支援の庭
http://w.atwiki.jp/ichiba14/
支援の庭
ja
2012-01-31T23:05:04+09:00
1328018704
-
支援と双方向性
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/188.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
&bold(){2008年2月 支援論第二類「支援者の方へ」}より
協力するとは何なのか。
[[サポート]]という言葉に隠れがちな、相手の存在。
敵以上に、味方は重要な存在でなくてはならないはずです、だってそこには
心があるのだから。
たかがゲームでそんな人のことなんて気にすることないじゃん、は傍若無人。
俺上手いんだからヘタレとか無知とかがPT来るとマジ迷惑、は傲岸不遜。
その人の言動や方向、態度が私とあわない、これは自然なこと。
それでもそれに対する望ましいあり方を探していくのは実に大人にとって
必要なことですから。
俺まだ15だからそんなこと……は単なる逃避。一番よくない。
画面の向こうに人がいる、これは大切にしたいことです。
楽しく遊ぶためのゲームで人とかかわるのなら、なおさらです。
すいません、今更ですかね(苦笑
でも、ともすれば「地雷」という考え方で消してしまいがちな大切な味方を
何とか方向修正するとか、人と摩擦するような部分は自分がそっと削り取るとか
そういうことも必要だと思います。もし、自分にできるようなことであれば。
ともかくそれは人間としての理想。ゲームという場面には似合わないかも
しれませんが人とかかわっていく部分で人格がまっすぐ立っていることは
重要なことです。
支援の場面でも、双方向での係わり合いが重要になってきます。
こっちからいくらやった、コレ絶対充実してるwと思ったところで
相手の気持ちを無視したものは支援の押し売りです。
けっこう、支援というのは商売にも似たところがあって
顧客(被支援者)のニーズに合わなければ商品(支援戦術)は
ヒット(成功)しません。それは、売り上げ(自分の満足)としても、
社会的利益(各員の満足)としてもです。
自己紹介の話もそういう意味で展開されたものであるし
先のポジションの話も私はそういう意味で作りました。
ソロアタッカーに「慣れた人」にとって、パーティプレイでのソロとの違いは
戦況予想を困難にし、その結果として被弾率を上げてしまい、
結果ストレスがたまっていく、まして下手がいたら自分の戦況予想は
ますますぶれていく、あいつがいなければ……悪循環です。
熟練するのがまだ、という人にとっては人にかける迷惑、自分が食らうことによる
パーティ上のマイナス、死んだときの申し訳なさとそれに対する不安……
今この場に活躍するチャンスが訪れたらどれだけ嬉しいでしょう。
それぞれの人にそれなりのプレイスタイルとそれに対するバックグラウンド
そういうものがあって、誰かのためじゃなくて「自分は支援者だ」と
思いたいのならそんな「人々の思い」は包み込まなくちゃいけません。
支援者はそれを包み込んで動き、その結果未熟な人も活躍し
ソロ勇者もパーティに溶け込むことができる、パーティの中心になるべき人こそ
支援者であるといえます。それはスタイル云々の話ではすでにありません。
ほかの人のことを考えてその人と一緒にやろうと思える人
こういう人のことなのです。
なので支援者は味方の動きをちゃんと見てそれぞれが何をしようとしているのか
捉え、必要であればわかりやすい動きでさりげなく味方を
リードできるようになって一人前。
これを「味方に息を合わせさせる」という風にも言います。
それには洗練された動きや統一された戦術感覚を練り上げて、それを
千変万化の味方の動きに折衷して戦い方を決めるわけですから
かなりの経験と技量を必要とすることは間違いありませんけどね。
間違いはありませんけどそれは誰にもできないことかというわけではなく
そして偉そうに語っている私がそれをしているというわけでもなく。
「私はあなたと協力する意思がある」というさりげないアピール
(攻撃でそうする場合はホントに奥ゆかしい表現になって面白いほどですが)
そこから二人、三人で「そのパーティの形」を探っていく過程
そういうものを考えたらディアブロスでも、最初のクックでも、
動きの鈍いフルフルでもぐっと深みが増して面白くなってくるはずですよね。
思い通りに動いてくれるほど敵も甘くありませんから(笑
そんな意味で、[[回復撃ち]]ならまずはその一番の武器で「こんにちは」
一番わかりやすい支援のかかわり方ですからね。
そして味方が背中をそっと寄せてくる、自分はそのとき、どうする…?
