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隠れ家


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 春だった。一人の男が、寂れた街道沿いの小さな酒屋で、ちびちびと酒を呑んでいた。
 腰には、装飾の施されていないマンゴーシュを帯びている。階級の低い役人か、もしくは山賊の手下か。もしかすると、一人旅の男かもしれない。片側のホルスターには、リボルバーが一丁下がっている。
 背は高く、金髪だった。真っ赤な革の胴着は、古いがよく手入れされており、やはり赤に染められた麻の下衣も清潔なものだ。しっかりした、大きな旅行鞄には、金貨と食料が唸っているのがよく分かる。
 男は、マンゴーシュとリボルバーの他にも武器を持っていた。よく磨かれたシミターだ。
 おそらく、いかなる武器も使いこなすのだろう。その多様さは、彼の英雄であるスティン・リオゴナスを彷彿とさせる。
 喉かな空気と、アルコールの弱い酒を楽しんでいた男は、不意に口を開いた。
「マスターさん、この辺で面白い噂なんかないですか?
「面白い噂? ああ、それだったら、この街道を先に進んだところにいるレオス・ドルソンって爺に聞けばたくさんの噂話が聞けますぜ、旅の御方。まあ、半分はホラだって話ですがね」
「レオス……? ほう、それは懐かしい響きですよ」
 酒屋のマスターは、首を傾げた。先ほどまで磨いていたグラスからは目を外し、男を見た。
「あの偏屈親父を知っていると……?」
「いや、俺も風の噂でしか聞いていませんので。しかしレオスか……不思議と久しい感じもする」
 男は、喉の奥で音を立てるような乾いた、しかし楽しそうな笑い声を上げると、席を立った。
「どうもありがとう、久しぶりに美味い酒が飲めましたよ」
「そう言ってくれると嬉しいねぇ、日々の苦労が報われる思いだよ」
 目の端に、悪戯を見つかった子供のような輝きを男は放つ。いや、そうでないとしたならば、これから悪戯をしようと企む悪餓鬼だろうか。
「いくらになりますか?」
「ギディック銀貨一枚と四ニルクだ」
 男は、旅行鞄から銀貨と銅貨を取り出すとカウンターに置いた。
「お釣りは取っといてください、面白い情報をくれたお礼です」
「まいどありっ!」
 男は酒屋を出ると、寂れた街道を口笛を吹きながら歩いていった
 
 大切なのは、その指だった。誰もが羨む繊細な指、細く、長く――彼女の指は本当に美しかった。いや、エルフという種族自体は美しく、彼女も美しいエルフの一人であった。或いは、秀でて美しい選ばれた美女とも云うべきか。
 エルフの寿命は長いと、たびたび噂されるがそうでもない。一番の長生きが、百二十歳だったろうか。人間の最高齢が百十五歳だから、そう変わるものでもない。平均的な年齢はやや、エルフ族が高いとはいえ、それでも数歳の差に過ぎない。エルフが信じられないほどに長寿だという噂は、年月を経ても変わらぬ、妖艶な美しさが原因であろう。無論、それだけではないのだが。
 彼女も確かに、美しかった。まだ若い――人間の年齢と照らし合わせても少女と言うべきほどの――彼女は、群れを追われていた。群れというのは、少々乱暴な物言いかもしれない……高貴なエルフ族を、群れなどという野蛮なまとまりとして表すことが、果たして正しいのか否かは誰もが知っている。それは群れでなく、団体として生活し、お互いが尊重しあって助け合う共同生活と云うべきか。
 その生活から弾かれた彼女――人間にしてみれば一匹のエルフは、寂れた一本の街道を歩いていた。小柄だかほっそりとしていて、腰まであるほどの長い金髪を靡かせて、一人寂しく宿を探していた。

 街道は、様々な人種、様々な種族――そして様々な旅人が行き交い、出会い、そして情報を交換する。酒屋も然りと、男は言った。一ギディックと三ニルクだったか。既に自分が、どれほどの酒を飲んだかも忘れていた
 がま口の財布には、金貨二、三枚と銀貨が数枚。そして、他はぎっしりと銅貨が詰まっている。銅貨一枚で充分酒は飲めることを考えたら、男が呑みすぎたのかボッタクリか。しかし、足のふらつきを考えに入れるのならば呑みすぎたと判断するのが妥当だろうと男は考え直す。
 ――しかし、困ったものだ。頭はふらつかねぇのによ。
 酒豪であることを考慮に入れていない。普通の人間ならば、その半分も呑めないというのに。早朝に店に入り、夕刻まで入り浸るというのはかなりの量を呑んでいたことになるのだ。
 しかし、ある程度の情報は入った。寂れた酒屋だから人の入りは少ないと思っていたが、意外にも同じ旅人らしき人物が多く訪れた。極めて大切な情報としては、レオス・ドルソンがまだこの辺りにいるという確証を得ることが出来たことだろう。
 そんなことを考えて、ふらふらと歩いている男が、一人のエルフにぶつかった。妙齢の美しいエルフだが、エルフ族特有の傲慢を男は感じなかった。
「おや、すみません。お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「え? あ、はい。平気……だと思います」
 エルフの少女は、何事かよく分からない様子だ。目を丸くして、男を見つめている。
 もしくは、エルフのような優雅さとは裏腹の、人間特有――旅人特有の快活さと朴訥さに違和感か何かを感じたのだろう。今まで目にしていなかった表情と優しい瞳に、その時既にエルフの少女は心を奪われていたのかもしれない。
「おや、腕をすりむいていますよ。消毒液と湿布薬くらいならばありますので、手当てさせてくださりませんか?」
「はい? あ、なるほどっ。是非!」
 血や穢れを知らないのだろう。あまりにも娘が素直なものだから、思わず男はクスリと微笑んだ
「え? あれ、私おかしい……ですか?」
「いや、なんでもありません。さて、手当ては終わりました。申し訳ございませんでした、お達者で」
 男はそう言って、優しく微笑む。そして立ち上がり、やはり足元のふらついたまま街道を去っていった。
 エルフの娘は、今の際までいた男の瞳を思い出して、一人頬を染めた。
 人間が野蛮だと聞かされていたからか。正直、『エルフ族という種族の団体』から弾かれた時に恐怖と虚無を感じていた。
 しかし今は、人間にも優しい人はいると理解し、信頼出来る人間を探し出そうと心に決めていた。
 娘は立ち上がり、先ほど手当てをされた箇所を撫でる。優しい男の手つきを思い出し、あの人ならばと思い返す。
 娘はその道を、男の背中を追って駆けていた
 
 レオス・ドルソンは、非凡な情報網を持っていると噂される。情報源はもっぱら、マンゴーシュとシミターを巧みに操る剣豪らしい、と。頻繁に囁かれる噂だ。しかし、あながち間違ってもいない。
「レオス……か。随分と懐かしいねぇ」
「そうかい、ヴィルド。お前さんも、相変わらずの根無し草じゃのぉ」
 現れたのはレオス。
「おや、お師匠様。お久しぶりでございます」
「慇懃無礼なその態度も、未だ変わらず……か」
 そう言ってレオスは、目を細める。
「久しぶりに、ヴィルド。お前の剣を見てみたいもんじゃの」
「フフ……ご遠慮いたします、お師匠様。小さな器には収まりきらぬので」
 自然体で立つ男――ヴィルドは、ホルスターからリボルバーを抜く。
「僕は既に、お師匠様を遥かに凌駕する力を持っていますので」
 黒光りするその銃身は、真っ直ぐとレオスを狙う。回転式の拳銃だ。弾倉には弾が六発。威嚇射撃としての空撃ちは――ない。
 撃鉄を起こし、引き金を引くだけとなる。
「お力、試させていただきます」
「……師に銃口を向けるとは、なんという常識知らずか。好きにせぇ」
 ダーン。鋭い音が響く。再び撃鉄を起こす動作の後に、二度目の銃声。
 合計六発の銃声が、夜明けの街道にこだまする。
「やはり、お師匠様のお力は衰えておられぬか……」
 ヴィルドはリボルバーをホルスターに収めた。
「お久しぶりです。またしばらく、居候させていただこうと思っておりました、お師匠様」
 そして、ヴィルドは輝くような笑顔でレオスに微笑みかけた。
「相も変わらず、無礼なヤツよ」
 鼻を鳴らすレオスに、ヴィルドは苦笑した。
「しっかし、お前も大きくなったもんじゃのぉ、ヴィルド。ここを去ったのは、かれこれ二十年も昔か」
「そうですね、お師匠様。お師匠様から受け継いだ剣、今でも肌身離さずに持っております」
 マンゴーシュとシミターを、そう言って示すヴィルド。
「ほぉ、師想いの子じゃて」
「親も同然ですから」
「口が上手いのも相変わらずじゃの」
 レオスは微笑む。顔中の皺がより深くなり、その優しく鋭い、コガネムシのように輝いている瞳が埋もれる。歴戦の勇者と名高いものの、弟子の前ではただの親バカのようになるのは相変わらずだと、ヴィルドは思った。しかし、それもまた心地よく感じる自分をヴィルドは意識し、両親を幼くして亡くした自分の育ての親と、レオスを慕っている。
 挨拶代わりの銃撃も、弾けなかったとしても当たらないギリギリのところを狙っていったつもりである。まあ、皮の二枚や三枚は破れたのかもしれないが。

