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**そよ風の憧れ 「助けてっス!!!ボクの人生最大の危機を助けて欲しいッス!!」 いつもは静かなそよ風吹き抜ける午後の佳望学園の図書室で、けたたましい悲鳴がいきなり広がった。 声の主は保健委員。ケモノの尻尾をふりふりと、ケモノの脚をぶらぶらと、そしてパニくるこえはぎゃあぎゃあと。 他でもない。ちょっと高めの本棚の一番上の本を取ろうとしていただけのことだ。しかし、無理してジャンプしたのがいけなかったのか、 片手を棚に引っ掛けて地上50cmの宙ぶらりん。いつも被っている海賊の帽子もこのときばかりは勇ましさも感じられなかった。 保険委員の声を察知してか、白くて大きな尻尾を揺らしながらやってきたのはイヌの少年・犬上ヒカル。 ついインクの香りに誘われて小説もいいけどエッセイも、と思いながら背表紙の文字だけで今日借りる本を選りすぐっていたところ、 この部屋に似つかわぬ声を耳にした。声の元は、『保健』に関する本棚の方。借りようかと思っている本を手に現場へ向かう。 今、危機に陥っている保健委員を助けなければと、ヒカルは暴れる一方である保健委員の脇を抱えて、そっと母なる大地に下ろしてやった。 「ふう……。助かったっス!ありがとう!ヒカルくん!」 「……図書室では、静かにね」 「分かったッス。で、あのー……ヒカルくんにお願いが」 遥か高く見える本棚の頂上、お目当ての本が取りたくて恐る恐る視線で指差す保健委員。 コスプレの眼帯もこのときばかりはちょっと格好が付かない。ヒカルは保険委員の目を一瞥すると何も言わずに、本棚上段に手をかけた。 「そう、その本っス」 小柄な保健委員が取りたくても取れなかった本を軽々と手にするヒカル。いや、保健委員が小さすぎる為だろう。 ヒカルはじっと注射器や聴診器の絵が描かれた本の表紙を見つめて、大きな尻尾を揺らした。 「そう!ボクの夢は立派な保健委員になることっスよ」 「……」 司書さんが待つカウンターへと、本と志を胸に抱きながら保健委員はヒカルと並んで静かにじゅうたんを踏み鳴らす。 図書室の窓が額縁のように校庭に立つ大きなイチョウを描き、梅雨の合間の光を受けていた。そして、そのおこぼれを頂く一人の子ネコ。 「クロも風に乗ってみたいニャ」 イチョウの枝に腰掛けて、衣替えしたばかりの制服の裾なびかせて、クロネコの佐村井玄子が水無月の風を感じていた。 ―――図書館でお気に入りの一冊を借りると、ヒカルと保健委員は好きな本のことを話しながら下駄箱へ向かった。 犬上ヒカルという子は普段は物静かなのだが、本のこととなると話が止まらなくなるらしい。 初めて読んだ絵本、先生に薦められた童話、父から贈られた詩集。高校生になるまでに積み上げてきた小さな読書歴が、春を待ち望んだ花のように咲き誇る。 負けないッスよと保健委員も頷き返しながらアンリ・デュナンやナイチンゲールの偉人伝を思い出す。 幼いころ読み漁った本はいつか思い出と、記憶の糧になるとは誰が言ったのか。 話に夢中になっていたからか、二人はいつの間にかクロの登っている木の下にやってきていた。 「何してるッス!落っこちたらケガするッスよ!骨折して……」 「……」 保健委員は子ネコが木の登る姿に肝を冷やしているが、冷静に考えれば杞憂に過ぎない。何故ならクロはネコの子。 それを分かっているヒカルは、子ネコを通り越してグラウンドから響く声の方が気になっていた。 いつも聞きなれた中等部の生徒の声に混じって、聞き覚えのある若いお姉さんの声が届いたのだ。 「来てるのかな……」 「誰っスか?」 「杉本さん……」 ―――そのころ、グラウンドで小さな巨人・イヌのサン・スーシ先生が『コンダラ』を引っ張ろうとして、空中で足を空回りさせていた。 もっとも『コンダラ』と言う呼び方は正しくないと理解している者は多いと思われるが、おそらく国内では『コンダラ』で通じるアレ。 その『コンダラ』の重量を制しきれず、握り棒を持ったまま宙ぶらりんなサン先生は、ひたすら足を永久機関の如く回し続ける。 「あははは!サンったら本気出せー」 サン先生だって、狙ってやっているわけではない。なのに、笑い声が聞こえてくるなんて、台本なしのコメディ映画が大ヒットするようなもの。 さて、その声の主とはバットを杖代わりにし、ケラケラと笑いながらサン先生の本気ぶりを眺める若い女のネコ。 Tシャツから覗く白い毛並みと、ショートの金色の髪が健康的。