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第1部 装甲列車編 第4話 「軍馬」 Kriegspferd

ドラマを聞きながら参考にすることを目的としたページです。
公式サイトの解説を引用。一部加筆。

当サイトでは「高射砲列車」を話の繋がりから2話として扱い「クルスク」「軍馬」を一話づつずらします。

2006年07月26日 放送

概要
クルスクからスターリングラードへ輸送大隊のトラックに便乗したマキ。
カーン軍曹との会話や回想から、ソ連への進軍の実状が伺える。
冬のロシアの厳しさがクローズアップされた内容となる。
「泥だった」
また、ケルベロスの強さがわかる。モンゴル騎兵2個連隊2000騎を2個小隊で殲滅。


オペルブリッツ

ドイツの自動車メーカー・オペル(アダム・オペルAG)のトラック。ドイツ軍の一般的な運送用車両。荷台を様々な形態にすることで、補給物資から人まで何でも運んだ。

グデーリアン

ハインツ・グデーリアン
ドイツの軍人。第二次世界大戦の緒戦の大勝利を飾った電撃作戦の生みの親であり、またそれを実践した最高級の野戦軍指揮官。
バルバロッサ作戦開始時にはモスクワを攻略目標とする中央軍集団麾下の第2装甲集団(ドラマではグデーリアン装甲集団)の司令官だった。

あのデブ

ドイツ空軍元帥ヘルマン・ゲーリング。史実ではナチ政権下のドイツにおいてヒトラーにつぐ権力の持ち主であったが、『ケルベロス・サーガ』の世界においては“伍長殿”失脚後にJu52でアルプスを越えようとしたが(イタリアに移動中か?)、墜落。その命を失った。

タンテ

ドイツのユンカース社が開発した3発機Ju52の愛称(意味は“おばさん”)。ドイツ軍輸送機として名を馳せるが、一般でも輸送機、旅客機として活躍した。

ブリッツ

上記のオベルブリッツのこと

マンシュタイン

エーリッヒ・フォン・マンシュタイン
ドイツの第二次世界大戦中の陸軍元帥であり、最も有能な戦略家の一人。
独ソ戦開戦時には北方軍集団麾下の第4装甲集団に属する第56装甲軍団を指揮していた。

ヤーボ

“ヤークトボンバー”の略。爆弾や対地ロケット弾を装備する中型~小型の戦闘爆撃機のこと。

メッサーシュミット博士

ヴィリー・メッサーシュミット。ドイツの戦闘機Bf109シリーズの設計者にして、メッサーシュミット社の社長。

マホルカ

ロシア製のタバコ。マルバタバコの葉や茎を刻んだ刻みタバコで、新聞紙などで巻いて吸う。

ツァイス

ドイツの光学機器の製造会社であるカール・ツァイスのこと。劇中では、ホラーバッハ曹長が使用するツァイス社のカメラのことをツァイスと呼ぶ。

レニ

レニ・リーフェンシュタール。ドイツの女優、写真家にして映画監督。
ベルリンオリンピックを記録した『オリンピア』と1934年のナチ党の党大会を撮影した『意思の勝利』が有名だが、ナチのプロパガンダ映画として利用された。

「泥だった」

ロシアの道路はわずかな幹線道路をのぞいては未舗装のままで、道の両脇に溝を掘り、砂を撒いただけという代物だった。
また養分に富み農業に向いていたロシアの黒土(チェルノーゼム)はその一方で保水力が高く、水を含むと非常に粘り気の強い泥となった。
このため秋の雨が降り出すと道路は泥沼と化し、自動車や装甲車両に掘り返されたその深さはしばしば膝丈にまで達した。
自動車はスタックして身動きが取れなくなり、歩兵のブーツは足から脱げ、ドラマで語られているようにドイツ軍の進撃速度を著しく低下させることとなった。
ウクライナの諺に次のようなものがあるという。
「夏、バケツ一杯の雨はスプーン一杯の泥となる。」
「冬、スプーン一杯の雨はバケツ一杯の泥となる。」

せんつう/かいせん/ていようえん/リューマチ

疝痛(便秘によって起きる痛み)/疥癬(皮膚病)/蹄葉炎(蹄に起きる炎症)/リューマチ(関節部の炎症)
馬の病気で蹄葉炎以外は人がかかることもある
独ソ戦では膨大な数の軍馬が飼料の不足、過酷な自然環境、過重労働の為にこれらの病気に罹り、死んでいった。
輸送の多くを馬匹に頼っていたドイツ軍の師団には獣医がいたが、医薬品や飼料の不足から治療が追いつかず、そのまま死に至らしめて「最後のご奉公」として食肉に転用する場合も多々あった。

「モンゴル騎兵2個連隊2000騎をわずか2個小隊で殲滅」

このエピソードは史実に基づいており、実際に第44モンゴル騎兵師団と戦ったのは第106歩兵師団である。
突撃したモンゴル騎兵のほとんどは榴弾砲と対戦車砲の弾幕によって撃破され、最後に残った30騎ほどがドイツ軍陣地に突入寸前に機関銃によって殲滅された。
通常1小隊あたりの人数は30~60名、多くても100名はいかないはず。
つまり装甲猟兵達は80~150人程度という史実より遥かに少ない戦力で騎兵2000人を殲滅したことになる。

トゥーラ

モスクワ南方150kmほどに位置する都市。
1941年11~12月のモスクワ攻略戦(タイフーン作戦)ではソ連軍の重要な防衛拠点となり、半包囲状態となりながらも頑強な抵抗で南方からモスクワ東方に回り込もうとした第2装甲軍(旧第2装甲集団)の進撃を阻んだ。