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オトナの子ネコ


「助けてっス!!!ボクの人生最大の危機を助けて欲しいッス!!」
いつもは静かなそよ風吹き抜ける午後の佳望学園の図書室で、けたたましい悲鳴がいきなり広がった。
声の主は保健委員。ケモノの尻尾をふりふりと、ケモノの脚をぶらぶらと、そして窓際でハードカバーのラノベを一人で楽しく読んでいたところ
風紀委員長・ウサギの因幡リオの長い耳に、嫌というほど突き刺さった。それはもう、見ているのが痛いくらい。
ちょっと高めの本棚の一番上の本を取ろうとしていたのだが、片手を棚に引っ掛けて地上50cmの宙ぶらりん。
いつも被っている海賊の帽子が揺れる。眠気眼のリオの耳も同じくゆらゆらと揺れていた。

「うるさいなあ、保健委員は」
折角の放課後の時間ぐらいはのんびり読書を楽しみたいものだ。その場所を誰からも侵されたくないというのは誰しも考えること。
出来ることなら耳を塞ぎたい。本の世界に集中して、ちょっとばかしの現実逃避に浸りたい。
しかし、現実と闘う真面目のまー子の風紀委員長は「やれやれ」と本を閉じて立ち上がる。
ちょっと待て。保健委員の声のもとにいるヤツは誰だ。白くて、尻尾もたわわなイヌの少年が小さな保健委員の体を支えているぞ。
「ふう……。助かったっス!ありがとう!ヒカルくん!」
「……図書室では、静かにね」
(まあ、いっか。犬上に出番取られちゃったし。わたしはもとの巣穴に戻るよ)
スカートをぱんぱんっとはたき、少々悔しい思いと安堵を胸に文学少女の姿に戻るとため息をつく。
図書室の窓が額縁のように校庭に立つ大きなイチョウを描き、梅雨の合間の光を受けていた。

外の陽気に誘われて、ふと景色に浮気すると校庭のイチョウに一人の子ネコが枝にお座りしているのにリオは目を奪われる。
「初等部の子だよなぁ、あの子。確かコレッタの友達のクロって」
風が吹きぬける。枝葉が揺れる。夏のにおいを掻き立てる。暦が青い空の季節だと教えてくれる。
そうだ。窓越しながら四季の贈り物がリオに届いているようじゃないか。しかし、リオの琴線に触れたのは感傷的な夏風ではない。
「むはっ!?」
いたずら者の夏風が子ネコのスカートを捲り上げ、甘いにおいをまき散らした。くんくんくん。
熟れる前の甘ずっぱい桃がリオはお好み。子ネコはクロネコ、紺色ぶるまが眩しくて、リオの瞳に焼き付いた。
それでも子ネコはふんわりと「クロも風に乗ってみたいニャ」とでも言っているかのようだった。
ちらり!ちらり!ぶるまがちらり!
だって、だって!ぱんつじゃないから恥ずかしくないけど、ぶるまだったら恥ずかしいもん!


(むっはー!クロー!オレだ、結婚してくれ!!夢のようだよ!)
「そう!ボクの夢は立派な保健委員になることっスよ」
「……」
ヒカルは保健委員が持つ注射器や聴診器の絵が描かれた本の表紙を見つめて、大きな尻尾を揺らした。
司書さんが待つカウンターへと、本と志を胸に抱きながら保健委員はヒカルと並んで静かにじゅうたんを踏み鳴らす。
白魚のような細い指でバーコードを読み取ると、貸し出し伝票がプリントアウトされ、ヒカルはじっとその指を見つめていた。
「はい、ヒカルくん。再来週までよ」
「はい」
とみに話しかけられたヒカルはぴくっと尻尾を跳ねさせたが、それもまたシアワセと言うか幸せ。
図書室でお気に入りの一冊を借りると、ヒカルと保健委員は好きな本のことを話しながら部屋を去った。

一方リオにとって、もう読書どころじゃない。いくら活字の森に迷い込んでも、ろりっ娘が一人いれば平気だもん!
ろりっ娘がいれば何でも出来る!ろりっ娘に応援されれば怖いものはない!ろりっ娘は正義だ!コッカイで決まったのだ!
「むはー!封鎖された初等部の教室で、ろりっ娘からいじくりコンニャクされたいおー!」
ボブショートの髪を掻き乱す。リオの屈折したメガネに、クロのぶるまが焼き付いてしょうがないのだ。眼福、眼福。
おでこを窓にくっ付けて、両手をサッシに乗せて「また風が吹かないか」と、邪心を燃やす姿は非常に残念だ。
このまま時間がゆっくりと過ごしますように。そうだ、八百万の神々がいるのだから、ろりっ娘の神さまもいるに違いない。
ろりっ娘の神さまにわがままを通していいですか?と、頬を赤らめるこの風紀委員長はもうダメかもしれない。

