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ひきこもり姫



 恋に落ちるならコイツだと、一台のバイクをしげしげと近くで眺める少女がいた。
 男子を見るなら足元から、教科書どおりのチェックポイントから逸さず黒光りする泥除けを見つめていた。
 吸い込まれそうな黒いタンクに彼女の真っ白な毛並みが反射する。同じく真っ白な外はねショートの髪が乱れても
気にしないぐらい、彼女はじっとバイクを見つめ続けていた。学校帰りの寄り道は楽しいと、言わんばかりに。

 「おや?いらっしゃい。また来たね」

 店頭に並んだバイクが眩しい。中古とはいえタンクは輝き衰えず、マフラーも錆が無い。
 曲線美を主張したタンクは女性らしさを髣髴されて、むき出しの空冷のエンジンは野性味あふれた男性らしさ。
単気筒のシンプルな構造は一本気な性格とも言えるし、見方によっちゃあ一途だとも言える。物は言いよう。
 女の子が男子に恋焦がれ、女子に憧れるのは世の理だ。そして、美しいものに手を出して傷つけたくなるのも世の理。

 「チコちゃん、だっけ?」

 本当は『莉子』だ。『りこ』だ。
 でも、ちっちゃいからみんなから『チコ』『チコ』と呼ばれていた。聞きなれた呼び名だというのに耳に届かない。
自分の名前を呼ばれたときには、すでに莉子は自分の世界に肩まで浸かりシートに薄い手をかけていたところだった。
厚みがあって、包容力に優れたシート。いつかこれに跨ってと風切る初陣を夢見て。

 「ね!チコちゃん!」
 「わ!すいません!すいません!」

 莉子は店の者から声をかけられたことに驚いて、思わずシートに爪を立てた。薄らと跡が五つの点で残る。
 しかし、時すでに遅し。尻尾を丸めてお詫びするしかない、寄り道だけの分際で何を言う。と、自分を責める。

 「ミナさん!すいません!シートに……」
 「いいよいいよ。こっちこそ、驚かしてごめんね。中古だから、このくらい『前オーナーがネコでしてね』ってごまかせば」
 「すいません」
 「でもさぁ。コイツ、10000キロぐらい走ってここにやってきて、それでもピカピカなのは正直嫉妬しちゃうね。
  羨ましすぎるぞって。『ボルティ』ってヤツは軽いし、足つきいいから、小柄なチコちゃんにはちょうどいいかも」

 ミナと呼ばれた大人のネコは店の雰囲気とは違ってスーツ姿に身を包んでいた。すらりとタイトスカートから伸びる足元は
ブーツでもなくパンプス、汚れても構わないシャツではなく襟元整ったブラウス。不真面目に例えるならば、女教師か。
 確かに焦った。確実に焦った。照れながら困り果てている顔をしているミナに申し訳立たないと。莉子は深々と頭を下げた。
 ぶらぶらと合皮のバッグをぶら下げながら、ミナは「なんか、落ち着かないんだよねー」と自分の身なりの違和感を
にこにことしながら文句を垂れた。きちんとした身なりでないといけないところに行かなきゃならないから仕方ないと。

 「ちょっと、行って来るね。あー、暑いし、歩きにくいし。でも、アイツのお願いごとだからちゃんとしないといけないし」
 「ねえ、ミナさん……」

 バイクを傷つけることを恐れて、一歩後ずさりしていた莉子は体の線が浮き上がったスーツ姿のミナにすがりたかった。
 例え、その姿が『バイク乗り』の姿でなくても。

 「このバイク、下さい!」

 中学生の率直な叫び。 
 ミナはちょっと首をかしげて意地悪そうに人差し指を口に当ててはにかんだ。

 「だーめ」
 「すいません」

 莉子は自分に諦めをつけるように謝った。

     #

 同じ空の下。 

 「すいません!すいません!」としきりに通り掛かる人達に謝る若いネコがいた。

 コンビニの前で右往左往としているのだから、嫌でも目立つ白ネコだった。二十歳ぐらいか、長い黒髪を揺らしながら、
メモ帳片手に入り口でたじろぐ娘、そしてそんな彼女に興味を抱いたちょっと年上なネコの女。じっとバイクに跨がって
白いヘルメットを脱ぎながら、自分に無いものを黒髪の娘からびしびしと感じていた。
 ふわりと金色の短い髪が揺れると、黒髪の娘のスカートも同調した。
 ミナが店内に入る間際、鈍い音がしたかと思うとまたもや同じ声。音の方を気にしていると、黒髪の娘が判で押したように。

