往復書簡


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大学・理系・広報・コミュニケーションをめぐって
2009年3月

 

書簡1 長神より、敬愛する内田麻理香さんへ
 広報とコミュニケーション、目的の不一致と対象の一致

前略 内田麻理香様

 いつも御活躍拝見しています。時にテレビ画面を通して拝見し、ブログに新聞に旺盛な執筆を拝見し、あの御多忙でどこに時間を作っているのだろうと感心する次第です。
 この度、筆をとったのは、私の「広報・コミュニケーション担当」という職名の中に既に潜む矛盾に対する苦悩を、科学コミュニケーターを名乗り工学部で「広報担当」を担う麻理香さんも同じことを思われているのだろうか?、あるいは工学の合理精神で軽々と整理なさっているのか、伺ってみたくなったためです。
 広報担当は、大学に限らず、当該の組織と、私達の最大のステークホルダーの一つであるpublic(公衆と訳してもいいのですが、必ずしも市民に限らず、良い翻訳が見つからないのです)と良好な関係を保ち、それによって組織の利益を守り、組織の価値を高めていく使命を帯びています。組織のために戦略を立て実行するところは、その組織の執行部や経営企画部門と相通ずるものがありますし、publicの中の産業部門に特化して関係を築くことを思えば産学連携部門とも通じるものがあります。その過程で、当然、周知のために、「宣伝」も必要です。広報=パンフレットやチラシを作るところ、という、目的を達するための手段の一つに過ぎない「宣伝」だけを想像する極めて低級な無理解も後を絶ちません。この下らない無理解は研究者にいまだに蔓延していて困りものではありますが、所詮はレベルの低い無理解に過ぎないので、対処の方法はあります。これで困ったと敬愛する麻理香さんに手紙を書くほど僕も落ちぶれてはいません。
 問題は、コミュニケーションとの両立です。サイエンスコミュニケーションは、定義がうまくされていませんが、そもそもの目的は、科学・研究の増進ではありません。反発を覚悟で言い切ってしまえば、科学の社会化、科学を支え包含する社会にとっての科学を改めて位置づけること、低俗な言い方をしてしまえば、科学を社会にとって有益なものにすること、でしょうか。こう言うとすぐに、役に立つ科学でないとダメなのか、とますます低級な反発も受けます。そういうことではなくて、例えばニュートリノ科学は経済的には現在ほぼ何の役にも立たないと思いますが、英語の原著論文のままで放っておかずに、ニュートリノ科学の成果やそこから得られた宇宙観や物質観を人々に伝えることは、科学を社会にとって有益なものにすることなのです。「今、あなたの中を何億光年の彼方から来た微細な粒子たちが通過している。幾つかは、あなたの血液の中の水分子と衝突して、わずかに光ったかも知れない。」僕が書いただけなので陳腐ですが、こういうことも一つなわけです。
 言いたいことは、コミュニケーションは、本質的に、科学にとっての「利益」を目的としていない、科学を包含する社会にとっての利益を目的としている、ということです。ましてや、大学なんていう一組織の利益など、これっぽっちでも考えたら、コミュニケーションの本質は失われてしまうのでは、と思います。ここに、広報担当との相克が生まれます。
 コミュニケーション担当は、寧ろ、例えば、情報室や図書室などの担当とは相性がいいように思います。得られた科学情報を、研究者にとってすぐに論文を探し出せアクセスできるように整理したり基盤を作ったり、こういったことは、社会に対して科学ができる最大の貢献の一つと言える科学的な知見と方法論に基づいた情報を提供すること、と相通じますし、それはそれこそ、コミュニケーションだからです。
 広報とコミュニケーションは、目的の不一致に対して、対象は一致します。主に相手にするのは、一般市民であり、メディアです。よって、採用する方法論も一致します。私のように広報とコミュニケーション担当を兼ねたり、十把一絡げに論じられたりすることが多いのはそのためかも知れません。
 一方で、広報の中のコミュニケーションというものも存在します。大学などの研究組織を守り高める広報にとって現在最も重視されているものの一つが、税金を使っていることに対する説明責任で、それを果たす方法の一つとして、コミュニケーションで重視される双方向性を前面に出した手法が取られています。日本で多くのサイエンスカフェが研究機関の手によってなされているのは偶然ではありません。
 大学という組織の中で、広報とコミュニケーションを担当する時、コミュニケーションは、社会のため、というその本質から堕して、広報の一手段になってしまうのでしょうか。サイエンスアゴラの立ち上げをはじめ、日本におけるサイエンスコミュニケーションの確立をライフワークと考えている僕にとっては、どうにももどかしい相克なのです。大学の目的は、研究・教育・社会貢献、と定義されています。この3番目が、多くの研究者にとって、研究を進めるための社会貢献になってしまっています。むしろ、研究と教育を通じた社会貢献、社会創成なのではないか、と僕は思います。
 内田さんもまた、科学コミュニケーターとして広報を担う人です。Kasokenの内田と、広報担当の内田の間の相克はないのか、あればどのように解決してらっしゃるのか、それとも、工学がそもそも課題解決を前提にした学問であったゆえに克服できることもあるのでしょうか。
 初めてお会いしてから決して長い時間が経過したわけではないのに、立ち入った、長い手紙をお送りすること申し訳ありません。そこは、交錯しなかったとは言えかつて教室を共にした同級生として、どうかお許し下さい