 先ほどの男を遠目に見つけ、彼女は心がときめくのを感じた。恋の予兆だと誰かが言うそれは確かにエルフの美少女にも訪れたのだろう。異種族間での交わりは珍しくなく、体の基本的な構造は同じであるからして染色体などの異常もない。オリクと人間、ホビットとエルフの間でも、子供を作る妨げにはならない。妨げとなるのは、理解だろうか。
 そして、理解してもらうべき相手が存在しない彼女は、確かにヴィルドとの交際を夢見ていた。俗に言う一目惚れを、娘は経験している。
 男は、初老の男性と会話をしているようだ。声は特別大きいわけでもなく、距離もあるので内容は分からないが、それでもエルフの鋭い視力は男が微笑んでいるのを確認した。その笑顔にも、胸はドキッとする。恋をしている感じは気持ち悪いと思いつつ、なかなか居心地がいいとも感じ始めていた。
 口を開く。声帯が振動し、言語を成す。
「あの! さっきはありがとうございました!」
 男は振り向いた。
「おや、さっきの! わざわざ、追いかけてきたんですか?」
 ビックリするヴィルド。それもそうかと、女は内心で苦笑する。
「ええ……その……お礼! そう、お礼がしたいんです!」
「ヴィルド、また女を引っ掛けてきおったか?」
「お師匠様、そんなことはかつて一度もしたことはございませんが……?」
 娘は、ヴィルドとレオスの下に辿りつく。
「その、傷の手当てをしてくださったので……」
「あれは僕がつけてしまったもの。お礼など、していただかなくても結構です」
 そして、娘の大好きなふんわりと優しい微笑みを浮かべるヴィルド。
「いえ、あれは違うんです。あなたのせいではないんですっ」
「それでも、怪我した少女を手当てするのは大人である人間の務めです。お金も、礼の言葉も必要としません」
「あの傷は、私がエルフの村から追われる時につけられた傷なのです」
 ヴィルドの言葉を、もはや娘は聞いていない。そして、ヴィルドの優しさに付け込むように――その言葉の意味を彼が理解するように、二の句を継ぐのに少しの間を取った。
「仲間につけられた、傷なのです」
「詳しい話を、聞きたいのぉ」
 そう言ったのはレオス。穏やかだった彼の瞳も、今は冷たく、そして澄んでいる。
 妙齢の女子を傷つけるということは、この師弟ともども許し難い行いなのだろう。ヴィルドも、見ると眉間に皺を寄せている。優しい瞳も、今は全てを切り裂く剣のように鋭い。
「お師匠様の家まで、ご案内いたします。どうぞこちらへ」
 そしてヴィルドは、娘の手を取ると街道の横道へと逸れた。レオスも後に続く。
 ヴィルドに手を握られたことで、娘の頬は朱に染まった。それを悟られまいと俯くと、それを恐怖や怯えと取ったのかヴィルドは声をかける。
「無礼なことは承知です。しかし、心配なのですよ。決して不貞は働きません……信じろというのは無理でしょうが、どうか信じていただきたい」
「あの、別に警戒とかしてないですよ……? ただ、その――いきなりで驚いたので」
「驚かせて、申し訳ない。しかし、女性の一人旅は危険ですぞ、ご婦人殿。どうぞ、今晩だけでも泊まっていってください」
 既に日は沈みかけ、出歩くには暗すぎる時分でもあることから、娘は快く申し出を受け入れた。その理由の中には、多少の下心も含みあったが。
「それでは、今晩だけ……お言葉に甘えさせていただきます」
 そして、娘はヴィルドの手の甲にその手を添える。
 ヴィルドは再び、娘の手を引いて歩き出した。娘を守るように、レオスも娘の後ろについている。その道の両脇には、うっそうと茂った森が広がっている。
「一つ、訊いてもよろしいですか?」
 不意に、ヴィルドが口を開いた。
「え!? あ、はい。なんなりと」
「お名前を、教えていただきたいのです。構いませんか?」
「私……私の名前は、リアリー=フォンゴベル・ファランツェルです。貴方は、ヴィルドでよろしいんですよね?」
「ええ。僕はヴィルド・クランケル。師は、レオス・ドルソンです」
 ヴィルドはそう言い、口をつぐむ。
 沈黙の中に、三人が歩く音と木々がざわめく音だけが残った。この気まずい沈黙をリアリー=フォンゴベル・ファランツェルは酷く居心地悪く感じ、口を開いたその時。ヴィルドが突然しゃがみこんで茂みを探る。
「あ、あれ? どうしたんですかっ?」
「ああ、ここに入り口があるんです。性悪なお師匠様は、こんな隠れ家を持っているんですよ。昔は帰れなくなって、この辺りでよく泣いたものですよ」
「口が過ぎるぞ、ヴィルド。さっさと開けろ」
「はいはい、分かっていますよ」
 ヴィルドは入り口の取っ手を掴み、思い切り横にスライドさせた。
 その光景の、余りの素晴らしさに、リアリーは息を飲んだ。先ほどまではただの茂みだったものが、茂みごと地下に飲み込まれていったのだ。さらには、暗い地下の階段には松明が明々と灯り、隠れ家への道を案内していた。その様子はまさに、深海に煌めく一片の明かりとでも言えようか。夜闇に煌々と輝いているその姿は、星を散りばめた天の川よりも尚、美しい世界を形作っていた。
「凄い……これはあの……レオスさんが?」
「凄いじゃろ? 年寄りの道楽でも、ここまではせんよ。なんせ、大陸全土探そうとわしに敵うほどの技術を持ち合わせたヤツはおるまい」
「痴呆のジジイがどんだけ凄いもんを創ろうと、世間様は気にもかけんよ、お師匠様」
 ヴィルドは、打って変わって豪快に笑うと、地下の階段へと降りていった。
「おい、あんたがたも急ぎな。まあ、ジジイはそこで野垂れ死にしてもよかろうが」
「黙れ、ドラ弟子。わしの隠れ家に不法侵入じゃぞ。ちったぁ礼儀を弁えい!」
 軽口を叩きつつ、二人は地下の闇に飲まれていく。リアリーはおどおどと、入り口で踏みとどまったまま右往左往しているといった体だ。
 ヴィルドの態度が、先ほどとは全く違うものになっているのが気にかかるのだろう。別人格といっても差し支えないほどに砕けた口調に振る舞い――それは、ブラソナ大陸に残してきた仲間達に通ずるものが確かにあるとリアリーは感じたのだ。
 もしかしたら――人間は確かに恐ろしいのかもしれない。人を蹴落としていく、そんな種族なのかもしれない。それだとするのならば、リアリーはどこに移ろえばよいのであろうか。
 しかし、彼女のそんな心配をよそに、ヴィルドはエルフの娘に手を差し伸べる。
「おい? おら、リアリー。さっさと来いや」
 その逞しい腕を、ヴィルドは差し出す。
「風邪引くぞ?」
「あ、ありがとうございます……」
 その腕に縋り――松明が煌々と闇を切り裂く深淵へと、リアリー=フォンゴベル・ファランツェルは足を踏み出した。
 