 「すいません!」

 振り返ると店から立ち去るがたいの良いイヌの男に向かって何度も何度も黒髪の娘は頭を下げていた。
 そして、ミナが一番気になっていたことは彼女の手元にメモ帳がなかったこと。黒髪の娘のメモ帳はミナがぶら下げて持っていた
ヘルメットの中に転がっていた。おそらく黒髪の娘と男が肩をぶつけた際に、手からメモ帳が離れてしまったのではないか、と。
 ミナはメモ帳を拾い上げ、黒髪の娘を呼んでみた。そしてもちろん返ってきた言葉は。

 「すいません!すいません!」
 「謝ること無いよー。はい、大事なものでしょ」

 黒髪の白ネコはつばを飲み込んでメモ帳を受け取ると、コンビニの中に入るミナを呼び止めて、
一世一代の告白をするような勢いの目つきをして叫んだ。もちろん、ミナと目を合わせることを拒絶して。

 「わたしといっしょに、入ってください!」
 「え?」

     #

 「初めてなんです。こういうお店に一人で行くの」

 小さなビニル袋をぶら下げた黒髪の娘は胸を押さえながらミナと肩を並べてコンビニを出ると、きょろきょろとあたりを見回していた。
本当は買物が済んだらそそくさと立ち去ろうと考えていたのだが、ミナから先制されて「ちょっと、お話しようよ」と誘われた。
 コンビニの駐車場の片隅にいると、行き交う人々が気になって娘はなんとなく世間の歯車になったような感じがした。
 少々息が荒い娘はメモ帳に書かれた文字を何度も見直して、そして口に出していた。かすり傷負ったと思い込んだ自分を
庇いたいから自分で自分を慰めるように。

 「妹と一緒にこういうお店は行ってました」

 前髪パッツン、流れるような黒髪が萎れる。
 聞かれもしないのに、口から出る言葉。自分を守りたい一心にだろう。

 「なんか、しくじるのが怖いっていうか。傷つくのが怖いんです」
 「うんうん」
 「だから、ずっと自分の部屋にいた。パソコンさえあればなんでも出来ちゃうこの世の中を否定したくなかったし、ずっと続くと
  思ってた。きっと、傷つくことは同時に誰かにバカにされたり、笑われたりすること……きっと、それに怖気づいていたですよね」
 「へえ。そんなものなのかなぁ」

 こけて、倒れて、倒れてこけて……のバイク乗りだから、いつもどこかで傷ついたりしている。二人の差は体とハートの違いかも。
 あたりを気にしすぎている茉代の姿をミナは気にしていた。茉代は後姿でミナに自分を吐き出す。

 「いつもと違う場所だと、言い方が貧相ですけど……落ち着かなくて、そわそわしちゃう、ような。お姉さんもありますよね!」

 ミナは黒髪の娘がなかなか自分と目を合わせてくれないことが少し寂しかった。だからバイクのミラー越しに目を合わせてみると、
透き通るような紺碧の瞳が彼女の白い毛並みに似合っているじゃないのかなあ……と、眉を下げた。
 黒髪の娘の毛並みはまるで汚れたことを一度も許さないような、清潔感、いや聖域のような輝きさえ感じられた。

 「わたしもあるよーな?うん」
 「でしょ!でしょ!」
 「そうね。きょうほどどんだけ早く身軽になって、コイツに乗りたいなぁって思った日はなかったし」

 昼間、スーツ姿にならなければならない用事があった。
 正直、パスしたかった。
 それでも、自分が行かねばならぬ。
 羊飼いのボロ着で冷徹な王の前で謁見できるほどの勇気など持ってはない。

 コンビニの片隅に止められたミナの愛車。裾が擦り切れたジーンズに楽な格好の上着が彼女のことを端的に言い表していた。
 バイクに跨ったミナはタンクの上に置いたヘルメットに両腕をかけて、夜と夕方の境目を彷徨う天を見上げていた。

 「お姉さんとわたし、住む世界は全然違うけど、なんか分かってくれて……嬉しいです」
 「あなたの素敵な名前、もっといろんな人に知られたらいいのにね」

 ミナは黒髪の娘が手にしているメモ帳を指差しながら、バイクのキーを挿して回して白い歯を見せた。
 唸るセルモーターとエンジンの爆音にびくっとした黒髪の娘は手をもたつかせ、あわててメモ帳を読み直してみる。

 『買うもの。

  エクレア 2個
  オレンジジュース 1本

  分からなかったら、わたしに電話すること。

               茉代ちゃんへ』

 「チコ!」
 「ん?」
 「あ、あの、あの。いも……、いも、妹の名前です!本当は『りこ』なんですけど、ちっちゃいから!」

 エンジンの起動音で体が反射した茉代は同性なのにミナがいつか現れる王子、いや誇り高き王女のように見えてきた。
 片手を挙げて「また、会うかもねー」と、ミナが愛車に跨ってコンビニから立ち去ると、茉代は元の鞘に戻っただけなのに
寂しさを感じた。もしかして、茉代にとっては初めての感情かもしれない。だから、どこかに爪をたててみたい。
だからといって、自分に爪を立てるつもりか。ぎゅっとコンビニの袋を握り締めて、茉代は足早に家路に着いた。

