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コレッタ、木に登る

白い子ネコが銀杏の木からずり落ちた。金色の髪の毛が滝のよう流れ、子ネコの顔に降りかかる。
「あいったたた!うにゅう……もうすこしだったニャ」
「やーい、コレッタやーい!にゃ」
初等部のコレッタはしりもちをついて、捲れたスカートを押さえながら、目に薄っすらと涙を浮かべた。
木の幹にしがみついていたコレッタは、腰の辺りの高さから落ちたのだが、痛さよりも悔しさの方が強い。
「もう!クロったら、突然帰りに木に登るって言うんだからニャ!」
「悔しかったら、登ってきなさーい!にゃ」
枝の上ではコレッタと同じ初等部のクロが、両手一杯にこぶしを振り上げるコレッタを見下ろしてケラケラと笑い、
コレッタはコレッタで悔しかったのか、銀杏を揺らそうと大きな幹に抱きつき揺さぶる。しかし、所詮はぬかに釘。
足をぶらつかせているクロは、眼下に広がる佳望の街の眺めを堪能しながら、白い子ネコをからかい続けた。

一面に広がる道、安らぎの家々、そして透き通る空。
目の前の校舎が手に届くよう。音楽室の方から吹奏楽部の練習なのか、楽器の音が聞こえてくる。
グラウンドの上には大空部の子たちが、気持ちよさそうに風に乗っているのが見える。
クロのものだけにするにはもったいない。コレッタも登ってみせるニャ!と、息巻いたものの、コレッタは少し登って
ずり落ちて、また登ってずり落ちる……という、どの目が見ても「体育、いやニャ!」を漏れなく体現していた。

「スカートだからきょうは手を抜いていただけニャ!だって、制服を汚したらおかあさんから叱られるからニャね」
「わたしはスカートの下にブルマを履いてるから、捲れたって平気にゃね。制服だって汚れてないにゃよ?
やっぱり、コレッタの登り方がヘタクソなんだにゃねー。あー!気持ちいい眺め!」
尻尾をゆらゆらと揺らしながら、コレッタはおすもうさん宜しく銀杏の木の幹にどすこいかますが、ただ手が痛いだけであった。

あきらめたのか、コレッタは根元に置いていたランドセルを担ぎ、クロを置いて帰る支度を始めた。
木登りなんか出来なくってもいいんだもんニャ!危ないことをやったら白先生に怒られるニャよ!と負け惜しみを言いたげなコレッタ。
両手でランドセルの肩紐をしっかり握り、悔しさを紛らわせていると、尻尾を引っ張られる感覚がコレッタを襲う。
「ここまで近づいて気が付かないのんびり屋さんは、木になんか登れっこないにゃ!」
「クぅーロぉー!!わたしだっていつか登ってやるんニャもん」
負けず嫌いなコレッタはクロに追いかけられながら、それぞれのコレッタの母が待つ家へと二人は帰宅していった。

コレッタが家の扉を開けると、チーズの焦げる香ばしいかおりが鼻に届いた。
くんくんくん。これはもしかして、おかあさんが何か作っているのかニャ?ぱたぱたと廊下を駆けて飛び込むと、
台所ではコレッタの母がオーブンレンジの前で、遠い友と待ち合わせをしているかのようにそわそわと立っていた。
「コレッタちゃん、お帰りなさい。コレッタちゃんの好きな『お餅グラタン』を作っているのよ」
お正月に残ったお餅に、とろけるピザ用のチーズを乗せて作った『お餅グラタン』。
お餅の和と、チーズの洋が上手く絡んだこの時期には、非常に都合のよいお手軽品である。
毎年、コレッタはこのお餅グラタンを食べるのが楽しみであったが、きょうは素直に喜べない。
「もうすぐ出来上がるから、早く着替えてらっしゃい」
「……おかあさん。わたしもクロみたいにひょいっと木に登りたいニャ」
コレッタは手首を舐めながら、銀杏の木であったことをコレッタの母に話した。
頷きながら丁寧に話を聞いているコレッタの母は、コレッタの頭を撫でながら優しく諭す。

