法廷不起立問題の研究

法廷不起立問題の研究
大正九年(れ)二三五〇号
住谷操次郎上告趣意書
      一、本件の事実
 原判決は不法に上告人の弁護権を侵害略奪し、其弁論を聴くことなく為されたる違法の裁判なり。原審第二回公判始末書に依れば、裁判長宇野要三郎は上告人に対し検事瀧川秀雄の論告を起立聴取すへき旨諭告したるも、上告人は検事の論告に対しては起立聴取すへき義務なしと述へ起立せさりし故、裁判長は上告人か起立して論告を謹聴するにあらされは法廷の秩序は維持せされさるものと認め、再び上告人に起立を命し上告人の之に応せさるや遂に裁判所構成法第百九条の規定により上告人に退廷を命し、刑事訴訟法第百八十二条に基き対席として審理し、上告人に所謂最後の供述を為さしむる機会即ち弁護権を行使して弁論弁解を為すの機会を与へさりしものなり。
 抑々刑事訴訟に在つては検事は弾劾し、被告は弁解し、判事は双方の申分を聴きて之を裁断するを一大根本義とするものなれは、特別明白の規定あるにあらさる限り被告の弁論を聴かすして為されたる裁判の不法なること論なけん。
      二、不起立と不当の行為
 仍て裁判長は如何なる場合に被告の弁論を聴かすして対席判決を適法に為し得へきかを案するに裁判長は(一)被告か自ら弁護権を放棄して弁論を為さざる場合及ひ(二)(い)被告が裁判長の審理訊問を妨害し(ろ)又は不当の行状ありたる為め退廷を命せられたる場合に限り対席として審理判決し得へきものとす(刑訴第百八十二条)而して本件の場合は右の(一)の場合に該当せさること最も明白なれは問題は(二)の場合に該当するや否にありとす。
 次に又裁判長は如何なる場合に被告に退廷を命し得へきやを案するに、裁判長は開廷中の秩序を維持すへき権利義務を有するものなるも(裁構法第百八条)秩序維持の為め必要あれはとて如何なる場合にも被告に退廷を命し得へきものにあらすして、只前記(い)(ろ)の場合にのみ限り退廷を命し得へきものとす(同法第百九条)然らは本件上告人の行為即ち(1)検事の論告に対して起立せさる行為及ひ(2)裁判長の、検事の論告を起立聴取すへき旨の命令に応せさる行為は右(い)(ろ)何れの場合に該当するやと云ふに、(1)(2)何れも(二)の(い)に当るものにあらさるは議論の余地なく疑問は只(二)の(ろ)の場合に該当するや否にありとす。而して裁判長は又法廷内に於て秩序維持の為めに被告を指揮命令する権ありと雖も、其命令たるや秩序維持の為め必要なる事を要し必要ならさる命令即ち不当不法の命令は被告に於て之を拒むの権あること当然なれは右(2)の行為か(ろ)の場合に該当するや否やの問題は結局(1)の行為か(ろ)の場合に該当するや否やの問題に帰すへきものと信す。蓋し被告人にして検事の論告に対して起立すへきものにあらすとせは、仮令裁判長か其義務にあらさる義務を命したれはとて被告に於て之に服する義務なきこと尚、裁判長か被告に屁を放れ、欠伸をしろとか若くは高尾平兵衛事件に於ける場合の如く裸体になれとか云ひ、被告か之に応せされはとて之を以て被告に裁判長の命に応せさる不当の行状ありと云ふを得さるか如けれはなり。
 偖然らは検事の論告を起立して聴取せさる被告は不当の行状あるものにして裁判長は之を退廷せしめ得へきものなりや否やと云ふに、此問題も亦畢竟被告は検事の論告を起立聴取する法律上の義務ありや否やに帰す、若し被告に起立の義務ありとせは此法律上の義務を尽ささる被告の行為の不当なること論なく従て又不当の行状ありたりとして裁判長は之れに退廷を命し得へきものとす。
      三、起立義務と法律上の根拠
 被告に検事の論告を起立聴取すへき法律上の義務ありや換言すれは其義務を命したりと解し得へき法規ありや、此点に付東京控訴院長富谷鉎太郎氏は慎重熟慮の上其研究の結果を発表して『被告か検事の論告に対して起立する法律上の義務は明治六年の断獄則に基くものにして右規則によれは被告は一体に柵欄の下に起立し検事の論告を聴取すへきものなり蓋し検事の論告は判事の審理訊問と同一のものなれはなり』との旨を論断せられたり、然れとも右糺断若しくは拷問主義の断獄制は其後の弾劾主義に基く治罪法及刑事訴訟法により再三再四改廃されたるのみならす、元来『断獄制は従前白州に座らして糾問した被告を、柵欄の下に立たして聴審することにすると云ふに過きぬ』(法律新聞第千七百六十号所載弁護士播磨龍城君論参照)規定にして決して裁判官に対する法律上の起立義務を規定したものてない、特に況んや其第十則に所謂『聴審』とは判事の推訊のみに関し検事の査核に関するものてない、故に死せる断獄則中の而かも其聴審の規定を援いて検事の論告に対する被告の起立義務の根拠とせる博士の所論は鐚一文の価値もない。