すらりと伸びたGパンの脚はお子ちゃま体型のサン先生と対照的。 いや、お子ちゃま体型と言うより「見た目は子ども!」を体現した立派な成獣男子なのだが、如何せん言動がお子ちゃま以上オトナ以下だ。 実際にサン・スーシ先生は、初等部の子たちと比べても大差がない。むしろ先生の誇りといっても差し支えはない。 それに『コンダラ』の握り棒は丁度、サン先生の顔あたりに当たるので『コンダラ』はサン先生を軽く持ち上げることができる。 「まったく、ミナは何しに来たんだよ」 「理由なんか後付で十分だよ」 彼女は学園外部の者。教師にしては自由すぎるし、生徒と考える道筋は、はなから間違え。だが、親しげにサン先生に話しかける。 第三者から見れば凸凹だけど、離れ離れになったピースがぴったりと合うようなネコとイヌは、放課後の佳望学園を賑やかす。 「あのー、サン先生。全然進んでいないんですけど」 「動いてる!動いてる!」 「ちっとも、そうは……」 サン先生、中等部の生徒たちにまで心配されているようじゃ、そろそろ誇りを守ることを考えたほうがよろしゅうございませんか? ほら、御覧なさい。中等部のお気楽三人組タスク・アキラ・ナガレが手に野球用のグローブをはめて心配そうに見つめる姿が滑稽に映ったのか、 若い女のネコは使い込まれたスニーカーで駆けつけて、意地っ張りな仔犬をからかいにやって来たではないですか。 「ミナはまったくなにしに来たんだよ」 「面白いな、コレ」 「あの、杉本さん……」 「ミナでいいよ!アキラくん」 オトナのオンナノヒトと話が出来ただけで、アキラはちょっと舞い上がった。 オトナのオンナノヒトが笑っているのを見ただけで、タスクはちょっと尻尾が揺れた。 オトナのオンナノヒトのTシャツが捲れただけで、ナガレはちょっと瞬きが多くなった。 弟みたいなオトコノコたちに囲まれて、杉本ミナは少年のような無邪気さを垣間見せる。 「いい加減、諦めなよ」と、言い終わると同時に空を突き抜ける気持ちの良いサン先生の音。 頭を擦りながらサン先生は目の前で満面の笑みのミナを見上げていた。「コレでも教師だぞ」と抗議するも、ミナには届かず。 手をはたいて『コンダラ』を諦めたサン先生は、両脚揃えてとび跳ねる。 「あの。ボール持って来ました」 「でかしたっ。気の利く男子は女の子にモテモテだ」 バケツ一杯にソフトボールを詰め込んで、両手でふらふらと抱えるイヌの芹沢タスクは、反射的に頬を赤らめた。 グローブに拳を叩き込んで、気合だけはいっちょ前のアキラ。物静かにメガネを光らせるナガレ。そして、生徒以上に生徒なサン・スーシ。 透き通る空と、汗ばむ季節に誘われて。グラウンドに白球の虹を架けてみせると、杉本ミナは意気込んだのだ。 「さあ!みんなバックバック!!わたしの球をキャッチしたいなら、相当後ろに行かないと取れないぞー!」 男子4人組よりも活発で、空色のような声を上げてバケツから球を拾い上げ、軽く上に投げる。腰を落とし、脚に力を込める。 音が出るぐらいの勢いでバットを振ると、ポカチーンと音を立てて白球は大空に吸い込まれた。 タイミングを合わせたように風が吹く。ミナのTシャツの裾が揺れ、白い毛並みのへそが顔を出した。 おっと、健全かつ不健全な思春期の少年にはちょっとこのご褒美は早すぎる。いや、奴らはそれ頃じゃない。 愚直にまっしぐらに、そしてケモノの本能そのままに白球を追い駆けているのだから、そりゃ残念でした! 「タスクくん!走れー!!」 一度地面に落下した球は勢いをそぎ落とし、幾ばくか跳ねながらグラウンドの外へ向かって逃げ出す。 ワイシャツ乱しながらタスクは一心不乱に球を追い駆け、グローブでキャッチ。下手投げでホームのミナに送球するも、 地面を駆け抜けるネコに追われたネズミのように、球は素早く転がっていった。しかし、悔しそうなのはサン先生。 「あ、あれは……ミナが打つのがヘタクソだったんだよな」 「ヘタクソの癖にヘタクソ呼ばわりなんて、サンには千本ノックだよ!!ヘタクソ!」 白い歯を見せて、白い毛並みを揺らし、球を一つ拾い上げて、さあマシンガンの如くミナの千本ノックがサン先生に浴びせ……。 いや、意外にも球はゆっくりと垂直に飛んでいった。地上の一堂、天を仰ぎ各々両手を上げる。 革の響く音!清々しい爽快感!そして、一瞬の静寂!一人だけが浴びることを許された視線! 「あ……」 マヌケな声を上げたのはタスクだった。両手を挙げて一旦掴んだ球が転がり、頭にコツリ。 「わたし、ヘタクソだから簡単に取られちゃったね!」 