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愛してはいけない人

「ご結婚、決まったそうですね。おめでとうございます」
仕事終わりの合図であるコーヒーに砂糖を2杯溶かし、社長室のシンプルな椅子に座るまだ年若い幼馴染に差し出す。
「それ、本気で言ってるのか」
いつもより低い声がかすかに震えているのが分かる。
「ええ、秘書として社長の幸せを喜ばしく思っていますよ」
「そうじゃない!」
縋るような目で見上げられる。
若くして父親の会社を継ぎ、毎日それなりの人数を動かしている男のものとは到底思えない情けない表情。
「好きだって、言っただろう」
「何のことです?」
「俺がずっと、学生の頃からお前が好きだと言ったとき、お前も俺が好きだと言ったはずだ」
「はい、言いましたね」
じゃあなんで、というような表情で僕を見上げる。なんて情けない。
そうか、僕の前では貴方の弱い部分も全部見せてください、なんてくだらない台詞を吐いたのも僕だっけ。
なぜだろう、笑いが込み上げてくる。
「そんな事、本気で信じていたんですか?」
「……え?」
「僕は仕事を失って途方に暮れているところを幼馴染である貴方に拾ってもらいました。貴方に逆らえるはずないでしょう」
彼の動きと表情が停止した。
頭の良い人だ。すぐに言葉の意味を理解してしまったのだろう。
「だって、ずっと一緒にいようって、結婚はできなくてもずっと一緒にいようって……」
まったく、この人は人間の頂点に立つにはとても純粋すぎる。
「正直、迷惑だったんです。僕が本気で男性を好きになるはずないでしょう」
自分がどれだけ冷たい目をしているのか容易に想像がつく。
彼は動きを止めたまま、光を失った目で宙を見ていた。

コンコン、と軽いノックの音が重苦しい空気を遮った。
僕は突然の来客の正体を確認し、部屋へと通す。
彼女は僕に丁寧に挨拶すると、そのやわらかい笑顔を彼に向けた。
「偶然近くを通ったので、貴裕さんも食事を一緒にと思って」
僕が視線で促すと彼は自嘲気味に笑って彼女の誘いを受ける。
本当に似合いの二人だ、と僕は思った。
彼女は申し分のない素敵な女性だ。また結婚することにより仕事も安定するだろう。
これで彼の幸せは保証される。そう彼の父に言われた。
「馬鹿だよな、本気で思ってた。お前に愛されてるだなんて」
去り際の彼の自嘲を含む、
「ごめんな、気づかなくて」
でもいつも通りの困ったような優しい笑顔は見えなかったことにした。
「今までありがとうな」
彼は、僕なんかが愛してはいけない人だったから。