山崎今朝弥 (Kesaya Yamazaki) archive
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山崎今朝弥 (Kesaya Yamazaki) archive
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2023-01-23T15:02:49+09:00
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**弁護士山崎今朝弥(山崎今朝彌、1877-1954)氏の著書『弁護士大安売』、『山崎伯爵創作集』、その他同氏の論文等を紹介するウェブサイトです。
**The purpose of this website is to introduce books-"Bengoshi ooyasuuri (Attorney's fee is under discount; 1921)" and "Yamazaki hakushaku sousaku shu (The Earl Yamazaki fiction collection; 1924)"- and articles written by the lawyer Kesaya Yamazaki (1877-1954).
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山崎の弁護士懲戒事件
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山崎の弁護士懲戒事件
山崎は、懲戒事件を起こしている。その詳細は、山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫、1982年。原著『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年))で山崎自らが語っているとおりである。
すなわち、広島県呉市の地方新聞『民権新聞』大正10年7月25日号に掲載された丹悦太の「自由? 死?」と題する記事が新聞紙法41条(安寧秩序紊乱)に触れるとして丹及び発行者兼編輯人小川孫六につき第一審、控訴審で有罪とされた新聞法違反上告事件について、山崎が提出した上告趣意書が「甚しく不謹慎なる言辞を弄したるものと謂はざるを得ず其行為は弁護士の体面を汚すべきものにして東京弁護士会会則第39条に該当する」として、大正11年6月12日東京控訴院において停職4月の懲戒判決を受けた事件がこれである(当時は弁護士自治は認められておらず、弁護士に対する懲戒は、弁護士会長の申告又は職権により検事正が懲戒訴追を検事長に請求し、管轄控訴院において懲戒裁判を行うこととされていた。)。
問題となった上告趣意書の文言は、「若し之をしも強いて安寧の秩序を破壊するものなりとせば、日毎日常の新聞雑誌は悉く秩序紊乱となり、之れを不問に付する全国の司法官は、原審判事山浦武四郎殿、江木清平殿、西豊芳二郎殿三名を除くの外、皆偉大なる低能児の化石なりと謂はざるを得ず、天下断じて豈此の如き理あらんや。然らば原審が憤然と意を決して之れを安寧秩序紊乱と目し、新聞紙法第四十一条に問擬したるは不法も亦甚だしきもの、真に呆きれて物が言へずと云はざるを得ず」(森長英三郎『史談裁判』(日本評論社、1966年)134頁より引用。)というものである。全文は中央法律新報第2年第8号に掲載されている([[我輩の懲戒問題]])。全国の司法官が「偉大なる低能児の化石」と言ったのが悪いというのである。この当時、弁護士は判検事より一段低い地位にあるとみられていたのである。
ここでは、『法律新聞』が山崎の懲戒事件について報じた記事を抜粋してみた。
(1)法律新聞1955号15頁(大正11年3月18日発行)
「山崎弁護士の奇異な上告趣意」と題して山崎の上告趣意書中に「偉大なる低能児の化石なり」(この部分傍線)という文言が含まれていることを報じている。
(2)同1966号7頁(大正11年4月15日発行)
「大正冤罪録」「明法官の平凡なる判決」という題目で新聞法違反上告事件の大審院判決(4月4日付)及び判例コメントを掲載するとともに、山崎が懲戒裁判に付されるであろうという記事が多数の新聞に掲載されていることを報じている。
(3)同1970号11頁(大正11年4月25日発行)
「山崎弁護士の懲戒裁判」と題して山崎が4月20日懲戒裁判に付されることとなったこと、及びこれに対する山崎のコメント(公判には欠席する予定であること、雑誌で意見を発表する予定であること等)を報じている。
(4)同1974号17頁(大正11年5月5日発行)
「院長牧野菊之助氏等に対する忌避申請」との題目で[[山崎の忌避申請書(5月1日付)]]全文を掲載している。
(5)同号18頁
「自由法曹団と山崎弁護士の懲戒問題」と題する記事で自由法曹団が山崎の懲戒問題につき5月1日弁護士会館で協議し、弁護士の言論自由を圧迫するものなので適当の方法で戦うべきであるとの意見があったこと、しかしながら山崎の要望により第一審は傍観の態度をとり判決を監視する事に決定したことが報じられている。
(6)同1980号16頁(大正11年5月20日発行)
「牧野菊之助外二判事に対する忌避申請事件決定と抗告」と題して、尾佐竹猛裁判官らによる[[忌避申請却下決定(5月6日付)]]及び[[山崎による抗告申立書(同10日付)]]全文を掲載している。
(7)同1987号12頁(大正11年6月8日発行)
「山崎弁護士の懲戒裁判抗告棄却決定」と題して、[[大審院の抗告棄却決定(5月27日付)]]全文を掲載。
(8)同1991号16頁(大正11年6月18日発行)
「山崎弁護士停職四月に処せらる」と題して[[東京控訴院による懲戒判決(6月12日付)]]及び[[山崎の控訴状(同13日付)]]を掲載。
(9)同1996号15頁(大正11年6月30日発行)
「山崎弁護士の懲戒と上申書」と題して、山崎が5月9日付で早急な裁判を求める上申書を裁判所に対し提出していたこと、更に口頭弁論期日を一日も早く指定するよう求める上申書(日付不明)を同様に提出していたことを報じ、後者の全文を掲載している。
(10)同1998号15頁(大正11年7月5日発行)
「山崎弁護士控訴取下」と題して、山崎が6月30日朝、「感ずるところあり」控訴を取り下げたことを報じている。
なお、新聞紙法違反上告事件については山崎の上告理由が容れられ、原判決破毀、無罪判決となっている(大正11年4月4日大審院刑事判例集1巻205頁。[[新聞紙法違反大審院判例]])。この判決が大審院刑事判例集に収録されていることからも画期的な新判例であることがわかる。