味方の動きのほうが敵より百倍面白い。
そう思う、同じ雑記の繰り返しでした(苦笑。
っていうかね、某所で不毛な言い合い見たからその反動ね。
2012-01-31T23:05:04+09:00
1328018704
-
必要量の逆説
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/187.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
&bold(){2008年1月 支援論第三類「回復の必要量」より}
広域回復薬および[[回復弾]]の必要量について。
いったい、ひとつのクエストに出かけて必要になる支援回復の量とは
何によって決まるのでしょう。
そこで、ひとつ思い当たるのが仲間の回避技能。
味方がたくさん喰えば喰うほど回復薬は必要になる……まあ、
確かにそうだというか、それは当然のことです(笑。
味方の体力が減ったときに回復薬が必要になるなら
その必要量を減らすためには味方の体力が損なわれるような場面を
減らせばよい ということになりますよね。
それではその手段として、
[[拘束]]することによるピンチ自体の削減
拘束[[解除]]の精度を上げることによる危機救援
攻撃効率を上げて戦闘時間を短縮、あるいは敵の行動を封殺
というものが挙げられますが、
回復を十分確実に行なうこと
これも回復の必要量を減らしてくれるサイクルを生みます。
逆説的には、「回復を使うことが支援回復の必要量を減らす」のです。
[[回復薬]]を使用する行為自体は、かなり隙の大きな行為で、このタイミングなら
絶対に安全だといえるタイミングに回復薬を使うことはなかなか難しく
そうした隙を敵から見抜くことができるならそもそも攻撃もうまく行くはずで、
攻撃をよく受けてしまう=チャンスとピンチの区別がまだうまくつかない人は
やはり同様に「危険な」回復薬使用に行かなくてはなりません。
もし、軽微なダメージで回復薬使用にいかせて、
もう一度ダメージを受けてしまった場合、被支援者には「焦り」が加わり
その次の回復薬使用は余計に成功率が下がってしまうし、
焦ってうろうろしたら回復弾も当たらないので[[回復撃ち]]のほうは
乱射するしかありませんよね?
こうした状況では答えは「最初の[[追い当て]]」になります。
もっとも、上の例はただ一例にすぎません。具体例ならいくらでも考えられます。
回復弾を浴びるとかなりの人がテンションをあげてくれます(笑。
テンションがあがるということは無謀になったりする面もあるかもしれませんが
頭の回転が速くなるということでもあるので、もしかしたら回避性能も
攻撃効率もあがるかもしれません。
だから吹っ飛ぶ→[[起き上がり]]回復によって
今まで自分ひとりで攻撃も回復も考えていたのがある一方に
戦略の方向が定まりそれによって戦術が純化して精度が高まる、
すると被弾も減る……こういう好循環が生まれます。
これを考えると、「一発の回復弾が自他の回復必要量を減らす」のです。
また、回復を有効に使えば攻撃効率の上昇になるのはご存知のとおり、
ゆえに先にあげた「戦闘時間の短縮」に、もし回復がつながるなら
それはそれで回復薬の必要量を抑えます。
これ、弱点はよく忘れて狙撃するよりも手数で稼ぐことの多い
攻撃下手の私なんかはよくあてはまることです(笑。
それでも回復の必要量が自分のポーチを越えてしまうことが多いなら
やはりうまく配分するしかありません。
それでもあって、私は回復を撃ちはじめて2年、まだまだ命中率が5割を
越えないころ(なんか低くね?っていう感じはアレ、ダメージには必ず撃つからです)
当たらないときに撃ってはならないという結論に自ら至るようになったのです。
そう、回復弾ということで話をするなら、必要量の算出式はこうです。
味方の(耐久力×被弾率)× 回復戦術の比率 ÷ 回復弾命中率
つまりは、回復を撃とうとすればそれだけ回復弾が必要になってくるのは
もちろんのこと、外せば外しただけ余計な回復弾が必要になってくるのも
また確か。すなわち、きちんと当てればそれだけ回復弾が少なくてすむのです。
だからまずは、回復弾はきちんと当てられるようになるっていうのも前提として
必要なことではありますが、しかしそれもコントローラーが悲鳴を上げるような
超絶技巧を必要とするようなものでもありません。
多少の練習は必要ですけどね。
回復弾の分配というのは、上記の命中率を調整する面でも
重要な働きをもちます。回復弾をしっくりと戦術に組み込みたいと思うなら
最後まで持たせなきゃいけません。
「切れちゃいましたw」じゃ作戦失敗ですよね。
だとすれば回復弾を余計なときに撃っちゃいけないというのは当然。