「そうね。ネコの子は、みーんなコレッタちゃんぐらいになると、木に登ったりしてるもんね。でも、大丈夫よ。
お母さんもコレッタちゃんの頃は木に登れなかったしね。それに、もっと上手な子が居たのよね」
「でも、クロに負けたく無いもんニャ」
「あらあら。無理して木に登っちゃ、落っこちて危ないわ」
柱に抱きつき、爪を立てる振りをしながらコレッタはぷりぷりと尻尾を揺らす。
コレッタを大人にしたようなコレッタの母は、娘の姿を見て頬に手を当てて笑むしかなかった。
「コレッタだって、木登りできるニャ!」
側で唸るだけだったオーブントースターが「チーン」と音を鳴らして、ふたりに割り込んできた。
「できたわよ。早く着替えてらっしゃい」
湯気とともに、チーズ香りが台所に広がった。コレッタはとことこと着替えに自分の部屋に向かった。

―――その日の晩。コレッタは寝床に入る前、次の日の準備をするために教科書、ノートを机の上に揃えていた。
算数は定規、社会はプリント……体育は……。と、一気に気分が暗くなる。まるで曇り空の夜のよう。
「ニャー。体育があるのニャね……。あしたは雨でも降らないかニャ」
カーテンを開けて空を仰ぐと、暗いコレッタの気持ちとは相反して、残念ながら美しい星が天に満ちていた。
この星空ならば、きっとあしたも気持ちの良い晴天に恵まれるのことだろう。
じっと見て、あの星とあの星を繋げると……。クロの顔に見えてくるのはどうしてだろう。
「コレッタはまだ木に登れにゃいのね!」
「う、うるさいニャ!!」
怒鳴る相手もいないのに、夜空に向かってコレッタはネコパンチするも、コレッタの手は物悲しくも空振り。
のんびり瞬いていたのに、勝手に怒鳴られた星たちにとっては、いい迷惑なのかもしれない。

「おやおや。窓を開けっ放しにしてると風邪引いちゃうよ」
「そうだ!風邪引けばいいニャ!」
コレッタの母がアイロンをかけたばかりの体操服を持ってコレッタの部屋に入ってくると、コレッタはぽんと膝を打つ。
手を口に当ててコレッタの母が余りにも笑うので、コレッタは頬を少しふくらます。お昼に食べたグラタンのお餅のように。
「だって、だって!体育はイヤだニャ。クロもミケも笑うからニャ」
「あしたは体育だもんね。ケガしちゃいけないから、木登りのことは忘れようね」
肉球のワンポイントのついた手提げに体操服を入れながら、コレッタはあしたの体育を気にしていた。
コレッタの母が部屋から出ようとすると同時に、コレッタは目に涙を溜めながら声を張り上げた。
「あしたは……、あしたは……。学校でヒカルくんに木登りを教えてもらうんだもんニャ!」

しまったニャ!困ったニャ!
そんな約束はひとつもしていない。しかも、ヒカルはイヌの少年だ。木登りなんか出来るはずが無い。
コレッタの母が「忘れなさい」って言うもんだから、ついついコレッタは木登りのことを思い出したのだ。
しかも、ふと思い出した人物は、文化祭のときに、劇の練習に付き合ってくれたヒカルのこと。
だから、反射的にヒカルと練習するなんて、コレッタは口走ってしまったのだった。

ついてしまったウソを取り消そうと、コレッタは手を振りながらもごもごと口を動かす。
「そうなんだね。それじゃあ、あしたは頑張らなきゃ」
「……ニャ」
「コレッタちゃん。もうすぐ、おやすみなさいの時間よ」
静かに扉が閉まる音を残して、コレッタの母は部屋から去っていった。
開けっ放しの窓からひんやりと空気が入る。コレッタが毛を逆立てる。そして、後悔が残る。

あしたの準備の続きをしながら、コレッタは「あした、ヒカルくんと練習しなきゃ、コレッタはウソツキになってしまうニャ」
と、ため息をついた。教科書の一冊一冊がこんなに重いと、コレッタも思っていなかった。
全ての教科書やノートをランドセルに詰め込む。かぶせを閉じ、パチンとカギをかける。
教科書を詰めたばかりのランドセルに、銀杏の木宜しくコレッタは抱きつくと、ごろごろごろと部屋の中を
右から左、左から右へと転がっていった。長い金色の髪がふわりと花の香りを散らしながら舞う。あしたは、晴れますように。

―――夜が開けると文句の付けようの無い晴れた空が広がっていた。コレッタは学園への道を歩きながら、ふと考えた。
「そう言えば、ヒカルくんと練習するなんてことは、ヒカルくんには一言も言ってないニャ。
おかあさんも学校には来ることは無いんだから、このまま黙っておいても大丈夫ニャよね……」
足元の小石を蹴りながら、曲がり角に差し掛かる。この小石が校門を潜ればきっといいことがあると信じながら
曲がり角を曲がるが、その願いはもろくも崩れる。危うく一台の自転車と出会い頭で衝突しそうになったのだ。
長い髪が揺れ、花の香りが道端に……、とコレッタのことではない。自転車の方のヤツだ。
「おっと、小さなレディに危うくぶつかりそうになったね!いけない、いけない。だけど、これも何かの縁だと思わないか?」
「……うるさいニャ!!ヨハン先生はピアノの蓋に手を挟めてしまうがいいニャ!!」