以上については、森長英三郎「山崎今朝彌懲戒事件」『史談裁判』(日本評論社、1966年)。同『山崎今朝弥-ある社会主義弁護士の人間像』(紀伊國屋新書、1972年)、山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫、1982年)を参考にした。
2022-04-30T23:12:21+09:00
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「法治国」新聞紙法違反被告事件
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「法治国」新聞紙法違反被告事件
『法治国』は山崎が一時期在籍していた東京法律事務所の機関誌である。
『法治国』1918年9月号に掲載された荒畑勝三(寒村)氏の「大正聖代の一揆」と題する記事が新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に触れるとして、荒畑、編集発行人たる長野国助(東京法律事務所の事務員、のち弁護士、日弁連会長)、及び小松利兵衛(同事務所の事務員)の3人が起訴されるという事件が起きた。この記事は1918年に起きたいわゆる米騒動について述べた記事であり、同月号は米騒動について特集した号であった。
この記事は、長野国助「我が法廷の記(1)」『判例時報』(345号2頁)、及び「長野国助」伝刊行会編『長野国助』(1976年)91頁に全文収録されている。
この事件の弁護人は48名もの大弁護団であり、山崎も弁護人の1人として参加している。[[法治国秩序紊乱事件弁論要旨]]はこの事件の第一審における山崎の弁論要旨である。
山崎は本件が有罪ならば内田魯庵や与謝野晶子、福田徳三は本件記事より穏当でない記事を発表しているから同罪である。したがって、彼らを告発するとして告発状(案)を朗読するという「奇妙な弁論」(森長英三郎)をした。
この弁論は法的にみれば、スピード違反のねずみ捕りに捕まった運転手が、なぜ他の運転手も捕まえないのかと弁解したところで反則金を免れないのと同じことであって、いわば無意味な弁論である。しかし、本件記事が著名人によって有力雑誌に掲載されていたならば不問とされていたはずであるという論旨は、我々の常識に合致した名弁論というべきだろう。後の公訴権濫用論(不平等起訴)の先駆けといえるかもしれない。
なお、本事件は、第一審(判決年月日1919年3月7日)、控訴審(判決年月日1919年10月21日)とも無罪であったが、上告審(判決年月日1920年5月18日)は逆転有罪判決となった。この上告審判決は『法律新聞』1705号22頁、長野国助「我が法廷の記(3)」『判例時報』(348号6頁)に掲載されている([[「法治国」事件上告審判決]])。
以上については、長野国助「我が法廷の記(1)~(3)」『判例時報』(判例時報社、345、347、348号)、森長英三郎「「法治国」発禁事件」『史談裁判第三集』(日本評論社、1972年)96頁、「長野国助」伝刊行会編『長野国助』(1976年)87頁を参考にした。
2021-10-10T18:03:25+09:00
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Menu
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/2.html
**【Menu】
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**【Archive】
**1. Books
(1) 『粗食養生論』(Soshoku youjou ron / Regimen of lean diet;隆文館 1907年)
-国立国会図書館の[[近代デジタルライブラリー>http://kindai.ndl.go.jp/index.html]]にて本文公開中。「粗食養生論」で検索すると出ます。
(2) 『弁護士大安売』(Bengoshi ooyasuuri / Attorney's fee is under discount;聚英閣 1921年)
-[[2.00・凡例]]
-[[2.01・表紙]]
-[[2.02・序文]]
-[[2.03・自伝]]
-[[2.04・第一編]]
-[[2.05・第二編]]
-[[2.06・第三編]]
-[[2.07・第四編]]
-[[2.08・第五編]]
-[[2.09・第六編]]
-[[2.10・第七編]]
-[[2.11・奥付]]
-国立国会図書館の近代デジタルライブラリーにて本文公開中。「弁護士大安売」で検索すると出ます。
(3) [[『山崎伯爵創作集』]](Yamazaki hakushaku sousaku shu / The Earl Yamazaki fiction collection;平民大学 1924年)
-『地震憲兵火事巡査』(解放社、1924年)とおそらく同一内容と思われる。
**2. Articles
『法律新聞』595号「法曹の片影」への寄稿文
-[[長野弁護士会員山崎今朝彌君]]
-[[東京弁護士会員平出修君]]
堺利彦編著『売文集』への寄稿文
-[[米国伯爵]]
『月報』への寄稿文
-[[月報の原理]]
-[[弁護士の品位]]
-[[施政方針を論じて上告の破毀に及ぶ]]
-[[真言空言]]
-[[事務所で受けた裁判(1)]]
-[[上告部より一筆]]
-[[事務所で受けた裁判(2)]]
-[[事務所で受けた裁判(3)]]
-[[近世判決見本]]
『へちまの花』への寄稿文
-[[消息]]
-[[英文(山崎今朝彌)]]
『東京法律』への寄稿文
-[[上告革命案]]
-[[事務所で受けた裁判(4)]]
-[[新年に際して大審院の御大典判決を評す]]
-[[特別上告部と外人課]]
-[[事務所で受けた裁判(5)]]
-[[訴訟の原理(英文)]]
-[[事務所で受けた裁判(6)]]
-[[THE TOKIO LAW OFFICE]]
-[[書式文例(二)]]
-[[相撲見物無罪論]]
-[[日本一の判決要旨]]
-[[続相撲見物無罪論(二)]]
-[[続々相撲見物無罪論(完)]]
-[[事務所で受けた裁判の要旨]]
『平民法律』への寄稿文
-[[平民法律の使命]]
-[[為解誤解・弁護士の天職]]
-[[知人名簿(1)]]
-[[平民の法律(a)]]
-[[勿驚噫大審院の妙判決]]
-[[平民の法律(b)]]
-[[平民法律無料原稿請願書式]]
-[[年金恩給取戻訴訟は区裁判所か?地方裁判所か?]]
