天翔記・将星録初代スレ

607 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 2001/06/05(火) 05:24

天翔記の難級は非常に困難である。長そかべでは、すぐに三好や河野に滅ぼされる。
1560年の信長でやることにしたが、桶狭間の戦いはおこらず、今川の猛攻をしのいだ
後に、斎藤が六角や浅井をひきつれて攻めてきてやられるパターン。あるとき思いついて、
開始直後に北畠を滅ぼして、尾張は今川にくれてやるようにしたら少し持った。今川と
斎藤がつぶしあいしてくれて、その間に伊勢にひきこもって内政できる。がしかし、
六角と浅井と斎藤が束になってやってきてやられた。
(つづく)

608 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 2001/06/05(火) 05:24

もう執念で、もう一回やることに。開始直後に鳴海城に信長鉄砲隊で今川を迎え撃つ。
鳥居ら有能な家来をちょっとゲット。ここまではいつものパターン。その後、何とか
斎藤と同盟が成立。北畠や浅井の押さえに尾張に兵を残しつつ、少しずつ今川領を侵略。
武田と接しそうになり、何とか同盟をとりつける。駿府城まで攻め取る。北条の押さえに
駿府に兵を残し、ようやく落ち着いて内政ができる。数年後のある時、斎藤が兵糧が少ししか
ないのに気付く。ここぞとばかり同盟を破棄して美濃を手に入れる。どうやら今度は
いけそうだ。当然、何回もリセットをやってますが、米をふっかける時と同盟成立の
時だけにするよう心がけています。

616 名前: 607 投稿日: 2001/06/06(水) 23:45

北畠と六角が攻めてくるから、信長鉄砲隊を西部戦線に回すことにした。すると
北条が、今川の残党と伊豆の武田信虎(城をとって独立、同盟してる信玄とは別)
をひきつれて、ガンガン攻めてきた。しかも同じ季節に波状攻撃をかけてくる。
当然負けて、せっかく育てた家来はどんどん取られる。リセットして少し前から
やろうか思案中。

617 名前: 607 投稿日: 2001/06/06(水) 23:57

個人的には信長の野望はどのシリーズでも、日本の中央近くの織田や武田や
せいぜい長そかべでやるのが好き。はしっこの島津や南部でやっても、途中
から戦線が単調になってつまらない。東部戦線と西部戦線があってこそ、
歴史に名を残す名将と言われるものだ。ヒトラーしかり、ナポレオンしかり、
大日本帝国しかり。しかし当然、東西からはさみうちされて負けることが多い。
大体、秦の始皇帝のように戦線がひとつで各個撃破していく者が統一する
ことが多い。
その点、戦線が多い中で統一直前まで行った信長は偉大だ。しかし、信長も
後世の歴史家から、都に近く濃尾平野をかかえた地の利を指摘されることが
多い。そういうわけで、俺は長そかべから天下を目指すことが大好きだ。
今度、難級でリプレイでも書くかな。

625 名前: 607 投稿日: 2001/06/08(金) 02:59

天翔記1560年、長そかべ、リプレイ
(1560年だと、ちょうど知ってる武将が多く、思い込めるので)
最初の2,3年は岡豊城から動かず、内政と教育。1560秋に、いきなり
一条が三好に降り、オイオイ一条、せめて戦争をしろよと思う。
岡豊の内政は2年ちょっとでMAXになり、戦闘60以上の武将にも兵を満タンにさせる。
1562年秋、河野が三好の讃岐の城を攻め取った。長そかべとしては、岡豊に
隣接する窪川、安芸、海部の3城の兵が少ないため、これらを攻め取る。
そろそろ動かないと、もう内政もできないしね。臣下を3人増やすが使えるのは一人のみ。
この頃、全国では竜造寺が大友に、浅井が斎藤に滅ぼされる。
1563年秋、岡豊城を攻めてきた三好を撃退。臣下を2人増やす。
兵力を増強していると、窪川、安芸、海部の内政に手が回らない。金もない。
「三好と河野が友好を深めています」に嫌な予感。おまえら、敵同士じゃ
なかったの?
1564年春、三好と河野が岡豊城にそれぞれ250くらいの兵力で攻めてくる。
投了。

626 名前: 607 投稿日: 2001/06/08(金) 03:01

ちなみに当然、難級です。へこみました。

642 名前: かぶき者 投稿日: 2001/06/09(土) 15:54

天翔記、難級、1560年、長宗我部リプレイ。

我、長宗我部元親なり。戦国に生を享けて天下を目指さずば男にあらず。
父を叱咤して統一への道のりを踏み出す。
1560年春、三好家の香川、安芸から内応の約束をとりつける。
夏から冬にかけては内政。敵の武将の忠誠度も100だし、ちょっと内応は
控える。
1561年春、一条が三好に降る。三好が着々と我が城を窺う。
1561年夏、安宅、窪川に内応の約束。織田信長が伊勢を侵略。
1561年秋、三好が足利を滅ぼす。京の人々は、木曽義仲以来の暴虐ぶりに
恐れている様子。さりとて当方は未だ三好を討てる力はあらず。
河野がそのすきに中村城、窪川城をとり、我が岡豊城に近接する。
このままでは長宗我部家の女どもが騒ぎ立てる。

