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優しい復讐


その人の姿を庭先に見つけたとき、僕は自分が幻を見ているのだと思った。
まるでモデルのように均整のとれた体躯を仕立ての良いスーツを包んだその姿は、この田舎町にはあまりにも似つかわしくなくて現実離れしている。
けれどもそれは、6年前までは確かに僕のすぐ側に現実としてあったものだ。

「久しぶりだね」
少し低めの落ち着いた声とともに、その人は6年前と同じように僕の側まで来てしゃがんだ。
6年前はそうしてもらえば僕はその人と目線を合わせることが出来たけれども、
あの頃よりも背が伸びた今ではそうされると僕はその人を見下ろさなければならなかった。
僕と同じことに気が付いたのだろう。
その人は苦笑して立ち上がり、今度は僕が見下ろされることになった。

「……どうして」
どうしてここが分かったのか。
どうして僕がこの人の前から姿を消してから6年も経った今、ここに来たのか。
様々な疑問が頭の中に浮かんでいるのにそれだけしか口に出来なかった僕に、その人は6年前には一度も見たことのない、何か含むところのあるような微笑みを見せた。
「君に復讐しに来たんだよ」
「え……復讐?」
「そう、復讐だよ」
戸惑った声を上げた僕の目を見つめてその人は再び微笑んだ。
「まさか、忘れたわけではないよね。
 君が私の前から消えたあの日、君が私にしたことを」
言われた瞬間、あの日のことが脳裏に蘇り、僕は鏡を見なくても自分の耳が赤くなっていくのが分かった。

父の事業が失敗して、その日のうちに夜逃げ同然にあの高級住宅街の家を出るのだと聞かされた時、
僕が最後に会いたいと思ったのは、同じ小学校の友達ではなく、近所の優しい大学生のお兄さんだった。
お兄さんの家の前で彼の帰りを待っていた僕を見つけて、いつものようにしゃがんで僕と目線を合わせて「どうしたの」と聞いてくれたその人に、
僕は唇をぶつけるような勢いでキスをして、そのまま走って逃げ帰った。

幼い初恋とキスの思い出は、その後の辛い生活の中で僕の心の支えになってくれた。
けれどもそれはこの人にとっては、6年たった今になっても復讐したくなるような迷惑な行為だったのだろうか。
「あの日、君にくちづけされて、私は君に自分の浅ましい欲望を咎められたのだと思ったよ。
 私が幼い君にくちづけ、抱きしめ、君を自分のものにしてしまいたいという欲望を持っていることを利発な君に見透かされて、からかわれたのだと思った」
「え……」
その人の言葉に、僕は言葉を失う。
それではまるで、この人が小学生だった僕のことを好きだったと言っているみたいではないか。
「あの時、私がどれだけ悩んだか君に分かるかい?
 一晩眠らずに悩んだ末に、とにかく正直に自分の胸の内を話して謝ろうと決めて君の家を訪ねたら、そこにはもう、君たち家族はいなかった。
 だから私は、君の居所を探し出してこうして訪ねるまで、ずっとその悩みを抱えて苦しむことしか出来なかった」
そこまで話すと、その人は僕のあごに指を添えて顔を上げさせた。
6年前のあの時はまだ幼すぎて分からなかったが、高校生になった今、
その人の瞳の中に浮かんでいるものの意味が少しは分かる。
「だから、私は君に復讐しに来たんだ。
 あの時、君が私にしたのと同じように、君が私にしたいと思っていることを、代わりに私が君にしてあげよう。
 君が、私と同じように、悩んで苦しむようにね」
何かを含むような皮肉げな、そのくせどこか優しげな笑みを口元に浮かべながら、その人の顔が僕の方に近づいてくる。
誘われるように、僕は目を閉じる。

その人の復讐は確かに果たされたけれども、きっと僕は彼のように悩み苦しむことはないだろう。