-[[賀正]]
-[[医薬の法律]]
-[[破格の栄光、本誌の献納]]
-[[目的の変更を論ず]]
-[[書評「生きんが為に」]]
-[[東京毎日法律相談の一日]]
-[[『平民法律』第11年10号]]
『中外』への寄稿文
-[[真面目の野心と妄想的の抱負]]
『霹靂』への寄稿文
-[[山崎今朝彌君より]]
『労働者新聞』への投稿文
-[[寧ろ激賞すべき愛国的行為]]
『中央法律新報』への寄稿文
-[[不敬罪とはどんなものか]]
-[[鎮圧令より即決例]]
-[[我輩の懲戒問題]]
-[[反逆者の立場から]]
-[[裁判制度の理想化]]
『婦人世界』への寄稿文
-[[義妹を離縁した宮地嘉六君と媒酌人堺利彦君へ送る公開状]]
-[[宮地嘉六君と堺利彦君とに与へた公開状を補足す]]
『労働週報』への寄稿文
-[[大正十二年を迎へ]]
-[[最近最も癪に障つた事・最近最も痛快だった事]]
-[[片山君の思ひ出]]
-[[週刊の終刊から三誌の合同まで・前金の始末から営業の広告まで]]
『進め』への寄稿文
-[[(プロレタリア運動における)政治運動の是非及び能否]]
-[[反動運動に対する所信]]
-[[法律逆用の意義と実例]]
-[[無産階級政治運動の研究]]
-[[普選実施と無産階級政治運動の究研]]
-[[排日問題と反動運動に対してプロレタリアが執る可き態度]]
-[[最近の感想]]
-[[新刊紹介]]
-[[暫く逆戻りだ]]
-[[大庭柯公君を殺したものは誰か]]
-[[進め社に対する希望及批評]]
-[[社会運動の回顧と希望]]
-[[府県議選挙戦を如何に学び総選挙に如何に備ふべきか]]
-[[反動団体に対する方策如何]]
-[[無産政党の無い選挙区において如何にすべきか?]]
『解放』(第一次)への寄稿文
-[[社会的正義の先駆者]]
-[[自から不良老年となつて]]
-[[今日の『新聞』]]
『改造』への寄稿文
-[[外二名及大杉君の思出]]
-[[理想空想誇大妄想]]
『日本弁護士協会録事』への寄稿文
-[[司法大臣に奉るの書]]
-[[人粕事件といふもの]]
『局外』への寄稿文
-[[半ペラ十枚]]
-[[ブラジル大使-其他何でも何枚-]]
『高尾平兵衛・久板卯之助追憶全集(民衆運動)』への寄稿文
-[[久板卯之助君を偲ぶ]]
『文芸市場』への寄稿文
-[[解放社発禁争議に就いて]]
『婦人公論』への寄稿文
-[[続愛児命名録]]
-[[弁論要領筆記]]
『原始』への寄稿文
-[[此の子此の親]]
『解放』(第二次)への寄稿文
-[[営業課より]]
-[[経営後記・編輯後記]]
-[[色々後記]]
-[[明治大正社会運動内面史]]
-[[日本社会運動内面史]]
-[[日本社会主義運動壹面史]]
-[[非論時局問題・局面の諸問題]]
-[[解放時評合評会]]
-[[社会運動内面史]]
-[[デッサン(アウトライン)]]
-[[発刊之辞]]
-[[年鑑資料袋目次の序]]
-[[大正十五年度解放運動大観]]
-[[無題言]]
-[[無産政党選手権獲得全国大会の結果から]]
-[[社会時評]]
-[[沢山ある幾つもの疑問の二三]]
-[[解放社会時評]]
-[[正当派無産派文芸理論の確立]]
-[[前内閣の雑誌「解放」弾圧史(前編)]]
-[[新刊批評]]
-[[争議圧迫と無産階級]]
-[[前内閣の雑誌「解放」弾圧史(後編)]]
-[[各無産政党は九月県議戦を如何に準備し如何に闘争し如何なる結果を獲得して如何に成り行くか?]]
-[[巻頭言]]
-[[各無産政党の本質と戦線統一の条件]]
『法律戦線』への寄稿文
-[[警官弁当代事件]]
-[[一寸設計図を]]
-[[警官暴行とは]]
-[[即時撤×運動を起し]]
-[[所謂直訴問題の批判]]
-[[新世界戦争の危機迫れりや]]
-[[所謂×××検束問題に就て]]
-[[×××事件の陪審裁判請求問題に就て]]
-[[全白色テロルと戦へ]]
-[[選挙によつて政治の「浄化」は可能か?]]
