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ごめんね

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ごめんね



 自習の時間、芹沢モエが堰を切ったようにバンと机を両手で叩いた。響き渡る音にクラスのみなは驚いて手を止め、口を閉じ、
そしてモエの方へと視線を向けていた。しかし、こぼれたミルクはコップに戻らぬ。ばつが悪くなったモエは小さく

 「ごめん」

 と、言葉をこぼした。

 自習が終われば楽しいお昼休み。誰もが楽しみにしていた語らいの時間を前に、場の空気を冷やしてしまったことをモエは恥じた。
 モエの行動で騒がしかった自習の時間は一転し、ひそひそ声だけ淀んだまま終わりのベルを迎えてしまった。
何事だろうか。話だけでもいいからわたしに聞かせて欲しいなと、いまだ机で脚をぶらぶらと揺らすモエの元に駆け寄って来た、
モエとの良き『仲仔(なかこ)』であり、そしてみんなの風紀委員長を務める因幡リオ。さも取り返しの付かない大罪を犯したかのような
面持ちで視線を合わせることを拒むモエは、間柄を良く知るリオにさえもそれを許さなかった。

 何を聞いても「ごめん」の一点張り。幼稚な隠し事をしているようにリオの目には写った。それでも、モエは「ごめん」と。
お昼休みを「ごめん」の一言だけで消費してしまうことはなんとも心苦しいとモエは悟り、席を立ち、リオを置いて教室から
去ってしまおうとしたときのこと。背後からの声に足を止め、モエは「ごめん」以外の言葉をこの時間初めて口にした。
 背後にはクラスの男子。モエの後姿の前で穏やかに待ちわびる。

 「犬上、何か?」
 「芹沢。タスクくんにさ……」
 「タスクのことは気にしないで!!」

 一冊の大判本が入るぐらいの紙袋を手携えたまま、思わぬ返答に面食らうのはクラスの男子・犬上ヒカルであった。
モエに用事があるから声をかけたのに、「タスク」という名前に過剰に反応するのは困る。そんなモエにリオとヒカルはただならぬ
気配を感じずに得られないことは言うまでもなかろう。モエは手にしていた携帯電話をいきなり慣れた手つきで開き、口をつぐむ。

 「ウチの弟が……ごめん」

 この時間、モエは何度「ごめん」を繰り返したのか。片手では数え切れず、もう片方に差し掛かったときモエは廊下を駆けていった。
ヒカルはリオにことの経緯を尋ねようとしてみたかったのだが、空気が許してくれるはずがなかたので諦めるしかないであろう。
リオはちらりとヒカルの携える紙袋を一瞥すると、このへんの女の子なら誰もが憧れる洋菓子店の紙袋であることに気付いた。

 「ねえ。犬上、知ってる?」
 「何を?」
 「そこ、すっごく美味しいんだよ。『ふるねこ堂』のシュークリーム。モエなんかさ、この間タスクくんの分を奪い取ってまで……」

 ただの本好きの男子であるヒカルはなにのことをリオは話しているのか理解できずに、呆然とモエの後ろ姿を見ているだけだった。
 そのころモエは中庭に立つ大きな木に寄りかかり、その場所から真正面にあたる保健室をじっと外から見つめていた。
もちろん部屋の中は伺うことは出来ず、風に晒されながら弱い光に反射する窓ガラスを見守ることしか出来ないというのに、
モエはまるで駅前で主人の帰りを待つイヌっころのようにその場を守り続けていた。ゆらりと前髪が頬をくすぐる風が憎たらしい。
 寒さと温かさが入り混じる。暦の上では立春を過ぎた。土の中から虫たちも顔を見せる時期もやって来るというのに、
素直に大地の贈り物を喜べない自分が居ることが、モエにとって非常にもどかしかった。耐え切れず、つい目から光る物が。

 「春物、準備しないとなあ」

 季節の変わり目こそ油断ならない。

 女の子なら見栄を張れ。
 街は誘惑してくるぞ。
 春風に似合うワンピースに、桜舞い散る石畳にぴったりなブーツ。
 浮き立つ心、ふわふわと。
 ただ、わたしは学生さん。欲しい物がなんでも手に入るような身分ではないけど、やっぱり買っちゃう小心者。

