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与える男

ずるい、と思った。

ずっと前から友達だった。付き合う前にも喧嘩したことはあった。
でも、互いの気持ちが通じ合って、付き合うことになってからは初めての喧嘩だった。
だから勝手がわからなくて、混乱して、いつの間にかあいつの前から逃げ出していた。

だって、ああやって怒る顔なんて、前から知っていたのに。
あいつが悪い、いつも俺を甘やかすあいつが、あんな顔するのが悪い。

走りつかれて立ち止まる、いつの間にか視界は涙で滲んでいた。
それを拭って、鼻水が止まらなくて、何でこんな悲しいのかわからないままずびずびと鼻を啜る。
ティッシュは鞄の中で、でももちろん鞄なんてどっかに放り投げたままで、途方に暮れて立ち竦む。
すると背後から聞こえて来たのは騒々しい足音。

振り返って確認すればさっきまで喧嘩していたあいつで、条件反射のように走りだす。
でも足の長さも回転数も違う、俺より足の速いあいつに勝てる筈なんてなくて。
すぐ捕まって、その腕の中に抱きこまれた。


耳元で、荒い呼吸が聞こえる。心臓が騒々しく音を立てる。
こいつの口から何か悪い言葉が飛び出すんじゃないかと思うととても怖くて、
ただただ腕の中で身を固くする。

言葉は、なかった。
ただただ馬鹿みたいに強い力でぎゅうぎゅうと抱きしめられて、肩口に額をぐりぐりと押し付けられる。
不意に空気が湿った様な気がして、こいつが泣いているのがわかって。
何も言葉は無い筈なのに、抱きしめられた腕から、押し付けられた額から、
感情が伝わってくる様な気がしてならなかった。

もう、怒りはどこにもなかった。
そんなもの、必死で走ってきたこいつの熱と涙で、溶かされて小さく消えてしまった。

ずるい、ずるいよお前。
お前を許したいと思って、お前に許してほしいと思う、
そんなどうしようもない衝動と切欠を同時に俺に与えるなんて。