 何度も何度も買物リストを口にしながら茉代が帰り道を急ぐ途中、何故、コンビニで誰かに声をかけてしまったのかと
自分で理由を探してみたが、思い当たるものが見つからなかった。ただ、自分と同じネコだったから?年上の人だったから?
そういえば、ネットの上では性差、年齢差、何もかも分からずに付き合えるのに、リアル世界でも出来たことが茉代には
不思議でたまらなかった。どうしようもないのに、どうしようもできない自分が悔しくて。

 「すいません」

 茉代は自分に諦めをつけるように謝った。

     #

 ネコは家につく。昔の人はそう言った。

 まだ手に入ることのない愛車に跨り、海岸の道を走る夢を莉子は見ながら畳の居間でごろ寝していた。
 そろそろ風が涼しくなってきて、着のぬくもりがひんやりと冷たさを帯び始める季節。莉子はそんな季節の変わり目が好きだった。
座布団を掛け布団代わりにして畳の上で転がっていると、嫌でも天井からぶら下がる蛍光灯が丸く見える。手うんと伸ばしてみるも
届くわけがない。ちょっと照れ隠しと畳にがりがりと爪を立てる。

 いきなりふすまが開いたかと思うと、コンビニの袋が飛び込んで莉子のわき腹にぶつかった。
 莉子が起き上がったときには既にふすまはぴしゃりと閉じてしまっていた。
 「茉代ちゃん!帰って来たんだったら『ただいま』は?」

 逃げる足音を追いかけて、階段を登り、茉代の部屋まで走り抜ける。扉越しに耳を当てると、スリープ状態だったPCが
目を覚ます音が聞こえてきた。片手で茉代が買ってきたコンビニの袋をぶら下げて、莉子は姉の部屋の前で佇む。
 姉の名前をささやいても、扉を優しく叩いても、予想通りのなしのつぶて。
 気付かれないように、音を立てずにそっと扉を数センチあけ覗いてみると、真っ暗な部屋でモニタの明かりに照らされている
姉のシルエットが妹の目に飛び込んだ。椅子の上で体育座りをして、耳にはネコ用のヘッドセットをかける。零れる音楽の歌詞は
合成された声で生身の生き物をずきずきと突き刺すような、隠したくなるような誰もが抱える痛みを正直にえぐる唄であった。

 脆い、ガラスの部屋。

 ここにいれば、外の景色はよく見えるけどいつかはきっと息苦しくなる。そして、ガラスが割れるとき、真っ白な毛並みを
突き刺さる破片で穢しながら、途方もなく立ちすくむことしかできしかないかも。
 茉代はガラスの部屋の居心地を非常に心地よく思っていた。

 だって、ネコは家につく。昔の人はそう言ったから。

 姉をそのままガラスの部屋に置いて居間に戻った莉子は一人でエクレアを食べていた。
 座布団にちょこんと座って頂く洋菓子、畳の部屋とは実に相性がよろしくって。

 「そういえば。茉代ちゃん、エクレア嫌いだっけ。『毛が汚れるから』って」

 エクレアはまだまだ少女の口には大きく、先の方だけで口いっぱいだ。舌でチョコを溶かすと、口いっぱい甘く広がる蜜に虜となる。
 口の周りをチョコ色に染めながら、莉子は残ったエクレアとオレンジジュースのペットボトルを見つめていた。

     #

 ミナは部屋の中でハンガーに掛かったスーツを下から眺めていた。脇には箱に再び納められたパンプスが一揃え。
 もう、着ることなんかないんじゃないのかと。もう、履くことなんかないんじゃないのかと。

 「チコちゃん。明日も来るかな」

 そればかり考えて、寝転んで背伸びをする。アイツの願い事が難航すると思ったことが、あっさり片付いたから反動で余計眠い。
 ミナは一日をうやむやにしたくなった。しかし、莉子のこと、そして茉代のことを一緒くたにして忘れたくはない。

 「すいませんでした」

 ミナは自分に諦めをつけるために謝った。

     #

 「きょう、一つ傷つきました。でも、嬉しかった」

 初めて知らない誰かに縋った。
 お姉さんからしたら、自分は迷惑かもしれないし、ウザいと思われても仕方がない。
 茉代はどうしようもない自分を許すためにキーボードに思いをぶつけ、ネットの波を羽ばたく小鳥の力を借りて呟いてみたが、
季節外れに枯れた葉が小川に落ちたようにただただ流されてゆくだけだった。そんなものかと、ヘッドセットを外す。

 「エクレア、食べよっか」

 一度、傷ついたらもう怖いものなんかない。と、茉代はブラウザを閉じた。


    おしまい。