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ロンメル戦記
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目次
正確に言えば、ロンメルは「兵站管理」という問題に、関心が無いわけではなかった。彼が一九四三年にまとめた北アフリカ戦の総括研究報告に記されている通り、彼は北アフリカの戦場における補給の重要性について、ほぼ的確に認識していた。
しかし、彼が他の将軍たちと大きく異なっていたのは、補給物資の輸送という、いわば裏方的な作業についても、彼が前線部隊を率いて行ったような「従来の常識を超えた大胆な方策」があれば、その限界をさらに押し上げられると信じていたことだった。
(中略)
言い換えれば、ロンメルの補給部隊に対する要求は、技術的・物理的な限界を視野に入れておらず、いわば一種の「精神論」とも言えるものだった。
山崎 雅弘『ロンメル戦記──第一次大戦~ノルマンディーまで』 (学研M文庫)、pp335-336
『ロンメル戦記──第一次大戦~ノルマンディーまで』 (学研M文庫)
- 著者:山崎 雅弘
目次
- 第1章 生い立ちと少年時代、陸軍への入隊
- <<小柄でおとなしかった少年時代>>
- 質実剛健なヴュルテンベルクの文化
- 大空への憧れと父の反対
- 士官候補生としての生活
- 少尉任官と「禁じられた遊び」
- 欧州列強の対立と「大戦争」の勃発
- 第2章 第一次世界大戦での目覚ましい活躍
- <<最初の勝利:ブレド村の戦い>>
- 西部戦線への出陣
- 人使いの荒い連隊長ハース大佐
- いつまでも終わらぬ任務
- 疲労困憊の中で迎えた初陣
- 果敢な攻撃でブレド村の敵兵を一掃
- <<フランスでの「学習期」と負傷離脱>>
- ムーズ川渓谷での激戦
- 勤務中に眠り込んで叱られる
- 太腿に敵弾を受けて戦線を離脱
- <<部下からの絶大な信頼を勝ち取る>>
- 戦線復帰と西部戦線の戦況変化
- 敵中での孤立と決死の脱出
- 「ロンメルのいるところ、そこが戦場だ」
- <<山岳戦のスペシャリスト集団に加わる>>
- ヴュルテンベルク山岳兵大隊の編制
- オーストリア・アルプスでの「雪山合宿」
- ルーマニア戦線への移動
- <<ルーマニアでの苦戦と戦訓>>
- ルーシーとの結婚とガジェシュチでの大勝利
- コスナ山をめぐる死闘
- 甚大な損害を被った山岳兵大隊
- <<プール・ル・メリート受賞の栄誉>>
- イタリア戦線への転進
- 戦意の低いイタリア兵との戦い
- マタイユール山の大勝利
- ようやく届けられた「最高の勲章」
- 第3章 戦間期の軍務とヒトラーとの出会い
- <<第一次世界大戦終結後のドイツ>>
- 敗戦国ドイツに課せられた足枷
- 陸軍に留まったロンメル大尉
- 息子マンフレートの誕生
- 因縁のシェルナーとの再会
- <<アドルス・ヒトラーとの出会い>>
- ゴスラーを訪問したヒトラー総統
- ドイツの再軍備宣言と軍上層部の不安
- ベストセラーとなった「歩兵の攻撃」
- <<しのび寄る戦争の足音>>
- ヒトラー・ユーゲント指導者との衝突
- 東欧の隣国に襲いかかったヒトラー
- 士官学校校長と総統護衛隊長の「二足草鞋」
- <<第二次世界大戦の勃発>>
- 総統司令部管理部長に就任
- ドイツとポーランドの関係悪化
- ポーランド侵攻の成功
- ヒトラー暗殺の危機を免れる
- 装甲師団の指揮を望む
- 第4章 第7装甲師団長として対仏戦で活躍
- <<希望叶って装甲師団長となったロンメル>>
- 師団の部下と共に能力向上に励む
- 第7装甲師団の編制内容
- マンシュタインのフランス侵攻計画
- フランス軍の防備の盲点だったアルデンヌ
- <<西方攻勢序盤におけるロンメルの活躍>>
- 第7装甲師団の進撃開始
- 二三年ぶりの実践を陣頭で指揮
- 天然の要害ムーズ川を渡河
- フラヴィヨンでの怪物戦車との遭遇
- <<下された停止命令を無視したロンメル>>
- 予想外の展開に動揺するヒトラー
- 師団の本隊を呼びに戻る
- アラスでのイギリス軍の反撃
- ダンケルクの包囲戦
