赤頭巾×狼

人間、気分がいいと妙に心が広くなることがある。

10月に入り、近くの小学校からは運動会の練習の声が響く。
そんな中途半端な時期に、都内の大学から1時間圏内に
「学生・単身者向け・駅より徒歩20分バス路線あり1K・3万円
 鉄骨3階建て10室(備考・公序良俗風紀面等規約順守頂ける方)」
なんて破格の物件がそうそう見つかるとは思えない。
しかも連絡して見に行ったら、見晴らしのいい高台南向きだし、
1階部分片側を2室分のスペースで(って何て言うんだろう?)
使ってるオーナー兼管理人さんは優しくて話上手なおばあちゃんで、
元々お年寄りには好かれる性質の俺の事を気に入ってくれて、
出してくれた紅茶はおいしくて、とんとん拍子に話が進んで
……これで気分がよくなかったら嘘だ。
だから、管理人さんが昨日ちょっと転んで足を軽く捻ってしまって、
家の中では問題ないけど遠くまではちょっとね…なんて聞いたら
「じゃあ俺、スーパーまで買出し行きますよ!あと何かあったら…」
くらいの事は俺じゃなくたって言うと思うんだ。

「そう?悪いわね、じゃお願いしようかしら?」
「まだ冷蔵庫にいろいろあるから大丈夫よ、ありがとうね」

で、その場合、返事は大体このどっちかだろうけど、管理人さん
……おばあちゃんの口から出たのは、そのどちらでもなかった。

「あのね、それはこれから孫が来てくれるからいいんだけど
 あなたちょっといたずらに付き合ってくれない?」

聞けば、おばあちゃんには可愛い孫がいて、その子は童話の
「赤ずきんちゃん」が大好きだそうだ。
そんな子がお見舞いに食料品を持って来るなんて絶好の機会だから、
あのシーンを演出して驚かせたいんだそうな。
すごく優しい子だから普段もちょくちょく来るし、
新住人になる俺の紹介も兼ねて俺には狼さん役をとのことで。
でも布団に入る必要はない、おばあちゃんの替えパジャマを羽織って、
ナイトキャップもかぶって後姿では分からないようにして
入り口に背を向けて座って、その子がおばあちゃんだと思って近寄ったら
玄関脇の収納部屋からおばあちゃんが出て「わあ!」と驚かせる。

「ね、簡単でしょ?」
「それはいいけど、泣かせちゃったり嫌われたりしないですか?」
「泣いたら泣いた時のこと。あ、5時頃って言ってたからそろそろだわ」

目をキラキラ輝かせながら太鼓判を押すなら、まあいいか。
それにしても、羽織るだけのはずが、おばあちゃんは随分本格的な
――ネグリジェ?を出してきた。何かどこもかしこもヒラヒラしてるよ。
今時こんなのかなり女の子らしい女の子でも着ないんじゃないか?
誰の趣味だ?亡くなった旦那さんか?????
……ちょっと嫌だな、想像すると。いや俺の今の姿はもっと嫌だけど…。
ともかく、たっぷりとしたネグリジェ?は
わりと細いとはいえ男子大学生の俺でも楽々着る事が出来た。
あとは揃いのキャップをかぶってスタンバイ。
おっと。一応眼鏡も取って、玄関の俺の靴も片付けないと……。

裾を踏まないよう注意しながら屈み込んだその時、玄関が開き
少し冷たい外風と、スーパーのビニール袋の擦れる音とともに
「……何やってんの?おまえ誰?」
頭上から、低く少しくぐもった訝しげな声が降ってきた。

見上げたそこには、真っ赤なフルフェイスヘルメットをかぶった大男。
ご近所さんか、ここの住人だろうか?
顔は分からないものの、首の動きからすると、異様な恰好の俺を
足元から頭まで検分してるんだろう。って怪しまれてるよ俺。
「いやっ、あの、俺怪しい者じゃないです!これからお世話になる……!」
「…・・・怪しいよね」
慌てて弁解を始めたけど、我ながら虚しくなるほど怪しすぎる。
「はい、怪しいです!でもこれは俺のじゃなくておばあちゃん、
じゃなくて、管理人さんの寝巻きで!!」
やばい。俺は不測の事態に弱くて、ドツボにはまるタイプだ。
しかも、フルフェイスヘルメットというやつは、かなりの威圧感がある。
高校の頃バイトしてた店では、来店者がこれをかぶっていると
店員間にちょっとした緊張が走ったもんだ。

「管理人さんのお孫さんびっくりさせようと思って!!
 なんかそろそろ来るはずなんですけど、赤ずきんちゃんが好きな子で
 俺が狼で、おばあちゃんが…おばあちゃんはおばあちゃんで…」
「………っ」
気が付けば、大男は体をくの字に曲げて肩を震わせていた。
「……………あの……」
「……悪い、まあ、立って」
上がりかまちにへたり込んでいた俺の手を取り立たせる。
ああ、やっぱり段差を考えると、185以上は余裕であるなこの人。
ヘルメットを外し、2・3回首を振り、光に目が慣れないのか
少し目を細めながらニヤリと笑った精悍な顔は、
どう見ても俺なんかより100倍は狼らしい。

「俺がその赤ずきんちゃん。よろしく、オオカミさん」
……で、なに?俺は食べられちゃうのかな?」

楽しそうに笑いながら、おばあちゃんを呼び、台所に入って行く
「赤ずきん」とはこれから長い付き合いになるんだけど、
これが俺と彼との間抜けな出会いだった。
思い出すのも恥ずかしいけど、後々彼は事あるごとに、
心底残念そうに、写真を撮っておくんだったと
言っているので、どうやらあんな間抜けな姿でも
彼にとってはそうでもなかった、んだろうか?

ちなみに、俺の苗字は「大上」で、
おばあちゃんは俺の苗字にも引っ掛けて思いついたらしい……。


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最終更新:2013年08月15日 04:13