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三味線奏者

割れんばかりの拍手は、銀幕が上がると同時にぴたりと止み、ホールが静まりかえった。
暗い客席は老若男女問わず、ぎっしりと人で埋め尽くされ、満員御礼と書かれた垂れ幕。
それを目に焼き付けて、俺は三味線を抱え直す。

舞台の中心では、客席に背を向けた主役が、目を閉じて俺の演奏を待っている。
この緊張感は、何物にも代えがたい。

ひとたび弦を弾き始めれば、彼は変貌する。
男の影は消え、女へ。

艶やかな着物は細身の体に似合い、真っ白な肌と紅は端正な顔立ちを引き立たせる。
計算し尽くされたしなやかな動きは、女以上に妖艶で
一寸足りとも狂いはなく、完璧なまでに女形を演じる。
そんな彼の舞に、客席からは感嘆の声があがる。

そんな二人三脚での巡業も、今日で最後。




「ちょっと、いい?」

もう使うことはない三味線を丁寧に手入れし、ケースに仕舞う頃。
開けっ放しの楽屋の扉をこんこんとノックし、彼は言った。
振り返って見れば、彼はもうすっかり元の男の姿。

「おお、もう着替えられたんですか」

そう言うと、彼はニコリと笑うだけで、何も言わずに楽屋へ足を踏み入れる。
長期に渡る巡業中に、彼が俺の楽屋へ来る事はなかったから多少驚きつつも、散らかってますがどうぞとソファーを差し招き入れた。

きっと、俺の契約が今日で終了するのを知って、挨拶にでもと出向いたのだろう。
俺より一回り以上年下でありながら、代奏者である俺にも気を使って優しく接してくれた日々を考えると、当然ともいえる。
しかしトップスターの名を欲しいままにする彼と、差し向かいで話をするのは初めてで少し緊張した。

「……」

「……?」

向かいのソファーに座る彼は、何だかうつ向き加減で表情が暗い。
沈黙が重く感じ、言葉を探した。
今日もお疲れ様でした、等の労いの言葉はさっき舞台裏で使い果たしている。

「………今日、寛三さんがご覧になられてましたよね」

本来の奏者である寛三さんは、急病の為入院治療を続け回復し、先週退院したと人づてに聞いた。
次回の舞台からは寛三さんが、奏者として再び舞台へ戻る。

「……もうお元気そうでしたね。早く奏者として」

「ねぇ、宋介さん」

彼の目が、話を遮った。
女のように綺麗な黒い瞳がまっすぐに俺を見る。

「俺ね、宋介さんの三味線、ずっと聴いていたい」

「……」

「ずっと宋介さんの弾く音で、踊っていたい」


―――すごくありがたい、言葉を頂けた。
奏者冥利に尽きるというもので、もう胸に沁みて沁みて仕方がなかった。
そして口下手な俺は、ますます言葉に詰まる。

「…ありがとうございます。本当に嬉しいですが寛三さんが……」

「わかってる。…けど宋介さんに会えなくなるのは嫌だ」

ドクドクと脈が早くなる。
この状況はいかがなものか。
これは願望が作り出した夢なのかとまで思ってしまいそうになる。
それくらいに、彼は悲痛の表情で俺に訴えてかけている。
もじもじと指先を弄りながら顔を赤らめて。

「俺……そのう…宋介さんが……」

ああ、これ以上彼に言わせてはいけない。

「…見に行きます!」

考えるまもなく咄嗟に出てきた俺の言葉に、彼はびくりとして何事かと俺を凝視した。

「これからずっと、地方行ってもどこ行っても、あなたの舞台を見に行きます。奏者としてでなくとも、勝手に付いていくつもりでした」

「……本当?」

「…はい。惚れてるので」

「……」

「あなたに、惚れてるので」

彼は目を丸くして驚き、そして嬉しそうに笑った。
ずっとそばに居る事は今後も、変わる事はない。