 分かりやすく説明をすれば、大きな木の洞に屋敷がある状態だ。切り立った崖の途中、上からも下からも完全に外界から隔離された場所に、レオスの隠れ家はあった。
「す、凄いですね……」
「なに、腐れジジイの道楽だよ。しかも、全部自分の手作りっていうんだから驚き。そのケチんぼさに」
「青二才がなにを言うか。誰にも手を出されんと、一人でやるから隠れ家なんじゃよ」
 誇らしげにレオスは言うが、それでも半分は確かにケチだったからなのだろう。
「ま、敵は来ないし居座るには最高だぜ、娘さんよ。とりあえず適当にくつろぎな」
「お、お言葉に甘えます……」
 リアリーは屋敷内に足を運んだ。
 不必要に華美ではないその屋敷は、実用性に富んだ造りになっていた。それほど巨大な建造物ではなく、一般的な家屋の敷地面積と照らし合わせてみても大差ない。しかし、一人で住むには明らかに広いのは確かだろう。
 居住者がいるのかと、リアリーは部屋を一つずつ見て回ってみたが、どうもそれらしい人物も見当たらない。十人ほどは生活出来るはずの屋敷にただ一人というものは、酷く寂しいものがあった。
 ため息をついて、リアリーは宛がわれた部屋へと向かうことにした。一番下の階まで下り、その部屋の扉を開いた途端――、
「お前は誰だ? レオス様の館に一人で乗り込むとは、不貞の輩よ。退治してくれるわっ!」
 その白い喉もとに、白刃がひたりと、当てられる。
「え、ええと? あの……命だけは、許してくださ……」
 命乞いも尻すぼみとなっていく。リアリーは、短い人生に終わりを告げる準備もできず、ただただ呆然と、眼下に見える白刃に縫い付けられたかのように見つめている。
「お前……どうやって入った……!」
「え、ええっと……ヴィルドさんに連れられて――」
「――ラシャクじゃねぇか、久しいな」
「ヴィルドさん! 本当にお久しぶりです!」
 やってきたヴィルドに、ラシャクと呼ばれた少女は歓喜の声を上げる。それと同時に、リアリーは解放される。
「ああ、少し大きくなったか? まあ、俺がここを出たときには、まだ子供だったもんなぁ……」
「それ、言わないでくださいよ……それより、久しぶりに会ったんですから。今日はご馳走にしましょう!」
 ラシャクは大袈裟な身振りでヴィルドに抱きついた。それを見て、リアリーは若干、胸がキュウっと締め付けられるのを感じた。
「ああ、そうそう。ラシャク、今日からリアリーもここに住むから。女同士、仲良くしてやってくれ。んじゃ、俺はジジイと少し話してくるから」
 そしてやんわりと、自分の体に絡み付いているラシャクの腕を外すと、ヴィルドはその場を去っていった。
 気まずい沈黙。
「あの……よろしくお願いします。わ、私……さっきのこと、気にしてないですから」
 先に口を開いたのは、リアリーだった。不貞の輩ではないと分かって気恥ずかしいのか、耳まで赤く染めたラシャクは黙り込んでいる。
「ええっと、ラシャクさん? 私、何か気に障ること――」
「あんた、優しいエルフだね」
 ボソッと、ラシャクが呟いた。
「あんた、エルフだろ? エルフのくせに、優しいんだね」
「へ?」
 きょとんと、首を傾げるリアリー。
「いや、なんでもないよ。気にしないでくれ」
 ラシャクはダルそうに首を振ると、リアリーの横を通り過ぎ、先ほどの扉より一つ奥の扉を開く。
「あんた、あたいの部屋の隣だったんだね。よろしく頼むよ」
 何がなんだかよく分からず、若干呆然とした表情を浮かべていたリアリーは慌てて頷く。それを見て、ラシャクはニコリと微笑むと、自分の部屋へ入っていった。
 リアリーはしばらく廊下に佇んでいたが、窓から見える景色にふと、心を奪われた。窓に顔を寄せ、景色をもっとよく見ようとしたが、多少高いところに窓があるために届かない。リアリーは逡巡したが、湧き上がる欲求に勝つことを知らぬ純粋な彼女の魂はあっさりと外へ出ることを許可した。
 ――無論、レオスやヴィルドが許可するか否かはさほど彼女の中では問題ではない。
「わぁ、すごーい!」
 外に出たリアリーは、その雄大な眺めに感嘆の声を上げた。完全な絶壁。巨大な山の谷に、一つだけぽっかりと口を空けたこの隠れ家。
 この場所を歩いてみて、ある程度の広さがあることをリアリーは知った。屋敷だけではなく、天井からの湧き水を溜めて作られた貯水池までもある。そして、崖の縁からは遥か眼下に先ほどの街道が見える。
 夕闇がそろそろ迫る、ここから見える世界は、赤い絨毯が敷き詰められたかのように鮮やかな紅が輝いている。
 さっき街道から見たときには気づけなかったこの隠れ家に、リアリーはただただ、レオスの凄さを思い知るのだった。
「眺めはどうだ? 下からじゃ、ここは絶対に見つからんぜ」
 いつの間に後ろに立っていたヴィルドに、リアリーは振り返る。
「凄いです! レオスさんも凄いですけど、この崖の洞は本当に凄いです!」
「いや、本当に凄いのはジジイだよ」
 そして、リアリーと隣り合ってヴィルドは座る。
「この洞。どうして見えないんだと思う? ここからだと街道は丸見えなのに」
「……あ、そういえば」
「ジジイが完璧な隠蔽魔法で隠してるんだよ。癪な師匠だぜ――剣も魔法も、カラクリまでも俺より上だ。まったく……いつかあの野郎を超えたいと思うのにさ」
 地面に寝転がるヴィルドの横顔を、優しい夕焼けが照らす。実際の年齢をリアリーは知らないが、そんなヴィルドの姿を見ると、まだ夢見盛りな少年としか思えないほどに幼い。夕焼けに染まった頬は滑らかで、褐色の肌に白く繊細な指を走らせたいとリアリーは考え頬を赤らめる。
「……どうかしたか?」
 呆けているのを気に止めたのか、ヴィルドが訝しげに訊ねる。リアリーは慌てて顔を背けると、早口で言った。
「な、なんでもありませんよっ。それより、そろそろ夜じゃないですか? 私、お腹空いちゃいましたよ」
 そして、慌てて立ち上がるリアリー。
「そう……だな。そろそろ、飯の時間か……?」
 その時、頃合いよくラシャクが夕食ができたと告げに来た。
「いやに頃合いがいいじゃないか? さては、見てたな?」
 茶化すヴィルドに、ラシャクは、
「ヴィルドさんを覗き見する趣味などないよ! しばらく会わぬ間に、自意識過剰になってるね!」
 と、慌てるかのようにかぶりを振った。
「そ、それよりリアリーさん。早く行きましょう? レオス様が待っております」
「え? ええ……」
 疑問に思い首を傾げるリアリーの後頭部を、ヴィルドが軽くはたいた。
「いたっ……何するんですか、ヴィルドさん!?
「お前、テメェの仲間に追われてきたって言うからその話を俺らが聞くためにここに来たんじゃなかったっけか? 自分の言ったことくらい覚えてろ」
「あ、そうか……」
「んじゃ、行くぞ。二人とも」
 そんなヴィルドに連れられ、三人は食事を摂りに屋敷へと再度、足を向けた。
 