「へたくそ!!」 「言ったね……、サン・スーシくん」 ミナの本気がみなぎる。動き出した機械仕掛けの時計のようにゆっくりとバットは地上から天を指し、ボールを持つ手も力が入る。 構えたポーズからはゆらゆらと陽炎のような空気のゆれ。そんなに暑い季節でもないのに、ミナの周りはとみに濃い影が出来ているようにも見えた。 ぱあっ!と天空に放たれたボールは一瞬のうちにミナの振り切るバットに吸い込まれ、この夏いちばん快い音。 取るか? 取れぬか? 取るか? 取れぬか? 取るか? 白い雲に吸い込まれそうなボールを追い駆け、両手を挙げるサン・スーシ。 丸いめがねに丸い球が映る。大きくなりつつある白球。地面のイヌに向かって、すっと……。 ―――クロがヒカルの肩に飛び込んだ。 予期せぬ出来事にヒカルは目をちょっとだけ丸くした。初等部の児童とはいえ、いきなり背中にオンナノコが乗ってきたんだから。 「ヒカルくんのお陰で、空を飛べたニャ!!」 ほんのわずかだけど、鳥のように空を独り占めできたクロが珠のような歓喜の声をあげる。ヒカルはその声だけで、全てを許していいとも思った。 あまりにも一瞬の出来事だったので、保健委員も口を開く暇さえなかった事実。クロはヒカルの若々しい白い髪に顔を埋める。 「くんくんするニャ」 「……」 けっしてヒカルは声を荒げることは無い。小さく細いクロの脚がヒカルの両腕に掛かり、くすぐったいクロの手が首筋を擦る。 クロの黒曜石のような毛並みがヒカルの雪に埋まり、ただでさえ小さなクロが小さく見える。 「くんくん……ニャ」 夢は見えた?夢は叶った? クロは「今度は大空を飛ぶニャよ!」と目をつぶってヒカルに抱きついた。 「おや?ヒカルくんじゃない。これまた背中にかわいい子をおんぶしちゃって」 「あ、あの……。杉本さん」 「ミナでいいよ!」 ヒカルはちょっと頬を緩めた。自分と同じような格好をしているミナとかち合ったのだから、当然と言えば当然だ。 ただ、ミナが背負っていたのは『かわいい子』ではなく、頭にたんこぶ作ったサン・スーシだった。 「たいしたことない!たいしたことない!!」と、大声を出して抵抗するサン・スーシだが、ミナに全てを掌握されて だだをこねる子ども以上に金切り声をグラウンド一杯に溢れさせていた。後を追う中等部の三人組も見守るだけ。 とみにヒカルの背中が軽くなる。サン先生の声で目を覚ましたクロが、恥ずかしそうな顔をしてヒカルと保健委員の間にぴょんと割り込んだのだ。 「大変ッス!取り合えず患部を冷却するッスよ!!ヒカルくん、おんぶッス!」 「ええ?」 「ちょ、ちょっと!白先生は勘弁だぁぁ!!」 クロの代わりに今度はサン先生かぁ、とぼやく暇も無くヒカルは暴れるサン・スーシを背負い中等部三人組引き連れて保健委員と共に保健室へと急いだ。 「お姉さん……は、ニャ?」 「先生のお友だちよ」 スカートの裾を引っ張り、背を丸くするクロの目線にミナがしゃがむとミナのTシャツから白い毛並みの背中が見えた。 「もしかして、お姉さん……。わたしをお子さまって思ったニャね!だって、だって、ヒカルくんにおんぶされて! わたしだって立派な『れでぃー』なんだから、おんぶなんかされても嬉しくないニャだもん!だって……だって」 「ふふふ」 「空を飛びたかったんだもんニャ」 クロのすねたような、恥らうような、爪先立ちの子どもの背伸び。 ミナはクロの目線まで腰を落とし、頭を撫でながらクロをなだめる。 「気持ちよかった?」 「うん」 「そうなんだ、わたしも飛んでみたいなあ」 ――― 街が一休みする時間なのに、未だ外は明るい。佳望学園からの坂道を一台のバイクが風を切って下りてゆく。 ちょっと昔のデザインだけど、古さを感じぬミナの愛機。白いヘルメットから顔を出すミナの短い髪が涼しげになびいた。 エンジンの振動は心地よく、夏の香りをかぎ分けながら、目下に映る街を望む。空の雲は白い。 「コイツで空を飛べたらいいのになあ」 風は味方。 風はよき友。 ネコだって、ケモノだって、風さえ心許せば空を飛べる。愛機に乗っていると、そんな錯覚さえ事実だと思い込んでしまう。 「まったく、ミナは何しに来たんだよ!」 後ろからサン・スーシがポケバイに乗って追い駆ける。グランドにいたとき以上にやかましい声を聞きながら、杉本ミナはスロットルを噴かす。 「理由なんか後付けで十分だよ」 おしまい。

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