「あっ?!ちょ、ちょっと!!」
目を疑うとはこういうこと。
肝を冷やすとはこういうこと。
冷たい視線にさらされるということはこういうこと。
イチョウの枝から子ネコが消えた。ふわりと風にさらわれるかのように。残った梢はちくちくと揺れる。
子ネコが枝から落っこちたのだから、リオも「クロかわいいよクロ」と言っている場合じゃない。
「う、うわーん!!保健委員!保健委員はどこ!」
悔しいことに地上が見えない。もしかして、クロが一人でしくしくと泣いているんじゃないかと母性本能一杯に胸を熱くするリオ。
「こんなときに、なんで保健委員がいないの!もう!」
読みかけの本そのままに、司書の織田が止めるのを聞かずに、脱兎の如く本棚の隙間を駆け抜けた。

「『時間に追われたウサギを追って、アリスは穴に飛び込んだ』。そう、不思議の国への誘いはときを選ばないものさ」
「あら……お珍しいですね」
「あわてんぼうのウサギが忘れ物を手に、ぼくは不思議の国へと行ってくるかな」
長い髪をふわりとかざし、細身の体に似つかわぬ尻尾を振り、リオが置き去りにした本を手にして貸し出しの手続きをするイヌの音楽教師。
この伊達男の言うことを本気に取るか、取らぬかはあなた次第。
「はい、ヨハン先生。二週間ですよ」
「そうだね、織田くん!また二週間後に君に会えるなんて、この本に感謝しなきゃね!」
颯爽と本を手に図書室を立ち去るヨハンだったが、二週間後、織田は一週間有給休暇を取っていた。

―――「白先生!白先生!!」
保健室の扉の音が鳴ると同時にリオがわめきたてる。息を切らせたリオは肩で呼吸をすると、コーヒー豆の香ばしさが鼻腔をくすぐる。
サイフォンからは湯気が立つ。沸かしたてのコーヒーを魚の絵の描かれたマグカップに注ぐのは保健医の白。
酸いも甘いも聞き分けた三十路ネコミミにリオの声がつんざき、白はちらりと爪をちらつかせる。
手にしたマグカップから湯気がメガネを白く塗りつぶし、オトナの階段踏み外す三十路にほんのひと息の休息。
そとの光を嗜みながら、白はすっと椅子から立ち上がりコーヒーを口にして、眩しい白衣も落ち着いたオトナのさまを見せる。
「因幡っ、うるさいぞ。また捻挫でもしたのか?」
「ク、クロが……木から」

保健室に陶器の割れる音。床がコーヒーで褐色に染まる。
跳ね返った雫が白のスリッパにしみを残すが、まだ気付くことはない。
「急ぐぞ!どこだ!!」

爪を引っ込めてやさしい手には救急箱。そういえばババアの半分は優しさで出来ているらしい。
ウサギはスカート、(三十路)ネコは白衣を翻して床に散らばったコーヒーを踏み付けて校庭へと急いだ。
先頭を切って白が風になる。廊下を駆ける二人に今「廊下を走っちゃいけません」だなんて話しかけたら、きっと引っ掻いてくるだろう。
目の色を変えて全力疾走する二人は誰よりも勇ましかった。しかし、三十路を過ぎた白にはこの廊下は長すぎる。
やがて失速してきた白をリオが追い越すと、体全体で呼吸をしながら枝から消えたクロを案じる。
髪の毛を乱し、足元はコーヒーで汚した白は、かすれた声でリオの背中を言葉で追う。
「木程度の高さならネコなら……多少は大丈夫のはずだ!でも、子ネコは……ハァ」
「白先生!誰か来ますよ」
確かに二人の方へ数人の生徒たちが向かってくる。そのうち、一人は生徒ではないようなのだが……。

ごめんなさい!ごめんなさい!みんな白先生のこんな醜態見ないで下さい。といわんばかりでリオは白を庇った。
息のあがった三十路はどんな飢えた野獣よりも気が許せないのだから、必死にリオは白を両手で隠す。
それでも二人に近づく人の群れ。よくよく見るとおんぶをされている子が一人。いや、失礼。オトナに対して『子』はないな。
「白先生!急患です」
「たいしたことない!たいしたことない!!」
「急患って……タスクくん?てか、犬上。何やってるの?」
リオが目を丸くする。犬上ヒカルは足を止める。廊下を凝視しながら白は未だ呼吸を取り戻さない。

さっきまで図書室に居たヒカルが小さなイヌのサン・スーシ先生をおんぶしてやってきた。頭に立派なたんこぶがこしらえられていた。
一緒にいた中等部の生徒、タスク・ナガレにアキラによるとグラウンドで野球をしていたところ、脳天でボールをキャッチしたらしい。
青ざめた顔をして保健委員が針小棒大にわめきたてる。
「大変ッス!取り合えず患部を冷却するッスよ!!」
「たいしたことない!たいしたことない!!」
「そう言えば『白先生は勘弁だぁぁ!!』って叫んでたっけ、ナガレ」
アキラの一言で顔を曇らすサン先生、そして保健委員が何か口にしようとした瞬間のこと。
ホウセンカの種のように白先生が立ち上がる。チャージ完了、リミッター解除せよ!