佳望学園・イヌの音楽教師のヨハンが錆にまみれたママチャリに乗って、息を切らしながら学園へと向かっていたのだ。
ギシギシと油を切らした音をペダルから鳴らしていると、ブレーキの音がムダに大きく響く。
「実はね、華麗なる愛車がちょっと駄々をこねてしまって、仕方が無いからマンションの管理人さんから自転車を借りてきたんだよ。
でも、ぼくのようなヤツが自転車に乗れば、まるでフランスのファッション雑誌のようなスナップが出来上がるじゃないかい?
おっと、コレッタくん。きみのお母さまに『きょうはお世話になります』と伝えたまえ!」
「ニャ?何を言ってるニャか?また、悪いことでも企んでるんだニャ!その目が怪しいニャ!」
「音楽室でミニコンサートがあるんでね。吹奏楽部出身のお母さまが、差し入れを持ってきて頂けると聞きましてな!
おお!最終リハーサルの時間が刻々と近づいている!!では、コレッタくんもミニコンサートだけに『見に来んさ……』。
おおおお!ううぬっ、これだから変速が付いていないママチャリは……くぬうう!全身全霊を込めて……」
学園下の坂道でヨハンは自転車を立ち漕ぎしながら、他の自転車の生徒たちに追い抜かされてながら『颯爽』と去っていった。

一方、コレッタはヨハンの悲しくなるぐらいの駄洒落と、コレッタの母が学校にやって来るということを聞き、こうべをたらしてしまった。
見つからないようにこっそりと帰るかニャ?いや……お母さんのことだから、きっとわたしのところにくるうんだろうニャ。
揺れる尻尾がコレッタの心を言葉使わずに表す。いきなり、その尻尾を捕まれる感覚がした。
「ヨ、ヨハン先生かニャ!!」
「あ、あんなのと一緒にしないで!」
不満タラタラの顔でコレッタ尻尾を掴んだまま後ろに立っているのは、ヨハンの自転車姿を見ていたウサギの因幡リオであった。
集合時間に間に合わないからと、時計を見ながらリオは不思議の国ではなく、学園へと駆けていった。

―――昼休みの高等部、廊下にコレッタが立っていた。
正直、一人でここに来るのはちょっと勇気がいる。ウマの塚本やシカの来栖に絡まれたら、木登りどころではない。
ヒカルはどこにいるのかニャと、うろうろしていると一人のコウモリ少女が話しかけてきた。
シュシュで結んだポニーテールが、彼女の天真爛漫さを言わずと物語る。潤んだ瞳が印象的だ。
「おや、あなたは初等部のコレッタちゃんだよね?」
「は、はいニャ!!あ、あの……」
どうやら、塚本たちのおかげでコレッタのことは、高等部では結構ナが知られているらしい。
コウモリ少女からのどを擦られたコレッタは、大人しくなりのどを鳴らしながら小声で用件を話す。
透き通った笑顔でコウモリ少女は、コレッタを安心させるとしゃがんで話を聞いてあげることにした。

「そうなんだ。えっと、ヒカルくんね……。おーい」
窓際の陽だまりで本を捲っていたヒカルが、コレッタの方を向くとゆっくりと歩いてきた。
尻尾もつられてゆらゆらと揺れている。コウモリ少女と同じようにしゃがんでコレッタの話を聞く。
クラスの犬上ヒカルは、ヨハンとは違った種類の性格なイヌの少年。コレッタは自分の願いごとをヒカルに打ち明ける。
「あの……ヒカルくん。コレッタね、放課後に銀杏の木を登る練習するニャね。ヒカルくん……放課後は大丈夫かニャ?」
「……」
「……ニャ?」
「……ごめん。放課後、用事があるんだ」
ヒカルは少し考えるように間を空けて、コレッタに申し訳なさそうに小さな声で答えた。
「そうなんだニャ……」

