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こんなはずじゃなかった

こんなはずじゃなかった。
大学の先輩から紹介された、ある政治団体の運転手のバイトをしていただけのに。
俺の手に握られているものは何だ?
目の前に倒れているのは、いつもテレビやポスターで薄笑いを浮かべていた政治家か?
俺が、拳銃で、撃ち殺したのか?

そうだ、今日もいつも通り街頭で騒ぐだけの『団体活動』に運転手として同行していた俺は、いつもより物々しい警備隊の雰囲気に違和感を感じていたんだ。
『団体活動』が佳境に差し掛かったころ、あの政治家が現れて、対抗演説のようなことを始めたんだったか。おそらく今度行われる選挙へのパフォーマンスだろう。
団体も、もともと政治家の登場は折込み済みだったのだろう、いつもより過激な論調に加え団体員にガス銃を持たせて威嚇しているようだった。
そして予定調和のように警備隊が雪崩込んできて…、いつの間にか俺の手の中にあった拳銃が、暴発したんだ。
バキューンなんて擬音はではなかった、ただダン、と鈍い音が響いて、俺の手首に衝撃が走った。

『これは戦後最大の…政治テロであり…現代の二・二六とも言える…』
途切れ途切れに聞こえて来るラジオの音源は、俺の起こしたらしい事件を止むことなく伝えている。国家の威信にかかわる事件なのだから当たり前だろう。
そして国民の誰もが犯人の死亡を信じているに違いない。国家を敵に回した一大学生が生きているはずが無いのだ。
しかし、俺は生きていた。
あの混乱の中、誰かに強く腕を引かれるまま闇雲に走り車に乗り、どこへ行くとも知れない大型船の底に乗せられたのだ。
その間俺の腕をずっと握っているこいつは誰だ。見たところ日本人か中国人か、東アジア系の顔立ちだ。
「国賊がのんきなものだな」
ふいに彼が流暢な日本語で話した事に驚き、不躾なまでにまじまじと相手を眺めてしまう。
「まだ実感が沸いてないのか?お前は、あの国の60年にわたる平穏を打ち抜いた、国賊なんだぞ?」
「こくぞくこくぞく言われても訳わかんねぇよ、お前はゴキブリを油で焼いた奴を皿に盛って出されて料理と認識できるか?そんなレベルの話なんだよ」
おめでたいことだ、と彼はため息を吐くと俺がまだ握っていた拳銃を奪い、標準をこちらに向けた。
「お前はありとあらゆる団体や国の思惑が重なった上にいたかわいそうなかわいそうな鉄砲玉だ。この拳銃を発射させるための装置に過ぎなかった」
外は時化ているのだろう。通常であれば一発で酔っていたに違いない縦揺れと横揺れが周囲の貨物をきしませている。
もとより照明は裸電球ひとつで、その暗さと揺れの中でも泰然としなおかつ銃口をぶれさせない彼は、素人の俺にも何か特殊な訓練を受けた人物であることが解った。
「ああ、じゃあ殺してくれ。何もかも現実味が無いうちに死なせてくれ」
「駄目だ」
拳銃を掲げたまま、彼は酷薄にしかし心底楽しそうに笑う。
「私も、大罪を犯して逃げている。一人では楽しくないからな、お前も道連れだ」
「いざというときの身代わりと楯、それに国家や権力に対する大きな切り札を手に入れた、と」
俺が一息にそういうと、彼は驚いたようにひゅうと口笛を吹き手を下ろした。
そして、音も無く左手と差し出してくる。
「日本人の大学生にしては使えそうな奴じゃないか、人質から相棒に格上げしてやる。俺の名前は李だ」
「そりゃどうも、まだ何もかもに現実味がねぇから冷静なだけだがな。俺の名前ぐらい知ってんだろ」
「私は名を名乗った、お前も名乗れ。それが礼儀だ」
意を決して差し出された手を握り、李と握手を交わす。思ったよりしなやかで無骨なところの無い手だった。
「俺は、アイダだ」
「明白、請多関照、アイダ」

これから、俺はこの李とどこまで行くのだろうか。
何度、こんなはずじゃなかったと普通の日本人的生活を懐かしむのだろうか。
腕時計を確認して、たった6時間前とのあまりにも深い断絶に俺は首を垂れた。