「ぅ暑ぃ…………」
艶のある黒髪をした色白の少年、雪がうだるようにそう呟いた。
パリっとしたブランド臭を感じさせる黒いシャツをラフに着崩した雪は、シャツの胸元を指先で摘み、パタパタと動かしてなけなしの風を送り込む。
だがそれも所詮気休め、というよりなまじ半端な涼気を得ても周囲の暑さを余計意識してしまい、逆効果となった。
もういっそこのまま永眠した方が楽じゃ無いか。そう思わせる程の異様な暑さと湿気は、比較的貧弱な部類に入る雪の体力と水分を奪っていき、時間が経つ事に花が萎れていくように、雪の体が身を預けるソファーへと沈んでいく。
彼が居る場所は東京都内にある大学病院の受付カウンター。
百人程を楽に収容出来る広大な空間は今、熱気と湿気による灼熱地獄と化していた。
真夏まっ盛りの身体を蒸発させるような熱気は、カウンター内に居る百人近い人々の密集効果により更に気温を上昇させ、汗を止め処なく流させる湿気は身体から汗を発汗させて大切な水分を蒸散させてゆく。
しかもどんどん酷くなっていく湿気は、もう何と言うかここに居る人達の汗によって無制限に上昇するんじゃ無いかという馬鹿げた考えを抱かせる程だ。
さて、真夏の病院と言えば平成の三大神器であるエアコンでガンガンに冷えた真夏のオアシスというイメージがあるのだが、この病院のカウンターがその定理に当てはまらない理由が幾つかある。
一つは昨日の記録的豪雨の中に混じった落雷による空調機能の故障。
厳密に言えば空調機能自体に故障した箇所は無いのだが、空調と電気を繋ぐ為の電線――、それが先日落ちた落雷による誤作動で過電流を起こし電線が焼ききれた事。
もう一つは、これは大変だ早くなんとかしないとと病院の関係者が朝方に急ピッチで電線を修理したは良いが、なんと故障は院内の空調を一括管理するコンソールまで広がっており、冷房を作動させたと思ったらなんと暖房が流れてしまった上、切ろうにもコンソールが一切の操作を受付けなくなった事。
それならば電源自体を切れば良いじゃないかと思うのだが、大学病院の電気系統システムというのはこれまたややこしく、冷房の電流を止めようと思えば、院内の電気を短時間だが止めてしまう事になってしまうのである。
なまじ生命維持装置等がある以上、たかが冷房の為に患者の命を危険に晒す訳にはいかない。
という事情があり訳で、院内の空調は暖房のまま放置されているのであった。
だが、そんな事情を知る由もない雪含め病院内に居る全員は、ただその地獄が終わるのを待つしか無いのである。
(暑い……順番もまだ来ないし、どうせなら何か飲み物でも買うか)
ぐったりとしながらも雪はベンチから立ち上がり、人でごった返したカウンターの中を進む、入り口横の自動販売機には雪と同じように冷たい飲み物で暑さを逃れようと思った人たちが長蛇の列を作っていたが、これで暑さをしのげるのなら構わないと、10メートル程伸びた列の一番後ろに立とうと足を踏み出したところで、
ぎゅむ
――何かを踏んだ。
「ふぎゅっ!?」
そして何か妙なうめき声が聞こえた。
「なんだ? って、うぉ!?」
慌てて自分の足元を見ると、そこには橙色の水玉模様をした布に包まれた塊が――、いや、水玉模様のパジャマを着た小さな子が、気を付けの姿勢をしたままうつ伏せに倒れるという、俗に言う『土下寝』スタイルで地面に突っ伏していた。
雪の靴はその女の子の、綺麗な茶髪(地毛だろうか)を生やした頭の上に乗っかっていて、なんとというか傍目から見ると、凄く危険な状態だった。
とりあえず、このまま踏んでおく訳にもいかないので手早く足を退ける。
水玉パジャマの少女は、地面に突っ伏したまま眠っている様に死んでいる。
雪の喉はカラカラで、今すぐにでもこの暑さを凌ぐために自販機で水分補給をしたい。
流石にこの暑さだからといって、死んでいる訳では無いだろう。それに此処は病院、何かあればすぐに処置出来る。
結論、この子は放って置こう、触らぬ神に祟りなし。
雪は足音も静かに、再び自販機の列に並ぶ為に歩き出した、が、
踏み出した足を、今まさに通り過ぎようとした少女にから伸びた手に掴まれ、歩みが止まる。
(やっぱりこうなるか……)
若干予想はしていたが、踏んでしまった時点でもう逃れないのだろう。潔く一言謝って許してもらおう、そう思い口を開こうとした雪だが、
「いたいけな女の子を踏みつけておいて、知らぬふりして行っちゃうの? それってどうかなぁって私は思うんだけどね、やっぱり一般論を真に受けるのも駄目だって思うんだ、でもやっぱり頭を踏まれて存在スルーされるのは、踏まれた方も納得いかない訳で、つまりは自分の存在を主張する為に私はあなたに全力で存在をアピールしてみる!」
顔を勢い良く上げて開口一番マシンガントークを炸裂させた少女を見て、雪の中で積もりかけていた罪悪感の山が一気に瓦解していく。
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艶のある黒髪をした色白の少年、雪がうだるようにそう呟いた。
