの缶を見つめている。
羨ましそうにと言えば正しいが、如何せんその表現は直接過ぎる。ただ、タスクが羨望の眼差しで見つめているものは、カフェオレではない。
「姉ちゃんがいないって、平和な毎日が暮らせていいですね」
高等部のヒカルは、同じ学園の高等部のクラスに通う芹沢モエの顔を浮かべた。
モエはタスクの姉である。同じ血を分けた姉弟なのに、どうしてこうも違うのかヒカルは不思議には思わなかった。

「ヒカルくんって、姉ちゃんと同じクラスでしたよね」
「うん」
きょうもモエはやかましかった。男子生徒の尻尾ランキングと称し、同じ女子生徒であるネコのハルカとウサギのリオらが、
お昼休みのうららかな時間に教室の隅っこに集まり、ノート片手に査定をしているときのこと。
大きな洋犬の血を持つアイリッシュウルフハウンドの封土入潮狼(いしろう)に、ボルゾエの堀添路佐(みちざ)が二人して、
『簡単!炊飯器で作るケーキ100種』と書かれたムック本を捲っていた。他のイヌの生徒よりも長い毛並みを持ちつつ、
丁寧に整えられているために清潔感がある。封土の荒くもオトナの風格漂う毛並み、堀添の鋭くも優しさを感じさせる顔立ち故、
学園内の女子生徒から黄色い声を浴びることほぼ毎日。しかし、彼らはいたってマイペースである。

「封土(ほうど)の控え目さ!堀添の綿花のような華やかさ!他の男子と違って上品だよね!」
「リオー。もしかしてヤツラ狙い系?」
「ち、ちがうもん!ホンのちょっと背が高くて、大人しくて……。アイツらなんかよりも、ごにょごにょ……」
机の荷物掛けに掛けた洋服店の紙袋に入れて隠している『若頭』の同人本を気にしながら、椅子に座って頬を赤らめるリオ。その脇に立つハルカが、
ぽんとリオの肩を叩いていた。隣の机に腰掛けるモエは、脚をぶらせつかせながら携帯をいじっていた。
「ああ!タスクからだ。『今夜は天文部の活動で遅くなるから、よろしく』だって!アイツ、夜は冷えるのに大丈夫かな」
もともと体の弱い弟を案じて、温暖と寒冷を繰り返す季節の夜に外を出歩くことを憂うモエは、眉を吊り上げる。

「じゃあ、モエがタスクくんを迎えにいってあげたら?封土くんと、堀添くんをお供に連れてさ」
「あ、アイツら?そんなことしたら付き合ってるって思われるじゃない!」
モエがあまりにも脚をバタつかせるので、机からぶら下がるリオの紙袋に脚が当る。リオは少し気が気でなかった。
言うまでもなく、封土と堀添を狙うライバルが現れたということではない。
モエの携帯が持ち主のようにやかましく叫ぶ。『ロミオとシンデレラ』の着メールの曲に反応したリオは、モエの携帯を覗き込んだ。
「やっぱり、モエはタスクくん萌えだね?」
「タスクくんを独り占めするなら、お料理をがんばらないと!まずはオムレツからかなあ。今度教えたげる」
「ンモー!リオにハルカったら!」

横目でその光景を見ながら、一人で本を捲っていたヒカルは、タスクの話できょうの出来事を思い出していた。
モエの教室での姿しか知らないヒカルは、家での姿しか知らないタスクを気にして飲みもの代を奢ってやった。
ちなみに、ヒカルの尻尾ランキングは未だ不明である。

「ウチの姉ちゃんって、彼氏いるんですか」
「……」
「いや……。ちょっと、気になって」
あまりにもストレートな、そして純粋なタスクの問いかけにヒカルは口を閉ざし、何も答えないのはタスクに余計な心配をかけてしまうから、
わずかな情報でも言っておこうと一言伝える。確かでは無いかもしれないが、他のクラスの子からの話からすると
確かだと思うほんの一言。だけど、タスクにとっては非常に重要な一言が、小さく響く。
「多分、いないよ。芹沢は」
「多分ですか」
「うん。多分」
「多分かぁ」
タスクは自分の携帯を開き、姉から受け取ったメールを見てみる。