 夕食時にもなると、人はどこか安心感に近いものを感じる。それはレオスとても例外はなく、その弟子であるヴィルドもそうである。
 四人で食卓を囲み、夕食を摂る様はさながら家族のようであるが、そこに血のつながりは皆無である。レオスは飲み、ラシャクは椀に米をよそい、リアリーは食しヴィルドが奪う。温かい風景であると同時に、それは異様な風景でもある。
 無論、血のつながりが無いことからくる異様である。そしてそれを尚のことに確かなものとするのは、自然と張り詰める空気だろうか。冷たい白刃にもなり、目に見えない枷となり、四人に糸のように纏わりつく空気。それが凍り付いているのは、誰もが知っている。
 そして、その原因がリアリーであることも。
「ごっそさん」
 最初に立ち上がったのはヴィルドだ。
「俺は先にあっちの部屋行ってるぜ」
 茶碗を洗い場へと持っていくヴィルド。
「んじゃ、ラシャク。洗っといてくれよ」
 バタン、と。音を立てて閉まる扉。
「さて、エルフの娘さん。そろそろどうかね? 話せそうなら、向こうの部屋で話していただきたい」
 優しく丁寧だが、率直な言葉に、リアリーは箸の動きを止めた。
「すみません、先ほどは宿がなく……あわよくばと思いあのようなことをのたまいました。話すほどのことではないので、心配なさらず」
 ラシャクはリアリーの肩に手をかける。
「でも、あんたさぁ……どうってことないならなんで――」
 そのまま顔を覗き込むラシャク。その目はやはり、リアリーの瞳を捉えて離さない。
「――なんで泣きながら、震えてんの?」
 リアリーの堤防は、いとも容易く決壊した。
「私だって、本当は仲間と一緒にいたかったんです――ずっと、村で一緒に、平穏無事な生活を送りたかったんです――っ」
 盛大に泣きはじめるリアリーの背中を、ラシャクは優しく、ゆっくりと撫でていた。
「ほら、好きなだけ泣きな。落ち着いたらまた話せばいい」
 ラシャクはリアリーを抱き寄せる。その胸に、おとなしくリアリーは体を預けた。しゃくりあげる合間合間に、やはり村への郷愁を語る。
 リアリーの涙が、うら若い女剣士の衣服を濡らす。いつの間にか、部屋にはリアリーとラシャクだけになっていた。おそらく、エルフの美女に気を使い、レオスとヴィルドは部屋を出たのであろう。その気遣いが、余計にリアリーの涙を誘う。
「リアリー、あんたがどんな仕打ち受けたかは知らないけど、私は味方のつもりだよ。だって、リアリー。あんたさ、ヴィルドさんが好きだろう?」
「ラシャクさん……?」
 邪気のない泣き顔。
「あいつは、良いやつにしか懐かれないから。あいつを好きになるのは、みんな良いやつだから」
 その言葉が心に染み入るように、ラシャクは間を取る。
「だからリアリー。あいつを信じるお前を、私は信じる。だから、お前は私の信じるお前を信じろ」
「……あり、がとう」
 短い言葉だったが、その一言にリアリーは、自分の思いを全て詰め込んだ。
 瞳からまた、一粒の涙が零れ落ちる。
 
 月明かりが照らす、崖の縁。
「ジジイ、大体事情とやらは飲み込めるぜ」
 その青白い光は、人が思うほどに暗くない。
「そうじゃな。そもそも、エルフが人間に関わることが珍しいわい」
 二人を際立たせて明るく浮かび上がらせる、女神の光線。白光の下、二人の顔は死人のように血の気がない。青白い肌に赤らみはなく、表情が見えない。
「今さらだけどよー、はみ出しもんのエルフ囲っていいのか?」
「いや、別に置くのはいいのだが――しかし逆に、どこか定住することが危険になるのじゃよ」
「なんでさ、ジジイ。自分たちの領域に、人間招きいれたってとこじゃねえのか?」
 領域、という部分でレオスは眉を顰める。
 本来は、人間が足を踏み入れていい場所ではない。強い魔力がその肉体を粉々に食い潰すからだ。無論、それを相殺してあまりあるほどの魔力を持つことはいかなる人間でも可能である。
 しかし、修行をせずに魔法力を得る人間などそうはいない。レオスやヴィルドとて、修行の果てに人並みはずれた、エルフすらも凌駕する力を手に入れたのだ。
「ハシバミやライラックなら分かるが……しかし他に、そんな人間はいるのかよ?」
「護符かもしらんな。それを中心とした、ある一定の範囲の魔法を無力化するものだが」
 レオスが仮定を挙げるが、どれもさしたる確証はない。
「まあ、レイドンが関係してるのは確かじゃと思うが? レジスタンスの調べたところによると、以前大量の護符を行商人から仕入れたらしいからな」
 ふーん、と。関心なさげに相槌を打つヴィルド。それよりも今大切なのは、リアリーが何の目的で、ネルツワームにやってきているかということだ。
 言わずとも、群れから離れて一人でいるエルフといえば想像は付く。仲間が死に至る理由となり、故意でなかろうと種族を危険に晒した罪は命でしか償えないからだ。――もっとも、間諜という可能性もないではない。
「俺は数日後、ここを出るつもりだが……?」
「ラシャクとリアリーを、よろしくな」
 微笑むレオス。
 応えて、ヴィルドは親指を立てる。
「了解。師匠さん」
 師弟は笑みを交し合う。互いの実力を知っているからこその信頼関係なのだ。
「最後に、少しばかり稽古をつけてやろうかの」
「いや? 案外、稽古をつけてやるのは俺かもしれねェぜ」
 二刀を引き抜くヴィルド。レオスも戦槌(ウォーハンマー)を手に取り、構える。
「なんだか、笑えて来るな。爺さん」
「……なんでじゃ?」
「もう、二十年も会ってない師匠とその弟子。普通はお互いの数値がある程度分かっているはずなのに、今や未知数ってところがだよ」
 お互いに、ニヤリと笑みを浮かべ合う。
「フフッ、そうじゃな。……かかってこい!」
 その言葉を同時として、お互いの体は近接した。
 右の手で、咽喉を突くヴィルド。しかし剣先はウォーハンマーによって右に弾かれ、回転を止めないレオスの体は勢いのままに左わき腹をつま先で蹴りつけようとする。咄嗟に左のマンゴーシュでそれを防ごうとすれば、逆に手の甲を狙うレオス。
「くッ……!」
 回避が間に合わないと判断したヴィルドは、更に迫って左脇に入り込む。間合いが狂い、攻撃は空回りに終わったレオスに隙ができ、渾身の頭突きをヴィルドはレオスに喰らわせた。
「うごッ」
 しかし、受けるダメージはヴィルドも同じだ。確かに右の蹴りは交わしたが、レオスの石頭にヴィルドは一瞬視界が狂った。
「痛ってェ……相変わらず石頭してんな、クソッ」
「お前も相変わらず、きかん気の強い頭じゃな。老いぼれの頭は大切にするべきだと、育ての親から言われておらんのか?」
 同じように頭を押さえ、蹲るレオス。しかし石頭のおかげか、先にレオスが立ち上がった。
「テメェ、殺る気かよ? 上等だコラッ!」
 同じく立ち上がるヴィルド。しかし足元は覚束ない。どこまで硬ければ気がすむのか……レオスの頭は本当に恐ろしいと思うヴィルドだ。
「女の子とヤるほうが、よっぽど楽しいのだが……仕方ないのぅ。ラシャクはまったく相手にせんし、とんだ不孝者の弟子が二人もいるわい」
「ラシャクに変なこと吹き込んだら承知しねェぞ、クソジジイ!」
 右のシミターが、レオスの左わき腹から右の肩口までを一閃したかに思えた。がしかし、ウォーハンマーの柄でその斬撃を阻みヴィルドの頭をウォーハンマーが襲う。回転しながらヴィルドはしゃがみ、足元に後ろ回し蹴りを放った。続いて、左の足で胴体を、反動を利用して跳躍し、更に空中で右肩を蹴りつけつつ素早く二刀を逆手に持ち帰る。
「フンッ」
 頭を串刺しにしようかというときに、レオスも負けじと柄で足を払いバランスを崩させた。更に肋骨めがけ、ウォーハンマーを叩きつける。体制が整っていないヴィルドは、それを避わすことができなかった。
「――痛ゥ」
 悲痛なうめき声が口の端から漏れるが、それはレオスも同じこと。肩口と胸を斬り裂かれ、赤い華を裂かせていたのだ。
 最後の最後で体を捻ったのか、ヴィルドも大したダメージはない。背中から落ちて咳き込んでいるが、それも『フリ』なのかもしれない。
「痛ってぇな――死んだらどうするつもりだ、クソジジイッ」
「……それぐらいでお前が死ぬとは思えんがのォ。まあ、痛み分けじゃな」
「――んなもんですませるかよッ。……こちとら、命賭けてネルツワームを旅して回ってたわけじゃねぇからよ――ッ!!
「わしとて望むとこよ、若造が……まだまだ負けるつもりはないぞッ」
 再び構え、対峙する二人。
「ハッ……老いぼれはさっさと失せろっての!」
「口の減らん弟子よのぉ……師匠として、鍛えなおしてやろうぞ」
 穏やかな口振りだが、同時に地面を強く蹴るレオス。
 ヴィルドも迎え撃つべき、右足を引いて半身を切る。マンゴーシュを正眼の位置に持っていき、シミターは上段に構える。
 左から打ち出されたウォーハンマーは、性格にヴィルドの頭を狙う。同時にマンゴーシュは動き、レオスを追う。そのタイミングは、明らかにウォーハンマーがヴィルドを昏倒させるよりも、マンゴーシュがレオスを貫くほうが早いタイミングだった。
 しかし、慣性に則った体は言うことを聞かない。胸を貫く寸前、無理やり体を捻るがやはり胸元を浅く斬撃は迸り。
「――ッ!?
 シミターの白刃が、レオスの首の皮一枚の差で突きつけられる。ウォーハンマーは、所在なげに中空を叩きつけたままの格好だ。
「――俺の勝ち、だな」
 ニヤリと、酷薄で俺様な薄い笑みを口元に浮かべてヴィルドは宣言する。レオスは目をパチクリとさせて――そして笑った。
「ははっ。ヴィルド。とうとうわしよりも強くなったか! リオゴナスの右腕として恐れられ、『賢者の百五十ヶ月戦争』に終止符を打った英雄よりもっ! もはや、ヴィルドよ。お前に敵うのは、わしの親友にして智勇の名将、スティン・リオゴナスをおいて他にはいまいよ」
 楽しそうに、目を爛々と輝かせ饒舌になるレオス。それだけ、弟子の成長が嬉しいのか――はたまた、戦いの際に体中を支配したアドレナリンの行き場がないのだろうか。
 それにしても、本当に楽しそうだとヴィルドは思う。
「さあて、ヴィルドよ。いつ発つかは決めてあるのか?」
「いや? あと数日は厄介になるつもりだったからな。まあ――リアリーがどんな人間……ってかエルフか。とりあえず、性格を見極めるくらいにはいるつもりだぜ。本当は、帰ってくるつもりなんざなかったがな――はみ出しもんのエルフが一人街道を歩いてて、なんもなかったで済ませるわけにはいかねぇよ。追放されたんだろうが、もしかすると間諜って線も捨てきれねぇし。テレパス発信で呼び出しかけて、すまないとは思う」
「本当に思っているかどうか、怪しいものだがな」
「ま、気にするなって。リアリーが何の理由でここに来たかは分からねぇが、あいつが寝てる間にテレパスで記憶とか探ってみるよ。レイドンとの戦争も近いが、優先順位はブラソナとの平和協定だからよ。レジスタンスのメンツも、とりあえずはそっち方面で動いてるってハシバミ達から聞いてるが、実際のところどうなんだ?」
「確かに、レジスタンスはよく働いてるが――オークやウリクに外交術なんぞ持ち合わせておらん。ホビットも、いらんことばかりよく喋りやがるし、今の所は難航じゃな。もっとも、ドワーフが暴れだしておらんことだけが唯一の救いだがな」
 ふーんと、ヴィルドは鼻を鳴らす。
「まあ、結構頑張ってるほうじゃないか? まず先行するべきは、リアリーが何者かを確認すること、ブラソナの動向確認及びそれに伴うネルツワームへの被害の検算ってとこか。レイドンの火力相手には、ブラソナの後ろ盾がなければキツイが――この際贅沢言ってる間はねえか。ジジイ、レイドンの宣戦布告がいつ頃になるか分かるか?」
 レオスは腕を組む。
「いや、ガレスからの着信はないからまだ分からないのだろう。しかし、ラズィエルからの報告だと一年以内には兵を上げるそうだ」
 先ほどまでは輝いていた月も、今では雲に覆われている。伴って下界は、より満ち満ちた暗闇に気を取られ、街道を行き交う人々の足元には暗い霧が渦巻いていく。
 洞の縁にいる二人からは、草木から迸るマナが明るく輝き、そして人々の顔を照らすのに気がついていた。昼間の間に太陽の光をたくさん吸ったマナは。温かい輝きに満ちている。それすらも、足元をうろつく負の冷気には敵わない。
「……さて、寝るか」
「そうじゃな――明日も早かろう」
 ヴィルドは宛がわれた寝室へと向かう。その背に続き、レオスも自らのベッドへと足を向けた。
 