      四、起立義務と法廷道徳
 或は本件の起立義務は法律上の義務ではないが、検事は国家公益の為に論告をなすものなれは被告は之に対して敬意を表すへきを当然の礼とす而して此表敬の方法として検事の論告に際して被告か之を起立聴取する事は従来久しく慣行し来たりたることなれは之に従はさる被告は不当にして其行状も亦不当なり然らは之れを不当の行状あるものとして退廷を命するに何んの差支へか之れあらんと論するものあらん。
 然れとも法律上の義務にあらさる礼儀上の義務に違背したるを理由として、之れに最大最重の法律上の制裁即ち弁論権の剥奪と云ふ制裁を与へる法はない、尤も敬礼する事を法律上の義務とすることは出来るが、検事に敬意を表する為めに起立することを命したと解し得へき規定は更にない。又法廷に於て国家公益の為めに働く者は検事許りてはない書記も弁護士も巡査も廷丁も皆検事と同様てある、論者は此等の者の職務行為に対しても被告は尚道徳上の起立義務あり之に反する時は裁判長は退廷を命し得へしと論するか、加之検事の論告に対して被告か之に敬意を表し起て恭しく之を謹聴するは果して美風なる法廷道徳なるか、余輩聊か疑なき能はす。
 抑々刑事訴訟に於て検事は元来原告官なれは、稀れには被告利益の弁論をなす事ありとするも概して被告の攻撃を主とするものとす、故に天誅事件に於て早川検事か被告の人格を云為したる如きは固より其処にして敢て驚くへきにあらすと雖も、被告か此検事の攻撃を恭しく謹聴するの義務あり責任あり之か即ち礼儀なり道徳なりとせば、法廷道徳とは畢竟人格無視の奴隷道徳のみ、阿官の士の外誰か之を美風と謂はんや、又既に何等法律上の義務もなく又其要もなしと確信する被告か一身の利害得失を顧みす断然一切の情実を排し男子の本領を発揮して、犠牲的の精神と改革者の意気とを以て毅然として昻然、因習打破判権伸張人格擁護の為めに敢て検事の論告に対して起立するの義務なき事を宣言するは寧ろ推奨讃美すへき美風にはあらさるか、徒らに、最後の決定をなす判事は単に弾劾を為すに止まる検事より一段上位にある真聖のものなりとの国民一般の信念を裏切り、擅に検事の地位を判事の地位と同位に引上る事により判事の地位を検事の地位と同位に引下る者に対しては、正に頂門の一針に値する正当の行状にはあらさるか。
      五、判事に対する起立義務
 被告か法廷に於て検事論告の際起立せさる事か裁判所構成法第百九条及刑事訴訟法第百八十二条に所謂不当の行状に該当せさるものと論することを得とせは、同一理由により被告か判事の審問に対して起立せさる場合も不当の行状ありと云ふことを得さることとなり、法廷の秩序は破壊され其威厳は毀損さるに至るへしと杞憂するものあり、然れとも此杞憂は畢竟杞憂たるに過きさるへし。
 裁判所構成法第百十条第二号には『裁判所は処罰の上仍本人宥恕を請ふか又恭順を表して不敬の罪を謝するまて其の審問を中止することを得』とあり、之れに依れば法律は訴訟関係者の裁判所に対する表敬義務を予想す、宜なる哉明治七年五月廿日の司法省第九号布達裁判所取締規則には、明に裁判官に対する表敬義務を明定せる規定あり、故に濫りに憲法第五十七条を援き判事に表敬を強ひ被告に起立を強ひ却て尊厳を冒涜せる低能者の愚を学ぶ迄もなく、被告か判事に敬意を表すへきは法律上の義務にして、起立は表敬方法の一行為として認められ来りたるものなれば、故ら之に背くは法律に違背する不当の行状と謂はさるへからす。
