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目次

レド公路

When flying over the Hukawng Valley during the monsoon, Mountbatten asked his staff what was the name of the river bel>ow them. An American officer replied, "That's not a river, it's the Ledo Road."
(雨季にフーコン渓谷上空を飛行していた東南アジアの連合軍最高司令官マウントバッテンは、眼下に見える川の名前を自分の部下に尋ねた。すると一人のアメリカ軍将校が答えた。 「そいつは川じゃありません。 レド公路ですよ。


  スティルウェルの作戦計画は簡単、「 われわれはネズミ穴を通って入り、穴を掘りながら進んでいかねばならない 」ということであった。 ネズミ穴とは三つの川の流域を指す。まずフーコン、行き詰まりがジャンブブムという山脈になっている。次がモガウン谷地で、南北鉄道幹線に通じ、この鉄道の向こう側に、ビルマの中央通廊である広々としたイラワジ谷地が広がっている。



ビルマには昔から山岳地帯を越えて横に走る道などなかった、交通は川の流域に沿って南北に行われるように、自然がそうなっているので、横に走る道の建設などは不可能 と、イギリス人はつねに主張していた。今後とも絶対に変わらないというわけではないが、それは事実である。この道路につぎこまれる資源、人間、悲惨に値する輸送力をもつと考えたものはほとんどいない。スリム将軍によれば、「それは可能であり、そのために必要な支出に値する」と考えたのはスティルウェル一人である。もっともスリムなら、道路に必要な資源を使ってラングーンから上[(北)]の全ビルマ奪還の作戦を選んだことだろう。それは明らかであるし、そしてそれはスリム以上にスティルウェルが熱烈に望んだところだ。ただひとつの困難は、スリムもよく知っているように、彼の上にいるものが、初めから終わりまで、そういう本格的作戦を断固拒絶していることである。 スティルウェルがレド公路を選んだのは、そのほうが良いからでなく、まず初めに北ビルマの戦い、最終的には中国における作戦の補給に必要なので、仕方なしの代替として選択したのである。

英語wikipediaの翻訳

概要


建設計画


苦難の建設作業


開通したレド公路の実態

 道路推進派のスティルウェル将軍に異を唱えていたウェデマイヤー将軍の証言なので、バイアスがかかっている可能背はありますが・・・
 私は第十九章で、東南アジア司令部の参謀の一人として、レドと昆明を結ぶレド公路の建設に反対していたことについてふれた。この道路は蒋介石の寛大な申し出によって、いまやスチルウェル公路と呼ばれていたが、 山くずれと洪水のため、ほとんど自動車輸送に使用できない ことが、その後わかった。 この道路の維持整備には、とてつもない時間、労働力、資材を要し、この道路を建設するため、北ビルマ作戦によって失われた人命の犠牲のことはさておいて、この道路によって輸送される補給物資の量は微々たるもので、この道路維持に払われる膨大な費用と施設とに見合うものではなかった。

 インドからミートキーナに達する、六インチ(十五センチ)のパイプラインでさえ、山くずれによって破壊されたし、ミートキーナからさらに昆明に伸びている四インチ(十センチ)のパイプラインも、ビルマ現地民のサボタージュによって妨害されてた。こららは破壊されるとすぐ修理したが、この貧弱なパイプラインの建設を主張した者が約束した量のガソリンは、このパイプラインではとても輸送できなかった。この結果、カーボナード作戦で計画中のはげしい攻撃作戦を実施するに当たって、航空および地上の両作戦面で、この補給がうまく行われていない影響が徐々に現れてきていた。




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