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スレ10>>195-200 しろくろ第一話 卯月

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silvervine222

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しろくろ第一話 卯月


 夢、というのは厄介なものである。
何処からともなく生まれ人を魅了させ、それが叶うのはごくわずか、限られたものだけである。
その上失敗したならば、多大な時間の浪費と周囲の人々を振り回してしまった、という罪悪感が待っている。
第一夢が叶ったところで得られるもので一番重要なものは充足感だろうが、それを得たところで死んでしまえば何にもならず、だれかに託せるわけでもない。
だから、夢は、持つべきではない。
それが香取徹の持論である。


 ぽかぽかとした日差しと陽気が猫人である彼にはたまらず、おもわず居眠りしてしまいそうな春の午後のことである。
休日の昼下がりで人も疎らな電車内で、徹は窓の端から端まで流れる桜吹雪を眺めていた。
この櫻木線はその名の通り線路沿いに桜の木が植えられており、この季節になると桃色の飛沫が絶えることなく窓辺に映し出される。
春の光を受けながら輝く桜の花びらは淡く柔らかで、浅瀬に舞う白波を思わせ、まるで水中を走っているような錯覚をしてしまう。
それは一種の催眠術のようであった。
 その光景に魅せられてじっと眺めていると、電車の速度が徐々に落ちる。
それに伴い花びらの流れが穏やかになり、目的の駅名である佳望病院前を告げる車掌の声が流れた。
徹が降りようと席を立つが、隣で座っていた大柄な狼人は、ほんの十数分しか経っていないというのに、大きな口を開けて寝息を立てていた。
この、隙あらばこうやって居眠りをするのは張本丈という、徹の幼なじみである。
唯一覚醒しているタイミングと言えば好物の甘い菓子を貪っている時と、趣味の忍者同好会の活動をしているときくらいだろうか。
幸せそうな寝顔を見ると起こすのがはばかられるが、そのままにしていくわけにもいかない。
「おい、丈。もう駅着いたぞ。早くしないと発車しちゃうって」
 そう言いながら肩を揺さぶっても起き出す気配がない。
菓子にまみれた夢でもみているのか、これ以上は血糖値が、などと寝言をほざいている。
手加減なしに髭を引っ張ると、うぎゃあと悲鳴を上げながら飛び起きた。
「おまえ、髭はやめろよ髭は」
「そんなこと言って病院の面会時間過ぎたらどうするつもりだよ」
「その時はその時でいいじゃん」
「よくないよ、バカ」
 言いながら透は、持っていた花束で丈のぼさぼさの頭を打った。

車内から出た二人を春らしい温もりが包み込む。
二人で話しながら改札を通り、目的の佳望病院まで向かう。
道中にも桜並木がはらはらとその花弁を散らせており、入院中の患者だろうか、多くの人々が桜を見ながら談笑している。
たしかにこの一本道を桜が一面満開に咲いている様子は、病気や怪我などといった陰鬱な物事を吹き飛ばしてくれる程に、美しく、鮮やかだ。
しかし一方で丈はそのことを気にもとめずに、近くに美味しい菓子屋があるから寄ってもいいか、などとうきうきしている。
なんでも、狐の女性が経営している行きつけの店があって、桜を材料に使った新作菓子を作ったのだそうだ。
花より団子とはこのことか、などと思いながらも徹は病院の入り口へ向かった。

 病院の中は特有の薬品や衛生材料の入り交じった、何かしらの生々しい匂いで溢れていて、否が応にも鼻を刺激させる。
獣人である二人にはより一層それが強く感じられ、揃って気難しい顔をする。
受付を済ませると、鼻をひくつかせ、花束をがさがさいわせながら目的の病室を探す為に歩き出した。
「しかし清志郎も阿呆だよなぁ、一目惚れして屋上から飛び降りるなんて」
「あの時は驚いた。気づいたときには空に飛び出してたし」
「最初は勉強が嫌になったのかと思っちまったよ。しかも、よりによってりんごに惚れるたぁ……
「おかげで太股を骨折って、笑える話じゃあないね。野生動物だったら死活問題だよ」
「そうでなくてもあいつ陸上部だろ?足折るのなんてまずいんじゃねえの?」
「医者の話だと骨にヒビが入った程度で済んだし、その上驚異的な速さで回復してるって」
「愛の力ってヤツかねぇ。りんごへの一途な思いが、回復力に繋がっているというか」
「それでも後先考えずに行動するのは、愚かだと言わざるを得ないね。ん、ここかな」
 二人でその病室の前で立ち止まる。”水前寺清志郎”の札が掛けられている。