草々

 

 

書簡2 内田より、長神さんへ

 

前略
 
長神風二さま
 
 「広報」と「科学コミュニケーション」間の矛盾を突くお手紙を拝読、剛速球のサーブを受けた気分です。リターンできるか、サービスエースを取られてしまうか極めて不安ではありますが、経験の浅い私なりに思うところを連ねてみます。
 
 私の場合、職場の大学学部で求められている業務は、原則として広報のみだと受けとめています。この本学工学部の割り切りは、まさに「工学の合理精神」と解釈してしまって良いのでしょうか。従って、長神さんのように一つの組織で二つの役割を求められているという難しい立場ではありません。
 ただ、私はこの職に就くまで、そして現在でも並行して、個人でサイエンスコミュニケーターとして活動しています。ですから、学部広報としての仕事には初め戸惑いがありました。
 
 広報はご指摘通り「組織の利益を」優先させるのが使命です。サイエンスコミュニケーターとして執筆をする場合はクリエイターですが、組織の広報は同じ執筆作業をしていても、性質が違います。クリエイターではありません。非常に乱暴な言い方ですが、組織を代弁する「イタコ」です。
 
 私のサイエンスコミュニケーターとしての活動は、幼稚ではあるものの「科学を包含する社会の利益」を目指しています。しかし、組織の広報ではその個人の想いが全て叶えられるわけではありません。組織の方針と一致している場合は良いのですが、乖離がある場合は個を消すことになります。これに抵抗を感じない、と言えば嘘になります。
 
 ただ、私自身は次のように考えているので、その抵抗感は小さいのかもしれません。大学は営利団体と異なり、「組織の利益」と「科学を包含する社会の利益」が一致しやすいのではないか、と。科学者は自然を畏愛し、その自然から秘密を聞き出すことに専念する集団です。個人的な意見にはなりますが、この点において理系学部による違いはないと考えます。「理学は真理の追究」「工学は自然を利用した社会の問題解決」というように、目的は多少異なりますが。この活動を「広報」することは、「サイエンスコミュニケーション」になるでしょう。そして、「科学を包含する社会の姿」を追求する研究活動自体が、その組織の価値を高め、広報することに繋がる。
 
 とはいえ、大学も一組織です。組織の経営上の戦略が、サイエンスコミュニケーションに噛み合わないことも多々あります。そのようなとき、広報担当者に求められるのは「組織の利益を優先しつつ、そのスキマに自分の想いを散りばめる」能力ではないかと思うのです。
 
 この能力には二つの素地が必要でしょう。サイエンスコミュニケーションに対する高い意識。理想を追いかける求道者としての側面。この意識が低いと、散りばめる想いも陳腐になります。そしてもう一つ。したたかに上記をやってのける、マネージャーとしての側面。夢と現実という二つのボールを自在にジャグリングする曲芸師が、広報担当者の完成型のひとつかもしれません。
 
 ただ、上述したような二つの素地を持つ人材になるためには、何が必要か? そもそもその素地は「育成」できるものか? そんなことを堂々巡りで考える日々です。
 
草々
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