『あまりにも遅くなるようなら、わたしに一報を送ること!』

パチリと携帯をたたむ音を鳴らせて、タスクは俯き加減で誰もいないことをいいことに語りに入る。
タスクのことはモエを通じてよく知っているヒカルだが、普段とは少し違うとヒカルでも感じていた。
また、ヒカルのことはモエを通じてよく知っているタスクだが、普段もきっとこんな感じなのだろうとタスクは感じていた。
「ウチの姉ちゃんの彼氏になるヤツってどんなヤツなんだろうって……。でも、ぼくは姉ちゃんと少なくとも彼氏になるヤツよりかは、
姉ちゃんのことを知ってるし、長く付き合っているから姉ちゃんのことについては、誰にも負けない自信はあるんです」
「……」
「姉ちゃんが喜べば悔しいし、姉ちゃんが悲しめば悲しい。こんな感情持てるのは、世界でぼくぐらいですよ」
「……」
打消しもせず、頷きもしないヒカルは、黙ってタスクを受け止めていた。
俄かにヒカルの尻尾に冷気を感じた。ビクン!!ビクン!!反射で尻尾を丸くする。

「こらー!理由の無い居残りはいけないんだぞお!」
「……」
「ヒカルくんは、先生のお手伝いだから理由はあるよね?」
笑顔でヒカルとタスクを叱る若いネコの教員・泊瀬谷が買ったばかりの缶コーヒーをヒカルの尻尾に当てていた。
泊瀬谷は仕事を終えて帰宅する途中、自販機コーナーに寄ると二人を発見したのであった。
春めく召しものが、泊瀬谷を少なくとも子どものように見せるマジック。
「ヒカルくんが余りにも戻ってくるのが遅いから、自分で買っちゃったね。ごめんね」
きんきんに冷えたカフェオレの缶を握り締めて、泊瀬谷先生は仕事の顔を忘れていた。
茜の分の飲み物をすっかり忘れていたタスクは、頭を掻きながら泊瀬谷のカフェオレを見つめる。

「あの、ぼく。天文部の活動で」
「そうなんだ、百武先生ね。そういえば『春の大三角形が天に現れるまで部室で寝てくるよ』って言ってたっけ」
「そうなんですが……」
タスクとヒカル、そして泊瀬谷はそれぞれ飲み物を持って天文部の部室へ足を向けた。
「雑用はいいんですか」とヒカルは泊瀬谷に尋ねるも「ヒカルくんがあんまり遅いから、終えちゃったよ」とちょっと自慢気。
だけども、本当はヒカルを追いかけたいがために、明日できるからと理由をつけて、後回しにしていたことはナイショの話。
「天文部の活動って、星を見ながら『あの星座は何々の神話で』って話すんでしょ?楽しそうだね」
「冬は寒いですけどね」
夜空とケモノはよく似合う。もしかして、夜空の元ならヒカルと何でもいいから話す口実が出来るんじゃないかと、
泊瀬谷は天文部の活動を羨ましく思っているうちに、茜が待つ天文部部室に三人は到着する。

屋上に近い古びた部屋の扉から茜が角を見せて、タスクの帰りを待っていた。
彼女の様子から見ると、そら先生は未だ夢の中と推測される。
「あ!芹沢くん。こんなの見つけたんだけど」
「なにそれ」
サッカーボールほどの球体に、土台が付いた黒色の物体。段ボール箱に投げ入れられた雑誌に埋もれていたものを、夏目茜が発見したのだ。
物体から電気コードが延びている。少しほこりがかぶっているものの、軽く拭いてやれば、元の姿に簡単に戻るだろう。
ふと、思い出したようにタスクが口火を切る。

「これって、室内用のプラネタリウムだよね」
「そう言えば、部長さんが昔そんなのがあるって言っていたけど……。言っていたっけ……?」
自信なさ気な茜を気遣いながら、タスクは言葉を続ける。
「確か、どこかになくしたって言ってたんだよ。よく見つけたね」
タスクに誉められた茜は、まるで悪いことをしたときのように小さくなった。
誉められれば誰だって嬉しいが、こうも大勢から誉められると、ちょっと茜は萎縮する。
「すごいね!」
しいっと、口の前で指を揃えるヒカルで、泊瀬谷は部屋の中のそら先生のことを把握した。
そして、小さく謝った。
「そうだ。もしかして……これでちょっと」
「なに?ヒカルくん」
子供がいたずらを思いついたような目。ヒカルはそんな目をしていた。
うんうんと、ヒカルの話を聞く三人、そしてヒカル。一つになった気持ちがつぼみをつけた。
ヒカルは化学準備室へと向かうと言い残して、尻尾を揺らしながら階段を降りていった。

