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楓 第2章 ◆CrZFiJnWzo」(2006/10/22 (日) 11:15:53) の最新版変更点

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*** 524 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 13:22:10.50 h6AvsWT0O 威容だった。 誘われて行った家は大きなお寺で、小さい僕にはお城みたいに思えた。 光淳(コウジュン)は身体が大きくて乱暴だったから余り好きではなかったけど、機嫌を損ねたくなくて、殴られたくなくて渋々行ったのを覚えている。 滴る水は砂利の上を蛇行し流れを作る。川みたいで、僕たちのためにあるような小ささで、それが子供心に嬉しかった。 雨は降り続けていた。 細い雫は絶え間無く傘を濡らしていく。弾けて煙り、色彩の淡い中に靄をかける。お堂は靄の向こうで濃く佇んでいた。 誘われるがまま上がると、廊下は宵闇よりも昏い。 *** 526 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 13:32:37.50 h6AvsWT0O 湿気を吸った床板はひんやりとしていて寒気すら覚えた。 歩く毎に軋む床。 冷たい足と床の境目がわからなくなっていた。このままずぼりとはまり込んで抜けなくなりそうだ。 土の匂いか木の匂いかわからないけど、噎せそうだ。 苦しくなる。 溺れそうだと不意に思った。 見渡す限りに続く廊下は薄ぼんやりとほの暗く、その先には僕を搦め捕ろうと朱い舌がうごめいている。ぽっかりと開いた蛇の顎(アギト)。 磨かれ黒光りする廊下はならば冥道か。 途端ねっとりと足を捕らえられ、足元が覚束なくなる。 光淳の顔がてらてらと浮かんでいる。 *** 527 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 13:40:58.92 h6AvsWT0O 手を引かれ、逃げることもできず、僕はただ恐かった。 自分が小さすぎて潰されそうだった。 朱い光りはもう近く、ゆらゆら揺れながら僕を飲み込もうと待っている。 先を歩く光淳は、僕の事なんか気にもかけていない様子でずんずん進んで行く。 待って、と言えなかった。 それは光淳が恐かったからじゃなくて、ただ声を出せなかった。 舌に飲まれる。朧な朱が拡がっていく。薄墨を掃いた部屋の中で、奥に聳える大きな人影も朱に薄く染まっていた。 その顔が揺らぎ、唇が動いたような記憶。 般若波羅密多───。 大音声に頭をぶん殴られた。 *** 528 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 13:57:42.60 h6AvsWT0O 脳のてっぺんから喰われていく。 なのに光淳は笑っている。僕は潰されそうなのに。 笑いながら僕を置いて走り出す。 一人にしないでと泣くこともできなかった。 ゆらゆらと揺らいだ蝋燭の灯。曖昧になっていく影。取り込まれていく僕。 板張りの床は柔らかく、今にも沈み込もうとしている。 呑まれていく。全てが僕を覆っていく。消えていく。 雨雲の隙間から最後の光を放った太陽は天涯に果て、僕は喰い尽くされる。 「あの時の楓、マジ可愛かった」 その後すぐに親の都合で引っ越した僕は、縁が切れたと喜んでいたのだが。 *** 530 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 14:04:52.59 h6AvsWT0O なんの因果か遠く離れた学宗院で再会したこの男、佐々光淳。 昔ほどでかいと感じなくはなったが、甚だしく煩くなっている。つーかチャラい。 「中等部に入った時はこの世の地獄かと思ったが……」 今も昔も僕にとって天敵の茶髪頭は、終鈴が鳴ると同時に絡んで来た。 「捨てる神あれば拾う仏ありだな!」 さりげなくお家の知れる物言いだが、こいつに仏なんて語られたくない。 こっちはここ一週間程爆弾を抱えて日々悶々としているのに、光淳の晴れた秋空みたいな脳天気さは殺意を通り越して壊れたラジオに纏わり付かれた気分になる。 *** 531 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 14:09:11.65 h6AvsWT0O 前期の期末テストが終わり、明日から数日間テスト休み兼学祭準備期間が始まる。 参加すら自由だし、別段なにかをやれと言われていないから、手伝いもしなくていいのだろう。 「でさー衣装合わせをしたいんだけど」 立ち上がった僕の肩に手を回す光淳。やっぱりそういうことか。 がやがやと騒がしかったクラスが水を打ったように静まる。 あぁ───神様。 出来ることなら周りにいる馬鹿な男たち全てに僕のこの苦難を分け与え賜え。 持っていたテストの問題用紙で光淳の腕を叩いて抜け出した後、クラス全体に聞こえるよう僕は振り返り言った。 *** 532 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 14:16:36.08 h6AvsWT0O 「二度と女装はしない。それ以外なら手伝う」 全ては女人禁制とかいう旧弊なこの学校が悪いにしても、ここは精神的に良くないことばかりだ。 