-[[思想犯罪弾圧と強盗横行時代の現出]]
-[[その正体を疑ふ]]
-[[「緊縮」政策と搾取の合理化]]
-[[第五十七議会は解散になるかならぬか]]
-[[支配階級の武装は何を教へるか]]
『世界の動き』への寄稿文
-[[面白かった裁判の話]]
-[[続裁判時代]]
『堺利彦を語る』への寄稿文
-[[堺君を語る]]
『法律時報』への寄稿文
-[[国家賠償法雑感]]
『無産者法律』への寄稿文
-[[私かにテーゼを論じ敢へて片山老兄へ寄するの書]]
-[[獄死した和田久太郎君を偲ぶ・久さん漫評]]
『法曹公論』への寄稿文
-[[陪審法と新民訴に対する法曹の声]]
『社会運動通信』への寄稿文
-[[一九三二年社会運動の展望・国家社会主義運動の発展性]]
皆川利吉著『国際労働会議の話』への寄稿文
-[[序]]
『人物評論』への寄稿文
-[[堺利彦論]]
-[[諸家の批判]]
『労働』への寄稿文
-[[組合員を早く十萬にして]]
『法律新聞』4074号「当り年法曹」より
-[[還暦当り年との声をきいて]]
『真相』への寄稿文
-[[実説大逆事件三代記]]
-[[難波大助(虎ノ門)事件の真相その一]]
-[[虎ノ門(難波大助)事件の真相その二]]
-[[私はどうして米国伯爵になったか-「真相鋏厄史」余録-]]
『毎日新聞』「建設」欄への投稿文
-[[免災財産共用(免災財産を収用せよ)]]
「奇文訴訟」の一例
-[[警視庁官房主事大島直道に対する名誉毀損告訴]]
-[[涜職警官慰藉請求愛国訴訟]]
**[[3. Memorandum]]
**4. Biography
宮地嘉六著「奇人山崎今朝彌」(『文藝春秋』への寄稿文)
-[[宮地嘉六・奇人山崎今朝彌]]
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**【Column】
-[[山崎の関わった雑誌]]
-[[高尾平兵衛の出版法違反被告事件]]
-[[日本社会党]]
-[[山崎の弁護士懲戒事件]]
-[[「法治国」新聞紙法違反被告事件]]
-[[平民大学夏期講習会(1)]]
-[[平民大学夏期講習会(2)]]
-[[山崎の立小便事件]]
-[[週刊社会新聞・東京社会新聞]]
-[[論文『弁護士改正論』]]
-[[『弁護士大安売』の新聞広告]]
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//**更新履歴
//#recent(10)
2014-10-16T05:07:37+09:00
1413403657
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3. Memorandum
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/339.html
【山崎の論文等備忘録】
この項では、未入力の山崎の論文等を記録しておくこととする。
-山田富太郎著『文官高等判事検事登用弁護士試驗及第者答案集』(博文館・1902年)に収録(未確認)・・・国立国会図書館が運営する国立国会図書館サーチで「山崎今朝弥」で検索すると、本書がヒットする(ただし、館内限定公開)。同サーチの詳細情報によると、本書には山崎の「判検事登用試験」の再現答案(筆記試験:憲法、行政法、商法、民法、民事訴訟法、刑事訴訟法、国際私法)、「弁護士試験」の再現答案(筆記試験:憲法、行政法、民法、民事訴訟法、商法、刑法、刑事訴訟法、国際公法、国際私法)が掲載されているようである。これらは山崎の最初期の公刊文である(なお、山崎による最古の公刊文は、学生時代に雑誌『筆戦場』の「論説と陣幕」欄に掲載された(号数等不明)「節倹と吝嗇」なる投稿文と思われる(森長英三郎著『山崎今朝弥』(紀伊国屋書店)33頁)。
-「弁護士の品位」『へちまの花』(売文社)第10号3頁(大正3年(1914年)11月1日発行)・・・東京法律事務所『月報』第2号4頁(大正3年(1914年)10月20日号)に掲載の同題論文と同一。[[弁護士の品位]]
-「北里博士告発状(書式文例三)」『東京法律』(東京法律事務所)25号6頁(大正5年(1916年)11月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。[[北里博士告発状]]
-「弁護士改正論(一)」「弁護士改正論(二)」『東京法律』(東京法律事務所)25号1頁(大正5年(1916年)11月1日発行)、同26号3頁(同年12月1日発行)に収録。・・・著作権(翻案権)の所在が不明なため未公表。[[論文『弁護士改正論』]]参照。
-「弁護士改正論」『新社会』(由分社)3巻5号40頁(大正6年(1917年)1月1日発行)に収録。・・・著作権(翻案権)の所在が不明なため未公表。[[論文『弁護士改正論』]]参照。
-「奇人変人ソラツンボ並に変死記事取消請求広告書」『中外』(中外社)2巻11 号235頁(大正7年(1918年)10月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。[[奇人変人ソラツンボ並に変死記事取消請求書(山崎今朝彌)]]
-「米国伯爵平民弁護士山崎今朝彌君」『法律新聞』(法律新聞社)1485号(大正7年(1918年)12月13日発行)に収録・・・山崎のインタビュー記事。
-「珍品事件上告状」『中外』(中外社)4巻1号202頁(大正10年(1921年)6月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。[[珍品事件上告状]]
-「保釈歎願書」「保釈願」「告訴状」大杉栄著『悪戯』(アルス)(大正10年(1921年)3月1日発行)に収録。・・・弁護士大安売に転載。[[尾行事件の保釈願]]、[[正力事件の告訴状]]
