月報の原理

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月報の原理           山崎今朝彌  大正三年九月六日は、起つか転ぶか久しく法曹界の疑問であつた我組合の一周年後第一日曜日だと云ふので、事務員は高尾山に祝賀遠遊会を、組合一家一同は大森に記念室遊会を開いた、家族の少ないのと他人の庭が広いのと無料の眺望が多いのとが取柄とあつて我輩の処が会場に指定され、昼は望翠楼の西洋料理晩は松浅の日本料理余興には赤星夫婦の和洋音楽ありて別に不服の有らふ道理はなけれど、家憲とあつて、酒山門に入るを許さざりしは蓋し玉にきず、本誌は則ち即席動議として成立したるものである、法曹三千得意七千を目的とし一萬部発行の段迄は滞りなく進行したが題号となつて中々埒明かず夜を越へ日を過しても遂纏らず、我輩の萬世不易永代無料は真逆金を出して購読する物好きもあるまいからとの平凡の考なりしも山崎式だの一言でテンデ相手にせず、外国種の生命財産古酒新肴御手製の東京法律野声あを石野の声各位の賛成を得ず、十日迄に極らなければと云ふ条件と十一日と云ふ時効とに因て漸く毒にも薬にもの月報と命名が出来た題号に就ては中々譲らなかつた諸君編集に関しては互に謙譲するので来月号よりは毎月替り吉田、田阪、山崎、阿保、佐々木のいろは順でやり本月創刊号は組合つての編集、甘いが羊羹の内容は無くとも早いが賞翫を目的とし廿日迄には必ず出すことに一致した。併せて以て発刊の辞に準用す。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。> <底本は、東京法律事務所『月報』第1号1頁、大正3年(1914年)9月20日号>

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