支援と双方向性

注:サフィニア邸の記事


2008年2月 支援論第二類「支援者の方へ」より

協力するとは何なのか。


サポートという言葉に隠れがちな、相手の存在。
敵以上に、味方は重要な存在でなくてはならないはずです、だってそこには
心があるのだから。
たかがゲームでそんな人のことなんて気にすることないじゃん、は傍若無人。
俺上手いんだからヘタレとか無知とかがPT来るとマジ迷惑、は傲岸不遜。
その人の言動や方向、態度が私とあわない、これは自然なこと。
それでもそれに対する望ましいあり方を探していくのは実に大人にとって
必要なことですから。
俺まだ15だからそんなこと……は単なる逃避。一番よくない。

画面の向こうに人がいる、これは大切にしたいことです。
楽しく遊ぶためのゲームで人とかかわるのなら、なおさらです。

すいません、今更ですかね(苦笑
でも、ともすれば「地雷」という考え方で消してしまいがちな大切な味方を
何とか方向修正するとか、人と摩擦するような部分は自分がそっと削り取るとか
そういうことも必要だと思います。もし、自分にできるようなことであれば。

ともかくそれは人間としての理想。ゲームという場面には似合わないかも
しれませんが人とかかわっていく部分で人格がまっすぐ立っていることは
重要なことです。

支援の場面でも、双方向での係わり合いが重要になってきます。
こっちからいくらやった、コレ絶対充実してるwと思ったところで
相手の気持ちを無視したものは支援の押し売りです。
けっこう、支援というのは商売にも似たところがあって
顧客(被支援者)のニーズに合わなければ商品(支援戦術)は
ヒット(成功)しません。それは、売り上げ(自分の満足)としても、
社会的利益(各員の満足)としてもです。
自己紹介の話もそういう意味で展開されたものであるし
先のポジションの話も私はそういう意味で作りました。

ソロアタッカーに「慣れた人」にとって、パーティプレイでのソロとの違いは
戦況予想を困難にし、その結果として被弾率を上げてしまい、
結果ストレスがたまっていく、まして下手がいたら自分の戦況予想は
ますますぶれていく、あいつがいなければ……悪循環です。
 熟練するのがまだ、という人にとっては人にかける迷惑、自分が食らうことによる
 パーティ上のマイナス、死んだときの申し訳なさとそれに対する不安……
 今この場に活躍するチャンスが訪れたらどれだけ嬉しいでしょう。
それぞれの人にそれなりのプレイスタイルとそれに対するバックグラウンド
そういうものがあって、誰かのためじゃなくて「自分は支援者だ」と
思いたいのならそんな「人々の思い」は包み込まなくちゃいけません。
支援者はそれを包み込んで動き、その結果未熟な人も活躍し
ソロ勇者もパーティに溶け込むことができる、パーティの中心になるべき人こそ
支援者であるといえます。それはスタイル云々の話ではすでにありません。
ほかの人のことを考えてその人と一緒にやろうと思える人
こういう人のことなのです。

なので支援者は味方の動きをちゃんと見てそれぞれが何をしようとしているのか
捉え、必要であればわかりやすい動きでさりげなく味方を
リードできるようになって一人前。
これを「味方に息を合わせさせる」という風にも言います。
それには洗練された動きや統一された戦術感覚を練り上げて、それを
千変万化の味方の動きに折衷して戦い方を決めるわけですから
かなりの経験と技量を必要とすることは間違いありませんけどね。
間違いはありませんけどそれは誰にもできないことかというわけではなく
そして偉そうに語っている私がそれをしているというわけでもなく。
「私はあなたと協力する意思がある」というさりげないアピール
(攻撃でそうする場合はホントに奥ゆかしい表現になって面白いほどですが)
そこから二人、三人で「そのパーティの形」を探っていく過程
そういうものを考えたらディアブロスでも、最初のクックでも、
動きの鈍いフルフルでもぐっと深みが増して面白くなってくるはずですよね。
思い通りに動いてくれるほど敵も甘くありませんから(笑

そんな意味で、回復撃ちならまずはその一番の武器で「こんにちは」
一番わかりやすい支援のかかわり方ですからね。
そして味方が背中をそっと寄せてくる、自分はそのとき、どうする…?


味方の動きのほうが敵より百倍面白い。
そう思う、同じ雑記の繰り返しでした(苦笑。
っていうかね、某所で不毛な言い合い見たからその反動ね。

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ログ 精神論
最終更新:2012年01月31日 23:05
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