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216 ごめん、どうしても萌えたんだ

 都内のオフィス街に位置する蕎麦屋は昼にはスーツ姿の男女で埋まる。
 熱い掛け蕎麦を啜りながら、私は向かいに座る上司を見る。
社会人野球で鍛えたがっしりとした身体は黒のスーツに良く似合う。黒々とした短髪に浅黒い男らしい顔つきと傍から見てもいい男だと思う。
しかし気が弱い性格なためか、彼のミスを問うたりするとその顔で涙を浮かべる。
 そんな彼は最後まで取っておいたきつね蕎麦のお揚げを箸で掴むと口元を緩ませていた。
 ふと、来月に控えた出張の事を思い出す。
「柳川さん」
「ん、どうした?」
 最後まで食べ終えた彼は満足そうにため息をつくとお茶を啜る。
「出張で泊まる宿は、露天風呂に浴衣付きで、料理をオプションで頼めるようにしませんか?」
 その提案に対して、何故か慌てふためいた。ついでにお茶をテーブルに零した。いつものことなので黙っておてふきで拭う。
「ろ、露天風呂に浴衣!?」
「新潟でしたらいい所を知ってますけど……どうしましたか?」
「あ、あのなっ、そういうのってセクハラじゃないか!?」
 セクハラという言葉に周りの男性陣が一瞬飛び上がる。会社で苦労してるんだろうなあと余計なことを考えた。さておき、目の前の上司の発言につい眉を潜める。
「面白い冗談ですね。……何かご不満でも?」
 最後は怒気を含ませた口調になってしまい、えぐと上司が涙ぐむ。
「だ、だって……」
「だっても何もないでしょう? 私と相部屋になるだけですし、会社から予算も降りるんですからちょっと位いいじゃないですか」
「い、いや……君とってのが……」
 じろりと睨み付ける。何が嫌なのだろう、他の社員の前ではこうやって怯えたり、涙ぐむことは滅多にないはずなのだが。今も泣いたと思えば顔を赤くしている。
「特に理由がないなら、今日中に決めますよ。ほら、そろそろ昼休みも終わりますよ」
 彼を促して清算を済ます。会社に戻るまで彼は、
「浴衣……か」
 と上の空で呟いていた。