今だってツンデレ最高とか、馬鹿あれはクーデレだとか言っている。 ───謎語だ。 意味はわからないでは無いけども、対象が自分なんていうのは堪らなく欝陶しい。 たった数分で今日一日分の体力を消耗した気がする。 疲れ果てた体でどうにか教室から逃げ出して、周りを見回す。 相変わらずやる気のかけらも見えない凌が怠そうに壁に凭れ、多分さっきのテスト問題のプリントを眺めつつ待っていた。 *** 533 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 14:25:01.05 h6AvsWT0O あれから───僕が変わってしまった日から、なるべく凌と行動を一緒にしている。 クラスが違うから授業中は別にして、食事や登下校、それから寮内。極力僕に人が寄らないための弾避けみたいなものだと凌は言うけど、僕は嬉しかった。 学宗院に高校から編入した僕は最初から異分子で、しばらくすると「かわいい」扱いになり、いい子を装っていて断れなかった五月祭での忌まわしい記憶の数々! セーラー服にチアガール、それからナース。 思い出すだけでも身の毛もよだつ悍ましい記憶。 僕はたぶん派手にキレた。しばらくずっとキレたままだった。 *** 534 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 14:32:14.61 h6AvsWT0O そうしてわずかなりといた、まともな友人は離れ、女の子みたいな扱いを受け入れられるほどのノリも、寛容さも持ち合わせていなかった僕は孤立した。 別にいじめられはしない。ただずっと異端。 ───本当は少し淋しかった。 「もういいのか」 「うん」 だからこうやってなんでもない会話の出来る凌という存在が、きっかけはともかく、僕にはとても大きなものになっていた。 「女装、じゃないのにな」 その凌は面白そうに笑う。 身体が女になっている今、女装は最も忌避すべきものの一つだ。 それでなくとも日常生活に神経を使っている。 *** 538 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 15:01:05.90 h6AvsWT0O 毎朝着替える前に息苦しいし暑いサラシを胸に巻き、学校でトイレは必ず個室を使い、光淳みたいな馬鹿から体を、特に胸を触られないように周囲を警戒し───。 テスト期間だったからこのところはマシだったものの、これから先どうやって切り抜けていけばいいのか頭が痛い。 体育はしばらく見学でも通るだろうが、ずっとは無理だ。医者からの診断書を出せなんて言われたら、もしかしなくとも騒ぎになる。 どんな医者が「ある日女になっちゃったんです」なんて言葉を信じるだろうか。 真偽はともかく親に連絡は行くし、学校も事の次第を知るだろう。 *** 539 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 15:15:22.65 h6AvsWT0O そうなれば退学に実家送還のコンボが待っている。 別に学校をクビになる位はいいのだ。でも僕はここから離れるわけにいかない。 女になった原因は不明にしても手掛かりが皆無というわけじゃない。 あの日見た夢みたいな出来事を凌に話してみたところ、部屋の中をひっくり返すことになった。 そして埃を被ったドレッサーの裏から───正確に言えばドレッサーの裏に隠した胸像の下から40㎝近い黒い羽根が出て来たのだ。 半信半疑だった僕も凌も信じざるをえなかった。あの巨大な鳥、凌に拠れば大鴉の存在を認めないわけにいかなかった。 ***542 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 15:36:25.07 h6AvsWT0O 「大鴉は日本に棲息しない。北海道辺りじゃたまに渡り鳥として見るらしいけど、こんな南に来ることは滅多に無い」 図書室に連れていかれた僕の前に広げられた分布図上の日本は白かった。 「居ないはずなんだ。だとしたら飼われているか、迷い込んで住み着いたか」 ───少なくともこの近辺にいるんじゃないか。 凌はそう言った。 たった一つの手掛かりだけど、大事な手掛かりだった。 これで学宗院が街中にあるのなら辞めたってばあちゃんが悲しむくらいで───それはかなり胸が痛いけど──近くの別の学校に行くなりすれば良い。 *** 544 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/27(水) 15:57:29.70 h6AvsWT0O だが世の中はどこまでも不都合に出来ていて。 陸の孤島、それが学宗院だった。 辞めるわけにはいかない。男に戻るまでは絶対にここを離れるわけにいかない。 凌がなにを思って僕を助けているのかは知らない。 ただそれなりに真剣になっているのは確かで、僕にはそれで十分だった。 学業から一瞬だけ開放され、浮かれて酒に酔った学生が黒い影を目撃した事を僕らは知らなかった。 オカルトじみた噂が流れ始めてその噂を聞き付けた時、学園祭は翌日に迫っていた。 帳が降りる。 昏い闇路をばさりと羽ばたく鳥が一羽───。 ***725 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 04:45:00.39 s8dbyJDaO 恒例になりつつある早朝投下 学祭二日前の昼、僕と凌はバスに揺られていた。 