-「労働争議の「工場管理」は法律上正当の「事務管理」なり」『労働』(友愛会本部)10巻8号6頁(大正10年(1921年)8月1日発行)に収録。・・・『弁護士大安売』に転載。[[労働争議の「工場管理」は法律上正当の「事務管理」なり]]
-「剽軽文句の不罹災通告」宮武外骨著『震災画報』(半狂堂)第3冊(大正12年(1923年)11月5日発行)・・・山崎が宮武外骨に出した関東大震災の不罹災通告の印刷葉書の全文が掲載されている。宮武は山崎を「当代の奇人、米国伯爵と自称す不逞漢」と称している。ちくま学芸文庫版『震災画報』114頁にて確認。
-「四つの解決策」『新人』(新人社)25巻5号27頁(1924年6月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「馬鹿野郞及其他―(時評)」『事業之日本』(事業之日本社)5巻10号44頁(1926年10月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「私の現在に於ける、一 最大の欲望、二 最大の満足、三 最大の不満、四 最大の好物、五 最大の嫌な物(アンケート)」『事業之日本』(事業之日本社)6巻1号60頁(1927年1月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「セン・カタヤマの帰国問題」『号外』(東京記者連盟)1巻3号25頁(1927年9月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「年頭所感 商買気は永遠的に」『日本医事新報』(日本医事新報社)282号51頁(1928年1月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「批論家より」『全人・教育問題研究』(成城学園)28号63頁(1928年11月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「大正十五年度出版界所感」国際思潮研究会・編『出版年鑑1927』(国際思潮研究会・1929年)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「発売禁止に就て」国際思潮研究会・編『出版年鑑1929』(国際思潮研究会・1929年)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「裁判廷に於ける煙突男」『サラリーマン』(サラリーマン社)3巻12号36頁(1930年12月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-茂木実臣編著『高畠素之先生の思想と人物-急進愛国主義の理論的根拠』(津久井書店・1930年)に収録?(未確認)・・・国立国会図書館運営の近代デジタルライブラリーの検索による。おそらく高畠素之の回顧録と思われる。
-「犬養内閣に何を望むか(百名士回答)」『政界往来-Political jounral』(政界往来社)3巻2号42頁(1932年2月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「日本のメーデー」『政界往来-Political jounral』(政界往来社)3巻5号32頁(1932年5月)に収録(未確認)。・・・国立国会図書館運営の国立国会図書館サーチの検索による。
-「片山潜君の思ひ出」『人物評論』(人物評論社)1年10号23頁(昭和8年(1933年)12月号)に収録。・・・著者名義は山崎となっているが、文末に「文責在記者」とあるので未公表。
-「立禁判例集(?)」「借家事件の大審院指定判例集」「小作問題判例集」いずれも『無産者法律』(号数不明)に収録(未確認)・・・「明治・大正・昭和前期雑誌記事索引集成」による。
-「発刊に際して」『借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)1号1頁(昭和22年(1947年)4月11日発行)に収録。・・・全国借地借家人同盟の機関紙への発刊挨拶の会長寄稿文。全借同の性格として、この団体は政治団体ではなく経済団体であること、特定の政党を支持するものではなく政党の指示不支持参加不参加は絶対に自由であるべきであること、裁判事件は弁護士に一任し事件屋集団に転落すべきではないこと、無理な不当要求はとりあげないことの意見を述べている。会長就任の挨拶として「一旦其の任に当つた以上条件のロボツトを信条として、衆ぎに之れ服し敢て異をたてず私をもうけず、只管同盟の隆興発展ボスと鴨と顔との発展防止に身を捧げ、萬一不明朗や不ゆ快の事で厭気がさし到底辛棒しきれずと見極めたら最後、任期に構はずサツサと身をひく」と書いている。(注1)
-「免災全国家屋の解放論」『全国借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)2号2頁(昭和22年(1947年)4月21日発行)に収録。・・・毎日新聞への投稿文([[免災財産共用(免災財産を収用せよ)]])の転載。(注1)
-「広告」『全国借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)3号1頁(昭和22年(1947年)5月1日発行)に収録。・・・近況報告及び新しく開設した法律事務所の移転広告。(注1)