余計なときというのは当たらないとき。
もし、当てる自信がなくてそれできちんと成功させなきゃいけないクエのときは
回復弾が当たらないけど味方がピンチ、というときには
自分がピンチに陥ってでも攻撃密度を上げるとか、こんなときのために
用意しておいた奥の手を出すとか、そういう選択肢ももっておかなくてはならない
と思います。
きちんと回復を当てること、
「一発の回復弾のヒットが、必要な回復薬の量を抑える」。
もひとつ、
「支援は回復だけじゃない」。
2012-01-31T22:52:13+09:00
1328017933
-
支援の普遍性
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/78.html
**注:[[旧サフィ邸の記事]]
&bold(){07年2月 無策の策}
(一部改変)
ここまで理詰めでいろいろ書いてきた私でありますが。
狩りの基本は攻撃すること、狩りにおいては相手を倒すことが
最上の目標であることは疑いありません。
支援もまたやっていること自体は攻撃でなく
時に相手を回復させることすらあってもその目標は味方に攻撃してもらうこと、
攻撃を助けることですから「攻撃=狩猟」が目標というわけです。
では。
攻撃するということだけで、味方のサポートになるかならないか、と問われれば
&bold(){無論なります}ということに。
味方が増えるだけで、ヘイトを散らしてくれたりダメージが増えたりして格段に狩りが楽になります。
精神的に安心できもします。
採取だけするような人であっても、私はその人と一緒であるだけで安心できます。
…私だけか。
と、いうことで、私がここで述べているようなことは
いるだけでプラスに働くその人の存在感にさらに「アルファ」を加える、そのための工夫です。
大事なことは相手のことを考えて動く、それだけで支援と呼ぶ&bold(){価値}があるということ
一人よりも二人が楽しいということ
楽しく狩りをするために助け合いをしたり
余裕があればカッコいい技や戦術で狩りを彩ったりする、
いやできるということ。
狩りはかっこよく、楽しく。
勝ち負けすらどーでもいいと嘯く師の至高の教えだったり。
2012-01-20T19:22:24+09:00
1327054944
-
性能限界への対応
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/186.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
&bold(){2008年1月 支援論第二類「先生とのお話。」} より
限界を色々ひっさげて、無数の手が私を引っ張るなかで、
それでも前へ前へと欲張っている私です。
まずは昨日の支援論講義から。
ロザリーは先生にヘビィボウガンで可能な支援はどこまでか、という
講義を受けていました。
私が受けた講義というのは、私がいつも反論かますので(笑
全く一緒のモノかわかりませんが…
ヘビィボウガンで、回復を撃つ。麻痺を撃つ。
しかし当然ながらライトボウガンにその道でかなうことはない。
ヘビィ一つで考えてみても(ライトを選ぶという選択肢は度外視)、
肝心の第一の技にとって、ヘビィのスピードは致命的だといえる。
麻痺を撃つにしても、連射も速射もできない。
ここには、当然の限界があります。
太刀にできることを大剣ができないように、
双剣の攻撃密度を片手剣が実現できないように
ヘビィボウガンのスピードが実現できない戦術は数多いですね。
それで、その限界をはっきり意識して
できることはするけれどできないことはすっぱり諦める必要がある
そういう話だったようです。
これは、他の武器種で支援を試みる場合も同じようなことがいえると思います。
ボウガン以外では回復弾を撃つということはできませんので回復は
粉塵か広域回復、回復笛によると思いますが、その場合
武器をしまうという動作が必要になる場合がほとんどですから
それには間に合うとか間に合わないとかいう判断が絡んでくると思いますし
射程外か射程内も大事な要素です。支援してて自分が喰らったら、
近接武器の場合攻撃力減退で大して意味ないですよね(自己満足になります)。
こうして、自らの限界を意識することで
逆にできることは何かがハッキリしてきます。
そうすると、その選択肢に向かってまっしぐらに戦術を選ぶことができます。
そのときには迷いがないので、熟練と相まってスピードが上がります。
ここまで達するにはやはりそれなりの訓練と経験が必要です。
こうして、支援の効率は高まっていきます(攻撃もですが)。