- <<対仏戦の大成功とロンメルの栄誉>>
- パリ陥落とフランス軍の戦意喪失
- シェルブールの攻略とフランスの降伏
- 名声の獲得とその代償
- 軍団長ホートのロンメル評
- 第5章 ドイツ・アフリカ軍団(DAK)の登場
- <<第二次世界大戦の拡大とロンメルの名声>>
- ひとときの静寂と余暇の楽しみ
- 待望の昇進と北アフリカ戦域の情勢
- 北アフリカ派兵を決めたヒトラー
- 北アフリカ派遣部隊の司令官に選ばれたロンメル
- <<アフリカに登場したロンメル>>
- 北アフリカへの派遣命令
- 北アフリカに第一歩を記す
- ドイツ・アフリカ軍団第一陣の上陸
- <<着々と進む攻勢の準備>>
- 弱体化していたキレナイカの英連邦軍
- 北アフリカの環境に順応するドイツ軍
- ロンメルと陸軍上層部の方針の違い
- <<瞬く間にキレナイカを奪回したロンメル>>
- 陸軍総司令部の命令を無視して総攻撃を開始
- ロンメルの行動に驚愕した英独伊各軍の首脳部
- 捕虜となった英軍の将官と捕虜になりかけたロンメル
- <<包囲されたトブルク要塞>>
- 早くも表面化したアフリカ軍団指導部の対立
- 第15装甲師団の到着と同師団長の戦死
- 第一次トブルク攻撃の失敗
- <<英連邦軍に即時反撃を命じたチャーチル>>
- エジプトに到着した英軍の新型戦車
- 第一の反撃・ブレヴィティ作戦
- ロンメルによるアフリカ軍団の人事刷新
- 第二の反撃・バトルアクス作戦
- 第6章 北アフリカでのシーソーゲーム
- <<空振りに終わった「真夏の夜の夢作戦」>>
- 装甲兵大将への昇進
- ロンメルとムッソリーニの会談
- 新たな攻勢を準備したオーキンレック
- <<英連邦軍の大攻勢「クルセイダー作戦」>>
- 英軍コマンド部隊によるロンメル暗殺作戦
- 英第8軍による広範囲な攻勢
- 追い詰められたロンメルの逆襲
- キレナイカの放棄と退却
- <<第二次トブルク攻撃>>
- ロンメルの再出発
- 枢軸軍の補給状況の改善
- ガザラの戦い
- トブルク要塞の陥落
- <<勝ち誇る「砂漠の狐」>>
- 元帥に昇進したロンメル
- 補給の限界とマルタ島
- エジプト領内への侵攻
- <<ピラミッドを目指して>>
- 迂回作戦を封じる戦場:エル・アラメイン
- エル・アラメイン西方の前哨戦
- チャーチルの不満と英連邦軍の指揮権変更
- 第7章 北アフリカ戦の終幕とロンメルの帰国
- <<エル・アラメインの決戦>>
- 補給と情報での劣勢、そしてイタリア軍への不信
- エジプトで最後の大攻勢
- 療養のため北アフリカを離れる
- モントゴメリーの反攻開始
- <<チュニジアへの大脱出>>
- ケッセルリングの言葉に救われたロンメル
- ヒトラーとの激論とゲーリングの侮辱
- 第5装甲軍司令官アルニムとの確執
- <<失敗した「最後の賭け」>>
- 「朝風作戦」の失敗とアフリカ軍集団司令官への就任
- ロンメルの本国帰還とチュニジアの陥落
- ロンメルにとっての北アフリカ戦とは
- 第8章 「大西洋防壁」の構築と連合軍侵攻への備え
- <<イタリアの動向とロンメルの処遇>>
- 短い休養と新たな任務への備え
- クルスクよりイタリアを心配したヒトラー
- イタリア方面の統轄司令官になり損ねる
- <<穴だらけだった「大西洋の防壁」>>
- 大西洋防壁強化査察官への就任
- 敵の上陸地点をカレーと予測していたロンメル
- 練度の低いフランス駐留ドイツ軍
- <<米英連合軍の大陸反攻作戦に備えて>>
- 創意工夫を凝らして海岸の地形を一変させる
- 「水際防御」か、それとも「内陸での反撃」か
- 新たな参謀長シュパイデルの着任
- 第9章 西部戦線での激闘とドイツ国内の暗闘
- <<ノルマンディー上陸作戦と負傷入院>>
- 決定的瞬間に司令部を離れていたロンメル
- ヒトラーに講和を直言
- 英軍戦闘機の空襲で瀕死の重傷を負う
- <<ヒトラー暗殺未遂事件の波紋>>
- 病床で知ったヒトラー爆殺未遂事件
- シュパイデルの助命を嘆願する
- <<逃れられない不条理>>
- ロンメルのヒトラー観の変化
- ロンメル邸に現れた二人の将軍
- 自ら選び取った最期
- あとがき
- 参考文献