そもそもコレッタが勝手についたウソだった。コレッタも断られても仕方が無いと諦める。
コレッタはヒカルのカーディガンの裾を引っ張り、無理を言ってごめんなさいのような意味の言葉を伝えた。
「そうニャね。コレッタが……なんでもないニャ!ひとりでできるニャ!」
さっきまでいたコウモリ少女は、いつの間にか昼休みの残り時間をめい一杯に青空の空気を翼で楽しんでいた。
廊下からヒカルは、コウモリ少女の飛ぶ姿を眺めていた。
「飛澤は元気だなあ」
「とび、さわ……さんニャ」

コレッタが呟くと、ヒカルを探していたかのように、ウサギの因幡リオが何枚かのプリントを持って廊下を早足でやって来た。
リオはヒカルにそのうちの一枚を手渡すと、メガネを人差し指でツンと上げて目線を合わせることをためらうように話す。
「ほら、これこれ!放課後までに読んでおくんだよっ!わかった?犬上?ちゃんと返事する!」
「……うん」
ヒカルに手渡した拍子にリオのポケットからプリントが廊下に一枚落ち、コレッタが拾って読み上げる。
「なになに?『ミッケミケにしてやんよ』?なんだこれニャ」
「子どもは見ないの!!」
頬を赤らめるリオであった。

―――放課後、コレッタは銀杏の木の下にランドセルを担いで立っていた。
銀杏の木の下にはコレッタと一台の自転車だけがたたずんでいるだけ。コレッタは一人で木登りの練習をすることにした。
体操服だと目立つので、制服姿でスカートの下にブルマを履いてきた。これで準備はいつでもOK。クロに見つかっても、
これから帰るところとごまかせばいいだけ。校舎のほうから楽器の音が聞こえてくる。きっとミニコンサートが行われているのだろう。
ヨハンが指揮棒を陽気に振り回している姿が影送りのように、雲ひとつ無い冬の空に浮かんでは消えてゆく。

きっと登ってみせてやる。でも、登れるかどうか心配だ。ちらと、クロが笑う顔が見える。
「コレッタはいつまでたってものんびり屋さんだにゃ」
コレッタだって、クロのように木の上から空を眺めたい。贅沢な風を銀杏の木と一緒に感じたい。
その夢が叶うのか、それとも志し半ばで潰えるのか。あくまで登るのはコレッタだが、一緒についてあげるだけでもかなり違う。
なのに、誰も居ないなんて。コレッタが不安になるなか、音楽室では次の曲の演奏が始まっていた。

「誰ニャ!!!」
ネコミミがくるりと上を向いた。上の方から音がしている!
コレッタが枝を見上げると銀杏の木上の方に、昼休みに会ったコウモリ少女がぶら下がっていた。
彼女が音を立てずに枝から飛び立つと、地上に降りる寸のところでコレッタと木の周りを一周し、コレッタの目の前に足を地に付けた。
「コレッタちゃん、よく来たね。がんばり屋さんだ」
「とび、さわ……さんニャ!!」
「あたしの名前、知ってるのね」
ヒカルが彼女の飛ぶ姿を見ながら、そう呟いていたからとコレッタは説明する。
昼間会ったときのように飛澤はコレッタののどを擦ると、気持ちよさそうにコレッタはのどを鳴らした。
飛澤はコレッタを実の妹のように、優しく言葉をかけた。

「お話はヒカルくんから聞いたのね。でも、ヒカルくんは先生の用事でどうしても抜けられないって。
でも……、ヒカルくんったらコレッタちゃんのことが心配なのかな?ちゃんとここに来てたみたいだよ」
「???」
「見てごらん。ほら、あそこにある自転車……」
「自転車が?……あ。ニャ……。ホントだニャ。そう言えば、ヒカルくんの上の名前……知らなかったニャ」
コレッタが気付かなかったのも無理は無い。見ると後輪のカバーには、佳望学園の許可証シールに『犬上』の名前があった。
コレッタが来る前に銀杏の木の下に一度来て、音楽室で行われるミニコンサートに駆けつけたヒカル。
「みんな『ヒカルくん』って、呼ぶからね。きっと用事が終わったら、コレッタちゃんを応援しに戻ってくるのかな」
そもそも、ヒカルを呼んで木登りの練習をするとコレッタの母にウソをついたことが、ことの始まりということを思い出したコレッタは、
尻尾の先まで恥ずかしくなってきた。ピョコンとコレッタがお辞儀をすると、金色の髪が風に乗って揺れていた。
いつも間にか、音楽室からの曲がさっきまでの曲から変わっていた。

