危険人物の弁解にあらず


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危険人物の弁解にあらず
 明治四十何年か、大逆事件頃、一方僕は甲府で三百円余も貯めて東京は帝都の真只中、銀座大通裏へ移転した。巣拵へが出来ぬ前に隣家へ交番所が出来上つたには少からず驚いたが、何却つて愉快を感じた。
 其後事件の話は益々拡大する、一日偶六法全書を見ると刑法第七十三条には危害を加へんとしたる者は死刑に処すとある。甲府検事局で諏訪の秘密結社事件と僕及び新村忠雄の関係、新村忠雄が途中僕の処に泊まつた事等取調べられた事が浮び出す、其以来警察の活動状態は遂日本の生糸王片倉兼太郞翁をして、ナーニ、今朝彌なら金の番の外出来るもんジヤー、ねーに、役人ニヤー、人は使へねーナー、と嘆せしめたと謂ふ事に思ひ付く、流石平素官僚裁判の危険を信用する僕丈に、一時に氷の中へ突落され首丈冷蔵庫へ入れられた様にヒヤリとし、我知らず手で頭を撫でて見た。若しあの時新村が僕に一言何か話したら如何。逆謀を告げらるるに会ふも敢て之を拒まずと云ふ同一判決文になるは、陪審なき官僚裁判当然の帰結である。併し優れて臆病の僕だが持前の意地張を廃めて弁解をする勇気は出なかつた。
 然るに其後明治大正年間日本社会党を届出で自ら総裁となり原敬、加藤高明、犬養毅等に総裁会議の招集状迄出して見たが結社には解散も禁止もなく会議には政府も政党もテンデ相手にせず、大臣等も白昼公然日本に社会党なる政社も結社もなしと声言し、警視庁にも遂見限られたる今日の身分となる迄には色々ベラ棒の面白い話があるが行数終り。
<山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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