まだ太陽も昇らないうちに物音と言うには大きな音で叩き起こされると、安全だったはずの部屋が危険地帯になっていたためだ。 鍵を掛けていたドアはピッキングで開けられかけ、三階だというのに開けていた窓から侵入しようとする、馬鹿、阿呆、変態の面々。 ソファでバリケードを作り窓を閉めて急場は凌いだものの、得体の知れない凄まじいパワーに恐怖を感じ、逃げ出すように寮から出た。 運良く来たバスに飛び乗ったけど、当然行き先なんかは見ていない。 *** 726 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 04:48:20.62 s8dbyJDaO サラシを巻く暇も無く、取り敢えずシャツの上に緩いパーカーを着込んだだけの僕の胸は、バスが揺れる度上下に揺れる。それが例えようも無く気持ち悪い。 あまり大きくはないのに重しを一瞬ぶら下げられた感じで、皮膚ごと身体の中を混ぜられた気分になる。 しかも下はハーフパンツで足はサンダル。凌もニットとジーンズにサンダルと言う、二人して着の身着のままで出てきましたと言わんばかりの服装でバスである。 「───で、これどこに行くの」 「さあ」 緑ばかりでずっとさっきから変化の無い窓の外を眺めている凌が怠そうに言った。 *** 727 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 04:57:12.06 s8dbyJDaO 学内では僕ら二人が最近よく一緒にいるため馬鹿馬鹿しい噂をちらほら聞くが、実際はこんなものだ。 凌になぜ僕を構うのか聞いた時、ばっかじゃねーのと言った後、面白そうだからと彼は答えた。 日々は繰り返しで、楽しみもさして無い学園生活。 テレビはあっても映るのはNHKと民放2局(しかも週遅れが普通)、当然ゲームは禁止、共有スペースにあるPCも時間制でネット閲覧のみ。 そんな中にあって降って湧いたルームメイトの変異。 ───確かに暇潰しにはもって来いだ。 僕が凌なら面倒に巻き込まれたくないからしないだろうけど理解は出来る。 *** 728 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:12:14.39 s8dbyJDaO それにしたってどんだけ田舎なんだ。 うんざりするくらい延々と続く緑。 確か人間は緑色を見ると安心だか落ち着くだか偉い人が言っていたけど、絶対に違う。変わらない風景と色に、落ち着くどころか暴れたくなる。 鄙びたとか趣のあるとか情緒的な言葉が浮かばない位平和で、穏やかで、静かでだだっ広くて、とにかく田舎だった。 バスは僕らだけを乗せて痛んだ田舎のアスファルトを走っていた。 がたがた揺れながらも心地良い日和で僕らは目を閉じた。 *** 729 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:15:07.41 s8dbyJDaO 暗いトンネルを抜けると午後の光が目を焼いた。すぐに行き交う車の数が増えた。そこはようやく人里だった。 信号待ちに賑やかな家族連れ、はしゃぐ女子高生たち、買い物途中のおばちゃんに学校帰りの小学生。 夏休みも補習だなんだと学校に縛り付けられていたから、職員でもない、生徒でもない人を見るのは半年ぶりだった。 あまりにもそれは刺激的で、自分たちがどれだけ外界から隔絶された場所にいるのかを再認識する。 いくら一流大学への進学率が八割とは言え、あそこは牢獄だ。閉じ込められて抑圧されて、まともな神経じゃいられない。 *** 730 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:19:01.94 s8dbyJDaO だからこそ僕を追い掛ける変態もいれば、部屋に閉じこもって怪しげな研究の真似事をする変人、得体の知れない趣味に没頭するオタク、日頃の鬱憤をスポーツにぶつけるドロップアウトギリギリ筋肉馬鹿なんかもいるわけだ。 まともな人間はあそこでは本当に希少で、正直僕自身自分がまともかどうかも客観的に判断できない。 繁華街らしき駅の前で降りた僕らは人の流れに任せ、小さなショッピングモールに辿り着いた。 結局バスに二時間だ。 何も考えずに乗り込んだから喉はからからで空腹だった。行き先を決める前に自然と足は飲食店に向かう。 *** 731 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:21:10.73 s8dbyJDaO 学生ばかりのカフェでパニーニを頬張っていると、凌は溜息をついた。 「なに?」 手を止めた僕の胸元を指差してまた溜息。 「……見えてる」 俯くと、ついいつもの癖で第二ボタンまで開けていた襟元から緩やかに隆起した膨らみが覗いていた。 「───っ」 「あのなぁ、もう少し……見せ付けられる身にもなれ。幾らお前ってわかってても……」 「ごめん!」 遮るように言ったのは、聞きたくなかったからだ。 その先の言葉を聞いたら自分の一部を失いそうだった。 身体が女になっている事実を僕はまだ受け止めきれていない。 *** 732 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:30:50.22 s8dbyJDaO 面倒でも毎朝サラシを巻いたり、以前より意識して男を振る舞い装うのは周囲へのカモフラージュもあるが、自分の中の男を失いたくないからだ。 