残された三人は、ヒカルから言われたようにまだまだ起きないそら先生を起さぬように、音を立てずに準備を始めた。

足音を立てないように、そっと三人は部室に入る。
窓が言うには薄暮の時間だと言う。街が遠く見える丘の上。きょうも一日を癒す夜が来る。
「そおっと、そおっと」
開いているダンボールを一枚の板にして、窓ガラスを塞ぐ。カーテンをかけて薄暗くなってきた光の進入を拒む。
「泊瀬谷先生。確か、暗いところで目が慣れるには、少なくとも15分はかかるんだって……」
「そうなの?」
「そうだね。観測会のときも薄暗いところで、しばらく待っているもんね」
茜は冬の観測会で一緒に凍てつく風を堪えながら、シリウスにうっとりしていたことを思い出した。
暗闇で一緒に目を慣らしながら、タスクと甘い(神話の)お話をしていたことを思い出した。

「持ってきたよ。タイマー」
小声でヒカルが科学準備室から戻ってきた。手には、コードが延びた小さな機械。箱一杯のダイヤルが目立つ。
タイマーをプラネタリウムに繋ぎ、電源をプラグに差し込むと、一同はにっと笑う。
本体のスイッチを入れて準備はOK。LEDが赤く灯り、ダイヤルが差す時間は15分後。それでも、そら先生はすやすやと眠る。
15分間、そら先生はすやすやと眠る……。

あと10分。
まだまだ目が慣れない。しばらく暗闇の中お互いの顔を見合って、目を慣らしながらそら先生の寝顔を覗き込む。まだまだ時間はある。
あと5分。
ヒカルと泊瀬谷の姿が白くぼうっとタスクと茜の目に映り始める。薄暗い中のケモノは、不思議と綺麗に映っていた。
あと3分。
ヒカルの尻尾が隣で据わる泊瀬谷の太腿に触れる。恥ずかしくも、ちょっと幸せそうに泊瀬谷はヒカルを注意する。
あと2分。
まだまだ暗いからと、泊瀬谷はヒカルの指を手探りで摘もうとする。摘めないまま諦める。
あと1分。
そら先生が寝返り打つも、椅子から転がり落ちないという神業を見せる。
あと30秒。
瞬き早くなったタスクは、茜のシャンプーの香りに惑わされる。
あと15秒。
茜が角のリボンを直す。
あと10秒。
いきなり『ロミオとシンデレラ』の着メロが響き渡る。

「いけない!マナーモードに!」
慌てたタスクは携帯を取り出すが、幸い暗闇に目が慣れている状態。
しかし、GOOD NEWS あふたー BAD NEWS。
「う、うーん……。ロミオはペルセウス、シンデレラはアンドロメダだよねー」

ぱぁあっ!!

天井は宙。
星屑がお喋りをはじめ、つられてケモノも目を覚ます。
ほんのひとくち口にすれば、砂糖と光りの味が舌一杯に広がるのだろう。
一粒一粒が狭い部室に広がって、手に取れそうな遥かなる恒星たちが地上のケモノの瞳に焼き付ける。
「うわぁ……」
見てごらん。あれが春の大曲線。天を廻る大きなクマの尻尾から、優しく伸びる曲線の先には一粒の赤い星。
きっと南国の果樹のような刺激的な甘さがするのだろう。うしかい座のアルクトュルスはて夜空をほしいままにしようとするクマの番人だ。
その漢をなだめようと側で微笑むのは、白く輝くおとめ座の星。スピカはきっと母性一杯のミルクの味がするのだろうか。
桜の季節の大きな弓は、言葉失うぼくらを惑わす。

「芹沢くん!夏目さん!今夜はとくにきれいだよ!!最高の夜空を楽しもうね!!」
弓の先にはたぬき座の……、いや。そんな星座、聞いたことが無い。乙女の足元で地上を見下ろすからす座も、見たことが無いと悩んでいた。
たぬき座に並んだ一等星は、どこの星図にも載っていない。ただ、どこの星よりも輝きを放っているようにも見えるのだ。
さっきまで眠りこけていたそら先生。人の創りし明かりだけども、天井の夜空を見上げて諸手を挙げていた。