コウモリ少女の飛澤は、コレッタと一緒に銀杏の木の下に座り、遠い空を見ながら話しかける。
「あたしもね、コレッタちゃんの年ぐらいのときは、トリさんのお友達に負けないように一生懸命空を飛ぶ練習をしたっけなあ。
滑り台から飛んだり、河原の土手から走り降りて飛んだり、お友達と一緒にね。でも、空を飛ばないお友達はね、
あたしが幼稚園の頃『なかなか飛べない!』ってことが分からなかったみたいね。ふふふ、コレッタちゃんも今に分かるよ」
「……」
「さあ!練習、練習!!お姉さん、コレッタちゃんのこと応援しちゃう!」
飛澤に奮い立たされたコレッタはランドセルを木の根元に下ろすと、両手を握り締めてやる気全開で銀杏の木の幹に飛びついた。

「コツを掴んだら、すぐに登れるよ!」
屈託の無い飛澤の瞳に勇気を貰うと、コレッタの水晶のような瞳にも小さな炎が揺れていた。
きれいに磨かれた靴を脱いで、根元に丁寧に揃えて置くと、コレッタの瞳は凛々しくも愛らしくも見えた。
飛澤は応援する名人だ。ネコのことはよく知らないが、人をやる気にさせる資質は長けている。
何度も何度も木の幹に飛びついては、ずり落ちて、木の幹に飛びついては、ずり落ちて、木の幹に飛びついては、ずり落ちて。
それでも飛澤は「その調子!」「ヒカルくんも応援してるよ!」「すごい!50センチ登れたよ」と、誉めまくる。
コレッタは、クロのことを忘れて夢中で木に登るコツを探していたところ、興奮の余り爪が木の幹に食い込む。
「お?おお?」
「どうしたの?コレッタちゃん」
何度も何度もコレッタは木の幹に手を当てては離し、そして深い鉱脈から金剛石を探り当てたときのような探検者の瞳をした。
コレッタの探り当てた金剛石は、コレッタ自身が持っていたことに気付いていなかったのだ。
「そうニャ!爪を使うニャね!よーし」
コレッタは木に飛びつき、幹を登る。あと、数センチ。あと、数センチ……。コレッタにとっては未知の視界が銀杏の小枝から覗いてくる。
コレッタから見れば飛澤の姿も、小さく見えるぐらいの高さ。ふわりとスカートが風で揺れる。
腕を伸ばし幹に近い比較的太い枝に手を掛けて、鉄棒宜しくぐるんと飛び移り、足をじたばたさせながら枝の上によじ登る。
「はあ……。ニャあ……」
肩で息をしながら、コレッタは銀杏の枝の上に座った。

「すごいね!いちばん下の枝まで登れたよ!!」
「ニャ……やった?やったニャ?」
大樹の枝には、白い子ネコ。金色の髪をなびかせて、美しい街がコレッタの目の前に広がる。
自分の力で登った。空が近い。街が近い。そして、心地が良い。
下から数えていちばん下の枝だけど、コレッタは自分で木に登ることが出来たのだ。
きのうまですいすいとクロが登っていた木を自分も同じように登ってみせたんだ。
クロの悔しがる顔なんて、今やどうでもよい。ここに座れたことが、いちばんのご褒美なんだと。

「コレッタちゃん!すごいね。あれ?……コレッタちゃん」
ところで、ヒカルが飛澤に来てもらった訳は2つがあった。
ひとつは女の子同士のほうが、コレッタも頑張るのではないのか、という推測。
もうひとつは……。

「降りられないニャ……」
さっきまでの気持ちの良い空気は、氷のような恐怖に変わり、コレッタの腕は危なっかしくも幹を掴んでいる。
オトナからすればそんなに高くは無いのだが、コレッタからすれば清水の舞台よりも高く見たのだ。
助けを求めるコレッタは、地上で待つ飛澤を見ることさえ出来なかったのだ。

「コレッタちゃん、待ってて!」
銀杏の木とは逆の方へ飛澤は風を切る。翼が空気を振るわせる。コレッタの視界から飛澤が消える。
脚をじたばたと動かすコレッタは、飛澤の姿が一瞬見えて消えていったので、声を上げることしか出来なかった。
それでも飛澤の気配はコレッタに今だ感じることはできない。飛澤さんが飛んでいった???

