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お兄ちゃんと呼ばないで


「やっほー。お邪魔するよー勉強教えてくれ」
「嫌だ」
要求を一言で拒否すると、ええ、と背後で大袈裟な声が上がった。
それでもそいつは出て行こうとはしないで、駆け寄ってきて俺の首にしがみつく。重い。
ノートに数式を書き付ける手を止めて、渋々俺は振り返った。
毎朝懸命に撫で付けている焦げ茶色の癖っ毛、愛嬌のある顔。亡母譲りで真っ黒けな硬い髪と、父親譲りで強面気味な俺とは全く違う。
「あのな、けーすけ。お前がテスト前ってことは俺もテスト前なの。人の面倒見てる暇ないんだよ」
「そう言わずにさー、頼むよおにーちゃん」
「おにーちゃん言うな、気色悪い」
「ひっでー。そういうこと言っちゃう?」
「言う。俺は憚らず言うね」
こんにゃろう、と圭介が俺の首に圧力をかける。
たまらず椅子から転げ落ちて、俺は圭介の腹に手をつく。ぐえ、と呻くのは完全に自業自得だ。
俺は椅子に戻りながら、本当にじゃれあう兄弟みたいになっているな、と溜息をついた。

俺の家は母親が居なくて、圭介の家は父親が居なくて、俺達は鍵っ子のご近所同士、昔から仲は良かった。
俺は三月生まれ、圭介は四月生まれ、学年は違えど殆ど年の変わらない友達同士、だった。
父親の再婚を知らされたのは俺が高校二年の時で、俺を追っかけるように同じ高校に入ってきた圭介が一年生の時で。多分互いの子供が高校生になるまでは、と待っていたんだろうと察した記憶がある。
――なー、俺とお前が兄弟だって。笑えるよなー。
最初、圭介はけらけらと、少し照れくさそうに笑っていた。
それから段々、ふざけ半分に、俺をお兄ちゃん、と呼ぶようになった。
本当は兄弟が欲しかったんだって。
俺を兄みたいに思っていたって。
俺はそんな風には、ずっと思えないでいたのに。

「……ぶーたれんな。しょうがねえな、どこだよ。見せろよ」
「やったね! さっすがお兄ちゃん」
お前がお兄ちゃん、って呼ぶ度に、ふざけ混じりな声が少しずつ自然になっていく。
少しずつ、俺達は『兄弟』になっていく。
それに焦りを感じながら、俺は兄貴みたいに義弟を甘やかす。だって、そうすると圭介が喜ぶから。
「テスト終わったら何かお礼する。何かよーきゅーはありますかね」
「んー……」
俺は圭介の教科書に目を落としながら、考える振りをした。
――お兄ちゃんって呼ぶなよ。
――昔みたいに、下の名前で呼び捨てろよ。
そんな言葉を飲み込んで、俺はありふれた言葉を吐き出す。
「学食奢れ」
「あ、やっぱり? 来月の小遣い入ってからで、いい?」
無邪気に笑う圭介の顔は、昔とちっとも変わらない。複雑な気持ちでそれを見遣って、いいよ、と俺は呟いた。