-「第二回全国大会に直面して」『借地借家新聞』(全国借地借家人同盟)5号1頁(昭和22年(1947年)10月1日発行)に収録。・・・全国借地借家人同盟の機関紙への全借同一周年記念の会長寄稿文。近況として毎日阿佐ヶ谷から新橋まで通っていること、同盟の活動として県支部約二十、新橋に事務所も設けることができたこと、及び罹災都市借地借家臨時処理法一年延期その他の改正運動に成功したことを同盟及び会員諸君に感謝すること、同盟のこれからの活動は若い活動的の人々によって政治的に遂行されなければならないため規約の一部改正を提案すること、同盟の拡大強化が必要であること、国民大衆への宣伝教育が必要であること、借地借家調停の委員は三分の二以上も借地借家人の代表者から選出すべきであるとの声は民主主義法律後の各種委員選出方法と比べてみても道理であること、自身の「広告」として、大会前日に古稀祝賀演芸会をやる筈であったが会場の都合がつかず中止になったこと、盟友の杉並区長新居格の好意で「杉並区法律顧問嘱託」として杉並区区長公舎に転入したこと、毎週日曜日は同自宅で区民のため人事法律無料相談をしていること、を書いている。(注1)
-「朴烈事件の真相(その一)-実説大逆事件三代記(第四回)-」(1947年)・・・雑誌『真相』(人民社)12号に掲載される予定であったが、GHQの検閲(もしくは検閲による自粛)により掲載されることのなかった幻の連載である。大逆事件の一つである朴烈事件を題材とし、被告人朴烈、金子ふみ子の書翰、供述調書の概要、判決書などを掲載している。(注2)(注3)
-「公私の愉快話」『日米ガイド』(日米ガイド社)13号5頁(昭和23年(1948年)1月1日発行)に収録。・・・新年あいさつ。全国借地借家人同盟の当局への働きかけにより借地借家人側からも調停委員に多数就任することになったこと、「全国同盟主催片山首相、松岡議長、近藤総長外約三百名の年少友人の発起」で、「私の人生生活満七十年、法律生活満五十年、社会運動並に弁護士生活満四十年の古希祝賀大演芸会」を明治大学記念講堂で12月27日に開催してもらえることになったこと、を公私の愉快話としてあげている。(注2)(注4)
-「訪問記・第42回・山崎今朝彌氏」『自由と正義』4巻6号29頁(昭和28年(1953年)6月1日発行)に収録。・・・山崎に対するインタビュー記事。
-「身辺雑記」『東京弁護士会報』(昭和28年(1953年)12月号)に収録(未確認)
(注1)本情報については、国立国会図書館憲政資料室の所管資料プランゲ文庫収録の『借地借家新聞』(資料番号:VH3-Sha16)を参照させて頂いた。
(注2)本情報については、占領期メディア データベース化 プロジェクト委員会(代表・山本武利)作成「占領期新聞・雑誌記事情報データベース」を参照させて頂いた。
(注3)本情報については、国立国会図書館憲政資料室の所管資料プランゲ文庫収録の『真相』(資料番号:VH1-S1719 )を参照させて頂いた。
(注4)本情報については、国立国会図書館憲政資料室の所管資料プランゲ文庫収録の『日米ガイド』(資料番号:VH1-N216 )を参照させて頂いた。
2013-10-19T20:31:29+09:00
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序
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/345.html
序
本書の著者皆川君は、僕のことを川柳の文句ではなく本当に先生々々といつてゐるが、僕の方が皆川君の人格から多くのことを学んで、僕が皆川君を先生といはねばならぬ関係にある。
皆川君は弱いといへば弱過るかも知れぬ。温和しいといへば温和し過るかも知れぬ。が、清濁併せ呑むといふやうな志士風の味とはまた異つた別の味で、其の度量の広い、其の心持の大きい、面と対つても陰へ廻つても、人の悪口とか、辛辣の厭味とかを一つ言はず、どんな人とも朗かに交際し、どんな人の良いところでも気持よく受け容れる、あの優しい、収容力の広大な点は流石、高山君と二人で総連合の本部を背負つて立つてる人だと、僕は常に敬服してゐる。
文は人也といふ文章の憲法があるさうだが、皆川君の文こそ実に皆川君そつくりだ。勿論機械工皆川君の書いたものに、学者や学究やインテリの書いたもののやうに、六ヶ敷しい議論やイデオロギー、未解難解の字句章句、憲法附会の理論闘争のある筈はないが、純粋労働者出身のセミインテリが一般に書く、矢鱈に難しい屁理屈迚もギコチない綴り方、何となく舌足らずの言廻し、バカに気障な識つたか振りも少しもなく、何も彼も善く良く、表面正面を素直に観て素直に書くのが皆川君の文章である。
僕はまだ本著の書名を知らないが、ゲラ刷りで目次を見ると其の内容は、昨年皆川君が労働顧問として労働総会に出席した其の報告書兼労働総会論らしい。矢張りゲラ刷りでところところを飛び飛び読んでみるに文章は確かに前述皆川君の文である。
思ふに本著は本書の性質上、主として総連合関係の人にのみ読まれ、遠慮深い著者皆川君は又之れを以て足れりとするであらうが、僕は本書を通して皆川君を知りたい人、皆川君を通して総連合が労働総会に対してドンナ考を持つてゐるかを知りたい人、各方面の労働総会に対する認識が極度に紛雑混乱する此際、特に、労働階級は之れに対して如何なる対策を執るべきかを研究したい人に本書を奨めたい。本書はこの種の類書中、必らず嶄然一頭地を抜いてることを信ずる。僕も数日後本書が愈々出版となつたら必らず一本を購つて、熟読玩味よく研究したいと思つてゐる。
山崎今朝彌
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。>
<底本は、皆川利吉著『国際労働会議の話』(日本労働組合総連合東京連合会出版部)、昭和8年(1933年)4月15日発行>
2012-06-25T23:56:09+09:00
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久板卯之助君を偲ぶ
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/344.html
久板卯之助君を偲ぶ
山崎今朝彌
