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階段

男はもう半世紀以上の間、その四七〇段の石段を毎日のように上っていました。
上り詰めた先にある寺の境内はひっそりとしていて、明け方は霧深く、まるで雲の上にいるようでした。
とある山間の小さな村にある、四七〇段の石段を持つ古い山寺。
そこに、男が恋焦がれる、美しい人はおりました。
男がまだ少年の時分、ひと目で恋に落ち、その日からこうして石段を上り続けているのです。
まだ人の寝静まる暗いうちに家を出て、皆が畑仕事を始めるまでには村に戻る。
そうして夜明けの数時間を恋人と共にするのが男の幸せでありました。
しかし、長い年月で苔生し磨り減った石段は、いつも湿っていて滑りやすく、最近では何度も踏み外し、手をつかずにはいられません。
数歩上っては休み、また数歩上っては休み、かかる時間と息の切れることに、男は自らの老いを感じていました。
あと何年、こうして会いに来ることができるか…不安に思った男は恋人に言いました。
「私はもう歳をとってしまって、明日はこの石段を上りきることはできないかもしれない」
だから「あなたが、下りてきてはくれまいか」と。
麓で共に暮らすことはできまいか、と。
男は願いましたが、恋人はただ黙っているだけでした。
初めから、無理なこととわかっていました。
美しい人は、御堂の裏手にある洞窟に彫られた弥勒菩薩だったのです。

その日はひと際重く感じる足を引きずるように、男が石段を下り麓の村に着くと、同時に雨が降り出しました。
雨は次第に強くなり、夜になっても止む様子はありません。
このまま降り続けば、明日の朝は寺へ行くことはかなわないでしょう。
若い頃ならば台風の日にも無理をして会いに行ったものをと、男は悲しくなりました。

雨は明くる日も明くる日も降り止まず、とうとう一週間目の朝のこと。
ズズズッという地響きがしたかと思うと、次の瞬間、寺のある山が地すべりを起こしたのです。
ドーンと大音響と共に土砂が押し寄せ、村の山寄りの数件を一瞬にして飲み込んでしまいました。
その中には、男の住む家もありました。
大きな音に男が目覚めると、身体が半分土に埋まった状態で身動きが取れません。
何とか首だけ動かして側を見れば、なんとあの弥勒菩薩が半分土の中に埋まったまま、男のほうを向いているではありませんか。

盛大な「エヘ、会いに来ちゃった」というお話。
ちなみに、不幸中の幸いか、思いのほか土砂が浅く救助も迅速だったため、命を落す村人は一人もいなかったそうで。

おしまい