 その晩、ヴィルドはリアリーの寝室へと足を運んだ。言葉で問い質すよりも、記憶を探るほうが確かだと彼は思っていたが、それでも話を聞いてみるという選択肢を完全に捨てることはしなかったのだ。
「リアリー、まだ起きてるか?」
「ヴィルドさん……? はい、起きてます」
「入るぞ?」
 引き戸越しの、問いかけには程遠い、疑問系だが有無を言わさぬ確定事項のようにヴィルドは言った。
 引き戸を開き、ヴィルドはリアリーの寝室へと入っていった。
「こんばんは、ヴィルドさん」
 ふんわりと微笑む彼女に、先ほどまで嘆きは見えない。あるのは、街道で出会った時と同じような、淡い恋心に近いもの。確かに恋心なのだが、リアリー自身がそれに気づいていないためにそれを恋心と呼ぶことはできないのだが。同じ部屋に二人きりという状況に、内心で期待していることをリアリー自身も知らない。
「単刀直入に訊ねるが――」
「え? な、何をです!?
 真夜中、同じ部屋に二人きり。そしてヴィルドの言葉は、リアリーの淡い恋心に火を点ける燃料としては充分だった。それを認めたがらないリアリーは慌てふためき枕を抱くが、胸の鼓動は鎮まらない。
 反面、ヴィルドの顔は真剣だ。そして、その動揺があまりにもわざとらしいと思ったことで、間諜という線はひとまず捨てた。もっとも、色恋沙汰にはめっきり鈍感なヴィルドは、動揺に至る理由までは思いつくことができなかったが。
「リアリー。お前は、どう思っている?」
「ど、どうって――その、とっても魅力的で……ってそうじゃなくてっ! でも、おそばに……というか――す、す、す……好きですけど、その――違うんです! そうじゃないんですっ」
 要点を得ないリアリーの言葉に、ヴィルドは眉を顰めてみせた。
「いや、今の状況ってことだが……」
「状況!? え、私――はいいですけど、その……やっぱりもう少し永いお付き合いしてからのほうが……って、何言わせてんですか!?
「お前――ふざけてんのか?」
「ええっ? や、やっぱり……身持ちの堅い女はお嫌いですか?」
 何言ってんだコイツと、ヴィルドが思ったのは言うまでもない。しかし悲しいかな、恋愛経験が皆無のヴィルドは、その言葉を理解していない。
「俺が言ってるのは、なんでお前がブラソナにいずにネルツワームまで来たかってことだ」
「え? あ、それは…………その―――仲間から、追い出されたんです」
「んで、その理由は?」
「…………っ」
 貝のように、リアリーは口を閉ざした。
「いいから……なんか理由言ってくれねぇと俺だってお前を信用するわけにもいかん。ましてや、大陸を連れて回るなんぞできっこねぇぞ」
「…………」
「それに、ブラソナとはどうあっても信頼関係を築いておかなきゃいけない。近い戦争のためにもな」
「…………っ?」
「まあ、お前が喋りたくないなら――強制的に心から割らせるだけだがな。心身は消耗するが、こっちが必要な情報は手に入る。最終的には、こちとら手段を選んでいられない。――この際だから言っておくが、俺達はお前を信用していない……ラシャクは別としてな。ひとつはっきりしているのは、全てがはっきりするまでお前に自由はないと思え」
「…………はい」
 特に何を言うでもなく、リアリーは首を縦に振る。
 俯くリアリーに、それ以上の言葉をかけることなくヴィルドは部屋を立ち去った。
 リアリーの表情が歪む。想い人に疑惑の目を向けられているためか。リアリーの胸は、滾々と溢れる想いがあるにも関わらず、それがほんの僅かも届かない悲しみでいっぱいになった。
「あれ?」
 自分でも気づかぬ間に溢れた、純潔の涙が頬を流れる。自分が悲しんでいることを、この時彼女は理解した。しかし、自分でも否定していた感情は易々と受け入れることなどできはしない。
 結局、リアリーは毛布にもぐりこみ、夢の世界へ逃げるという選択肢を選ぶしかなかった。
 