久板君の事が何か書いてないかと山崎伯爵疳作集『弁護士大安売』を出して見たら、日比谷警察人権蹂躙訴状の項に告訴人久板卯之助、望月桂、告訴代理人山崎今朝彌、被告人日比谷警察署長警視、増田傳次郎外大勢、傷害罪の告訴として、コンナ一節があつた。
一、大正九年十二月十日は日本社会主義同盟の創立大会当日なりしを以て、頑迷乱暴市内に冠たる日比谷署は猥りに政府の意を忖度迎合し独り其功を専らにせんと欲し云云九日夜十一時頃被告等に取押へられ途中打たれ殴られ蹴られ踏まれて云云此際被告増田は自宅にて大杯を傾け僕婢妻妾を相手に大に天下を論じ形勢を語り独り悦に入りしならんか、告訴人等の新入を聞き直に出署、酒気満面望月の居城に侵入し云云十数名の巡査と共に約七八分間目茶苦茶に打擲殴打し別紙の如く負傷して遂に人事不省に陥りたり。
二、平素温厚柔和羊の如く神の如き告訴人久板は隣室に在て被告等の乱暴を目撃し、激憤の極血相を変へ怒髪悉く逆立して狂ひ出し、天地も崩れん計りの大音声にて、『増田!野郎殴つたな!!!』と絶叫したるに、増田は酔尚醒めず部下を引率して今度は久板の房に進入し、飽くまで抵抗する久板を死物狂にて廊下に引ずり出し多勢を恃んで遂に重傷を与へて気絶せしめ漸く抵抗を止め得たり。
三、若し本件が三井三菱にあらず富豪官憲にあらざるが故に之れを不問に附すとせば司法権の独立もあつたものにあらず、 <空白> 現に今回の被害者は皆直接自救、チツトにタツトを高調し告訴代理人を信用して法律の正義と裁判の公平とを信じたるは只本件の二人のみ、希くは一切の情実を排し涙を揮て法を執り告訴代理人をして先見の明を誇らしむるなからむ事を。
原稿一枚の約束がイヤに長くなつた。時と場合で仕方がない。服部濱治君は今でもアノ時の久板の怒り方を思ひ出せばコワクなると云つてる。久板君は何も言はなかつたが、見た人は皆、久板は確かにアノ時死ぬ覚悟であつたに相違ないと言つた。久板君がモシ凍死しなかつたとしても、其後の形勢と久板君の性質からすれば、久板君は地震前に三四度地震後に二三回は必らず死んだに相違ない、黙々として只喜び、簡単として只働き、求めず、貪らず、平和を愛して人と争はず、怒らず、恨まず、誇らず、威ばらず、饒舌らず、出シヤ張らず、只金鉄の如き強固の意思と、烈火の如く熱烈なる信念とを以て行動する久板君を偲ぶときは、僕は必らずホーラの小説に出てくる一テロリストと神様とを思ひ出す。久板君を知つてる誰もが、久板は久板の如く死し、高尾は高尾の如し、大杉は大杉の如く死んだと云ふ、僕も神様の久板君は成程神様の如く凍死したと思ふ。併し久板君は神様ばかりではなかつた。地震の際まで生き延びて居たとしても命からがら逃げ来る鮮人をカバはずに居られたらうか、殆んど狂乱して一層血相を変へ「不逞」鮮人を「虐殺」から救ふあの神の如きアナキストの如き顔形を見た「大和民族」が、どうして久板君を見逃さうか。高尾が死んだ、平澤が死んだ河合が死んだ、労働者が死んだ主義者が死んだ、女が死んだ子供が死んだ、久板君がナンでアンカンポンカンと死なずに居れようか。僕は久板君が久板君らしく死ななかつたことを遺憾に思ふ(十四、一、十一)
<以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。>
<旧仮名遣いはそのままとし、踊りは修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。>
<底本は、『高尾平兵衛・久板卯之助追憶全集(民衆運動)』(ピー・アール社)第2巻第2号45頁(大正14年(1925年)2月1日発行)>
2011-09-03T20:12:41+09:00
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『弁護士大安売』の新聞広告
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/343.html
『弁護士大安売』の新聞広告
大杉栄主幹にかかる『労働運動』第6号(大正11年8月1日発行)12頁に山崎の著書である『弁護士大安売』の広告が掲載されているので下記に転載する。
全面広告ページのうちの四分の一面広告であり、同サイズ内に、下記のとおり平民法律所の広告と一緒に掲載されている。同ページには、『弁護士大安売』の広告の他に、凡人社による吉田只次著『貧乏人根絶論』の広告、三越呉服店の広告、星製薬株式会社のホシ胃腸薬の広告がそれぞれ掲載されている。
広告文句は下記のとおり諧謔に富んでおり、山崎の作であるかもしれない。また、平民法律所の下記広告について、山崎は『山崎伯爵創作集』収録の「我輩の懲戒問題」の中で、「入獄で赤化した自分の経験を以て、僕を頻りに赤化しようと企んだ者があつた。同時に殆んど全部の赤色新聞雑誌に左の広告が載つた。(中略)この悪戯者は、これを以て尚飽き足れりとせず、百尺竿頭一歩を進んで、此広告を切り抜いたり、いろんな事を書いたりして裁判所へ送り、以て検事局を挑発したらしい。」([[3.27・チツトにタント、テロリとケロリ・其後の近況と法律萬能主義]])と、あたかも第三者が勝手に平民法律所の広告を出稿したように述べているが、『弁護士大安売』の広告と一緒に四分の一面広告となっている体裁から推測すると、この平民法律所の広告も、やはり山崎本人が出稿した広告ではないかと思われる。
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◇米国伯爵 山崎今朝彌疳作
[辯護士大安賣]
定価驚勿金壱円八十銭 送料二十銭
□一見頗る不真面目ながら、頗る真面目に職業を営業化し、営業を道楽化し、道楽を却て営業化するは本書の著者なり。
□興味津々、一夜に読了、直ちに法律のウン奥を極め、裁判のベラ棒を知り、反抗の哲理を会得し、傍ら被告術学を卒業する者は本書の読者なり。