さらに、このように一つ一つの戦術の効率を高めることによって、
余裕が生まれ、その余裕はもう一つ高度な戦術の展開を可能にします。
たとえば、それまで撃てなかったタイミングに回復が撃てるとか
回復ばっかりしてたのが合間合間に攻撃ができるようになったとか
そういう感じです。
高度な戦術展開が可能になってくれば、戦闘全体に支援が占める割合、
いわば戦略自体が変化してきます。
戦略とは戦術の用意や戦術の限界にあたるもので、
「自分がどう戦いたいか」が戦略であるということもできると思います。
先生の場合、最初に火力を諦めて支援一本の戦略を確定しました。
その上に戦術を盛り込んでそれが可能なように日々練習を積んできたわけで
私が攻撃の技を磨きながら戦略なんて全く気にせずにやってて、
そこで回復や支援戦術と出会って「不定戦略」アタッカーハーフを生み出したのと
全く逆の動きです。
このように、自分がどう戦いたいのかを先に決めてしまい、
そのあとで技を磨くという道もあるにはあるのですが、それはアタッカースタイルや
サポータースタイルなら問題はないと思いますが
ある定まった「アタッカーハーフスタイル」というのはありませんからね(笑
私を真似たい、というのならそれはそれでアリかもしれませんが。
戦略は戦術の可能範囲を規定する。戦技から限界を得る。
戦術は戦技に目的をもたらす。戦略によって素材を得る。
戦技は戦略を変化させる。その一つ一つは戦術になる。
いえることはもう、一つ
ただ、練習あるのみ。ですね。
2012-01-20T19:21:34+09:00
1327054894
-
相性
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/185.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
2008年1月 支援論第二類「戦術と相性」より
[[支援戦術]]には、相性があります。今回は、そういうお話。
相性といえば、各武器種同士でそれぞれ、相性の良し悪しが
言われていることは有名です。攻撃範囲が広い大剣系の武器と槍系の武器、
停止タイプの[[双剣]]と味方を大きく吹き飛ばす[[ハンマー]]…
これらはいずれも競合してしまう、つまり攻撃するときに
互いの攻撃が当たって邪魔になる という恐れがあります。
[[回復]]や[[解除]]などもまた、味方を攻撃しようとするものですから
当然攻撃の難易度や効果は武器種によって異なってきます。
[[(防御)支援戦術>防御支援]]はは当たらないようにするのではなくて当てて成功ですから、
味方同士というよりも飛竜と武器種の相性に近いんですけどね。
また、支援戦術自体も私が分類したあの各系統ごとに武器種との相性が
出てきます。たとえば、回復はどうでしょう。
手立てとしては、回復弾か広域回復かいずれかです。
そして重要視されるパラメータは「出の早さ」「確実性」「回復量」の
三つになるでしょう。
すると、全ての面でライトボウガンに及ぶ性能をもつ武器はなく、
あとはどれも一長一短で片手剣(速さと確実性)、
ヘビィボウガン(確実性と回復量)が一歩リード、槍系が出遅れ
といったところでしょうか。
これはどんな戦術や状況によってもいえることです。
ただ、この相性が、やったほうがいいとかよくないとか
そういう話に発展するようなものではなくて、ただ難易度の問題なので
実際には早いとか遅いとかで著しく成功率が下がり、
0に限りなく近づくという場合を除いてはやるかやらないかは
成功させる気があるかないかくらいの差といえます。
取捨選択の問題は、こういうところにも目を向ける必要があると思います。
無理をするか、しないか。
勝負に行く必要があるとか、他に有効な選択肢が特にないとか、
戦術的に無理をしなければならない場面はたくさんあると思いますが
ギャンブルにばっかりいってると、その都度ベットされた労力や時間は
無に帰することになりますので(笑
どんな小さなことでもきちっとやれば効果として帰ってくる、
それに対して大きなことは確かに成功すれば多大な効果をあげることができる。
この二つの間で、安全にいくか、どうか
役割がかぶらないか、どうか
あえて仲間には背中を見せておくか、どうか
この辺の選択もやはり戦術を頭に狩りをするものにとっては
醍醐味じゃないでしょうか。
あせらず、迷わず、自分に出来ることをする。
要はそういうことなのです。
2012-01-20T19:18:34+09:00
1327054714
-
二重支援と業務連絡
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/184.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