 翌朝、リアリーは自分から進んでレオスやヴィルド、そしてラシャクの手伝いをすることにした。その理由のひとつとしては、ヴィルドに自分という存在を受け入れて欲しいという願いからだったのだが、元々ヴィルドはエルフという存在を受け入れているので、さしたる意味を持たないのだが。
 それでも、リアリーは精力的に家事手伝いをした。基本的に、ラシャクと共に料理や洗濯をすることぐらいしかないのだが。その間中、男達は鍛錬を怠らない。
 もっとも、鍛錬以外の時間はラシャクすらも知らない『何か』について話し合っているだけだが。
 それについて、リアリーはラシャクに一度訊ねてみたことがあったが、得られた答えは「何も知らない」という、簡潔にして無価値なものだった。それでも、自分なりに探ってみようと透視や盗聴を時間ができれば行っていたのだが、それも無為に終わった。
 なぜならば、魔法を無効化する領域をレオスやヴィルドは作り出せるからだ。逆に、魔法が作用しない場所でもある程度の範囲を魔法の影響下にすることも出来るのだが。それだけでも、二人が卓越した戦士であり、高度なウィザードであることを物語っている。
 そのように、ヴィルドのことを知りたいと思えば思うほどにリアリーの行動はエスカレートしていった。慕う人を知りたいという気持ちを理解できないほど、ヴィルドは狭量ではないが、リアリーが魔法で探ろうとすればするほどに彼女に対しての疑念は増すばかりである。
 
 リアリーがレオスの隠れ家に居候し、およそ二週間ほどが過ぎた頃である。ヴィルドはリアリーの部屋を再び訪問した。
「そろそろ、話してくれてもいい頃じゃないか?」
「でも……」
 リアリーのその様子から、芳しい返事は期待できないとヴィルドは見たのか、仕方ないとでも言うかのように腕を組む。
「ならば、記憶を探るしかないだろうな」
「待ってください!」
 怪訝に思い、ヴィルドは眉を上げてみせる。ただでさえ、透視の出所は分かっている。そしておそらくは、ラシャクでさえもその気配の源がリアリーだと気づいているだろう。それに関してラシャクがリアリーを質さないのも、一重にリアリーのことを友人だと思っているからだ。
「言ったら、ヴィルドさんは優しいから、私を保護しようとするでしょう?」
「そうかもな。しかし、言わないならば言わないでここを出すわけにはいかない。これでも、ネルツワームが好きだからな、この国の不利益を万一にももたらすようなことはしたくない」
「……どちらにしても、私のそばに居続けるのですね?」
 悲しそうに瞳を伏せる。
「ちゃんと事実をはっきりさせれば、ここから出るのを許すかもな」
 淡々と言い放つヴィルドは、真実だけを口にした。
「正直、私の口からお話するのは心苦しいです。……ですから、時期を待って――」
「待ってなどいられんな。フォンゴベル女帝が一年の内には冷戦状態を破り、攻撃を仕掛けてくる可能性があるからな。今のうちに言ってもらわないと、今夜中に記憶を探ることになるぞ」
 冷たい沈黙が、室内を支配した。そしてそれは、夜の闇を凍らせるのではなく、ヴィルドが記憶を探る意思を固める手助けをした。
「そこまで嫌がるなら、記憶を探らせてもらう。安心しろ、悪いようにはしない」
 言うが早いか、拳をリアリーのこめかみに軽く打ちつけた。魔法のようにリアリーの体からは力が抜け、ヴィルドが彼女を横に寝かせる頃には朝まで覚めない深い眠りについていた。
 ヴィルドはリアリーの額に手の平を乗せ、そこから意識の糸を伸ばし彼女の記憶へと入り込んでいった。
 
 ヴィルドは、優しく意識の触手を伸ばしていった。記憶の糸を丹念に、丁寧に手繰り寄せ、リアリーの精神が崩壊しないように気をつけて記憶を呼んでいった。
 古い記憶――産まれた瞬間や、少女時代の楽しい日々の記憶は脇へとどけていく。やがて、エルフとして武芸や魔法を学ぶ時代に辿り着いた。
 一瞬、リアリーが剣や弓に関する講習や師の暗唱する呪文の記憶をヴィルドは感じる。が、それも関係を感じることはなかったので、古い記憶と同じようにどけていく。ヴィルドはリアリーが幸福だと感じた記憶、明るい記憶に今回のことは殆ど関係がないと感じていた。森を駆け、初めての狩りに心昂ぶらせる記憶、エルフの友人と共に、狩りの成果を喜ぶ記憶、リスや野ウサギと野山で飛び跳ね、楽しく踊る記憶――道に迷った旅人を、村に招き入れる記憶。
 どんどんと、ヴィルドは記憶を探っていく。先日の件もあり、ヴィルドはリアリーが間諜だと、思い込んでいたのだ。そのため、重要な記憶をいくつか見過ごしていた。
 やがて、記憶がかなり新しいものになってきた。リアリーを取り囲むエルフの群集、泣き叫ぶ男や子供達、憎しみの言葉を連ね、天を罵倒するエルフの戦士、絶望に打ちひしがれ、星を読むことをやめたウィザード。それらの言葉や思いを、リアリーの記憶は一身に受けていた。
 鮮明な言葉として、それらを聞き取ることはできない。重要な記憶だとヴィルドは思ったが、記憶以上のことを掴むことは出来ることはない。やがて、リアリーは仲間達に襲われ追われ――。
 その次に新しい記憶は、ネルツワームのどこか、森の近くにある浜辺に打ち上げられたところだった。
 
 途端に、ヴィルドの意識の糸がプツリと切断された。集中力を乱したのか、それともリアリーの本能的な防衛本能が働いたのかは分からない。しかし、その理由の一端が最期に見た記憶だということは確かなのだろう。
「ハッ……ハアハア」
 ヴィルドの荒い息が、静まり返った部屋にいやに響く。自分の息が自分で思うよりも大きい音を出しているのが、疲労に加え苛立ちをも募らせる。
「クソッ」
 小声でいくつか悪態をつき、ヴィルドはさっさと立ち上がった。いつの間にか掻いていた汗を洗い流そうと、湯浴みをしようと思ったのだ。しかし、この時刻ではラシャクが既に湯を抜いているのだろう。汗で濡れた衣服だけでも着替えようと、ヴィルドは部屋へと戻り衣装ダンスから自分の下着と服を取り出す。
 その間、リアリーの記憶が疑問となって、頭の中で渦巻いていた。
 ヴィルドは困惑していた。自分が想像していたものとは異なる記憶ばかりが奔流となって、ヴィルドの意識に入り込んできたからだ。リアリーの記憶を見るからに、明らかに間諜ではないと思うものの、それでは透視や盗聴の理由が掴むことができない。その事実と、現実的ではない食い違いにヴィルドは頭を抱えた。そもそも、エルフが仲間を追いやることが信じられないのだ。調和を尊ぶ生き物として、余計な侵入者を入れもしなければ、徒(いたずら)に同じ森の住民を群れから追い出すことはしないものだ。
「侵入者?」
 その時、ひとつヴィルドは心当たりがあることに気づいた。記憶の中で、道に迷った人間とリアリーがでくわしたところを思い出したのである。まさかとは思ったが、それ以外に考えられない。しかし、再びリアリーの記憶を探る勇気をヴィルドは奮い起こせない――恐怖や絶望までもが、記憶を通して意識に進入するからだ。
「……どうすればいいんだ」
 その夜は、とても長い夜だった。ヴィルドは一人思考に耽るが、ことを解決してくれそうな答えは浮かばない。リアリーをここに残すことも、旅に連れていくことも――始末することすら考えた。人間の研究機関に送れば、リアリーは研究対象となるのだろう。エルフなど、普段は見かけることすらもない。体内の構造やそのマナの出所を探るためのモルモットにリアリーがなる姿は、易く思い浮かべることが出来る。
 然るべき方法ではないと、その可能性をヴィルドは捨てた。知性を持つ生き物に対して、あまりにも非人間的だと思ったのだ。命を奪うほうが、彼女を辱めずに済むのだろう。
 おそらく、危険はない――しかし、本物のはぐれ者を仲間にして旅をすることはヴィルドやラシャクの危険にもなるのだ。レジスタンスが反感を買うのも好ましくない。つまり、リアリーは危険因子になる可能性が大きすぎるのだ。
 しかし、どれだけ思考を続けても解決案は浮かばない。
 ヴィルドとて、冷血な人間ではない。ちゃんとした温かい心を持っている。だからこそ、リアリーを突き放すことに抵抗を覚えたのだ。
 半神的な存在は、俗物的な存在よりも多くの神秘を引き起こす。そして、それは人間に友好的とは限らないのだ。
 これ以上考えても仕方が無いと、ヴィルドは思った。また夜が明けたら、レオスに相談しようと――そうすると決めて、今は休息を求める体に安らぎを貪らせようと布団に横になる。
 三日月が、赤いトターナと青のタルトナの瞳を輝かせて、黒い霧が忍び寄る惑星グディンナをひっそりと傍観していた。
 