 然れとも余談ながら、右裁判所取締規則第七条には『裁判官を罵るものあるときは云云其裁判を中止し之を断獄課に付し本律を課すへき事』とあり刑事訴訟法の前身治罪法第二百六十七条には『被告人公廷に於て暴行又は喧騒をなし弁論を妨害する時は裁判長より再度戒告をなし仍ほ之に従はさる時は検察官の請求により又は職権を以て被告人を退廷せしめ若くは拘留することを得』とあるに依て観れば、裁判所構成法第百九条の『不当の行状を為す者』とは普通不当の行状と認め得へき行為にして而かも判事の審問妨害とならさる、判官の罵詈讒謗及暴行又は喧騒若くは之に類する行為を為す者と解するを正当とす、何んとなれは法律の沿革よりするも刑事訴訟の大原則より論するも被告か単に判事に対して一辺の礼儀を欠き起立をせさりし位の事又は足を枉け体を崩したる位の事にて退廷を命し得へきものとするは其当を失する事の甚たしけれはなり。
      六、法廷の秩序と威厳
 人或は起立問題に関して法廷の秩序若くは威厳を云々す、誤れるの甚たしきものなり思わさるの甚しきものなり、本件に於ても裁判長は秩序維持に必要ありと称して被告に起立を命し被告は『私か立たなけれはなせ此法廷の秩序か維持出来ませんか』と答へたり、真に被告所論の如く被告か起立すると否とは毫も法廷の秩序に関係する処なし、見よ、大杉事件に於て起立を命せさりし尾立判事、起立を命し之に応せさりし被告に退廷を命せさりし田山判事、及法治国事件に於て起立命令に応せさりし被告に退廷を命せさりし西郷判事の場合と、徹頭徹尾被告に起立を命し之れに退廷を命したる高尾事件に於ける草野判事の場合とを比較し、果して何れの結果か、より多くの法廷の秩序を紊し又は其の威厳を損したるか、真に憂へ深く究め静かに考ふることあらは思ひ半はに過くるものあらん、誠に世の多くの人は威厳の解釈を穿き違ひ居れり、高位高官の人なるの故を以て法の許す限り特別の取扱をなすと云ふか如き柴田言一判事忌避事件の如き場合こそ、或は世人の誤解を招き法の威厳を損する事もあれ、引かれ者の小唄の如き場合、又は信する所あつて敢て審問を妨害するにあらす只単に起立をせぬと云ふに止まる場合の如きに、之を看過する事其れ自身か何んて判事の軽侮を招き法廷の威厳を損する所以ならんや。秩序とは押へつけることにあらす、威圧することにあらす、威厳とは決して威張る事にあらす、勿論振る事にあらす矣。
 『一体全体弾劾主義の刑事訴訟下に於ける公廷は被告を公廷に無拘束て置て検事は弾劾し裁判官は訊問し裁判すれはそれてよい、被告は検事の弾劾に対して弁護あるのみ不利益の事実を供述する義務はない、検事の弾劾陳述を聞かふか聞くまいか空嘯ふか謹聴しやふか礼容あらふかあるまいかそんな事に立入つて干渉するには及ふまい、被告の法廷に於けるは学生の教場に於けるとは訳か違ふ裁判官たるもの今少しく大処高処に目を付けて欲しい裁判官や検事の態度人格自然備はり、威厳徳容催促を待たすして被告か自動的起立し容儀を正し其論告の一言一句も聞き洩らささらんことを、おそるる的に自然法廷の空気緊張せしむる底の技倆か備はらねは駄目である、そうなれは起立等命令するにも及はさるへく又起立せぬからとて法廷の威厳には没交渉てある、裁判官は宜しく裁判官の職責本領を失はぬ様に心掛けねはならぬ、立て、いや立たぬ、それては退廷を命するては宛然小供の喧嘩同様てお話にならぬてはあるまいか』(弁護士磨播龍城君所論)
      七、結論
 以上之を要するに被告人は法廷に於て検事に対して敬意を表する法律上の義務なき結果又表敬の一形式たる起立の方法により其論告を聴取するの義務もなきものとす、従て検事の論告を起立聴取すへき旨の裁判長の不当命令に服従せされはとて之を以て被告人に不当の行状ありと云ふを得す、然らは本件上告人の行為を目して不当の行状を為す者と認め之に退廷を命し其結果刑事訴訟の一大根本義たる被告の弁護権を無視し片言獄を断するの挙に出たる原審の公判手続は違法の甚たしきものにして之に基きて為されたる原判決は勿論不法のものなりと云ふに在り。
 大正九年十月十九日    弁護人 山崎今朝彌
大審院第三刑事部 御中
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
最終更新:2009年10月25日 22:21
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