&bold(){2008年1月 支援論第三類「二重支援と業務連絡」より}
ロザリーとやっててふと思いついて、言ってみたこと。
「せっかく二人でやってるんだしさ、
サイン出し合って仕事分担できたらかっこいいと思わない?」
今日はそんな話。
支援論は、一つこれを始めてみると様々なところに
つながっていたのがわかってきます。
戦術・戦略の統御と完成にかかわるということ。
積極的に連携をとろうとすること。
画面の外に働きかけるということ。
支援の重要事項の一つ、あるいは本質と思われるものに
「息合わせ」というものがありますが、
これも戦術上の意味しかもたせない場合もあれば
息合わせとは「心合わせ」だと思って戦う場合もあります。
アタッカーハーフ2人だと、二重支援と相互支援の二つの型が可能になります。
相互支援のほうは、たとえば咆える敵に対して
片方が耳栓装備なら片方は耳栓を放棄して拘束解除を任せてしまい、
そうすると放棄したほうは耳栓ナシでのスキル構成が可能になるため
他の支援の可能性が広がってきます。
これにより、じおログのほうで一度問題に上がった
「バサルモス毒ガス問題」に一つの光明が見えます。
そう、広域も要る、耳栓も要する。だったら二人で行けばいいじゃないみたいな(笑
もちろん、一人の支援者として味方が毒ガスで吹っ飛んだときに
何をするべきかという話は少し違う話なのですが。
でも、支援者(アタッカーハーフを含む)が2人いるということは
戦略的にそれだけ自由度が広がるということでもあり、
片方がある状況では全員に対して支援効果を発揮でき
別の状況ではもう片方がまた他の全員を助けることができる。
しかも、双方の連絡がきちんと取れていれば
支援戦術の濃密さは芸術の域に達します。
「自分には撃てない回復弾を撃ってくれる」存在というのは、
こうした相互支援によって広がる支援の可能性を象徴した表現であると
いうことができるでしょう。
二重支援についても同じで、
アタッカーハーフ一人の機能は一つのクエにタイプの違うガンナー数人が
帯同していて、状況によって入れ代わり立ち代わりして一人が戦っている、
というのを想像してもらえばよいのですが
麻痺、回復、解除、補助(怯み拘束効果含む)などの効率は、
これが2人いるだけで飛躍的に高まっていきますし、
またその融通性も一人のときとは比べ物になりません。
これも、双方の連絡が確実に通っていたなら…。
ここからは、想像の域になります。
二人の連絡が通っていたなら、片方は回復を撃ち、片方はその間麻痺を完成させる。
それぞれがきちんと仕事をすることで近接は迷うことなく、
そして自分の体力を気にすることなく攻撃に走ることができる。
戦術的に高いレベルで完成し、分業、協業がきちんとなされたとき
前衛は無敵の状態で自由に戦うことができ、中衛に当たる二人は
崩れることなく支援体制を維持する。
そのとき、支援者の二人は互いの意志が通じ合っているので
狩りを通して固い絆を結ぶはず。
これは一つには先生の夢でもあろうし、私の夢でもあります。
その可能性のために、第一歩として「業務連絡」が挙げられます。
つまり、必要な状況で必要なサインを出して互いに何をするつもりなのか
何をすべきなのかを見定めてそれぞれの行動を決めるというもの。
前は麻酔に関わる攻撃と拘束の分担という点で成功をみることができ
これを応用すれば、回復役が2名いたときに
味方が吹っ飛んだ、するとリロードが早く完成したほうがウェーブを鳴らし
サインが遅かったほう、もしくはサインに気づいたほうが回復以外を担当する、とか
麻痺を撃ち始める時に鳴らす、とか
短い暗号をつくってチャットで知らせる、とか
色々なサインは考えられるわけで
そうしたものを完成させていくことで変化に富んだ連携も緊密になっていくのでは
ないかという考え、なのですが
これ、戦術的にそこまで有用であるというよりは
連絡を取り合っている姿がカッコいいのです(笑。
それが一番なのにはちょいと問題ありかもしれませんけど、
役割分担をきちっと行えるという点では、気の合う支援タッグの間で
こういうのも見た目にいいんではないかと(鳴らしすぎは嫌われますけどね)。
それでもってもう少し話を進めれば
お互いの癖や技量を把握し、後姿を見ただけで大体何をしようとしているか
理解することで、何もせずに撃鉄を起こすことが全てを表すサインになります。
これこそ以心伝心による連携、「マインドリンク」。
ここまで行けば本物だと思います。
これこそ想像の域の一番奥ですけど(笑
支援と前衛も連携の一種ですが、
支援者が二人いるなら、その相互の技も連携になると思われます。