 翌朝、ヴィルドはリアリーが、どこかよそよそしく振舞っているのを感じた。無理やり記憶を覗いたためにそれはもちろんなのだが、必要な処置であったのも確かだ。それをリアリーに分かってくれと、ヴィルドは言うつもりもない。ましてや、恨み言を言われる謂れもない。
 ラシャクは相変わらず、リアリーと仲良くやっているようだ。ラシャクのように人懐こい人間が、このネルツワームにあとどれくらいいることか……異種族というだけで迫害するのが人間というものだ。
 ネルツワームの根幹に関わっている者でさえ、レジスタンスの存在を知る者は少ない。レイドンを打ち倒し、そしてレジスタンスとネルツワームが勝利を収めたとして、ウリクやホビットに理解を示すことが出来るのは直接的な関係をレジスタンスと築いてきたものくらいだろう。
 朝食の席で、ヴィルドがレオスに持ちかけた話が、自分に関することだとリアリーは本能的に理解した。ヴィルドが自分を、厄介に感じていることも。優しい心が、追い出す決断をすることを阻んでいることを。それならばせめて、迷惑をかけずに、誰にも知られずにここを出ようとリアリーは思った。
 ――荷物をまとめようと。
 リアリーは知らない。ヴィルドは昨晩のうちに、リアリーを守り、エルフの名誉を守り、仲間の下へ戻ることが出来るように取り計らおうと決めたことを。そして、どうすればリアリーを救えるかということを、レオスに相談したことを。
 そのことを知らず、リアリーは一人ネルツワームを彷徨おうと一人決断してしまったのだ。
 
 一方、ヴィルドである。
 レオスに相談したのはいいものの、リアリーがどのような過ちを犯したのか正確には知らないのだ。レオスはその昔、エルフ族の英雄、スティン・リオゴナスの親友だったと聞いた。今は転生し、過去のことを全て忘れているスティンだが、転生後もレオスと友好的な関係築いているという。レオスの名前を出せばスティン・リオゴナスは心を開いてくれるに違いない。
 結局、導き出した答えは、レオスの紹介状を携えてスティンを訪れるという選択だった。そして、スティンの紹介でエルフ族の住むブラソナへと渡る、ということだった。
 無論、リアリーを無実だと証明することが出来るだけの情報を得てからだが。そのためには、スティンの大きな協力が必要になる。
 この時、ヴィルドはエルフの特殊な生態を初めて知った。これが、人々にエルフ族が長寿と言われるゆえんである。
「でも、もしスティン・リオゴナスが俺を信用しなかったらどうにもできないぜ?」
「それは問題ないぞ。わしの紹介を拒むほど、スティンは薄情ではないわ。今はレゴットの東、ケルセベーン渓谷に住んどる。ここから三日ほどじゃな。一応、テレパスでお前のことは伝えておくぞ、ヴィルドよ」
 ヴィルドは頷き、立ち上がった。
「明日にはここを出る。ラシャクにも話を通しといてくれ」
 そう言って、部屋を出ようとヴィルドが引き戸へ足を向けた瞬間――、
「大変! リアリーがいなくなっちゃったッ!」
 ラシャクが息せき切って部屋へと入ってきた。かなり急いできたのか、息が乱れている。
「隅から隅まで探したけど、どこにもいないの……きっと地上に出ているのよッ」
「ったく。あの小娘は世話の焼ける……」
 ヴィルドは部屋を飛び出す。ラシャクもそれに続いた。レオスはというと、瞑想に入っている。意識を飛ばして、地上を調べているのだろう。同時に、テレパスの波長をヴィルドに合わせた。
 おそらく、場所を指示しているのだろう。迷いなくヴィルドの足は動き、それに遅れることなくラシャクもついていく。
『森を抜けた空き地に娘はおったぞ。今の位置から、南へ五百メートルほどだ』
 思ったほど遠い場所までは行っていないと知り、安堵するヴィルドだが、再び気を引き締める。
 森の南には、ゴブリンや鬼人の類が生息しているからだ。普段はレオスが張った結界により、ある範囲からは出られないのだが、運悪く迷い込んだ商人や旅人が例外なく襲われているからだ。
 その生息域が迫っている。あと七百メートルもいけば、リアリーはモンスターの巣窟へと迷い込むのだ。それだけは、なんとしても招きたくないとヴィルドは思い、更にスピードを上げる。
「ちょっとぉ……ヴィルド早すぎるってば!」
 言いながらも、やはりしっかりついてくるラシャクは剣士として鍛えられているに違いないのだろう。木々の間を駆け抜け、ようやく前を小走りに行くリアリーの背中を見つけ。
 そこでヴィルドは、鬼人の群れが周囲で蠢く気配を感じ取った。
「リアリー!」
 声を大にしてヴィルドは呼びかける。振り向いたリアリーの顔には、驚きの表情が浮かぶ。その背後から鬼人が迫るのを見て、ヴィルドは更に叫んだ。
「逃げろ、リアリー! ここは危険だッ」
「で、でも、ヴィルドさん……なんで……?」
「いいから逃げろッ!! 死にたいのかッ」
 怒気を含んだヴィルドの声色に、リアリーは一も二もなく従った。即ち、鬼人から離れ安全な領域へと足を踏み出したのだ。
 しかし、背後ではゴブリンがラシャクを囲み、執拗なまでに攻撃を仕掛けていたからだ。
「ラシャクさんっ!」
「話しかけないでッ!」
 ラシャクも相当怒っている。腹立ち紛れに、ラシャクはゴブリンの槌矛(メイス)を受け流し、返す刀で頭部を割った。もう一匹のゴブリンは、更に顔面への蹴りを入れられ悶絶している。
 ラシャクはよく戦っているが、一人ではあまりにも辛いだろう。ラシャクの息は既に上がり、シミターの動きには早くも鈍りが出ている。
「ラシャクさん、加勢しますッ!」
 リアリーは叫び、胸の前でいくつかの印を結んだ。印を結びつつ、口では呪文を物凄い速度で読み上げていく。
「アーサ・ディ・レオゾ=パウラ・ディ・ラウラ・ギバイス=アイスーン・ディ・ブラバス=(地の神よ、力を与え給え、氷の民よ、我が敵を打ち倒せ)」
 空気が凍り、ゴブリン達に絡みついた。リアリーは更に印を結んでゆき、続きの呪文を唱えあげる。
「サルゴン・ディ・ソルク・ディ・グレイス・ブライカ(悪の魂を凍らせ砕け)」
 ゴブリンに絡みついた冷気が、更に低くなってゆく。リアリーの呪文が全て終わった後には、氷の彫像となったゴブリンと、そしてその場に立ち尽くすリアリーが残っただけだった。
「ラシャクさん、大丈夫ですか?」
「……わよ」
「へ?」
「大丈夫じゃないわよッ! どんだけ心配したと思ってんの? 心細かったって知ってるの? 初めての友達を失いたくなかったわよッ」
 ラシャクはリアリーを抱き寄せ……る前に、危険領域から抜け出した。
「ずっと一人で……だからもう、どこにも行かないで。あたい、許さないからッ。これは約束じゃなくて、命令、分かった?」
 リアリーは、心地よさげに瞳を閉じる。
 そして、「はい」と答えたかと思うと、ピョコンと顔を上げた。
「ヴィルドさんは?」
「――忘れてた」
 見れば、鬼人二人相手に苦戦を強いられている。
 