643 名前: かぶき者 投稿日: 2001/06/09(土) 16:06

(続)
このままでは御家危うしと騒ぎ立てる女官らを叱責し、落ち着いて内政を
続行する。ようやく土佐の地も少しばかり賑わい、二毛作も普及してきた様子。
1561年冬、六角が三好に降る。
1562年春、筒井も三好に降る。三好にあらずは人にあらずの勢いはとまらない。
三好の兵が四国で手薄なのを見て、家来らが出陣を要請する。内政も一段落した
ところであり、今動くのがチャンスとみた。難なく四国の東南部を難なく支配。
内応を約束してくれた武将は誰も寝返らず。ううむ。
1562年夏、雑賀城、岩室城に戦争をしかける。岸和田城の三好勢が味方してくれた
のには驚いた。戦闘150の七里頼周をゲット。土佐本山城の三好は動かず。ここには
内応を約束してくれた武将が多く、楽しみなのだが。信長が北畠を滅ぼす。

644 名前: かぶき者 投稿日: 2001/06/09(土) 16:16

(続)
1562年秋、金がない。度重なる戦争に家計が逼迫した様子。馬を売る。
1562年冬、赤松が山名を、毛利が尼子を、斎藤が浅いを滅ぼす。栄枯盛衰。
1563年春、父、国親が病死。我、元親が家督を継ぐ。洲本城と岸和田城に
三好の大群が駐留する。ここを取らないと、我が補給線がつながらない。
稲富、百地に内応の約束をとりつける。
1563年秋、織田の大群が松永を滅ぼし、三好を侵略し、京まで上る。京の町は
また荒れているようで、四国まで落ち延びてきた公家からは、何とか平和な
京を取り戻してほしいと懇願される。
河野が三好の飛び地、四国の本山城を攻めたのに乗り、かねてより内応の約束の
あった本山(人名)をゲット。
1564年春、瀬戸内の戦線は膠着状態。三好家臣を数名、内応約束させる。
織田が近畿で、南部が東北で暴れまくっている。
(続きは次回)

647 名前: かぶき者 投稿日: 2001/06/10(日) 21:35

(続)
1564年夏、織田が近畿の大半を支配。このままでは狙っていた洲本城、岸和田城と
鉄砲生産地の堺城が織田にとられるのも時間の問題。三好の家臣数名に内応を約束
させ、雑賀城から攻撃をしかける。名づけて「岸和田の一大決戦」。織田の協力、
三好家臣の寝返りもあったが、難戦の末、この3城を得る。
1564年冬、織田と同盟。三好は近畿の北部と四国の中部に分断されている状態。
1565年春、赤松が浦上を、北条が里見を、南部が伊達、芦名を滅ぼす。
岸和田の決戦を制し、織田と同盟したことが効奏したか、内政にも力が入り、
この時点で我が長宗我部家は金収支6位、米収支7位まで食い込む。
1565年秋、斎藤が北陸に進出し畠山を滅ぼし、中部で武田領を侵略する。
上杉が関東で佐竹を滅ぼす。織田が四国に讃岐から上陸。
1565年冬、十河城を落とす。朝倉が三好領の北近畿を落とす。本願寺はいつのまにか
無くなっている。我、長宗我部元親は巷間で南海帝王と称されているらしく、
悪い気がしない。

648 名前: かぶき者 投稿日: 2001/06/10(日) 21:52

1566年夏、三好の最後の砦、四国中央の本山城を攻め取る。織田が加勢してくれた
のは良いが、勢いで土佐西部の岩室城(河野家)を織田が落とす。我が勢力は織田に
囲まれて、戦争可能城は伊予の湯築城(河野家)のみ。
1566年冬、三好の残党を数名、登用する。ここのところ内政三昧。
1567年春、南部が東北をほぼ統一して上杉領の越後、関東を侵食中。武田領は上杉、
斎藤に侵食される。
1567年冬、湯築城から河野領の四国西部を侵略し、4城を手に入れる。補給線が
つながらないため、四国東部と紀伊は委任。
1568年春、三村が織田に降る。長宗我部家は金3位(南部、織田に次ぎ)、米5位
(さらに斎藤、大友に次ぎ)、所領6位(さらに毛利に次ぎ)と躍進している。
しかしここからがイバラの道だとは露知らず、我、元親は南海帝王の名に酔いつつ、
今宵も側室と夢をみるのであった。

649 名前: かぶき者 投稿日: 2001/06/10(日) 22:08

1568年秋、大友が島津を激戦の末、滅ぼす。九州は残るは西部の有馬家のみ。
世の人々は、大友、毛利、長宗我部、織田、斎藤、南部の名を挙げ、六国志
などと称し、いずれかの家が天下をとると予想されている様子。赤松、朝倉、
徳川、北条は小国ながら健在、武田は風前。
1568年冬、大友が友好を求めてくる。翌春、同盟。いずれは織田と雌雄を決する
ことをにらむ。
1569年秋、織田が朝倉を滅ぼし、毛利を侵略。このままでは織田の後塵を拝する
のみか。家臣から同盟破棄の声が挙がる。
1569年冬、織田を手切れ。四国を統一。ようやくにして名実ともに南海帝王となる。
織田対策に、堺城に鉄砲隊を配置。
1570年夏、南部が上杉、武田を滅ぼす。我が軍勢は中国に進出し、岡山近辺の織田の
城を3つ落とす。
1570年秋、南部が徳川を滅ぼす。なぜか北条は関東で4城を支配して残る。
1570年冬、斎藤が織田、南部に挟み撃ちを受け大打撃。大友はしきりに毛利を
攻めるが、中国に上陸を果たせず。
堺城に織田の大軍が攻めてきたが、元親と稲の鉄砲隊と、百地の暗殺でしのぐ。
家臣から、この隙に近畿を制するように声が挙がるが自重。
(以下、次号)