「急ぐぞ!因幡!!」
「白せんせー!サン先生はどうするッスか?」
「つばでも付けとけ!」
全力三十路は光差す玄関へ向かって消えていった。


白先生を追い駆けてリオが玄関までたどり着いて、靴を履き替えている最中のこと。とてもいやなものを見た。
出来れば無視をしておきたいのだが、一応『真面目のまー子』のリオにとって、学園の中ではそういうことは避けておきたい。
上質の絹のようなロングヘアーに、誰もが知っているブランドもののシャツ。黙っていればいいのにそれを自らぶち壊してしまう減らず口。
「わざと本を置き去りにしてぼくを誘うなんて、恋するジュリエットも考え付かないだろうね。ぼくの名前で貸し出ししてるからね」
「うっ、ヨハン先生……あの、急ぎますから」
「ただならぬ恋ほど燃えるということは、シェイクスピアの戯曲も雄弁に語っているのだよ」
きっと、悪気はないのだろう。だが、リオはどうしても目の前の教師にふつふつと「蹴り飛ばしてやりたい!」という
悪しき考えだけがこみ上げてくるのだ。ヨハンは優しくリオに手にしていた本を渡すと、リオは目を吊り上げる。

「わたし、急いでますから!それに又貸しはいけません!」
「はは!まあ、恋は焦らずに」
(うるさい!)と言いたいの我慢して、本を突っ返しリオはイチョウの木へと急いだ。

しかし、イチョウの木の下には子ネコは居なかった。しかし、代わりに居たのは子ネコでなく三十路のネコだったのは遺憾である。
「因幡、いい加減にしろよ」
まだまだ高い太陽を背にして、シルエットが浮かび上がる。腕組みをして白衣を風で揺らす白先生の爪がきらり。
イチョウの木の幹には子ネコが付けたであろう爪の跡。きっと、クロがよじ登るときに爪を立てたに違いない。
だって、見たんだもん。この目で確かに見たんだ。でも、クロはいないし。
リオはぐっと両手を握り締め、瞳に光るものを浮かべていた。


「まったく、ミナは何しに来たんだよ!」
聞き慣れたバカに大きな声が白を超えて飛んできた。たんこぶが引いたのか、遠くでサン先生がグラウンドを歩いているのが見える。
隣にはリオには見慣れぬネコの女性、年の頃は二十代後半か。程よい色気と、健康的な明るさは少年のようにさえ見える。
背の低いサン先生がぴょんと跳ねたかと思うと、「ミナ」と呼ばれた女性のネコはサン先生の頭を鷲掴みにする。
「……サン先生だ」
「やれやれ。サン先生もお騒がせだよな」
お似合いなのか、不釣合いなのかそれは二人が決めることだが、リオの目からは二人とも似つかわしく映った。

オトナのネコだ。オトナのネコ。
子ネコをとっくに卒業して、爪を立てることを忘れ、笑って悩みなんか吹き飛ばしちゃうオトナのネコ。
きっと、クロもいつかはオトナのネコになるのだろう。そのときは、もうわたしたちのことなんか忘れてしまっているかもしれない。
悲しいね。悲しいね。もしも、オトナになってわたし、因幡リオに出会うことがあったらほんのちょっとでいいから、
わたしの白い毛並みの腕に爪を立ててちょうだいね。きっと、あなたは子ネコの頃を思い出すかもしれないから。

口を滑らして、白先生にぽろりと漏らす。
「……オトナのネコですよね。カッコイイですね。先生も憧れませんか?」
「わたしもオトナのネコだっ」
地雷を踏んでサヨウナラ。早くここからさようならしたい、と冷や汗をかきまくるリオに、ふとそよ風が髪を撫でる。
いや、風なんか吹いていないが、確かにリオにとってはそよ風だ。さっきまでイチョウの枝に座っていたクロが、
グラウンド脇のイチョウの木に「先生、さようならニャ」と手を振りながらやって来たのだから。
「ク、クロ?今から帰るの?」
「……そうだニャ」
ランドセルを担いでいるクロは、二人をじっと穴が開くほど見つめると一言。
「白先生、とりあえずお部屋のスリッパを履きかえるニャ!」


おしまい。