「しまった。剣、忘れてきちゃった」
 急いでたから仕方ないだろ、とか、別にリアリーが救出できればそれでいいし剣が必要だとは思わなかった、とか、様々な言い訳が頭の中をぐるぐると回ったが、それでも命の危機でその言い訳を笑う余裕はあまりなかった。
 言うなれば、空元気で笑った。自棄になっていたというのが正しい。この際、どうにでもなれ、と。
 そんなヴィルドにはお構いなく、一人目の鬼人が巨大なメイスを振りかぶり振り下ろした。横に飛んでそれをかわすと、もう一人の鬼人が蹴り付けてくる。
 三メートルはあろう鬼人の重い蹴りは、運良くヴィルドの脇を掠めていったが、当たっていれば骨が砕けるほどの衝撃だったろう。そのブォンという音に、ヴィルドは冷や汗を掻いた。
「嘘だろ?」
 縋るような言葉は、始めの鬼人のメイスが唸る音によって掻き消される。二番目の巨人も、後ろに回りこんできた。
「これは……きっと危険だ」
 ボヤく間にも、頭上からメイスは降ってくる。ゴブリンの落としたメイスを拾うが、粗雑な造りのそれでは決定打を与えることはできない。
 せめて一人なら、これで相手出来たのにと、詰まらなそうな口調で軽く振ってバランスと重心の位置を確かめる。あらかたの準備が出来るまで、律儀にも鬼人は待ってくれていた。
「おや、化けモンが待ってくれてるとは意外だねぇ」
 それは素直な感想だったが、こういう言い方を鬼人は嫌うということも知っていた。案の定始めの鬼人は眉を顰め(鬼人の表情は分かりにくいのだが)二番目の鬼人は分かりやすく唸った。
「俺達は、お前ら人間のように卑怯な生き物ではない」
「へえ。そのくせ、一人に二人とは随分な接待じゃないか」
「己の力を高く見積もり、死に急ぐほど馬鹿ではない、レオスの弟子ヴィルドよ」
 その言葉に、ヴィルドは面白そうな表情で鬼人を見上げた。
「他の人間なら、身包みをはいでやるだけで済んだのにな。俺達鬼人を、辺鄙な森に閉じ込めた罪は重いぞ、ヴィルドよ。恨み果たさずにはいられん、ここで死んでもらうぞ」
「できないことは、始めから言わないことだなッ」
 ヴィルドは高らかに宣言する。同時に、左右から挟み撃ちに襲う巨大な一対のメイス。それを跳んでかわし、石を拾って二番目の鬼人の顔面に投げつける。石は目に入り、痛みで鬼人はメイスを取り落とした。
 その間に、ヴィルドは始めの鬼人の足の間に入り込む。踏み潰そうと躍起になる鬼人をかわしながら、声を作って辺りに叫んだ。
「おおい、みんな聞いてくれ! ここに鬼人の恥さらしがいるぞ! みんなで笑ってやれ、あっはっは!」
「なんだとッ?」
 二番目の鬼人は気性が荒いようだ。分かりやすい挑発に、分かりやすく乗ってくれたのはヴィルドとしては計算外だが、それに越したことはないと内心でニンマリと笑った。後は、鬼人同士で喧嘩してくれれば幸いだ。
「待て、ガートルート……今のは俺じゃ」
「ガートルートがヘマをしたッ。なまぐさ野郎の出来損ない!!」
「何ィ、お前はそんなに上出来なのか、リッグラト! 偉ぶってるのはいいけどな、俺はテメェのそういうところが嫌いなんだよッ。頭いい子ぶって、戦いじゃ役立たずじゃねぇか!」
「待て、違う――」
「お前こそ役立たずのくせに――この、ちょっと頭いいからって――もう頭に来た!」
 感情を抑えきれずに、ガートルートはリッグラトへ向かって行った。そして、リッグラトを持ち上げて、頭から地面へと叩きつけた。
 その間に、ヴィルドはこっそりと危険領域から抜け出した。領域の外で、ラシャクと共に待っていたリアリーが話しかけてきた。
「ヴィルドさん、大丈夫ですか?」
「お前の心配をしすぎて大丈夫じゃなかったが、今は大丈夫だ」
 疲れた表情で、ヴィルドはリアリーに微笑んだ。
「さあ、帰ろうかリアリー」
「ちょ、あたいを忘れないでってば!」
 並んで歩く二人に、胸騒ぎを感じるラシャクだった。
 
 その日のリアリーは散々だった。
 穏やかなレオスは激昂し、安堵と疲れが苛々と相成ったヴィルドは重い拳骨をリアリーの頭頂部に何発も食らわせ、ラシャクはラシャクで二度と離れないように本気で縄で縛りつけようとし、挙句にはレオスとヴィルド、そしてラシャクはそれぞれ二時間ずつの説教を垂れた。その中で、レオスはどんなに心配だったか、ラシャクはどれだけ寂しい思いが胸を不安にさせたか、そしてヴィルドは、どれだけ焦り、自分を不甲斐なく思い、守れなかったら神々に面目が立つまいと命を捨てる覚悟までしていたかを語った。
 みなが最後に必ず付け加えた言葉は、「二度とヴィルドから離れるな、それを破ったら自由はないものと思え」だった。
 それを居心地よく感じるリアリーを、レオスはやれやれと、ヴィルドは仕方あるまいと見逃していたのだが、ラシャクは反省が足りないと再び自分の部屋へと連れ込み、リアリーがヘトヘトになって心神喪失寸前まで説教で追い込み、二度と離れないという宣誓書をわざわざ書かせたのだ。魔法で二重三重と補強し、それを破ることはできないように、リアリーの体がラシャクという存在に縛られることにもなり、事実上では半径三十メートル圏内から離れることができないようになった。
 そのような束縛を嬉しく思うリアリーは、エルフの中では人間らしい性格に育ってしまったのだろう。エルフの社会で閉塞感を覚えたのも無理はないのかもしれない。
 いっぽう、事件が終わりひとまず心地がついたヴィルドは、リアリーとラシャクに翌日には発つことと、そして二人も同行する旨を伝えた。
「本当っ? やっとあたいも、ヴィルドさんと一緒に旅に出れるんだね!」
「勘違いすんな。お前が『破れぬ誓い』を勝手に結んだせいで、リアリーを連れてくことができないんだろうが」
「まあ、あたいがいないと、ヴィルドさんがリアリーを襲ったりするかもしれないし……ねぇ、リアリー?」
 リアリーは赤面し、顔の前で手の平を振って慌てる。
「わ、わ、わた、私、そそそそんなこと言われても困りますっ。――ってか、なんでそんなたた楽しそうなんですかラシャクさん!?」
「だって、リアリーが可愛いんだもん。食べちゃいたい」
「ふ、ふざけないでください――ッ!」
 耳まで真っ赤になるリアリーに、ヴィルドまでもが吹き出した。
「はははっ。まあ、今日はしっかり寝とけよ、二人とも。明日からは大変だからなっ」
 笑いながら、女子二人を布団へと促す。ラシャクとリアリーはおとなしくそれに従った。
「おやすみ、あたいのリアリー」
「わ、私はいつ、ラシャクさんのものになったんですかッ?」慌てるリアリー。
「あははっ。冗談だって、ジョーダン。おやすみ、また明日っ」
「びっくりさせないでくださいよッ。おやすみなさいッッ」
 お互いに寝る前の挨拶をして、彼女らは布団へと向かった。