「法治国」新聞紙法違反被告事件

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「法治国」新聞紙法違反被告事件  『法治国』は山崎が一時期在籍していた東京法律事務所の機関誌である。  『法治国』1918年9月号に掲載された荒畑勝三(寒村)氏の「大正聖代の一揆」と題する記事が新聞紙法第41条(安寧秩序紊乱)に触れるとして、荒畑、編集発行人たる長野国助(東京法律事務所の事務員、のち弁護士、日弁連会長)、及び小松利兵衛(同事務所の事務員)の3人が起訴されるという事件が起きた。この記事は1918年に起きたいわゆる米騒動について述べた記事であり、同月号は米騒動について特集した号であった。  この記事は、長野国助「我が法廷の記(1)」『判例時報』(345号2頁)、及び「長野国助」伝刊行会編『長野国助』(1976年)91頁に全文収録されている。  この事件の弁護人は48名もの大弁護団であり、山崎も弁護人の1人として参加している。[[法治国秩序紊乱事件弁論要旨]]はこの事件の第一審における山崎の弁論要旨である。  山崎は本件が有罪ならば内田魯庵や与謝野晶子、福田徳三は本件記事より穏当でない記事を発表しているから同罪である。したがって、彼らを告発するとして告発状(案)を朗読するという「奇妙な弁論」(森長英三郎)をした。  この弁論は法的にみれば、スピード違反のねずみ捕りに捕まった運転手が、なぜ他の運転手も捕まえないのかと弁解したところで反則金を免れないのと同じことであって、いわば無意味な弁論である。しかし、本件記事が著名人によって有力雑誌に掲載されていたならば不問とされていたはずであるという論旨は、我々の常識に合致した名弁論というべきだろう。後の公訴権濫用論(不平等起訴)の先駆けといえるかもしれない。  なお、本事件は、第一審(判決年月日1919年3月7日)、控訴審(判決年月日1919年10月21日)とも無罪であったが、上告審(判決年月日1920年5月18日)は逆転有罪判決となった。この上告審判決は『法律新聞』1705号22頁、長野国助「我が法廷の記(3)」『判例時報』(348号6頁)に掲載されている([[「法治国」事件上告審判決]])。  以上については、長野国助「我が法廷の記(1)~(3)」『判例時報』(判例時報社、345、347、348号)、森長英三郎「「法治国」発禁事件」『史談裁判第三集』(日本評論社、1972年)96頁、「長野国助」伝刊行会編『長野国助』(1976年)87頁を参考にした。

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