パリっとしたブランド臭を感じさせる黒いシャツをラフに着崩した雪は、シャツの胸元を指先で摘み、パタパタと動かしてなけなしの風を送り込む。
だがそれも所詮気休め、というよりなまじ半端な涼気を得ても周囲の暑さを余計意識してしまい、逆効果となった。
もういっそこのまま永眠した方が楽じゃ無いか。そう思わせる程の異様な暑さと湿気は、比較的貧弱な部類に入る雪の体力と水分を奪っていき、時間が経つ事に花が萎れていくように、雪の体が身を預けるソファーへと沈んでいく。
彼が居る場所は東京都内にある大学病院の受付カウンター。
百人程を楽に収容出来る広大な空間は今、熱気と湿気による灼熱地獄と化していた。
真夏まっ盛りの身体を蒸発させるような熱気は、カウンター内に居る百人近い人々の密集効果により更に気温を上昇させ、汗を止め処なく流させる湿気は身体から汗を発汗させて大切な水分を蒸散させてゆく。
しかもどんどん酷くなっていく湿気は、もう何と言うかここに居る人達の汗によって無制限に上昇するんじゃ無いかという馬鹿げた考えを抱かせる程だ。
さて、真夏の病院と言えば平成の三大神器であるエアコンでガンガンに冷えた真夏のオアシスというイメージがあるのだが、この病院のカウンターがその定理に当てはまらない理由が幾つかある。
一つは昨日の記録的豪雨の中に混じった落雷による空調機能の故障。
厳密に言えば空調機能自体に故障した箇所は無いのだが、空調と電気を繋ぐ為の電線――、それが先日落ちた落雷による誤作動で過電流を起こし電線が焼ききれた事。
もう一つは、これは大変だ早くなんとかしないとと病院の関係者が朝方に急ピッチで電線を修理したは良いが、なんと故障は院内の空調を一括管理するコンソールまで広がっており、冷房を作動させたと思ったらなんと暖房が流れてしまった上、切ろうにもコンソールが一切の操作を受付けなくなった事。
それならば電源自体を切れば良いじゃないかと思うのだが、大学病院の電気系統システムというのはこれまたややこしく、冷房の電流を止めようと思えば、院内の電気を短時間だが止めてしまう事になってしまうのである。
なまじ生命維持装置等がある以上、たかが冷房の為に患者の命を危険に晒す訳にはいかない。
という事情があり訳で、院内の空調は暖房のまま放置されているのであった。
だが、そんな事情を知る由もない雪含め病院内に居る全員は、ただその地獄が終わるのを待つしか無いのである。
(暑い……順番もまだ来ないし、どうせなら何か飲み物でも買うか)
ぐったりとしながらも雪はベンチから立ち上がり、人でごった返したカウンターの中を進む、入り口横の自動販売機には雪と同じように冷たい飲み物で暑さを逃れようと思った人たちが長蛇の列を作っていたが、これで暑さをしのげるのなら構わないと、10メートル程伸びた列の一番後ろに立とうと足を踏み出したところで、
ぎゅむ
――何かを踏んだ。
「ふぎゅっ!?」
そして何か妙なうめき声が聞こえた。
「なんだ? って、うぉ!?」
慌てて自分の足元を見ると、そこには橙色の水玉模様をした布に包まれた塊が――、いや、水玉模様のパジャマを着た小さな子が、気を付けの姿勢をしたままうつ伏せに倒れるという、俗に言う『土下寝』スタイルで地面に突っ伏していた。
雪の靴はその女の子の、綺麗な茶髪(地毛だろうか)を生やした頭の上に乗っかっていて、なんとというか傍目から見ると、凄く危険な状態だった。
とりあえず、このまま踏んでおく訳にもいかないので手早く足を退ける。
水玉パジャマの少女は、地面に突っ伏したまま眠っている様に死んでいる。
雪の喉はカラカラで、今すぐにでもこの暑さを凌ぐために自販機で水分補給をしたい。
流石にこの暑さだからといって、死んでいる訳では無いだろう。それに此処は病院、何かあればすぐに処置出来る。
結論、この子は放って置こう、触らぬ神に祟りなし。
雪は足音も静かに、再び自販機の列に並ぶ為に歩き出した、が、
踏み出した足を、今まさに通り過ぎようとした少女にから伸びた手に掴まれ、歩みが止まる。
(やっぱりこうなるか……)
若干予想はしていたが、踏んでしまった時点でもう逃れないのだろう。潔く一言謝って許してもらおう、そう思い口を開こうとした雪だが、
「いたいけな女の子を踏みつけておいて、知らぬふりして行っちゃうの? それってどうかなぁって私は思うんだけどね、やっぱり一般論を真に受けるのも駄目だって思うんだ、でもやっぱり頭を踏まれて存在スルーされるのは、踏まれた方も納得いかない訳で、つまりは自分の存在を主張する為に私はあなたに全力で存在をアピールしてみる!」
顔を勢い良く上げて開口一番マシンガントークを炸裂させた少女を見て、雪の中で積もりかけていた罪悪感の山が一気に瓦解していく。
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