コンビを組んだら何度もクエにいってみて、一緒に戦えば癖がわかり、
そのうち次は彼女は何をするはずだ、ならあたしはその間に何をしよう…という
分業・協業体制が出来上がってくるはずなのです。
前衛を欠いて支援だけというのでは本末転倒ですが
こういうのも非常に楽しいものですね。
2012-01-19T22:02:42+09:00
1326978162
-
支援の提案
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/183.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
&bold(){2011年12月 支援論第二類「自己紹介の話」} より
自己紹介、とだけ題名打つと誤解されそうですしね。
そういうわけでガンナーの自己紹介の戦術的有効性の話。
身もふたもないような話ではありますが
早めに私はこういう者ですということを知らせておくことによって
味方は「それじゃどうしようか」ってことを考えてくれるのです。
というのも、やっぱりパーティプレイとはソロリストが4人そろうと
相殺してしまう部分が多少あって
邪魔しあわないように位置取りを決定したりすることもあるし
もし、それが支援がらみになってくると、それを利用した動きを
とらなければ支援者の動きが無駄になってしまいます。
ソロリスト4人が互いに邪魔しあうという部分は重要です。
近接であれば言うをまたずといったところでしょう。
ガンナーならまあ位置取りがかぶったところでふっ飛ばしあうことも
ないし、逆に敵の動きが予測しやすくて
単純に戦力4倍になるかもしれませんが(笑
とはいえ、パーティが寄り集まってめいめい好きに戦うとなると
ただ単純に敵が弱くなる程度の恩恵しかえられず
それなら手ごたえがなくなるだけなので
一人でいったほうがよくありませんか?
そうでないなら集まった理由はソロじゃきついから、のはずであって
その時にはパーティ機能というものを活用しないともったいない。
はい、それでは支援の話に移りましょう。
どうしてもこのページが支援者向けであることから
(私自身が支援者であることからも)支援者の立場で話をしがちですが
支援を受ける立場に立って考えると、もっと支援はうまくいくのです
味方の心を撃つとは、そういうことでもあります。
さて、それでは支援を受けるときの心構えというのは
「支援を待つ」というもの。ガンを使った支援は外れます。
だから、近接、というか支援を受ける人の協力があると
より精度の高いものになるのです。
それで、回復弾であれば、吹っ飛ばされてる間に
ガンナーのほうを見て、回復弾を装填している雰囲気であれば
立ち上がりにギリギリまで待ってみる。
ガンナーがそれを察知してきっちり回復弾を撃てば
起き上がりのタイミングは「回復の時間」になり
薬を使うよりも数倍早く回復ができる利点はそのまま
自分で回復したのと同じ確実性を獲得します。
これが、前衛と後衛の協力であり連携です。
支援を生かす、というのは前衛の仕事です。
後衛を活用してもらうのは後衛への支援です。
とはいえ、前衛が「そうか、それなら後衛を生かしてやろう」と
考えるには、先立つものがありますよね。
「回復弾が飛んでくる」という前提としての環境がないと
生かそうだとかなんとか、すなわちそれを基にする戦術なんて
立つはずがありません。
だから必要なのです。ガンナーがその弾道で己を語ることが早急に。
それを悟った瞬間、前衛が後衛と連携をとろうとします。
後衛が前衛に使われるか、後衛が前衛の尻をたたくかはわかりませんが。
師匠が語ったところはそういうところでした。
お前たち(弟子役は二人w)だって回復弾がいきなり飛んでくるのにそれを
予期することなんてできないだろ。
起き上がりには回復弾で狙ってくる(ある程度は当てる)。
失敗しても意地でも当てる。
そしたら次には立ち止まってみたくもなる…
これが、その瞬間です。
ゆえに回復撃ちなら常に撃つべし…情けは人のためならず。
大ダメージのときの重ね当てだけでも悪くはありませんが、
そのときには「起き上がり」や「追い当て」は成功しないもの、と
覚悟しておきましょう。
それで、回復を撃っていると回復弾を受けようと
前衛がウロウロするというのも野良では結構見られる光景。
こういうときに意地でも当てる、
回復撃ちだとか癒し手だとかは、その根性と腕がなければ
名乗れないことではありますが、「癒し手」のスキルがあるということは
ドンドルマに誇れる立派な技量だと思って日々精進しております。
2012-01-19T21:53:50+09:00
1326977630
-
精神論の極意