凌は僕を男として扱う。僕はそんな凌で自分を確かめる。 やっとできた友人だった。失いたくなかった。 凌とは馬鹿な話も真面目な話も軽口も叩き合える仲のままでいたかった。 「言い過ぎた」 頭を撫でられるのは慣れた。 小動物に対するような扱いは最初嫌だったけど、それが言葉足らずになりがちな彼なりの感情表現だと知り、撫で方でなにを言いたいかもわかるようになってきた。 *** 733 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:37:41.69 s8dbyJDaO 軽い昼食を終わらせた僕はずっと気になっていたものをなんとか収めるために立ち上がる。 「じゃちょっと買い物行ってくるから、時間潰してて。ここ戻ってくるから」 「なに?」 「ん、ちょっとね」 訝しむそぶりも無く納得した様子の凌を置いて、足早に僕は店を出た。 走ると胸が弾んで、付け根辺りが引っ張られて痛い。乳首も服に擦れるし、早いところなんとかしたかった。 僕の気になっているものはこれだ。 探しているのは女性用下着屋、つまりランジェリーショップ。 胸は今日だけだが、下もトランクスじゃどうにも不便で困っていたのだ。 *** 734 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:40:53.73 s8dbyJDaO 体が細くなってしまって、ズボンで辛うじて下がらずに止まっている状態で、ズボンを脱ぐと尻まで落ちる。 さすがに男でもいたいとは思ってもこればっかりは仕方ないし、万が一女にしかない生理なんか来た日にはとんでもないことになる。 ───一応買っておくかなぁ。 今まで踏み入れた事も、目を向ける事すら避けていたランジェリーショップはパステルカラーで僕を圧倒した。 「何かお探しですか?」 「え、いや、あの」 何を買えばいいか考えあぐねてうろうろと店内を歩いていた時、不意に店員に声をかけられて僕はしどろもどろになった。 *** 735 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:43:54.76 s8dbyJDaO 「着けやすいやつで…」 「スポーツブラでしょうか?でしたらこちらにございますよ」 はきはきした店員のおばさんは手際のいい営業トークを見せ、優しい笑顔で色々と勧めてくる。 結果、サイズを計られた揚句予定していた「楽そうなブラ」とパンツ───女物だからパンティか?───を数枚、予定外な白いフリフリレースのついた上下セットを買う羽目になった。 「アンダーは65でトップ83。65のCですね」 あの悪魔の言葉。 わかっていたつもりだった。覚悟はしていた。 でも聞いたことのある言葉で実際に言われると堪えた。 *** 737 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:46:25.22 s8dbyJDaO 「ありがとうございました」 にこやかなおばさんの声を背中で受けながら、ふらつく足取りでメルヘンチックな店から出ると、憮然とした表情の凌が待っていた。 「言ったのに……」 恨み言も文句もこれ以上出てこなかった。 初めて着けたブラジャーの締め付けに気分が悪かった。サラシとは違い一部をゴムが締めるせいで肺が圧迫されるから息苦しくもある。 こんなものを着けていて平気な顔をしている女はすごい。やっぱり僕は女になった事を甘く見すぎていた。 抜け殻状態でも途中にあったドラッグストアに寄って生理用品を適当に買った。 *** 739 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/28(木) 05:59:39.63 s8dbyJDaO 用意だけは周到にしておかないと気が済まない性格なんだ。 不要になったらなったで良かったと喜べばいいのだ。 しばらくの間凌はずっと黙ったままで、その沈黙が心地良かった。 「片方貸せ」 「……ありがと、凌」 凌に言うと、僕たちの前を歩いていた見覚えのない女の子が立ち止まった。 裾の縁を這う赤いラインが印象的なプリーツスカートと白いポロシャツを着ている。小麦色に焼けた肌は健康的で活動的だ。 「凌?久しぶり!」 愛嬌のある顔にくるくる表情を変えて彼女は凌に腕を絡ませた。 たったそれだけなのに、僕は釘付けになった。 *** 20 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 07:59:30.94 YvAYkXVvO 少女の名前は木野内眞那(キノウチマナ)、二つ年上の今年高校三年。 そんなそっけない紹介をされた眞那は凌を睨んだ。 「そ~れ~だ~け~?」 「他に何かあるのか」 さっきとは違う、モノトーンに統一されたカフェに入った。大きな窓は緩やかな秋の日差しを運んで来ていた。 アイスラテ頼んだ僕は、二人のやり取りに入って行けず、ただ眺めていた。 自分のいる場から違う空間を見ているように遠近感が失われていた。賑やかにやり取りする二人が遠かった。 初めてのブラで胸が苦しかくて歪んだ顔を二人に悟られたくなくて顔を背ける。 *** 22 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:04:16.11 YvAYkXVvO 「んー……僕の大事な人ですとか」 昼時も過ぎ、人の減った店内に一瞬の静けさが降りた時、眞那の声が響いた気がした。 僕はやっぱり二人の顔を見れなかった。 「一遍死ね」 だけど凌は相変わらずのマイペースさでイタリアンローストを啜りながら彼女の額を弾く。 あはは、と明るく笑って、眞那はねぇと僕に話し掛ける。 「こんな子だけどよろしくね」 「はぁ」 「改めてはじめましてしよ?私、姉の木野内眞那です」 「───ぇ?」 握手を求めて来ていた手なんぞにも気付かず、苦虫を潰したような凌にも気付かず、眞那の言葉を反芻する。 *** 23 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:07:49.44 YvAYkXVvO 私、姉の木野内眞那です。 姉の───。 「楓?」 「あ……は、はじめまして……」 驚きと安堵の高低差で心臓は興奮状態だった。 たぶん眞那の手を握ったけど、凌に呼ばれた後も僕は上の空で彼らの話はまるで覚えていない。 延々眞那が一人喋っては凌が突っ込む。そんな雰囲気だったのは覚えている。 店内に西日が強く入りブラインドが下ろされだした頃、凌が立ち上がった。 「悪い、ちょっといるもの思い出した」 ここで待ってて、と言い残し僕と眞那を置いて凌は店を出ていった。 「ごめんねーお邪魔しちゃって」 *** 25 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:18:59.82 YvAYkXVvO 眩しげに目を細めながら眞那はコーヒースプーンを弄ぶ。 頭を振った僕に微笑んで彼女は長い睫毛を伏せた。 「ちょっと偏屈だけど、悪い子じゃないから───養子に出されて捻くれたけどいい子だから、よろしくね」 苗字が違うのはそのせいかだとか、あのマイペースっぷりはそのせいではないな、なんて冷静に考えながら依然の凌を思い出す。 拒絶する風ではなく、ただ距離を置いていた。いつもは無関心な癖に僕になにかあった時は何も聞かずに色々と気にかけてくれた。 そして今は文句も言わず、暇を理由にして僕に付き合ってくれている。 *** 26 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:21:10.38 YvAYkXVvO あれは冷たさに徹しきれない凌の温かさなのかなと思う。 「凌ね、中等部の頃からたまに来てたけどいつも一人だったから心配だったんだ。こいつ友達いないのかなぁって」 店の出口を見つめていた眞那が僕ににっこりと笑った。 「でも心配無用だったみたい。彼女いるなんてびっくりだよ」 時が止まる。 僕が止まる。 全てが止まる。 「あ、あれ?違った……みたい、ね……」 「僕、寮のルームメイトで……」 言い切らないうちに、眞那が立ち上がる。 見開いた目で僕を凝視しながら、鯉みたいに口をぱくぱくしている。 *** 28 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:23:15.24 YvAYkXVvO 「僕って……ルームって……楓ちゃん……まさか男の子?!」 「あの、はい……」 「でもだってその胸───それにその紙袋あそこの下着屋のでしょ……?」 体温が一気に下がっていく。血が頭から下がって貧血に似た状態の中、気持ち悪さと眩暈で目の前が暗くなった。 「楓ちゃん?!」 「すっすいません、ごめんなさい。なんでもないので……座ってください……」 他の客の視線が痛いくらい集まっていた。声を上げた眞那をなんとか席につかせた僕は、血のない頭で必死にどう答えるべきかを考えていた。 「ルームメイトって寮のだよね?」 *** 29 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:27:23.98 YvAYkXVvO 低い声で確かめるように、言葉を探しながら話す眞那に肯定の頷きを返す。 「あそこかなり厳しい男子校だよね?」 「はい」 「楓ちゃん、あ、楓君か。怒らないでね?」 言い直した眞那は僕の方まで身を乗り出して、耳元で囁いた。 「それ本物だよね?」 それと指差された先は忌ま忌ましい思いしか湧き出てこない膨らんだ胸。 偽物ならどれだけ良かったかと思いながら、僕は呻くように言った。 「はい……」 体を戻した眞那は深く息を吸い込んだ後、大きく吐き出した。しばらく視線を宙にさ迷わせてから二つに結った髪に指を絡ませる。 *** 30 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:37:11.03 YvAYkXVvO 「……なんで?」 意味がわからない、と結論付けたのだろう。毛先を手櫛で荒っぽく梳きながら、僕を見た。 「わかりません……」 隠せてもこの人を騙せないし、嘘を吐けば彼女も疑い続けるだろう。 凌に彼女が出来たと喜んでいた眞那に僕は隠し通すだけの強い意思を持てなかった。 不審が彼女に侵食する前に僕は言葉を続ける。 「一週間位前、突然こうなってたんです」 これ以上ないくらい見開かれた目はなぜ、と言っているように見えた。 「原因は不明です。───医者なんかには行ってません。戻れないって言われたくなくて」 *** 31 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 08:59:02.30 YvAYkXVvO 言った後急に骨が痛んだ気がした。