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移り気

小学校何年生だっただろうか。
当時高校生だか大学生だった叔父に、自由研究の手伝いを頼んだことがあった。
紫陽花の花で土質がわかると何かの本で見て、花に詳しい叔父を頼ったのだ。答えはノーだった。
「紫陽花の花はあれじゃない。あれはただのガク」
そう言ってあしらわれた。
かじかんだ指先に凍える息を吐きかけながらふと、そんなことを思い出した。
あれから何年経っただろう、恒例と化した年末年始のアルバイトで僕は、叔父の経営する花屋にいた。接客の合間、延々と花束や鉢植えにつけるためのリースを作る。柊がささくれた指にチクチクと痛い。
「おじさーん、おじさんも手伝ってよ、一人じゃ終わんないよ」
お客が切れたので声をかけると、外から花屋に似つかわしくない男がずかずかと店内へ入ってきた。
「弘平くん、お店で大きい声を出さないでくれるかなー?」
貼り付けたような笑顔に向かって「お客さんいないよ」と言うと、僕の頭頂部に叔父の拳が振り下ろされた。
「痛い!すげー痛い!」
「俺は山のようなポインセチア様のお相手で忙しいんだよ、無駄口叩いてるヒマあったらとっととやれ、まだまだあるからな」
「もー、毎年毎年こんなにたくさん作って、売れなかったらどうすんの」
「毎年毎年売れてんだろうが。俺の店なめんな」
言いながら叔父は、完成済みのリースの中から一つを取り上げた。じっと細部を見て「よろしい」と頷く。
花屋からポインセチア屋へと化した店内で、近くにあった鉢にリースをあてがう。
「いいね。いやぁ、器用な甥がいて助かるよ」
「ホントに思ってる?」
「思ってる思ってる」
「じゃあ時給上げて!」
「お前なぁ!」
振り下ろされるであろう拳を避けようと大きく身をそらしたところで、肩口が後ろの棚へぶつかった。
丁寧に取引先を記した大学ノートが何冊かと、納品伝票、その隙間に一枚の写真が落ちてきた。ごめんと一言、それから無意識にまず写真を拾い上げた。
「だ」
誰、これ?そう聞こうとしたところで、叔父が血相を変えた。数歩の間を飛び込んで僕の手から写真を奪い取る。
結婚しない叔父、僕がバイトに来ることにいい顔をしない祖母、無作法を装って祖母を避ける叔父。
時々に感じていた冷めた違和感が、一枚の写真にするりと繋がっていった。

「…大事な人なの?」
「………そういうんじゃねえよ、これはただ」
「でもおじさん、」
「子供が口突っ込むんじゃねえ!……頼むから、聞かないでくれ」
そう僕に懇願しながら、叔父は震えてその場にしゃがみ込んでしまった。祈るように両手で写真を持ったまま。
僕が写真に手を伸ばすと、「俺は、お前の叔父なんだ。…頼むから何も聞かないでくれ」と、か細い声で言われた。無視して写真を摘むと、叔父の指が力無く離された。
写真を見る。
白い歯を見せて繊細そうに笑う叔父と、背の高い少年。二人ともまだ幼さが残る顔立ちで、それでも叔父の隣に立つ少年には精悍さが伺えた。
詰襟と、桜が妙に物悲しい、眩しい陽射しの中の二人。
「二年だ」
ぼそりと叔父が呟いた。
「十何年も前の、たった二年だよ」
「なんで、」忘れられないの、そう言おうとしてその言葉が余りに不適切なことに気付く。
叔父は僕の言葉を待たずに続けた。
「俺が悪いんだ。一緒に来てくれって、二人で暮らそうってあいつ、でも俺が」
子供のように小さくなっている叔父を見ながら、ふと紫陽花の花が頭を過ぎった。移り気な花、揺らぐ色。躊躇う心。
「…だって、好きだったんでしょ」
「…答えられなかったんだ、そう聞かれて。迷っちまった。まだ、子供だったんだ、……だって、俺は」
叔父は掌で目元をぐっと押さえたまま、ゆっくりと言葉を吐き出していった。どこからどう見てもそれは懺悔のようで、僕は胸の中に大切な何かがずしりと置かれるような錯覚に陥った。
「おじさん」
言葉が浮かばない。
「おじさん、なかないで」
そう言った自分の声が、今にも泣きそうになっていることに驚く。
「泣いてねえよ」
しゃがみ込んで鼻をすすりながら叔父が答える。

「せっかくこんなにポインセチアがあるのに、泣いてたらばかみたいだよ、おじさん」
「……祝福かよ、ガキが一丁前なこと言いやがって」
「あなたに幸福を、だよ」
僕の言葉にふ、と笑って叔父は、目元を何度か拭って立ち上がった。
「おじさんは、こんなにずっと、ちゃんと思ってる。移り気なんかじゃないよ」
ぽつりと呟くと、「生意気!」と、拳が降りてきた。
「痛いって!」
思わず頭を抑えてうずくまると、上の方からまた鼻をすするような声が聞こえてきた。
泣き虫だなんて、言ったらまた殴られるんだろう。
今日も明日も、揺らいでしまった少年にも。
全ての人に祝福を。メリークリスマス。