□皮肉の筆を以て痛快に公平なる法律の不公平を指摘し、謹厳なる裁判の茶番を憤慨し、頻りに之れを利用善導するは本書なり。
□本書は読むべからず、革命は説くべからず、逆謀は企つべからず、反抗復讐は絶対に禁物なり。
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発行所 東京芝区新桜田町十九振替東京三一三七〇番 独立平民大学
取次所 東京本郷駒込片町十五振替東京五一三六〇番 労働運動社
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今般所長の懲戒休暇を利用し一般法律事務特に社会労働思想問題に関係ある事件を専門に取扱ふ
芝区新桜田町十九番地
平民法律所
電話銀座二〇七七番
弁護士法律博士 山崎今朝彌
弁護士ドクトル 徳田球一
弁護士弁理士 藤原繁夫
弁護士法学士 細迫兼光
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<底本は『労働運動、大杉栄・主幹無政府主義新聞、第一次より第四次完全復刻』(黒色戦線社)258頁、底本の親本は、『労働運動』(労働運動社)第6号12頁。大正11年(1922年)8月1日発行>
2011-09-03T20:12:01+09:00
1315048321
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被告欧打事件
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/59.html
被告殴打事件
拝啓 十一日公判の[甲野]事件十日早朝本人態々出京候、貴殿に送候一点限の趣意書の控と到底駄目の意見書とは持参候、帰阪を勧候処帰らず候、翌朝又来候、花見を勧候処応ぜず候、裁判所へ同行候、面白い控訴院の刑事傍聴を勧候処聞かず候、折角故私も出廷候、[甲野]は傍聴候、長弁論の次が私の番で候、書面通りに候、直ぐ記録閲覧室に帰候、間もなく給仕が控室迄と呼に来候、参り候[甲野]が泣候、叫候、私に喰て掛り候、私も怒候、私の拳と[甲野]の頬とが衝突候、私は再び閲覧室へ戻候、聞けば[甲野]は私が法廷を退くや否傍聴席に突立上り、私が一言も弁論せぬと泣出し、猛り出し狂ひ出し、判事の命で廷丁が漸く廷外へ連出したとの事に候、廷外でも尚泣騒ぐ故給仕が私に賺かして貰ふ為め呼に来たとの事に候。
考へれば気の毒でした、面倒がらず上告の性質を説明すれば宜かつたのです、磯部博士の事として人口に噲灸してる如く、拇指で後方を指し、残の四指と目で裁判長に語り、弁論をすれば宜かつたのです、廷外に待たし、第一番に頭を下げ、見えぬ故弁論を済まして仕舞ふたと云ふ習慣法に倣へば宜かつたのです。此事実を見聞した大概の人は、私に対して之が一の気の毒の事実であつたかの如く思ふてます、此事の直後他の廷丁は私に、新潟の松井弁護士と共に出廷した時、趣意書も弁論も簡単明瞭でよいと部長が賞めていました、弁論には出ぬでもよいと云ひました、と語りました、裁判所も亦気の毒だつたと思ふてるのかも知れません、併し私は之を面白かつた愉快だつたとこそ思へ、自分が不名誉だつたとも厭な思をしたとも思ひません、只[甲野]が遂了解せずに終るかと其のみが気の毒でなりません、貴殿から何卒其辺を納得する様説明して頂き度いのです、何時か書かうと思ふてましたから、丁度此末節を利用して、之を書いたのです。
四月卅日 山崎
天野弁護士 殿
<[ ]内仮名>
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
2010-01-29T11:34:33+09:00
1264732473
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『山崎伯爵創作集』
https://w.atwiki.jp/forsale-lawyer/pages/291.html
『山崎伯爵創作集』(Yamazaki hakushaku sousaku shu / The Earl Yamazaki fiction collection)
[[3.00・凡例]]
[[3.01・序]]
[[3.02・地震、流言、火事、暴徒]]
[[3.03・露国討つ可し、日本べからず・露国飢饉救済金募集趣旨書]]
[[3.04・大庭君を殺した者は誰か]]
[[3.05・自から不良老年となつて]]
[[3.06・社会葬・高尾君の思出]]
[[3.07・外二名及大杉君の思出]]
[[3.08・平澤計七君を憶ひて]]
[[3.09・朝鮮問題の問答集・選外壱等]]
[[3.10・罰の跋]]
[[3.11・偉大なる低能]]
[[3.12・革命の宣言(但来年より)・社会運動通信・革命来る(但本誌に)]]
[[3.13・司法官心理]]
[[3.14・裁判の正体]]
[[3.15・前編終り]]
[[3.16・本編・無料事件依頼状]]
[[3.17・我輩の問題]]
[[3.18・問題となるまで]]
[[3.19・判決(大正十一年(れ)九九号)・劃時代的の判決]]
[[3.20・懲戒裁判開始決定]]
[[3.21・新聞記事]]
[[3.22・心機一転又再転]]
[[3.23・忌避の申請・忌避申請の決定・上申書・山崎氏の忌避申請却下されて抗告・大審院の決定書(大正十一年(な)第二号)]]
[[3.24・期日進行再度上申書・懲戒裁判所の判決(第一審東京控訴院)]]
[[3.25・忌避から判決まで・書記課への抗議・控訴状・控訴取下書・日記秘第四五号秘号]]
[[3.26・大団円]]
[[3.27・チツトにタント、テロリとケロリ・其後の近況と法律萬能主義]]
[[3.28・訛伝正伝]]
[[3.29・奥付]]
2010-01-22T09:22:38+09:00
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