「あの……先生」
「夏目さん!御覧なさい。うれしいね、うれしいね。あれ?はせやんも?犬上くんも?」
星を枕にしていたそら先生は、薄暗い中で天井の星粒に心奪われている生徒と同僚教師を見つけると、不思議がるどころか
「ようこそ!星たちが奏でる音楽会へ!」と小さな体を震わせながら喜びを表し、一方泊瀬谷は、ヒカルの側に座って
赤らめた頬がそら先生やタスクたちにばれていないか、ちょっと胸を熱くしていた。

さて、そのタスクはと言うと、携帯の明かりで星を消さぬように表に飛び出していた。相手は姉の芹沢モエ。
『遅くなるなら一報を送りなさいって言ったでしょ?今夜は冷えるからね!
きょうはわたし特製のオムレツがタスクを待ってるから、寄り道しないで帰ってらっしゃい!』
女の子スキルは彼氏ができるとレベルアップすると言う。姉の女の子スキルがもしかして知らず知らずのうちに上がっているのではないのかと、
そしてオムレツの出来具合を色々な意味で心配しながら、タスクは姉からのメールを閉じた。
タスクは窓から暗くなりつつ街を見つめて、エプロン姿の姉を思い浮かべる。

天文部部室内では……。
「芹沢くんがいない……よ」
茜の心配そうな声と共に、ヒツジの少女は部室から飛び出す。窓からは瞬き始めた春の星座が、彼女を歓迎していた。
今夜はよい星が見れそうだ。今夜はよい神話が語れそうだ。毎晩出ているはずなのに、この晩だけじっくり見るなんて、なんて贅沢な。
でも、たまには贅沢もいいんだよ。と、そら先生と共に彼らは空を見上げ続けるのだった。

天文部の部室に残された泊瀬谷とヒカルは、まだまだ続く室内の天体ショーに引止められて、言葉を失っているところだ。
「ヒカルくん。あの星、何て名前なんだろう」
「……どれですか」

ヒカルが困る顔を見てみたい。
ヒカルが悩む素振りを見てみた。
ヒカルが星を見上げる姿を見てみたい。

結局は、どんな星でもよかった。泊瀬谷は一際目立つ星を指差して、ヒカルの答えを待っていた。
特に星に関して知識があると言うわけでもないが、ヒカルにどうしても聞いてみたかった。
星を見つめるイヌは、何を思って見上げるのだろう。
手にすることなんかできやしないのに、ましてや天井に映るプラネタリウムだ。

夜は森羅万象、数多のものを生み出す時間だという。
太陽の光で育まれた息吹は、月の静かな明かりで癒される。
目に見えるもの、見えないもの。月の明かりと星の輝きで芽を伸ばし、つぼみを開かせ、月下の花のごとく花咲かす。
花は月の冷たい光に狂い、蔦を伸ばすと、知らず知らずのうちに恥じらいだけの一人のネコに絡みつく。
泊瀬谷は昼間見ているヒカルよりも、夜空の元のヒカルの姿を見て、今までよりも心締め付けられる思いをしていた。

ヒカルがそれに気付いているのかどうかは分からないが、ヒカルの一言が泊瀬谷に絡まる蔦を解く。
「…… わかんない」
「そっかあ……。ごめんね」
結局は、どんな星でもよかった。泊瀬谷は星に願いを託して、初めて願いが叶った気がした。

「はせやーん。おとめ座が昇ってるよ!!」
部室の外からそら先生の声が届くと、泊瀬谷は立ち上がりヒカルの手を引いた。
ヒカルの手首の毛並みに泊瀬谷の指が埋まる。
二人は星空を映し出すプラネタリウムをそのままにして、そら先生と天文部部員の待つ日の入りの空へと駆け出した。
「それ!!ヒカルくん!寒いからって、部屋に閉じこもってちゃだめだぞ!」
屋上への階段を駆け上る。澄んだ空気が寒く心地よい。夜空とケモノはよく似合う。
もしかして、夜空の元ならヒカルと何でもいいから話す口実が出来るんじゃないかと、薄暗いことを言い訳に、泊瀬谷はヒカルの指を掴む。


おしまい。