「と、とびさわニャーーーーん!!わーん」
「あたしの脚に捕まって!!」
コレッタの背後から聞き覚えのある声、羽音。側を風が近づく。大きくループを描いて再び銀杏の木に戻ってきた飛澤だ。
銀杏の木の側をかすめ、コレッタの目の前に現れた飛澤はコレッタのネコの勘を信じた。
コレッタに飛澤の背中が見る。ぴょんとコレッタは飛澤に捕まると、スカートが捲れる。飛澤の温もりを感じる。
さっきまでの冷たい恐怖は飛んでいった。沈みかけた太陽に二人の影が重なり、地上に再び降り立つ。

「……とびさわさん。ありがとうニャ!!」
木の根元から真上に飛ぶより、大きく輪を描いて上昇した方がコレッタを救うには確実だと飛澤は判断したのだ。
そのため、コレッタは自分を置いて飛んでいったと勘違いしてしまった。一瞬でもそんな思いをしたコレッタは少し恥ずかしくなった。

―――その頃音楽室では、ヒカルとリオがミニコンサートの後片付けをしていた。
窓際でヒカルが銀杏の木を気にしながら眺めていると、モップがけをしているリオに見つかった。
「ちょ、犬上!あとはモップがけでおしまいなんだから、早く終わらせて帰るよ!!」
「……ごめん、ちょっと用事」
「わー!犬上!わたしを一人にしないで!!この部屋で一人っきりになったら、どうなるか分かってるだろー!」
雑巾をバケツに投げ入れ、尻尾を揺らして犬上が音楽室を出ると、リオは尻尾に火がついたようにモップを必死に動かすが、
慌てたせいでモップをバケツにぶつけてひっくり返し、あたり一面大洪水。雑巾で毛並みを濡らしながら、自分で増やした仕事を片付ける。
(ちくしょー。ヒカルもヨハンもいなくなったら、ボカロの曲を音楽室のピアノでこっそり弾こうと思ったのに!)

リオの長い耳がピンと立つ。音楽室の扉が開き、留守にしていたヨハンが帰って来たのだ。
「おや?因幡くんは感心だな!!ひとりで雑巾をかける姿は、まるで舞踏会前夜のシンデレラのようだよ!
そう!この後は、カボチャの馬車が待っている。そんなきみのために美しいピアノソナタを奏でようではないか?」
「きょうの先生の馬車は、錆び付いたママチャリですよね……。もー!!犬上!帰って来い!!どこに行った!!」

―――「やっぱりここにいたのね」
「おかあさんニャ!聞いて聞いて!!」
音楽室のミニコンサートを終えて、校舎裏の銀杏までコレッタの母がやって来た。この場所は音楽室から良く見えるらしい。
遠くからでもぱたぱたと走って来るさまは、なんとなくコレッタと似ていた。
「あらあら!コレッタちゃん!こんなところで?」
「やっと木に登れるようになったニャ!!気持ちよかったニャ!」
抱きついてきたコレッタに少し困った顔をしたコレッタの母は、娘にケガがなくてよかったと胸を撫で下ろす。

「ホントかしらぁ?ヒカルくんと木登りの練習するって言って、ここにはヒカルくんがいないよね?コレッタちゃん、うそはだめよ」
「こ、この人がヒカルくんだニャ!ほんとうだニャ!!」
木登りが出来た喜びで、昨晩コレッタの母についたウソのことをすっかり忘れていたコレッタは、飛澤を指差して
誰でも見すかすことが出来るウソをついた。咄嗟に飛澤は「飛澤ヒカルです」とお辞儀をするも、コレッタの母は手を当てて笑うだけ。
音楽室から駆け来た『本物の』ヒカルが、コレッタたちのもとにやって来ていたのだから。

「ヒカルくんとは音楽室で会ってきたのよ。ミニコンサートのお手伝いをしてくれたのね。そう言えば、時々窓からここを覗いていたよ」
「そうなんだニャ。ヒカルくんもコレッタが木に登る所見たかったかニャ?」
ブルマを履いているとはいえ、制服姿のまま木に登るコレッタを音楽室から見てたので、ヒカルはそのことを思い出して顔を赤らめた。
「ヨハン先生もコレッタちゃんが、音楽室に来ることを待ってたみたいね。ミコニンサートだけに見に来んさ……」
「お母さん、そのギャグ教わったのは……誰ニャ」

音楽室から再び楽器の音が聞こえてくる。今度はピアノの調べが佳望の森に響く。
耳を澄まして音色を聞いてみると、どうやらコレッタの母に駄洒落を教えた犯人が弾いているらしいとコレッタの母は言う。
「あらあら、ヨハン先生ったらまだ弾き足りないのね。音楽室からモーツァルト・ピアノソナタ・ニ長調が聴こえてくるね」


おしまい。