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/181.html
**注:[[サフィニア邸の記事]]
&bold(){2007年11月 支援論第二類「極意の片鱗」}より
支援論特別編。
私と仲のいい人であればたいてい私の口から聞くであろう、師匠の話。
私の回復弾の撃ち方は、文字通りその人のものです。
私はドンドルマで一番理想的な弟子だと思います。
そして一番理想的な弟子を持った先生はドンドルマ一の師匠ということに(笑
で、ドンドルマ一理想的な師弟は互いに意見を交換しながら切磋琢磨
今は一人で活動する弟子はその魂の上に立っているのです。
先生は人と楽しく遊ぶ為に命を懸ける、という人です。
ホントに、一所懸命です。
支援の目的は前衛が気持ちよくプレイできることだ というのも師の受け売り。
小技の数々で「魅せて」いくのも支援という名の「エンターテインメント」。
その中軸になってる回復弾だって、「カッコいいと思わせるために撃つ」んだと
まあ普段酔ってるのでどこまで本気かわかりませんが…
支援戦術の理論は戦略の域を出ません。
役に立つか、どうかという観点で話をされるのはもっともなことなのです。
人に宣伝するにも、それが一番効果のあることです。
それは間違いなんかではありません。
そして確かに、戦術として支援の数々は有効なものです。
でもなぜ、エンターテインメントのような、
見せる技を、わざわざするのか、攻撃を放棄するという一見無駄な行動は
何のためにするのか。
それは、味方のピンチを取り除いて、攻撃を助けるため、
攻撃してないように見えて実は攻撃効率上がってるんだよー っていうのは
「真の目的」に寄与するスパイスのようなものでしかないと思うんです。
戦術的有効性なんて、みんなそうです。
支援は、役立って、なおかつ不思議に楽しいから、愛されるべきもの。
その真の目的というのが…まだ一言では表せませんけど。
今日もいいプレイができました。
技量的に調子がいいというわけでは決してないんです。
無駄だとも思えるほどの回復弾を撃ち合い
絶対的不利の中で泥と血にまみれながら笑いあい
そのなかで、「一緒にいると元気になれるよ」といわれたときに
嬉しいでも楽しいでもない、それ以上の、不思議な気分になれました。
そう、支援っていう手段で、回復弾やその他の手段を通じて
<直>で手をさしのべることで、目指しているのはここ。
元気を分け合えるような相手、
その人の為というときに初めて一生懸命の技が出るような相手
そこでゲームが最高に楽しいといえる仲間
そういう人に出会えるように
私はこの技を身につけてきたんだ、と感じました。
たかがゲーム一つで大げさでしょうか。
いいえ、この絆はバーチャルじゃないはずです。
だって、画面の向こうでおんなじことを考える人がいるんだから。
私のおかげで元気になってくれる人がいたら
たとえ私が元気じゃなくてもそこで元気になれる。
私は装備のためになんか全然頑張れないけど
こんなに長くプレイしてきて、素材は全部投売りにしてもなお続くのは
ほかならぬ(狩りの、ゲームの)仲間がいるからで、
これほどの友達に出会えるからで、
その人と楽しくやれたらいいなって思うから
カッコいい技も役に立つ技も、それに必要な知識も、身についてきたんだな と
そしてそこに
支援という「プレイスタイル」の極意がある、と
そう感じたのでした。
初歩的なこと。
支援は、相手がいなければできない。
その相手が、私の支援を喜んでくれるならどれだけ私は幸せでしょう。
2012-01-19T20:00:54+09:00
1326970854
-
前提条件
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/137.html
**注:支援の庭特有の記事
楽しみ方は人それぞれですので、相手が何をして愉しいとしているのか
これには相当な注意が必要と考えます。趣味が合う人ならいいのですが
そうでなかったら早々に手を引いてしまうほうがいいでしょう。
支援という楽しみ方は多分に人を巻き込むものです。
回復を肩代わりするのは有効性をもっていると信じて疑わないのは
昔から変わりませんが、しかしその一方で狩りの醍醐味である苦労を奪う
甘やかす のような考え方があるように
味方には回復を放棄させるのです。
こうした強制(プログラムからではなく、味方からの)がストレスになったりは
しないのでしょうか。
本当に味方は支援屋が考えるような効率化を望んでいるのか
そもそも支援手が考える効率というのが何か
この辺は、[[味方との折り合い>折り合い]]と同様に、