苦しかった胸もじくじく痛い。 骨と肉の間に何かが入り込んで割り裂こうとしているみたいだ。 だから気付かれないように笑ったつもりだった。あはは、そう軽く笑うつもりだった。 だけど驚きがはりついたような眞那の顔が歪んでいき、見えなくなる。 「ごめんね、ごめんね!」 なんで謝られているんだろう、どうして頬に柔らかなハンカチが当てられているんだろう。 「ごめんね、辛いんだよね。言いたく無かったんだよね」 辛い。あぁそうだ。 辛かったんだ。 僕は男なのに。僕は男なのに。僕は男なのに! *** 32 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 09:01:43.91 YvAYkXVvO 叫びたかった。 実際には周りからは女みたいな扱いをされ、体は心に反して変わってしまった。 それは自分自身が奪われたかの喪失感だった。 だから言いたくなかった。 言葉にしたら本当に女になったようで、嫌だったんだ。 凌に話したときは冷静さも無く、時系列も無茶苦茶に、あったことをただ述べただけだった。それに凌には今を話さずとも事実があった。 僕は言葉にする事を避けていた。 「男の子だもんね。デリカシーなくてごめんね」 何度も何度も謝りながら眞那は僕をそっと撫でた。 凌みたいだなんて思って、心が温かくなる。 *** 33 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 09:10:30.72 YvAYkXVvO どうしてこの人たちはこんなにも優しく感じられるんだろう。 眞那にとったら僕なんて今日初めて会っただけの人間なのに。 こうやって泣いている時に慰めてくれたのは、ずっとばあちゃんしかいなかった。 だから凌に会うまでそんな人がばあちゃん以外僕にできる事を知らなかった。求めもしなかった。 「大丈夫、まだ君は男じゃない。泣いていいんだよ」 強くありたい、男らしくありたい、泣いちゃいけない。 願って戒めていた部分が眞那に撫でられるそのたびに解けていく。 「頑張れ男の子」 涙の向こうの笑顔はオレンジ色に滲んでいた。 *** 34 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 09:13:47.54 YvAYkXVvO 充血して腫らした目を見ても凌は何も言わなかった。 点呼に間に合わなくなるぞとだけ言い、大きな紙袋に僕が持っていた袋を二つ詰め込んだ。 「じゃあまた。次来る時は教えてね」 バス停まで見送ってくれた眞那は僕の手にこっそりと薬屋の小さな包みとメモを押し込む。 「楓君だけでも、だよ?」「……はい」 ウィンクした眞那が悪戯っぽく笑うから、僕もつられて笑った。 凌はあてにならないから。 そう眞那はおどけるけど、心配だったと言っていた彼女の事だ。ふざけているわけでもなんでもなく、ただ凌を大切に思っているんだろう。 *** 36 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 09:17:48.09 YvAYkXVvO 「あ、忘れてた!」 バスが信号の向こうに見えた頃、眞那が鞄から一枚のプリントを出して来た。 「何だよ。もうバス来るって……」 「人数分チケット来てるらしいの。行ってもいいよね?」 眞那から渡されたプリントには、僕らも知らされてなかった事が書かれていた。 デリで買ったご飯とお惣菜を他に乗客のいないバスの中で黙々と食べながら、僕らは眞那から渡された紙を凝視していた。 「聞いてないよ」 「俺も知らん」 B5の用紙にでかでかと印刷されている表題は、学宗院高等部秋季祭について。 「これ、パニックにならないかな……」 *** 37 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 09:19:03.93 YvAYkXVvO だらだらと書き連ねてある堅い文章を要約すると、学宗院でやる学祭の招待状が届いたから全員行って交流して来い、だ。 しかも良く見れば、眞那が通っているのはお嬢学校で名高い白山女学院である。 「逃げたほうが安全かもな」 「でもっ眞那さん来ちゃうよ!」 伊右衛門のボトルを傾けながら、凌は僕の言葉に目を上げた。 「電話するから楓から来るなって言っといて」 「だけど……全員参加って書いてるじゃん」 眞那は行ってもいいかと訊いたけど、彼女の意思や僕らの意思とは無関係に学校側で参加を強制しているのだ。 *** 39 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/09/29(金) 09:22:31.84 YvAYkXVvO きっとこの事を知っているのは一握り。でなければ今朝の馬鹿どもの狂乱ぶりは説明がつかない。 本物の女が来ると知っていて、男に女の振りをさせるためだけにあんな行動を起こすなんて考えられない。 「楓、ここ見ろ」 行儀の悪い凌が箸で指したくだりを見た。余りな内容だったから細かく見ていなかった僕の目に理事会と言う字が飛び込んでくる。 「学宗院理事会のご好意で」 「理事会がなんで……」 「さー」 街灯もとうに疎らになった道をバスは進んで行った。 後ろを見れば夜が僕らを追い掛けてきていた。それがやけに恐ろしく感じられた。 *** 66 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 00:47:09.28 /52aAv1+O いつからの続きか忘れました('A` 凌に隠れながら古びた洋館───学宗院高等部寮───の玄関をくぐった。マリアと聖霊の描かれた吹き抜けの天井から、建物と同じくらい古いシャンデリア吊されている。 塗り込められた歳月が明かりを被う硝子に染みを作り、その硝子を通り絖るような光放つ。蒼い絨毯は全身を艶めかせ僕らを迎えた。 その上を進みながら、僕は周囲を警戒していた。 だけどホールはいつに無く静かで、何かの予兆かと疑ってしまう。 階段の手前にある柱時計はまだ九時を回ったところだから休日点呼の十時には間に合っていた。 *** 67 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 00:52:35.90 /52aAv1+O ちらほらと誰かしら見るけれど、どこか浮ついて周りを見ていない。 物音とくぐもった声。何を言っているかまでわからないのがもどかしい。こんなときだけ分厚い壁が恨めしかった。 部屋に入った僕は結局慣れずじまいのスポーツブラを脱衣所で外す。ゴムの痕が赤く残っていた。 「なんだったんだろ」 「誰かが寮監か寮長の逆鱗にでも触れたんじゃないか」 今日買った物をクローゼットの奥に仕舞い込んだ僕は、凌が煎れたコーヒーを受け取った。 いつもならまだどたばたと煩い寮内が静か過ぎて、本当に十時前なのか疑ってしまう。 *** 68 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 00:56:58.58 /52aAv1+O 納得が行かず、壁に耳を付けて隣から微かに聞こえる声を拾おうとするけど、無駄に高い遮音性が邪魔をする。 諦めた僕はコーヒー飲み干して、早々にベッドに入った。 本当に久しぶりに学校とは関係の無い場所に行き、全く関係の無い人に会い───。 たった数時間前の出来事が、何もかもが重苦しい寮に戻ると非現実的な、テレビの中で起きた出来事のように感じられた。 眞那の事も明日にはちゃんと対策を練らなくてはならない。 「頑張れ男の子」 眞那が微笑む。 柔らかく優しく強く───。 眠りに落ちる意識の片隅で眞那と凌が重なった。 *** 69 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:00:01.89 /52aAv1+O 半醒半睡ながらサラシを巻いて部屋着に着替えた僕の鼻をコーヒーの香りがくすぐる。凌が既に起きていた。 「早いな」 アイボリーのカーテンを開けると、また本を読んでいた凌がソファの上から頭も上げずに言った。 「凌もじゃん」 欠伸をしながらミニキッチンでコーヒーをマグに注いだ。 ここ数日朝型になりつつある。昨日もこんな時間に大騒ぎだったし、一昨日もあまりの煩さに六時には起きていた。 朝早く起きるのは気持ちもいいし嫌じゃ無かったけど、慣れてしまったら老人みたいな生活になるのかと思うと複雑だ。 *** 71 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:08:00.99 /52aAv1+O 色褪せ、所々刺繍の綻んだソファの糸を指で押さえながら身を静めた僕は、マグに唇を寄せて湯気の熱さを確かめた。 飲めないことも無いらしいから一口だけ飲むと、熱さと苦味が喉を通り身体の中心から広がる。痺れるような刺激が胃に残った。 窓の外からは鳥の囀りだけが聞こえている。他に何の音も無い。 耳が痛いほどに無音だった。 「静か過ぎて恐いな」 ぽつりと漏らした独り言に、読書に没頭していたはずの凌が反応する。 「なら嵐の前の静けさだ」 唇だけの嫌な笑みを浮かべた凌がドアを目で示した。 何の事かわからなかった。 *** 72 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:13:52.29 /52aAv1+O だから、何?と言いかけ人差し指を唇にあてた長身のルームメイトを見て喉の奥に言葉を仕舞い込んだ。 音も無く立ち上がった凌は大股でドアに向かい、再び音も無くドアノブに手を掛ける。 一瞬の迷いも無く、マホガニーの扉は開かれた。 凌の向こうに見えた絨毯の上で呆けた顔を見せたのは金髪に近い茶髪のライオン頭、光淳だった。 突っ立ったままただ表情だけをくるくる変化させる寺の息子を凌が部屋に引きずり込み、きなりのラグで被ったラブソファに放り出す。 僕はマグを持ったまま呆れたようにそれを見ていた。 「なにやってんだよ」 *** 73 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:17:27.78 /52aAv1+O 「あー……そのな……なんか変なことなかったかなぁと……」 髪を弄りながら、語尾は殆ど聞き取れ無い位に小さい声になった小心者のライオン頭はうなだれ、上目使いに僕と凌を見る。 「何にも無いよ。煩い連中さえ来なかったら」 皮肉を込めて言ったのに、光淳はさも良かったと言わんばかりに顔を緩ませた。 「ならいいんだ。最近変なもの見たって奴が多いから」 僕は咄嗟に凌を見た。 変なものなら僕は見ている。見ているどころかこの部屋の中で僕に何事かを言い、その後で僕の体はおかしくなった。 