 三月、徹たちがまだ高等部一年で、もうすぐ春休みに突入しようかという時節。
昼休み、徹と丈とチーターである清志郎の三人は佳望学園高等部棟の屋上で昼食を取っていた。
透、丈、清志郎の三人は高校一年で同じクラスに配属されており、よく三人組でつるむ仲になっていた。
春休みの予定について、宿題だの部活だの色恋沙汰だの話していた時のことである。
柵に寄りかかって何となしに中庭を眺めていた徹が、
「あ、りんごたちだ」
 丈と同じく幼なじみの、人間の礼野翔子と兎の星野りんご、そして同級生の狐の小野悠里の三人組が中庭で昼食をとっているのを目にした。
女子高生三人が集まってなにか話している姿は、遠目に見てもそれだけで絵になるものだ。
少しの間眺めているとあちら側も気付いたようで、屋上に向かって手を振ってくる。徹も手を挙げて応える。
「あれ?徹ちゃんなにやってんの?」
「いや、りんごたちが中庭にいたから」
「おっ、本当だ。ついでにおっぱい要員の悠里さんもいるな」
「ほう、りんごってのはお前らが普段話してる、例の幼なじみってやつか。どれ、俺がみてやろう」
 丈につられるように清志郎も柵から身を乗り出す。徹は三人を指さしながら、
「ほら、あの白い兎がりんごで、人なのが翔子。狐は知ってると思うけど悠里ね」
 と説明した。小野悠里は胸が大きいことと妙に大人びていることで有名で、胸に関心のある佳望男児でその名を知らぬ者はいないとさえされている。
「……これは……!」
「何か言った、清志郎?」
 清志郎が何かを呟いたので聞き返そうと徹が横を向いたとき、そのチーターの青年は既に手すりの上に座り、”飛ぶ”体勢になっていた。
「お、おい清志郎!」
「早まるな!いくら期末試験の成績が留年ギリギリだったからって、身投げはマズい!」
 慌てた二人が清志郎を引きとめようとしても、
「俺を止めても無駄だ!恋の炎は消火できん!」
 と叫んで聞く耳を持たない。
「恋って、ちょっと何を……!あっ」
 二人に止める間を与えず、清志郎は屋上から地上まで10メートルの急降下を果たした。
そしてその足でりんごの目の前まで歩いていき、一目惚れした、という熱意を交えた自己紹介をやってのけたわけである。
清志郎曰く、
「一目見て電流が走った。運命の相手は彼女しかいないと思った。
 あれはすぐにでも側に駆け寄りたいと考えた末の結果であって、後悔も反省もしていない」
 だがその結果、清志郎は陸上部の命とも言える太股にヒビを入れるという事態になってしまった。
本人は特に気にしてはいないが、陸上部員にしてみれば春期の大会を目前にして欠員を出されては迷惑千万だろう。

 無茶な清志郎の愛情表現に呆れながらも徹が部屋に入ろうと手をかけた瞬間、
「水前寺ィ!お前はいったいなにを考えてるんだ!大会目前に骨折などとは!」
 なにか物が爆発したのかと思えるほどの、耳をつんざくような怒号があたりに響きわたった。
声の振動は建物全体へと伝わり、窓ガラスがびりびりと震えた。
「うおお……ビビった……。この声は……」
「……陸上部部長の伊織先輩、だな」
「すげえ声のでかさだ……。ヒゲが共振してやがる」
 その声量の大きさはもはや声と呼べるものではない。
清志郎が何か反論しようと試みているようだが、全てその濁流に巻き込まれてしまい、ノイズのようにしか聞こえない。
徹と丈の二人が声で振動する毛先を感じている間も声が止むことはなく、むしろ加熱しつつある。
「この調子だとしばらく待たないと清志郎との面会は」
「無理そう、だね。まあ清志郎も自業自得というか」
 片耳を押さえながらも、二人は何とか会話をする。
この分では修羅場は30分以上、最悪数時間は続きそうだ。
面会時間はまだ余裕があるが、この声量に耐えながら廊下で町続けるのは堪える。
二人して顔を見合わせ、どうしようかと思いあぐねる。
ふと、丈が何かを思いついたような顔をして、
「そんじゃあ俺、その間気になってる和菓子屋行ってくる!」
 と叫んだ。
「えっ、ちょっと待って……、てもういないし」
 徹が止めようと横を向くが、既に丈の姿は消えていた。
「逃げ足速いよ……」
 成す術もなく取り残された徹は、轟音に耳を塞ぎながらつぶやいた。

 手すりにもたれ掛かり夕日を眺めながら、徹は音楽を聴いていた。
丈と違い特に行く宛もなく、かといってじっと病室前で待つわけにもいかなかった徹は、仕方なしに屋上で時間を潰すことにした。
屋上にいてもなお、伊織の叫び声は聞こえており、足下のコンクリートづたいに振動を感じ取ることができる。
看護士が取り押さえようと試みているだろうが、しばらくは無駄足に終わるだろう。
「何のためにここに来たのやら……」
 夕陽で染まる空を見ていると、なにやらやるせないやらもの悲しいやら、焦心に浸ってしまう。
イヤホンから聞こえてくるバラードで風景が哀愁に彩られ、殊更何ともいえない気分になる。
 ふと、視界になにかひらひらしたものが映り、横に顔を向けた。
それは風にたなびく髪の毛であり、髪の持ち主の徹と同い年くらいの少女が、徹と同じように手すり越しに夕陽を眺めていた。
少女の茜色に染められた純白の獣毛。
風に舞う藍色の長い髪の毛。
夏の快晴の空の色をぎゅっとそこに凝縮したような瑠璃色の、そして少し憂いを含んだような瞳。
それらが春風に舞う桜の花弁とともに、徹の網膜に深く焼き付いた。
そしてその一瞬が、徹には引き延ばされたように長く長く感じられ、そして彼の世界の全てを埋め尽くしてしまった。
 それが、黒猫の香取徹と白猫の椎名ちひろの最初の出会いで、二人にとって忘れることの出来ない物語の始まりであった

つづく

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