 人は古から言う。『女の子が買い物するのは、無理してでも欲しい物があるからだ』と。

 「そうだ。今度の休みはリオを誘って春物見に行こう。そして、帰りは……」
 「モエ!見つけたよ!!」
 「わ!リオだ」

 またもモエはリオと視線を合わせることが出来なかった。理由は教室でのものとは違うが。

 「犬上から聞いたよ。タスクくん」
 「弟の話は……」
 「モエもちゃんとタスクくんをぶん殴ってでも学校休ませなきゃ!」

 普段の自分を見透いているような表現は伊達に『仲仔』同士ではないと感じたモエは、じっと弟が休む場所を外から見続けていた。
確かに無理を強いてでも弟を休ませるべきだった。体調が良くないのに、登校させてしまったこと。しかし、過ぎ去ってしまった
ことを悔やむことは何も生まないし、何も解決しない。解決を望むなら、自分がタスクの体調をいち早く嗅ぎ付ければよかったのだ。
それをも出来ぬ、姉。そして、身の程知らずな、弟。お似合いの姉弟じゃないかと、笑い合えばいいではないか。

 「犬上がね。『タスクくんは「返すのいつでもいいよ」って言ってたんだけど、あんまり長いと悪いからぼくが「三日後で」って
  言っちゃったから』って言うんだよ。それが丁度、三日前のことだって。犬上も」
 「は?何の話?」
 「ああ……。犬上、タスクくんから本を借りてたんだよね」
 「そうなんだ。アイツ、そんなこと一つも話さないから」
 「犬上、『ふるねこ堂』の紙袋持ってたでしょ」

 モエは思い出した。以前、『ふるねこ堂』のシュークリームを買って帰り、タスクと取り合いになってしまったことを。
タスクはその紙袋に入れてヒカルに本を渡していたのだった。そして、『タスク』の名前を頭に浮かべただけで、涙が溢れてくる。

 「タスクくんは犬上が来るから、犬上はタスクくんが待ってるから……ってお互い、ね」

 優しいリオの言葉が仇となる。モエは形振り構わず、『仲仔』に醜態を見せた。

 「タスクも犬上も、もうみんなばかだ!一日ぐらい本を返すの遅らせりゃいいじゃん!!約束ばかー!!」
 「そ、そうね……。モエ、大丈夫?」
 「リオ!今度ざあ、ワンビース……見に行ごうよー。赤いリボンにストライプ……ぐずっぐずっ……。ブーツだって、あだらしいの」
 「う、うん」
 「やくぞぐだよ……ぜったい」

 とりあえず、リオは鼻セレブの携帯用をモエに差し出して、モエの涙と洟をぬぐってやることにした。
 もうすぐ春だというのに、泣き顔で春を迎えるなんてことは、リオもモエも遠慮したいし!と。休み時間も残り少なくなったので、
リオはモエを連れて教室に戻る。校舎に入り教室近い廊下にて、大人しくなったモエは静かに携帯電話を開いた。

 「『体調よくなったから、教室戻ったなう』って……。始めから学校くんな!!」

 モエは弟からのメールの文面が液晶画面なのに不思議と滲んで見えた。
 リオはモエの姿をくすくすと笑っていると、教室でヒカルが『ふるねこ堂』の紙袋傍らに置いて、本を捲っているのが目に入った。
モエの姿をヒカルに気付かれないようにリオはそっと教室の扉を開き、脚をおもむろに入れると続いてきたモエは扉に脚をぶつけた。
木製の扉は響かせながら音をヒカルの耳を突き刺すものだから、ヒカルは本を置いて音のほうへと振り向いた。 

 「せ、芹沢。大丈夫?」
 「あんたなんかに何がわかんの!?この本の虫!!見んなばか!!!!」

 リオは今度の週末のショッピングを楽しみにしながら、モエとヒカルのやりとりを笑うしかなかった。


   おしまい。

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