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この想いは墓まで持っていく


たった一度だけ、キスされたことがある。
酔っ払って眠った彼のベッドの上で、それは触れるだけで離れていった。
あの時の事を、あの後一度も聞いたりしなかったことを、無かったことにしたことを、俺は今でも後悔していない。
友人、親友と呼ぶ誰かにそれ以上を望むなんてありえないことだと思っていた。
特に、彼は優しい人だから、俺が望めば大抵のことは叶えてしまう。
喉が渇いたと駄々をこねれば苦笑しながら水を、疲れたと文句を言えば一度休むか、と手を止める。
他の知人に散々甘やかすなと言われていたくせに。
俺のどうしようもないワガママに付き合って、今まで何度となく災難を被ってきたくせに。
俺はそんな彼に、ありがとうの一言だって、上手く伝えられた試しがない。

優しく手を取って「好きだ」と言ったあの顔を覚えている。
いつものように笑って、それでも俺の手を取るその手が冷えて、少しこわばっていたのを知っている。
俺はいつもの軽口で、そんなの知ってるし、と答えた。
彼は違う、と言わなかった。
そうだな、と笑ったのだ。泣きそうな顔をして。
その時、俺の心臓がどれほど凍ったのか、彼は知らないだろう。
好意を子どもじみた甘えに隠して、もう何十年と腐れ縁と偽ってきたこの関係が、
いつかこんな形で終わるであろう事は、覚悟していた、はずだったのに。

女性らしい清潔さと柔らかそうな印象のカードには招待状、と書かれている。
俺はこれに、出席の文字に丸をして送り返さなければいけない。

細やかな気遣いの出来る人だと、この間酒を飲んだ友人が言っていた。
聞けば聞くほど俺とは正反対のその性格に、お似合いだな、と返したのは本心からだった。
優しさは、同等の愛情を返される相手に捧げるべきだと思う。
捻くれて歪んだものしか返せない相手ではなく。往来で手をつなぐことすらできない相手ではなく。
手をつなげばやさしく握り返してくれるような、そんな人に向けられるべきだと、そう思う。
言い訳なのはもうずっと前に気づいている。結局ただ臆病なのだ。
彼の告白を拒絶したあの時とは打って変わって熱く震える心臓を、何とかなだめて丸をつける。
明日には郵送しなければいけない、ずっと後回しにしていたけれど。

後悔はしていない。してはいけない。
あの日手ひどく彼を傷つけたのは自分のくせに、自分だけが被害者ぶるなんて許されるわけがない。
それでも、きっと俺は、あの手の冷たさと、優しいキスを忘れないだろう。