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手袋

「なあ、頼むよ。この通り」
「頼むよってったってなあ……」

俺は困り果てた。
目の前には、フローリングに頭をこすり付けんばかりに懇願してくる男やもめがいる。
美人だった奥さんに先立たれて5年、当時産まれたばかりだった息子を抱えて
こいつは今まで本当に良くやってきたと思う。奴とは学生時代からの親友で、
そんな事になってから俺も出来ることがあれば今まで協力はしてきたし、
これからも望まれるならいつだって力になってやるつもりだ。
しかしこれは。

「頼む。俺、編み物できる知り合いなんかお前しかいないんだ」
「出来るって言ったって、俺も素人に毛が生えたようなもんだぞ……
 それに、そんなやり方でいいのかよ」

事の発端はこうだった。
奴が目の中に入れても痛くないほど可愛がっている一粒種が、
幼稚園で手編みの手袋を友達から自慢されたのだそうだ。
甲の部分にアニメキャラクターのワッペンをつけたどこにも売っていない手袋は、
小さな子供にとってよほど魅力的だったのだろう。そしてその日の晩から、
「どうしてうちにはお母さんがいないの」「僕もお母さんのてぶくろがほしい」という
こいつが最も恐れていた事態に陥ってしまった。
そろそろ考えなくちゃいけないってことは分かってたんだ、とこいつは言う。
幼稚園や小学校に進むにつれ、自分の家庭が周囲と違っていることに息子はやがて気がつくだろう。
その時、片親はなんと答えるか。非常に難しい問題だった。
そして今ようやく幼稚園を卒業しようとしている息子に真実を、「死」を説明しても、
彼には理解できないだろう。もっと色んな経験をつみ、色んなものを見て
自分なりの理解が出来る歳になるまで言わずにおきたいのだそうだ。
その気持ちは分かる。

そして、お母さんは今近くにはいないけれども、お前を大切に思っているんだよと。
その証拠に手編みの手袋を渡してやりたいんだそうだ。
何度も言うが、気持ちは分からないでもない。だがこんな生半可な嘘をついて、
大きくなったときに逆に傷つきやしないかと俺は心配なんだ。
「だって、俺アホだから、こんな方法しか思いつかないんだよ。
 あいつに寂しい思いなんかこれっぽっちもさせたくない。だから頼む!」
「…………」

ほとんど半泣きで訴えてくる情けない親友の顔を見て、俺もなんだか情けない気持ちになった。

「……なあ、勘違いすんじゃねえぞ。たとえ俺が手袋を編んだとしてだな、
 お前がそれをお母さんからだよって言って渡したら
 その時点で偽物の愛情をあいつに与える事になるんじゃないのか。
 お前はあの子に偽者をやっていいのかよ。俺はやだね。
 それならぶすくれて駄々こねられた方がよっぽどいい」
「……お前…………」
「わかったか」
「……わかった。うん。俺ちょっと、周りが見えなくなってたみたいだな……
 悪かった。もう手袋編めなんて言わないから」
「バカ、誰が編まねえって言った」
「え?」

翌日、青や水色の毛糸とキャラクターのワッペンを山ほど持って訪れた俺に
昨日はぶすくれてリンゴのようだった坊主はうって変わって興奮しきりだった。
毛糸の色もワッペンも好きに選ばせて、目の前で小さな手袋を編み上げてやると
飛び上がって喜び、まだ片方しかないそれをはめて家中を駆け回る。

「ほら見ろ。変にひねくれたことするより、こういうのが一番だって」
「なるほどなあ。うん、母親がいなくたって、お前がこんなに愛情注いでくれるんだもんな。
 寂しがってる暇なんてないか。
 ……それにしてもお前、あれだな、これは今流行のツンデレって奴か」
「だいぶ流行から遅れてるぞ。いいから転んで流血しないようにちゃんと見とけ」
「らじゃ」

見るどころか、一緒くたになってはしゃぎ始める親子の歓声を聞きながら
俺はもう片方の手袋を仕上げてしまうと、また同じ色の毛糸を編み棒に巻きつけた。
幅はさっき作ったのの3倍。こっちには白いポンポンを付けてやろうとほくそ笑む。