味方と支援手との関係に大きく濃い影を落とすでしょう。
自分がいくらこだわっても、最終的に相手にわかってもらえないことなど
いくらでもあります。
支援の精神論は、だから難しいところがあるのです。
こちらから提案する分業体制とストレス除去の様々な方策は
「ひとつの形」でしかないということ
また効率化を志向しながら支援手自身がどこかに非効率を含むこと
(結果的に攻撃したほうが早いという通説がある場合の支援、
あるいは装備に関するこだわりやプレイスタイル、得手不得手など)
こういうものがあるからこそ
支援手がどういうスタイルでどういう戦いを提案するか
もっとわかりやすく言えば
どんな感じでモンハンをセッションしていくか
どうやって一緒に楽しむか
っていうことを、前提として支援手はもっているものなのです。
支援は最初から認められるものではないのですが
それは全てのプレイヤーが最初から認められるわけがないから
支援もまたそうだというわけです。
その上わかりやすいコードにのっかってない支援のことなので
支援手がそのうち「当たり前だ」と思うようになる
「回復してもらえばうれしい」とか「攻撃してもらえること」だとかは
決して最初から前提されている事項ではないのだと。
……まあ一生懸命やってればだいたい認められますけどね。
2012-01-19T19:53:56+09:00
1326970436
-
折り合い
https://w.atwiki.jp/ichiba14/pages/130.html
**注:支援の庭特有の記事
モンスターハンターを楽しむ人にとって、すべてのことは単なる遊びにすぎません。
楽しいということは絶対の正義になりうるけれど、こんなものが正義になるからこそ、
他人との折り合いはいつも深刻な問題を提出します。
遊びに過ぎないということは、絶対と言えるような価値基準が立たないということ。
自分がつくる世界だ、ということでもあります。だから、何が正しい(楽しい)ことで
何が悪い(つまらない)ことかも人それぞれでしょう。
その中の少数派というのは、言い方は良くないかもしれませんが
「迫害」にあうこともあります。というのは、他の人にとって「悪」であることを
「正」であるかのように語る人は、どこにいてもそういうことになるからです。
しかし、そうした正邪の別も、遊びの世界であるから、絶対のものではないのです。
そうすると、だいたい変な遊び方をする人というのは問題を起こしがちですが
それが認められることもあるのか、というと、これがあるんです。
そのために最低限必要なのが、その楽しみ方に関するこだわりと熱意、
そして他人にそれを伝えられることだと思われます。
たとえば支援が楽しいといっても、「攻撃することが貢献すること」だと
思っている人にとって、支援手は「遊んでいる」ことになります。
そして支援専門の人というのは探してもそう多くいるわけではないので
知っている人にはこういう人が不思議ではないとしても
知らない人からすれば単なる[[地雷]]になってしまうのです。
ここで重要なのは支援が地雷かどうかではありません。
自分のやっていることが他人に理解されるかどうかです。
これは自分の遊び方にこだわりを持っている人にとってはより重要だと思います。
このページを立ち上げたときに願ったのはここに載せている技術論が
誰かの役に立ち、参考になればそれでということでしたが
なにぶん私が歩んだ道もなかなか表舞台というよりは裏道をずっときたような
ものなので、説明もなしに敵を回復弾で巻き込めばそれは
「お前は何をやっているんだ」ということになります。筆者でさえそういうことがあったのですから。
これが支援のような「一応正の方向を向いているもの」であればともかく、
「クエ嫌い」だとか「裸族」だとか「一見非効率に見えるもの」については
より一層どうしてそういうことになったのかということについて
説明が必要になるでしょう。さもなければ、「よそでやってくれ」ということに
なりかねません。ときには、強くも無いが弱くもない、そうしたものでさえ
拒絶されることがあるんです。
その人にわかってもらいたいと思うのであれば、時に引っ込めることも
考えられるでしょうが、それ以上に語ってわかってもらおうとすること、
「それが自分にとって楽しいと思うために大切なファクターである」というアピールが
なかったら溝を生む結果以外にはならないんです。
人と一緒にやるので、相手が10楽しいときに
自分が1楽しいというのでさえ、それが双方にとっての障害になりかねません。
よって、熱意をもってやることと、
相手にわたりをつけることは、何より大切になることでしょう。
2012-01-19T19:52:58+09:00
1326970378