おかしくなったで済む程度じゃないけれど。 *** 75 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:29:41.60 /52aAv1+O だけど凌は光淳を部屋に入れてからずっと黙ったままだ。もしかしたらこいつは本気で沈黙は金を地で行っているのだろうかとすら思う。 僕と二人の時は雄弁ではないが、ここまで無口でもない。 本から目を離そうとしない凌は眞那の言う通り偏屈だった。 「なにを見たんだ」 だから訊いてしまった。凌が僕の腕を掴んだけど僅かに遅かった。 外れてほしいと思いながらもどこかにある確信。 ちらちら見える赤は幼かった日に見たうたかたの焔か、それとも燃え滾る情念を湛えた濁った紅玉か。あいつは今も誰かに呪うように歌うように話しかけるのか。 *** 76 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:39:33.35 /52aAv1+O 「無茶苦茶でかい黒い鳥で、実は……俺も見たんだけど……なんかビシバシ感じるっつーか」 羽ばたくのは闇に紛れるためだ。あの黒い羽根もきっとそのために漆黒。敵意や害意など感じなかった。だけど僕の中で永遠に消えない悍ましい獣。 「楓」 僕を奪って行った獣。 僕の表面を裂いて奪って行き、どこからか奪って来た皮を僕に被せたのだ。 「楓!」 「あ───あぁ……」 低い声で呼び戻したのは凌だった。 それからかたかたと歯が鳴る。落ち着こうと唇を合わせようとしてもうまくいかなかった。 凌の手が痛い位に手首を握っている。 *** 77 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:43:37.11 /52aAv1+O 「あ……悪ぃ、こういうの楓苦手だし敏感だったから……ほんとは知らせる気じゃなかったんだ……ごめん……」 頭を下げた光淳は、気休めだけどと前置きして、数珠をテーブルの上に置いた。 「未熟な経上げるくらいしかできねーけど、言ってくれたら飛んで来る」 部屋を出ようと立ち上がった光淳にはいつものふざけた様子は一切無く、それが余計に不安だった。 僕みたいな身体になった人がいたら。 嫌な考えが頭を過ぎる。 「佐々、それ見た後身体おかしかったりしないか?」 まだ僕の手首を離さない凌がドアを開けた光淳の背中に言葉を飛ばす。 *** 78 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/02(月) 01:51:54.86 /52aAv1+O 少し硬直した後、怪訝そうにライオン頭は振り返った。 「なんでわかんだ?」 何故かを上手く取り繕いながら凌が次々に質問を投げる。それに最初は半信半疑ながらも光淳は答え、疑いの色はいつしか消えた。 見た者は揃って意識を失い、他に外傷等も無い為、集団ヒステリーみたいなものだと校医は言っているらしい。 話を聞きながら僕は嫌なことばかりを考えている。 もし眞那が、生徒の家族が、生徒が学祭ではしゃいでいる中現れたら。 「───ねぇ光淳。明日こういう事になってたの知ってる?」 僕は震える指で眞那から貰った紙を差し出した。 *** 344 名前:減煙中 ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/03(火) 04:13:15.96 UPOo2t2AO (´・ω・)ノ ヤァ そのうち忘れられそうだ 保守がわりに投下するよ 交わす言葉が蔭る。 僕らには時間がなかった。 迫る明日は待ってくれない以上、残された時間をどうにかしてうまく使うしかない。 あまり広くない部屋にずらりと並んだ生徒会の連中をも静寂がじわじわと侵食する。心音ですら奪われそうだ。 休日は皆朝が遅いのを、何も出来ないからと光淳が叩き起こしかき集めたのだ。 なにかを言ってほしかった。 だからずっと待っていた。 体中の骨が音をたてそうだ。そうなったらからからといい音がするかもしれない───。 *** 345 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/03(火) 04:36:26.37 UPOo2t2AO 「とりあえず、これはなんとかする」 白山女学院と印刷された紙を持ち、一人が沈黙を断ち切った。 ───実を言うと誰が誰だかわからない。 イベントなんかでは遠目に見るけど覚えているわけがない。それを覚えていて、更には寮の部屋まで知っているのは素直に感心した。 「でも……その鳥はどうこう出来そうに無いから……」 生徒には話して明日の学祭で騒がないようにはするけれど。鳥は放置する。 懸命な判断。 でも、と思うのは、望み過ぎだろうか。 慌ただしく部屋を出て行った彼らは出来ることをやろうとしているだけだ。 *** 346 名前: ◆CrZFiJnWzo 本日のレス 投稿日:2006/10/03(火) 04:44:43.52 UPOo2t2AO こだわったりするんだな、そう言い残して光淳も部屋を出て行った。 あいつらは本当の事を知らない。 あの鳥に歌われた言葉で僕は恐らく生物学上女になった。 もし───もしだ。 学祭中に現れたら鴉が同じように歌ったら。 そこはもはや阿鼻叫喚だ。

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